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[閑話] 自覚と覚悟

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 休憩から帰ってきて、ここにいる筈のない紘夢さんがいてすごい嬉しかったのに、叔父の「新作の相談に乗ってもらった」なんて一言にムカッとして……そのまま紘夢さんを抱きしめてしまった。結構な馬鹿力で。バンバンと音が鳴るほど腕を叩かれ、あ! っと気付いた時には、紘夢さんは酸欠と痛みで顔を真っ赤にしていた。ついでに涙目。すぐに「ごめんなさい!」と謝ったけれど。紘夢さん、怒ってはいなかったけれど……
 あの時、もう一度抱きしめたいと思った。今度はゆっくり、腕の中に紘夢さんがいることを実感出来るように、優しくぎゅっと。髪、やわらかかったな。スーツ姿ではないのを見るのも初めてだった。少し幼く見えて可愛かった。
 もう帰るというから送っていこうと思ったのに、休憩時間が終わりで送れなかったのが悔しい。だから、次に来る時には連絡をして欲しいとお願いした。そうすれば休憩時間の調整をして、一緒にご飯を食べたりとか出来るし。

「おい。雄大……いい加減戻ってこい!」

 紘夢さん、オレンジのタルトを食べていた。礼子さんがオススメしてくれたんだって。レシピはお店のだけれど、俺がメインで作ったやつ。美味しかったって言ってくれた。あーもう、絶対にいつもの顔で食べていたんだ。見たかった見たかった見たかったぁ!!

「ちゃんと作業しててもボーッとしてんじゃねぇっ、ての!!」

 バシッとお尻に膝蹴りを食らって、視界に現実が映り込んだ。お店の作業場で今は……あ、大丈夫だ。生クリームはちゃんと決まっている口金をセットした絞り袋に入れてある。

「そんなにボーッとしてました?」
「してたしてた。そんな状態でも作業は続行するから、気味が悪い」
「っていうか、師匠! ほんとに新作の相談とかしていないんですよね!?」
「何度もしつこいっての! ……してねぇよ、ただお茶してただけだって。桜井くんもそう言っていただろ?」

 新作の話はしていないって言っていたけれど、何を話していたかまでは「内緒です」って言われた。それって叔父と紘夢さんの秘密ってことで……あ、なんかまたムカムカしてきた。

 一度深呼吸をしてから、土台の出来上がっているショートケーキに生クリームを絞り出す。均等に鳴るように回転台を回しながら、形を揃えたクリームを六個絞って……そのままサポートの春臣はるおみへ。――叔父のところの長男、甘い物が嫌いな俺の従弟。昔は甘い物も普通に、っていうかむしろ好きだったのに。それでもカットフルーツを並べるような軽作業は出来るから、土日で忙しい時間帯は手伝いに入っている。他にも喫茶の案内とか。
 本人曰く、そのせいで甘い物が嫌いになったらしい。今はいない春臣の妹、桜帆さほは同じ生活をしていても甘い物好きなのに。

「というかさ、あの桜井さんって人……ゆう兄の、何?」
「んー? ……なんだろう?」

 相談役? 紘夢さんの趣味がスイーツ店巡りだから、いろいろなお店の情報にも詳しくて勉強になる。俺も叔父も調べるけれど、それとは視点が違って面白い。でも世間話とかもするし……最近は職場の人間関係に悩んでいるらしい。先輩がデリカシーなさ過ぎるって言っていたけれど、どういうことなんだろう。紘夢さんが辛くないなら良いけどさ。
 友達っていうのが一番近いけれど、でも今までの友達とは違うし……こんなに連絡を取り合うことなんてしない。たまに近況の確認をするくらいで、後は新年の挨拶くらい。俺も実家から離れてしまったし、周りもそんな感じだし。……最初は〝おともだち〟になれたことが嬉しかったのに、今ではそれだけじゃ物足りないというか。じゃあ紘夢さんの〝何〟になりたいんだろう――と考えたら、答えは一つだった。

「……大事なひと」

 そうだ。俺は紘夢さんが大事。紘夢さんが美味しいって思ってくれる、言ってくれるお菓子を作りたい。叔父にとっての礼子さんみたいな、大事な人。喜んでくれるのが嬉しくて、どんどん次を考えてしまうんだ。

「美味しいって言ってくれるのが嬉しいんだよね。もっと喜ばせたくなるっていうか……師匠も見たでしょう? すっごい美味しそうな顔で食べてくれるの」
「あぁ。見たけどな……」
「あれが嬉しくって。あの顔をさせてるのが俺だって思うと、凄い充実感? 満足感? よくわからないけど、ブワーッてなるんだよね」
「いやちょっと待ってよ、ゆう兄!」
「何?」
「あの人、男だよ?」
「それが?」

 何を今更。初めて会った時から知っているけれど。女の人と間違うような容姿ではないし……でもあんなに甘い物を食べているのに華奢なんだよね。筋肉をつけたいって言っていたけれど、体質もあるし食べても太らないんだったら良いと思うんだけれど。あ、でも健康には気を付けて欲しいな。

「ゆう兄って……ホモなの?」

 ホモ? ……ホモジナイズ? ホモ牛乳??

「ホモジナイザーで脂肪球を細かく均一化……脂肪球が分離することがなく、脂肪やタンパク質の消化が良くなり味にやわらかみが出る……だっけ?」
「誰も牛乳の話なんてしてないから! そうじゃなくて、ゆう兄って彼女いたよね?」
「うん。別れてから……もう、三年?」
「そこまでは知らないけどさ……つまり、女の人が好きなんだよね?」
「おい。春臣……」
「男相手に大事とか、喜ばせたいとか、言ってることがおかしいよ。それじゃ男が好きみたいじゃん」

 男が好き? 今までそんなことを思ったことはないけれど。何人かの男友達を脳内で連想して……無理無理、気持ち悪い。今後も友達として付き合っていきたい。

「男相手にキスしたいとか、抱きしめたいとか、思うの? 思わないよね?」
「春臣、止めなさい」
「だって、ゆう兄の言ってることってそういうことでしょ? 桜井さんに、そういうことしたいって思うの?」

 紘夢さんにキス……あの唇、指で触った時にフニフニしてて柔らかかったんだよね。不思議に思って聞いたら、リップを常備しているって言っていた。「男なのに恥ずかしいけど」って少し悔しそうで……でもこの時期は何もしないとヒビ割れて血が出るらしくて、痛い思いをしたくないから仕方ないって。俺は何もしていないからカサカサしているかも。

「うーん……紘夢さんにキスするなら俺もリップ使った方が良いのかな?」
「はぁあ!?」
「キス、出来るよ。というかしたい。でも紘夢さんは嫌がるかな? ……嫌われたくはないなぁ」

 今度は正面から紘夢さんのことを抱きしめて、チュって出来たら……きっと顔が真っ赤になって、「何するんですか!」って怒られそう。怒られるのは嫌だけれど、嫌われるのはもっと嫌だな。でもしたい。

「ちょ、それ恋愛でってこと? あの人、男だよ?!」
「男とか女とかじゃなくて……紘夢さんだから、したい。あぁそっか……これ、恋愛の好きだったんだ」
「あーぁ……気付いちまった」
「って親父! 知ってたのかよ!!」
「そうじゃねぇかなぁとは思ってたよ。でも本人が気付いていねぇし、外野がとやかくいうことじゃねぇだろ」
「だから師匠に嫉妬したんだ。俺の紘夢さんなのに、ってすごい悔しかった」

 俺だけの紘夢さんでいて欲しいのに仲良く話しているし……喧嘩しているよりは良いけれど。でもちょっと無防備だよね。あの顔を見るのは俺だけで良い。あ、でも他のお店にも行くって言っていたな。会社の人と食べ放題とかにも行くって……まぁホテルのビュッフェならコックやパティシエって殆どフロアに出ていないから良いけれど。

「嫉妬すんのも良いけど、あんま押し付けすんなよ? それと、よくよく考えろ」
「?」
「お前が恋愛として好きでも、向こうはそうは思っていないってこと。拒否られたら最後だぞ?」
「っていうか、桜井さんがホモじゃなかったら無理じゃん」
「春臣……追い打ちをかけてやるなよ。敢えて言わなかったのに」
「だってそうじゃん。桜井さん、彼女いるの?」
「今は、いないって……」
「今はってことは、過去にはいたってことでしょ? つまり女の人が好きってことでしょ?」
「……」
「ゆう兄がいくらイケメンでも、超えられない壁ってあると思うよ」

 ぼんやりとした好きって気持ちにハッキリとした形が出来たのに、一気に脆くなった。俺は紘夢さんなら男でも女でも好きだけれど……紘夢さんは? 〝関係ない〟って思ってくれる? もし気持ち悪いって拒否されたら?

「まぁ……お前が我慢して今の関係を続けるのか、当たって砕けろで突き進むのか、そこに性別なんて壁はねぇよ。男でも女でも、恋愛なんて壁乗り越えてナンボだ。後悔しないようにすりゃ、それで良いだろ」

 我慢して〝今〟を続けるのか。当たって砕けろで〝先〟へと進むのか。これは紘夢さんには相談出来ない。俺の中で決着をつけなければならない。
 さっき別れたのに、早く次の水曜日が来て欲しかった。会いたい。早く。紘夢さんの顔を見たら、何か答えが出るような気がするから。
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