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七話
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叔父夫婦の罪は白日の下に晒された。
キャンベル子爵夫妻へ毒入りワインを飲ませるよう、領主館の使用人に強要し続けた事。
一人娘のメアリーを養育する義務を怠り、あろうことか彼女を下町に捨てたこと。
領民への苛烈な重税、税の虚偽申告。
罪状は枚挙にいとまがなく、よくもまあこれだけの罪を重ねてのうのうと生きてきたものだと呆れるほどだった。
今後二人に残された道はただ一つ、牢獄で過酷な重罰に耐えるのみだ。
「さて、これで名実ともに君はキャンベル子爵領の領主だね」
ごたつくキャンベル子爵領の領主館にて、美貌の伯爵アシュレイ・ベルナールはそう告げた。領地経営どころか貴族的な振る舞いさえもできないメアリーのために、叔父夫婦によって不当に解雇されたかつてのキャンベル子爵の重臣を探し出してきてくれたり自領から腕の立つ官吏を連れてきてくれたりと何かと世話を焼いてくれている。
全てが善意に基づく行動で、爵位を継いでも右も左も分からないメアリーにとっては非常にありがたい事だった。
あれからメアリーとアシュレイはずっとキャンベル領に滞在している。一度下町に帰ってココットにお礼を言いたいのだが、そんな暇すら与えてもらえなかった。
毎日毎日、やることは尽きない。
深夜まで及ぶ仕事量にめまいがしそうだったが、実質差配をふるっているのはアシュレイでありメアリーは横で頷いているだけだった。
「すみません、伯爵様におんぶに抱っこでこんなに面倒を見てもらってしまって」
こんなに頼りない領主など、未だかつて存在したことがあっただろうか。
「問題ないよ。ベルナール領は優秀な官吏が多いから、僕が少し抜けたところで問題はないし、呼び戻したキャンベル子爵の重臣もなかなか切れ者揃いだからね。これなら体制が整うのも早そうだ」
アシュレイはその圧倒的な手腕で、叔父夫婦のせいでめちゃくちゃにされた領地を元に戻すべく次々と策を打っている。
こうして仕事ぶりを間近で見ていると、ただの金持ちではなく本当にすごい人なんだなということが実感できた。
強引に結婚を迫ってきた頃と比べるとまるで別人のようですらある。
「伯爵様は有能なんですね」
「そろそろ、その伯爵様という呼び方はやめてくれないだろうか。できることなら名前で呼んでほしい」
唐突なその申し出にメアリーの心臓は跳ね上がる。
名前で呼ぶ。
なんというか、恐れ多い気がして一度も名前で呼んだことはなかった。
「……ア、アシュレイ様」
「本当は様もいらないところだけれど」
「それは勘弁してもらえませんか」
「まあ、今はそれで手を打とうじゃないか、メアリー?」
「!」
不敵に笑ったアシュレイの表情は「僕は結婚を欠片も諦めていない」とありありと物語っていた。
「メアリー・キャンベル子爵殿」
パサリと手にしていた書類を机に置くと、向かい合って座っていたメアリーの方へとグッと体を寄せてくる。
「な、なんでしょうか、アシュレイ・ベルナール伯爵様」
「見た所、君には手助けがないと領地経営が難しそうだね」
今更何を言っているんだろう。もはや実質的な主導権を握っているのはアシュレイの方であると言っても過言ではない状況だ。
「僕のところから送った官吏は、しばらく貸してあげよう」
「ありがとうございます」
「困ったことがあればいつでも僕に相談してくれ」
「はい」
「貴族のマナーも覚えないといけないね? それから、社交デビューもしなければ。教師を雇い、作法を覚え、淑女らしい振る舞いをしてかつ領主の仕事も覚えていく」
怒涛の勢いでこれからメアリーがやらなければならないことを列挙していくアシュレイ。
メアリーは力強く頷いた。
「望むところです。もう二度と帰ってくることが出来ないと思っていたキャンベル領に戻る事が出来た。全てアシュレイ様のおかげです。後は……私がちゃんとしないと」
「僕が惚れただけあって、君は素晴らしい女性だね。ますます好きになった」
身を乗り出したまま、ピクニックでされた時のように手を重ね、そのまま握りしめられる。
「一年は婚約期間ということにしよう」
「は?」
「その間に全て完璧にこなせるようになろうか。領主同士の結婚というのは珍しいけど、まあ問題ないだろう。爵位を複数持つ貴族だっているし、領地が増えたとしても将来子供で分け合う事ができる。ああ、僕のところは豊かだから、君の領地を乗っ取ろうなんて考えは微塵も持っていないよ、安心してくれたまえ」
「え、ちょっと待ってください。急にそんな先のことを話されましても」
「そうだろう。だから、一年は待つ。それにどのみち……君はもう、僕なしで生きていくのは無理だろう?」
「うっ」
それはその通りだった。領地経営において子爵家お抱えの重臣を除けば、メアリーが頼りにできるのはアシュレイただ一人だ。今ここで彼に見放されたら、まあ領地が破綻することはないにせよ精神的にかなりきつくなることは目に見えている。
「一年後のことを、楽しみにしている」
そう言って優雅に笑うアシュレイの姿を見て、なんて罪作りな人なんだろうか、とメアリーは心の中で密かにため息をついた。
結局のところメアリーの心はもうこの伯爵様にとらわれている。
「……私、頑張ります。待っていてください、アシュレイ様」
今はそう答えるのが精一杯だった。
キャンベル子爵夫妻へ毒入りワインを飲ませるよう、領主館の使用人に強要し続けた事。
一人娘のメアリーを養育する義務を怠り、あろうことか彼女を下町に捨てたこと。
領民への苛烈な重税、税の虚偽申告。
罪状は枚挙にいとまがなく、よくもまあこれだけの罪を重ねてのうのうと生きてきたものだと呆れるほどだった。
今後二人に残された道はただ一つ、牢獄で過酷な重罰に耐えるのみだ。
「さて、これで名実ともに君はキャンベル子爵領の領主だね」
ごたつくキャンベル子爵領の領主館にて、美貌の伯爵アシュレイ・ベルナールはそう告げた。領地経営どころか貴族的な振る舞いさえもできないメアリーのために、叔父夫婦によって不当に解雇されたかつてのキャンベル子爵の重臣を探し出してきてくれたり自領から腕の立つ官吏を連れてきてくれたりと何かと世話を焼いてくれている。
全てが善意に基づく行動で、爵位を継いでも右も左も分からないメアリーにとっては非常にありがたい事だった。
あれからメアリーとアシュレイはずっとキャンベル領に滞在している。一度下町に帰ってココットにお礼を言いたいのだが、そんな暇すら与えてもらえなかった。
毎日毎日、やることは尽きない。
深夜まで及ぶ仕事量にめまいがしそうだったが、実質差配をふるっているのはアシュレイでありメアリーは横で頷いているだけだった。
「すみません、伯爵様におんぶに抱っこでこんなに面倒を見てもらってしまって」
こんなに頼りない領主など、未だかつて存在したことがあっただろうか。
「問題ないよ。ベルナール領は優秀な官吏が多いから、僕が少し抜けたところで問題はないし、呼び戻したキャンベル子爵の重臣もなかなか切れ者揃いだからね。これなら体制が整うのも早そうだ」
アシュレイはその圧倒的な手腕で、叔父夫婦のせいでめちゃくちゃにされた領地を元に戻すべく次々と策を打っている。
こうして仕事ぶりを間近で見ていると、ただの金持ちではなく本当にすごい人なんだなということが実感できた。
強引に結婚を迫ってきた頃と比べるとまるで別人のようですらある。
「伯爵様は有能なんですね」
「そろそろ、その伯爵様という呼び方はやめてくれないだろうか。できることなら名前で呼んでほしい」
唐突なその申し出にメアリーの心臓は跳ね上がる。
名前で呼ぶ。
なんというか、恐れ多い気がして一度も名前で呼んだことはなかった。
「……ア、アシュレイ様」
「本当は様もいらないところだけれど」
「それは勘弁してもらえませんか」
「まあ、今はそれで手を打とうじゃないか、メアリー?」
「!」
不敵に笑ったアシュレイの表情は「僕は結婚を欠片も諦めていない」とありありと物語っていた。
「メアリー・キャンベル子爵殿」
パサリと手にしていた書類を机に置くと、向かい合って座っていたメアリーの方へとグッと体を寄せてくる。
「な、なんでしょうか、アシュレイ・ベルナール伯爵様」
「見た所、君には手助けがないと領地経営が難しそうだね」
今更何を言っているんだろう。もはや実質的な主導権を握っているのはアシュレイの方であると言っても過言ではない状況だ。
「僕のところから送った官吏は、しばらく貸してあげよう」
「ありがとうございます」
「困ったことがあればいつでも僕に相談してくれ」
「はい」
「貴族のマナーも覚えないといけないね? それから、社交デビューもしなければ。教師を雇い、作法を覚え、淑女らしい振る舞いをしてかつ領主の仕事も覚えていく」
怒涛の勢いでこれからメアリーがやらなければならないことを列挙していくアシュレイ。
メアリーは力強く頷いた。
「望むところです。もう二度と帰ってくることが出来ないと思っていたキャンベル領に戻る事が出来た。全てアシュレイ様のおかげです。後は……私がちゃんとしないと」
「僕が惚れただけあって、君は素晴らしい女性だね。ますます好きになった」
身を乗り出したまま、ピクニックでされた時のように手を重ね、そのまま握りしめられる。
「一年は婚約期間ということにしよう」
「は?」
「その間に全て完璧にこなせるようになろうか。領主同士の結婚というのは珍しいけど、まあ問題ないだろう。爵位を複数持つ貴族だっているし、領地が増えたとしても将来子供で分け合う事ができる。ああ、僕のところは豊かだから、君の領地を乗っ取ろうなんて考えは微塵も持っていないよ、安心してくれたまえ」
「え、ちょっと待ってください。急にそんな先のことを話されましても」
「そうだろう。だから、一年は待つ。それにどのみち……君はもう、僕なしで生きていくのは無理だろう?」
「うっ」
それはその通りだった。領地経営において子爵家お抱えの重臣を除けば、メアリーが頼りにできるのはアシュレイただ一人だ。今ここで彼に見放されたら、まあ領地が破綻することはないにせよ精神的にかなりきつくなることは目に見えている。
「一年後のことを、楽しみにしている」
そう言って優雅に笑うアシュレイの姿を見て、なんて罪作りな人なんだろうか、とメアリーは心の中で密かにため息をついた。
結局のところメアリーの心はもうこの伯爵様にとらわれている。
「……私、頑張ります。待っていてください、アシュレイ様」
今はそう答えるのが精一杯だった。
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一話で金貨袋ドサドサ出したり毒キノコ食べちゃってた第一印象がどんどんひっくり返されてアシュレイ魅力的です!
賄賂しまくりなのに嫌味じゃないのが気持ちいいです。仕事急がせる分報酬上乗せするんだからむしろ正しいのかも。