恨み買取屋

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第一章・首吊り少女の怨念

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「僕、拷問は苦手なんだよね。どうしても加減がつかめなくって」
 夜狐は手元の花の花弁を、もう一枚毟り取った。
「ギァァァ、ァ」
 痛みに花型の恨みは悶え苦しむ。身を捩って逃げ出そうとした様だが、夜狐も感知できないほど微かな動きでしかなかった。
「ほらぁ、痛いでしょ?さっさと吐いて?僕だってしたくないんだよこんな面倒くさいこと」
 呆れたように彼はそう言った。それは子供を軽く嗜めるような軽薄さと、地獄の悪鬼のような残虐さが同時に兼ね備えられた声だった。
 花は沈黙を貫いている。その口は今にもケタケタ笑い出しそうに笑顔のままカパ、と開かれていたが、特に何か声を発することはなかった。
 夜狐はそれを受けて軽くため息をついた後、今度はゆっくり、じわじわと、先の方から花弁をちぎる。
「ウギィィアギィィ」
「これは痛いよねぇ、人間で言えば指先から削られてる感じ?」
 一気にザクっとやられるより、じわじわやられる方が痛かったりするんだよねぇと夜狐は半笑いで言った。
「……ねェねェ知ってる?」
 三枚目の花弁をもうすぐちぎり終えると言うところで、恨みはそう言った。その言葉に夜狐は手を止め、耳を傾ける。
「桂 夜狐は、ヒトゴロシ」
 しかし恨みが発した言葉は、求めていたものではなかった。
 それで夜狐が動揺すると思ったのかは知らないが、夜狐にとってそれは旧知の事実、すでに割り切っている。再び花弁に手を伸ばそうとすると、恨みがさらなる言葉を発する。
「ヒトゴロシのロクデナシ。無駄に殺したヒトデナシ。夜狐が生まれて来なければ、続いた血筋は確かにあっタ」
 時間稼ぎなのか、はたまたただの挑発なのか、恨みはこちらが聞いてもいないことをベラベラと喋り出す。聞きたいのはそんなわかりきった話じゃないんだよなぁ、と夜狐は首を捻った。
「殺した罪も償わず、夜狐はのうのうと暮らしてル。笑って楽しく過ごしてル。罪滅ぼしという名の恥の上塗りを続けていル。敵味方問わず殺した夜狐を、地獄は、世界は当然のように許していル。どうしテ?どうしテ?どうしテ?」
 次第に夜狐の目が細められていく。その瞳に宿っている感情が屈辱なのか、後悔の念なのか、はたまた別の何かなのかはわからない。わからないから、恨みは続けた。
「死ぬべきでない人まで、夜狐は無惨に殺したノ。本当は夜狐が死ぬべきだったの二。夜狐が死んでいれば、夜狐がいなければ、夜狐が希望を見出さなけれバよかったノ。歪な関係は、もう無くすことすら出来ないネ」
 誰一人として救えない癖に死後もこうして刀を振るウ──
 恨みは夜狐を責めた。責めて責めて責めまくった。親の仇とでもいうように容赦なく──余裕もなく。
 責め立てられている本人はと言えば、恨みをもつ右手にグ、と力を込めただけであった。恨みはその圧迫感に、悪罵を吐く口を歪ませた。しかし笑顔の形は保ったまま。
「嫌だなぁ。流石の僕も傷ついちゃうよ?」
 夜狐は花弁に手を伸ばす。拷問の再開だ。今はこれが彼にできる最善であり、それは一万里はあろうかという罪滅ぼしの道の、一歩にも満たない距離を進むための方法であった。
 しかし、その瞬間恨みは口角をこれでもかというほど上げてけたたましい笑い声を上げた。予想だにしていなかった行動に夜狐は少し警戒する。
「見てご覧、それが夜狐の本質だヨ」
 口がぱっくり開いている。それは穴だった。空間にぽっかりと空いた、どこにも繋がることのない穴だった。
「夜狐は何かを傷つけることでしか罪を滅ぼせなイ。自分を削って他人をそれ以上に削ることしか出来なイ。罪を償うたびに罪は増える一方だなんて笑えるネ」
 恨みは存在しない目でまっすぐに夜狐を見つめながら語る。
 その言葉一つ一つに大した意味合いはない。恨みはただ、事実を語っているだけだ。意図的に相手を傷つける言い回しをしているだけで、その内容は夜狐が諦め割り切ったいくつかの過去にすぎない。

 ──しかし事実は覆らない。
 事実は事実として、黙ってそこに腰を下ろしているのである──。
 誰も救えない。
 誰も救ったことがない。
 ただ不確定要素の泥沼の中で、なにかとんでもない奇跡が起きてはくれないかと刀を振るい、足を突き動かしていたあの頃を思いだした。
 夜狐はあの頃と違う。もう奇跡を望むのはやめにした。その奇跡の引き金が偶然目の前に現れたとして、己で引こうと思うのもやめにした。
 自分だけは傷つかずに、何も失わず、幸せな場所へ帰りたいなどと思うことは──やめたのだ。
 何故なら、傷つくことでしか手の内のものを守れないことに気づいてしまったから。この世の全ては等価交換で成りたっていると、失いたくないのなら結局何かを差し出すしかないと気づいてしまったから。
 彼には幸せな場所どころか、帰る場所すらなかったから。
 例え存在したとしても──そこが自分のための居場所でないことを、彼はよぉく理解していた。
 彼の望む世界など、ちっぽけな幸福など、全ては戦友の亡骸と共に白骨化してゆく。
 結局、生きていくには何かを犠牲にするしかなかった。幸せを望むなら、誰かが不幸にならねばいけなかった。
 平和な世界を望むなら、誰かが大罪人にならねばいけなかった。
 ならその道化は誰か。
 倒されるために生き、戦い、血を流す悪役道化ピエロは誰なのか。
 …あァ、わかりきったことじゃあないか!
 ──望むなら、望んだ責任はとらねばいけないのだから。
 
「どうして夜狐だけが、どうして夜狐だけガ!みぃんな言ってる、自分は許されなかったのにどうして夜狐はと泣き叫んでいル!」
 黙ったまま動かない夜狐を見て、恨みは勝ったとでもいうように叫び続けた。加勢するように周りにいた恨みたちも口ぐちに喚く。事実と虚言が入り混じって、もはや単語として捉えるのが精一杯だ。
 しかしそれでも、己の手の中にいる花弁の三枚かけた恨みの声は嫌でもはっきりと聞き取れる。単語が文節に、文節が一文となって両耳の鼓膜を揺さぶった。
「断罪ダ!断罪ダ!殺した人間の数すら覚えていない極悪人メ!のうのうと幸福を享受する貪欲な人間メ!」
 痛みも苦しみも、夜狐にはいくつあっても足りないネ──
 ケタケタケタケタ、と笑い声が聴覚を埋め尽くす。その笑い声に、口の形に、何を重ねたのか夜狐はそれまでほぼ動かさなかった表情筋を少し歪ませた。
 あぁ、もういい。こんな声に耳を傾けるだけ時間の無駄だ──と、夜狐は今度こそ花弁に手をかける。弱い犬ほどよく吠えるというように、こいつもこれだけ喚くということはもう一押しすれば簡単に口を割るだろう。
 ──ふと、その笑い声の中に別の音を見つけた。
 不思議に思って音源を探す。しかしどうにも笑い声がうるさい。耳が痛くなるようなその声は、明らかに夜狐の鼓膜を鈍らせていた。
 だから──彼は直前まで気づくことはできなかった。
 距離にしておよそ五メートル、右側。口だけが異様に大きく犬歯が妙に発達している──化け物。
 恨み。
 ──
「…ただの時間稼ぎだった、って訳ね」
 逃げようにも、一度床に落とした刀を拾わなければならないのは絶対条件だ。しかしそんなことをしていたら、その間に間合いはあっという間に詰められてしまうだろう。
 迎え討とうにも左腕はほぼ使い物にならず、右手には拷問中の恨みがいる。別にこんなもんそのへんにまだまだいるし、拷問対象を新たな相手に変えれば良いだけの話なのだが、先刻あれだけ散々言われておいてこのまま逃げられるのは癪だった。これは、ただのプライドの話である。
 だが今はプライドがどうのなどと言っている場合ではない。ここで負けては元も子もないのだから──
 ──しかしやはりむかっ腹が立つ。
 夜狐は聖人君子ではない。挑発されたらのるし、煽られたら怒る。
 こんな気持ち悪い花一つにうまいことやられたとなっては、かなり癪だ。
「よっ」
 そんなわけで夜狐は反撃に出ることにした。
 右足で床の刀を蹴り上げ、サッカーのドリブルの要領で器用に柄の部分を蹴って持ち上げる。大体胸の部分まで持ち上がったそれを、こんっ、と足の甲で前へ押し出すように蹴る。
 それは勿論、夜狐に向かってくる恨みに向かって、ふわりと柔らかい軌道と相反した鋭く重い刃として飛ぶ。
 だが前述の通り、勢いがあるわけではない。避けるのも捌くのも簡単だ。恨みはその刀を、随分器用に横から手を振り抜いてあさっての方向へと跳ね除けた。
 そうやって刀に向けていた視線を戻す。
 間合いが縮まっていた。
 いや、縮まっていたなんて生やさしいものではない──無くなっていた。
 間合いという戦闘への、痛みまでのカウントダウンが一瞬にしてゼロにされた。自然の摂理を捻じ曲げられたかのような感覚に眩暈がする。
 夜狐は身を屈めて、下から恨みを覗き込んでいた。この恨みは牙が武器、おそらく噛み付くことで攻撃してくる──だから、下から行くのは賢明な判断だった。上からと正面からでは、相手は口を開けて待ち、後は軽く頭を振って位置を調整すればいいだけだ。だが下からではそうはいかない。
 それどころか、刀を払いのけたこの体制では即座に夜狐に攻撃を加えるのは難しそうだった。こうなってはもう夜狐の一撃が入るのは決定事項だ。
 この一瞬でそこまでの判断をした夜狐に、恨みはいっそ恐怖を通り越して畏怖の念を抱き始めた。
 花型の恨みを持ったままの右手を、手のひらを上向にして恨みの顎に向かって突き出す。手根のあたりが見事に直撃。その刺激で花型の方にもダメージがいったらしく、ギィッという呻き声が響いた。
 一方牙の方は顎が外れたらしい。
 しかもその自慢の牙が、顎を下から押される衝撃に耐えきれず己の口内を刺し貫いた。そうやって溢れた血が否応なしに喉に流れ込んでくる。
 下から顎を突き上げられてほぼ直角に上を見上げさせられている体勢に加え、自分の牙が刺さって口をまともに開けない状態ではうまく血を吐き出せない。とめどなく流れる血は食道にも気管にもどくどくどくどく遠慮なしに入ってくるが、恨みはむせる事すらできない。
 と、ここで夜狐が顎に添えていた手にさらに力を込めた。衝撃に耐えられず恨みはのけぞり、そのまま倒れ込む。一瞬だけでも夜狐の手から逃れられた恨みは一縷の希望を持った。まずは血を吐き出して戦闘体制を──と思った瞬間。
 首に圧迫感。
 それは痛みという感覚ではなかった。優しい圧迫感。恨みは眼球だけを動かして自分の状況を確認しようとするが、視界の橋から世界が赤く染まっていってもうほとんど何も見ることは叶わなかった。
 恨みはどこかあさっての方向を見つめ、口を数回ぱくぱくと動かし手をどこかに伸ばした。なんの意味もない動作だった。
 ごぼ、と喉で血が溢れかえった音を最後の言葉にして恨みは蒸発した。先程の惨劇はどこへやら、というようにそこには何もなくなって、恨みの首に乗っかっていた夜狐の足も床についた。
 夜狐の右手に収まったままの花型の恨みは、何を感じたのか、それとも何も感じてなどいないのか、言葉一つ発することなくその一部始終を見ていた。心なしか笑顔のままのその口の形は、どこかひきつっているように見えた。
 夜狐はそうやって黙っている恨みを、残っていた花弁を指先でつまんで吊し上げて言った。

「で?」

 その一言で──いいや、一文字で十分だった。
 恨みは、夜狐が牙の恨みに気づいた時点で勝ちを確信していた。いや、例えどう転んでも、自分が解放されない未来だけはあり得ないだろうと。自分だけは逃げ出すことができるであろうと。
 ──完全に舐めきっていた。
 鈴音の狐を舐め腐っていた。
 夜狐の日本刀についた鈴。彼の二つ名はそこから着想された単なる軽口だと思っていたことを、恨みは後悔した。
 それは夜狐の速度を、その信じられない速さをもって相手を圧倒することを意味していたのだと。
『鈴の音が聞こえたと思ったら、貴方はとっくに化かされた後でしょう──』
 彼の存在を認識した後では、もう何もかも手遅れだということを──
 今更ながらに、恨みは気付いた。
「……」
 敵うはずもなかった相手だ。
 なんだか急に全てがどうでもよくなった恨みは、嫌そうに、面倒くさそうに、その口を動かした。本体に全部押し付けようという算段だろう。
 だがどちらにせよ自分は死ぬ。
 どう転んでも自分が殺されない未来だけは──ない。
 ならば秘密を抱えたまま死ね、というのが忠義の精神といったものなのだろうが、生憎とそんなもの恨みは持ち合わせていなかった。人の噂をぺらぺら喋り散らかす輩にそんなものあってたまるか。
 それに少なくとも、ここで喋れば楽に倒して貰えそうだった。
「…ねェねェ知ってる?」
 いつもと同じフレーズを随分弱々しく発した恨みに、夜狐は少し満足そうな顔をした。

    ▽ ▲ ▽ ▲ ▽

「チッ……数が多すぎる!こんなの相手にしてられるか!」
 藍玉が叫んだ。少し焦りの混じった声で。
 彼女は私にアイコンタクトをとると、別の道を使おうと横の廊下に足を踏み出した。私もそれに続く。が──そう簡単に逃がしてくれるはずもない。
 いく先々で花型の恨みが壁となって、進路を妨害した。奇術師の見せる手品のように突然現れては、そこを去ると突然消える。
 そうして結局ほとんどその場から移動できないまま、何分かが過ぎた。
「……まずいぞ」
 この調子では、いずれ訪れる噂に踊らされたほうの恨みに包囲される。
 そう言って藍玉は冷や汗を流した。
 は、攻撃性があるから。一度に大量に来られてしまっては、花に道を塞がれてしまうこの状況ではこちらが圧倒的に不利になってしまう。
 …私のせいだ。
 これは比喩ではない。罪の意識からくる自責の念ではない。単純に、全てにおいて、私が悪い。
 それはさっきの先生に対する恨みが私に単純な好意だとか興味だとかを寄せたのと同様に、私という産みの親の存在に引かれて噂の恨みが寄ってきた──という意味も、勿論ある。
 それからもう一つ。
「香澄、下がってな!」
 急に名前を呼ばれて肩がびくん、と震えた。おとなしくその言葉に従い、藍玉は何をするつもりなのだろうかとことのなり行きを見守る。
「強行突破だ」
 そう言うと同時に、藍玉を煙が包む。それは本当に一瞬で、それこそ漫画でよく見る『どろん』といった煙そのものだった。
 ──景色が一瞬にして変わった。
 今まで見えていたはずの校舎内の風景が遮断され、代わりに三色の毛が映る。
 藍玉はどうやら、ぎりぎり廊下の床から天井までの高さの中で暴れられるようなサイズまで、巨大化したようだった。
 そのまま目の前の花の壁へと突っ込んでいく。一歩進むごとに轟音と振動が来るのを警戒していたが、案外それは静かなものだった。さすが猫。
 藍玉はその大口をぐぁっ、と開け、花の壁を──
 ばり、ぐちゃぐちゃ、がさばりぐちゃ、ごくん。
 咀嚼音と嚥下する音が聞こえてから、藍玉はもとの大きさに戻っていた。なるほど、どうやら全体を巨大化するのは長く保たせることは難しいらしい。そうでないならずっとあのまま強行突破しているはずだ。
 だがなんにせよ、あの邪魔な壁はなくなった。これで前に進める。
 ──それは嘘ではなかった。
 前に進むことはできたし、なんなら次の廊下の曲がり角まで来ることができた。そこそこ長かったその距離は、もうあの壁は出てこないだろうと高をくくるには十分な長さだった。
 角を曲がったときそこには──
「「「ねェねェ知ってる?」」」
 再び、壁。
「曲がり角で出てくるとか…運命の出会いかよ馬鹿!」
 藍玉が少しずれたコメントをした。
 厄介なことに、次の壁にはもっと恨みが増えている気がした。逃がさないとでも言うように。
 そう、それは合流させてたまるかというよりは──ここから逃がすものか、と言われている感覚だった。あくまでそんな気がするというだけなのだが──どうにも落ち着かない。
「次から次へと…」
 藍玉が再び悪態をついた。だが、一応強行突破の手段はあると先刻わかったからなのか、藍玉はそこまで焦った様子は見せない。
 確かに──突破自体は、できる。藍玉の巨大化の間休憩の時間が入るが、時間さえかければ夜狐との合流も可能だろう。
 ──だが。
「香澄、察してると思うけどアタシはさっきみたいな巨大化は連続じゃできない、一度逃げに徹して──」
 駄目なのだ。
 それじゃあ──間に合わないんだ。
 話さなかった私が悪いと思う。ただ少しだけ言い訳をさせて貰えば、私は私なりに気を使ったんだ。心労をかけたくなくて。夜狐との合流は簡単だろうとたかをくくって。
 それから単純に──認めたくなかったのかもしれない。
 気のせいだと信じたかったのかもしれない。
「…香澄?」
 藍玉が私を覗き込んだ。あぁ、もう言わなければいけない。黙っていることはできそうもないし、許されそうもない。
 藍玉を見て、右を見て、自分の足元を見て、もう一度藍玉を見た。しかし口を開いたとき、私は無意識のうちに藍玉から目を離していた。
「藍玉、さん」
 重い口を開く。


「ねェねェ知ってる?」
 弱々しいその声に夜狐は耳を傾ける。
 しかし恨みはそんな声と裏腹に、次の瞬間ケタ、と少し笑った。
 それは最後の抵抗──いいや、嫌がらせとでも言うように。
 最後の最後に一矢報いてやろうとでも言うように。


「恨みの本体は、多分もうすぐ…痺れを切らして出てきます」
 藍玉が目を見開いた。想像通りの反応に、ただでさえ重い口が更に重くなる。
 最初に言っておいても多分どうにもならなかったとは思うが、今言ってもどうにもならないのは変わらなかった。
「…本体は、どこに?」
 言葉を喉の奥で詰まらせていると、藍玉の方からそう聞いてきた。私はこれに答える義務がある。責任がある。
「……それ、は」


「根も葉もない噂、って言うでしょウ?」
 その発言がどういう着地点を目指して発せられたのか、夜狐にはわからなかった。
 そんな夜狐を見て恨みは満足そうに口角を更にあげる。そして、勿体ぶってケタケタと笑い次の発言を焦らす。だが待ちきれなくなったのか、それともあまり焦らしすぎるとまた痛め付けられると思ったのか、案外すぐ恨みは話し出した。

「根は、あるんだヨ」

「…は?」
 どういう意味だ、と夜狐は訝しげに恨みを睨む。しかし恨みはそれ以上しゃべる気は無いようで、ただキシッと含みのある笑い方をするばかりであった。
 根は、ある。
 そんなわけがあるか、なんの根拠も、信じるに足る情報も、一片たりとも存在しないから噂は不均一な波紋でとんでもない速度で広がっていくのだ。
 …考え方が違うのか?
 夜狐は嫌な予感を胸に思考をフル回転させる。
 根。根元。
 全ての元。
「………」
 根も葉もない噂に必ず含まれているもの。
 統一性もなにもない噂話のなかに、唯一統一して入っている情報。
 がなければ、噂自体も生まれることはない。
 それを根として──噂の実はなる。
「………まさか」


「本体は、」
 認めたくなかった。認めればそこにあることになってしまうから。
 しかし現実は非情らしい。
 知っている。私はそれを痛い程理解している。
 
「私にずっと、ついてきている」 


 夜狐の頬を冷や汗が伝った。
 恨みが口を大きく開ける。
 その口角は限界までつり上がり、やがて笑顔とも呼べなくなった。
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