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3.褐色変態マッチョマン登場(これでも親友なんです)

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 フレデリカ先生と話しているうちに、随分と時間が経ったみたい。私の手術が早朝から行われた先生の実験室、その出入り口近くの窓から見上げれば、太陽は高く昇って正午を示し、都合よく昼休みを告げる鐘が鳴る。

 この時間になると食堂でご飯を食べて、それから図書館で適当な本を読むのがのがいつもの昼休みの過ごし方なんだけど……今は他にやることがある。(あんな話をした後では、食欲が湧くはずもないし……)

 さて、現在地は知恵の館・西別棟『二階』。予算不足を感じさせる(良く言えば『蛮カラ』の気風溢れる)簡素な廊下を抜け、別棟と本棟の間の渡り廊下を抜ければ、知恵の館・本棟『三階』の立派な廊下に出る。これは西別棟の基礎が妙にせりあがった場所に作られ、階層一つ分高さがずれてしまったからで、同じ理由で西別棟『一階』の渡り廊下は本棟の『二階』と繋がる。

 このクッソ分かりづらい構造のせいで、毎年それなりの数の新入生が西別棟での最初の講義に遅れることになるんだけど……さらにタチの悪いことに、この『新年度の風物詩』、悪い先輩方の遊び道具になっているらしい。彼らは時に『自主休講』してでも新入生を待ち伏せ、優しい兄さん・姉さんを装って嘘の道を教え、新入生たちをどれだけ長く遅刻させたかを競うのだ。(ちなみに最高記録は数十年前に『パヴレ=ザッカリーニ』なる人物が叩き出した記録『行方不明』。哀れな新入生『ニョッコ=バンディネッリ』は職員・学生総出の捜索にも関わらず、ついに見つかることは無かった……らしい。どこまで本当かは知らなーい)

 まあ、私のような『良い』先輩には関係のない遊びだけどねー、なんて。そんなことを考えながら、本棟三階の立派な廊下を進んでいく。廊下はそれぞれの所属クラスを表す様々な色のローブを着た学生たちでごった返し、壁には美術系の学生の作った絵画やら詩やらの優秀な奴が貼られていて、視覚的にとても賑やかだ。そんな、文明の息吹を感じる長い廊下を抜けて、私の大好きな『パオロおじいちゃん』に会いに、『学長室』へ、いざ行かん……!

「うん……? あぁ! おい、メリー!」
 後ろから聞き覚えのある声がした。メリーというのは私の愛称だ。なによ、人が急いでる時に。
 
 本当はこのまま歩き去りたいけど、無視するのも気が引けるし、挨拶くらいはしておこうと後ろを振り向き……

「うわっぷ」
 なんか顔にぶつかった! 衝撃で後ろにひとっとび、勢いあまって尻もちをつく、痛い!

「おっと、大丈夫か?」
 私がぶつかった『なんか』は、惚れ惚れする低音を発し、何やら太い褐色の棒を私の前に差し出す。よく見ると、それは人間の左腕だ。ぱっと見で分からなかったのは、それが本当に、異様に太いからだ。私の太ももくらいに太い左腕に、聞きなれたイケボ。これを兼ね備えた人間を、私は一人しか知らない。

「イシュメル! また何か変なことしたでしょ!」
 私の抗議に、褐色肌の巨漢は高笑いで答えた。
 
「ハハハ! なに、大したことはしてないさ。ちょっと風の精霊に足音を消してもらって、その間に君のすぐ後ろに近づいてね……」
 そんなしょうもない悪戯に魔法を使うな!

「悪かったよ、反省してる、プクク……」
 その笑い方はぜっったい反省してない奴だ!

「いや、ほんとごめん。まさかこんなに派手に吹っ飛ぶとは思ってなくて。ほら、掴まって」
 改めて私の前に差し出される、頼りがいのある左腕。まじまじと眺めて仕掛けが無いことを確認してから、両手でそれにしがみつく。それから彼に引っ張られるのに合わせて、ゆっくりと立ち上がり……

「ほうらよ!」
 って、急に頭の上に持ち上げるなぁ!

「ハハハ! 相変わらずお前はちんまくて軽いなぁ!」
 ちんまい言うな! そして回るな! 吐き気がする! 人が見てる!

「いやぁ、ごめんよ。こうして元気なお前を見ると興奮して……おっ、今日のは斬新なデザインだなぁ」
 デザイン……? って、あぁ!

「ローブの下からパンツを見るなぁ!」
 もう我慢ならない! 私はこの褐色変態マッチョマンの顔面に、全力の蹴りを打ち込んだ! 

「おっ……くぅ~、今のは効いたぜ……」
 イシュメルはうめきながら、私を両腕で優しく床に降ろし(こういうところは紳士なのよね、変態の癖に)、それから両手で自身の顔面を押さえる。

「あんたねぇ! そういうことしてると、そのうち誰かに刺されるわよ!」
「ハハハ……! 大丈夫だって、お前以外にはやらないから」
 なるほど、それなら安心だね! クソが!

「いやぁ、しかし。良かった、良かった。今の蹴りが出せるなら、怪我はもう大丈夫みたいだな」
 全く、こいつはいつもスキンシップが過剰なんだから……うん、怪我? 

「あ、そうだった、お礼言わなきゃ。あんたよね、私を助けてくれたの」
「『あんた』って……お前なぁ。礼を言うときくらいは、誰相手でも丁寧に喋る癖をつけとかないと、いつか絶対困るぞ?」
 あっ、ごめんなさい。気づかなかった。

「今回はあんたの無礼と相殺ね」
「そうしてくれ、これで貸し借りなしだ……ま、俺は全然気にしないんだが」
 そう言ってイシュメルははにかみ、肩をすくめる。どうも、彼は今ので格好つけたつもりらしい。

(まったく、相変わらずガキっぽいんだから……)

 私たちの学び舎である、ここ『知恵の館』は、経済状況や学力などの所定の要件を満たしていれば、入学時の年齢に制限はない。だから彼のように、私より8歳年上の22歳の学生がいるのは何もおかしくないんだけど……大抵の場合そういう人はやはりそれなりに大人びていて、私のような年下の人間とこんなじゃれあいをすることはない──要するにこいつ、変人なんだよ。8年前、6歳だった私と同時期に入学して、私と同じく研究課程に進んだ身だというのに、未だにガキっぽいままで。そのおかげでこうして気楽な交友が続いてるんだけど、そろそろもう少し落ち着くべきだよね。

「……あ、そうだ。恩義に思っているなら、ちょっと話を聞いて行かないか。今度の大学祭で、俺らのサークルは演劇の出し物をするんだが」
 そう言ってイシュメルは、廊下の壁のポスターの一枚を指さした。

「毎年恒例の奴?」
「そうそう。お嬢さん、ちょいとこちらへ」
 イシュメルは芝居じみた口調で答えると、綺麗なエメラルドグリーンの瞳で私を見つめ、軍学と自然科学専攻の証である赤と黄色の混ざったローブをなびかせ、上品に右腕を差し出す。左腕と比べると幾分か細いそれに私の手を合わせると、彼は私の腕を引いて、先ほど指さしたポスターに近づいた。ポスターに描かれた物の中でまず目を引いたのは、上半分の、飛び出さんばかりのド派手な絵。そして下半分には、9月の中頃に3日間行われる大学祭の2日目に、体育館で1時間程度の演劇をやる旨が書かれていた。

「良いじゃん、イシュメル。見に行くよ。今年は何の役で出るの?」
「聞いて驚け、なんと、王様の『マイヤー』だ!」
 へー、『マイヤー』! ……マイヤー?

「……マイヤーって、『小間使いの小僧』って意味よね?」
「そうだ!」
「いや、誇って言える役ではなくない? めちゃくちゃ地味じゃん」
 私の困惑に、イシュメルは自信満々の笑みで答えた。

「そんなことはないぞぉ。なんてったって、陰謀にはめられて逃げる王様に付き従う忠臣の一人だからな。中心人物だ、忠臣だけに、な」
 へぇ~、そりゃすごい。最後のはよくわかんないけど。

「でもさぁ、それでも小間使いはどうなのよ。あんた、それでいいの?」
「それでいいの? って……逆に何がいけないんだ?」
 えっ、だってさ。もしかして、気にしてるの私だけ?

「あんた、一応王子様でしょう? 本物の」
「『一応』って……酷いなぁ、ちゃんとした王子だよ」
 そう言うイシュメルの苦笑いは、とても絵になる。こういう日常の所作の一つ一つを、舞台で演じる時のように、彼はいつも優雅にやってのける。それが演者としての気質なのか、それとも王者の威風というやつなのかは分からないけど、何にせよその気高さは、小間使いに収まる器には見えなかった。

「留学してきた王子様が、演劇とはいえ小間使いをやらされるなんて、国際問題になったりしないのかな」
「いやいや、考えすぎだろ……。俺はこうして納得してるし、親もそんな細かいことを気にするようなみみっちい奴じゃないし。それに、仮に怒ったとしても何もできないよ」
 そう言ってイシュメルは卑屈に笑う。

 私たちの住んでいる都市『魔都』は、『ナボリス王国』という国の南の国境に位置している。ここからいくらか南に行くと地形が二股に伸びていて、東側は異教の帝国に、南側は未開の土地につながる。そして私がイシュメルと呼ぶこの男、『イシュマウリ=バグナウ』の故郷『バグナウ王国』はその3つの地域のちょうど真ん中に位置していて、北と東からは列強に圧迫され、南からは未開の蛮族の襲撃を受けてきた。この情勢に辛抱ならなかったバグナウ王国のご先祖様方がナボリス王国に保護を求め、その関係が今でも続いている、というのが、大学で教養として習う話だ。

 そう、彼の国が私たちの国に歯向かうなんてことは、現実的にあり得ないのだ。そしてその関係は今後も続いていくのだろう。イシュメルは私たちの国に技術を学びにやって来た留学生であると同時に、その二つの国の政治的力学によってバグナウからナボリスに押し出された、いわば『人質』なのだった。

「ま、こっちじゃ王様やら貴族様やらはみーんな白い肌をしてらっしゃるからな。俺みたいな黒い肌の人間じゃ、貴人の役をやるとどうしても浮いちまう。そうなって全体の調和を乱すくらいなら、俺は小間使いの役で良いよ……『役で良いよ』って投げやりな言い方は良くないな。別に悪いことやってるわけじゃないんだから」

 肩をすくめたり、顎を手で揉んだり、忙しなく動きながら、イシュメルは勝手に喋って、勝手に納得してしまう。

「……まあ、あんたが納得してるならそれでいいよ」
「あぁ、これでいいのさ……とまあ、この話はこの辺にしておこうじゃないか、どうも愉快になりそうもないし。どうだ、代わりに俺が怪我したお前をどうやって見つけ出したかについて語ろうか? それはもう聞くも涙、語るも涙……」
「ごめん、イシュメル。私も用事があるから」
 芝居モードに入ってしまったイシュメルを適当にあしらって、私は再び学長室の方向へ足を向ける。

「あいよ。それじゃ、またな」
 イシュメルは手を挙げて、歩き去っていく私に別れを告げ、私と反対方向に歩いて行った。恐らく食堂に行くのだろう。

 ――さあ、気を取り直してもう一度。私の大好きな『パオロおじいちゃん』に会いに、『学長室』へ、いざ行かん……!
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