夜に咲く花

増黒 豊

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第四章 洛陽動乱

池田屋

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 久二郎は、壬生まで駆けた。息が切れても、なお駆けた。駆ければ、案外あっと言う間に着く。たとえば現代、木屋町三条から屯所のある坊城通り四条のあたりまで、(河原町から烏丸の間の四条通りの歩道は自転車通行禁止であるが)、自転車を普通に漕いでも十五分ほどの距離である。
 そのまま、土方の部屋に駆け込む。
「副長、すぐ、出動を」
 蒸し暑い宵山の日に走ったわけだから、久二郎は全身汗まみれである。倒れ込むように畳に手をつくと、あごから汗がしたたり落ちた。
「何があったのだ」
「永倉さんが」
「永倉が、どうした」
「会合は、今夜、と」
「なぜ、分かった」
「勘だ、と」
 切れ切れの息で、久二郎は今日、木屋町であったことを簡潔に話した。あの、身軽な大魚のことも。
「その男は、大物に違いない。それほど用心深い男が出歩いてるってことは、新八の勘は、当たっていやがると思う。いよいよ、今夜で間違まちげェなさそうだ」
 土方は、このところ、久二郎の前でも、興奮すると地言葉が出る。
「お前、今街に出てる奴らが、どこにいるのか分かるか」
「祇園の会所を抑えておく、と永倉さんは言っていました」
「さすが、気が利きやがる」
「すぐ、出て頂けますか」
「応さ。近藤さんのところに、行ってくる。お前は、水でも飲んで、部屋で少し休め」
「ありがとうございます」
 久二郎が言い終わらぬうちに、土方は猫のように部屋から飛び出して、駆け去った。
 近藤は、このような事態でも、さすがにどっしりと構えていた。
「屯所にいる隊士に支度をさせ、すぐ集めてくれ」
 と言いながら、もう鉢金を巻き、鎖帷子を身につけだしている。
「人の配りは任せたぞ、歳」
 と、ちょっと振り返って笑った。
「抜かりない。まず、池田屋か四国屋が臭い。だが、他にもあちこちに、人の出入りがあるようだ。そこで、三組に人を分け、探索する」
「うむ」
「あんたの隊が、本命だ。人数は絞らせてもらうが、手練れを付ける。俺は、あんたとは別の隊を率いてゆく」
「俺の隊は、永倉、原田、藤堂、沖田、斎藤、綾瀬、樋口だな」
「そうだ。ただし、斎藤はこっちにもらう。原田も、俺の隊だ。人数は、俺の隊の方が多くなる。その代わり、より多くの範囲を探索する」
「構わぬ」
「武田は、そっちに回すぜ」
「武田君を?構わぬが、何故だ」
「俺は何も言わなかったが、あいつは、綾瀬らの手柄を独り占めした。あれが、あいつの手柄ではないということを、知らしめてやりたい」
「ふむ」
 活躍する一同の中、現場で一人うろたえる武田の姿を思い浮かべ、土方は笑ってしまいそうになった。
「それに、松原あたりにも人数を率いさせる。こうなると、河原町も臭い。敵の中から逃げる者を出してもならんからな」
「すべて、任せる。お前の言う通りにすれば、間違いなかろう」
 近藤の支度が、素早く整った。浅葱の羽織も、ちゃんと羽織った。
「会津様にも、報告と援兵を請わねばなるまい」
「なぜだ」
「なぜって、俺たちは会津様の御預だぞ」
「会津などに知らせれば、武田じゃないが手柄を独り占めされるに決まってる。俺たちだけで、やるんだ」
「歳。俺は、筋は通しておきたいのだ。差配については、全てお前の思うようにしてくれ。だが、新撰組の名をもって事を成す以上、会津様に足を向けるようなことは、したくない」
「会津の御預の新撰組が、独自に探り当て、独自に計画を防いだ。それでも、十分会津の評判になるだろう」
 近藤は、ただ微笑している。
「駄目だ、こりゃ。分かったよ、近藤さん」
 土方は、近藤の部屋を出たその足で、隊士に直ちに支度をさせ、召集し、同時に黒谷に山南を走らせ、援兵の要請を行った。
 全ての手配が終わったのが、やや陽が傾きだす時刻。出動した隊士は、既に街に出ている助勤達を入れて、三十四名。屯所の守備にも、人数を残す。その筆頭は山南で、黒谷から戻ればすぐ屯所の守備の指揮をすることになっている。ほかに、事態に情報収集の必要が無くなったため役目の無い監察の山崎などもいる。
 傾きつつある陽が雲越しに淡く鈍く照らす京の道を、浅葱の羽織と「誠」の旗を風に靡かせ、新撰組はゆく。
 四条の祇園の町会所に、ひとまず入った。既に街に出ていた者も、集まっている。そこで、土方は改めて組割りを申し渡した。
 名を呼ばれるまま、それぞれが近藤、土方、松原の三名の前に整列してゆく。久二郎は、彰介と共に、近藤の前にあった。近藤は、自らの組の者一人一人と目を合わせ、深く頷いた。
 正直、久二郎は、自らの組の人数を見て、これだけか。と思った。近藤、沖田、永倉、藤堂、武田、久二郎、彰介の七名と、浅野という者、安藤という者、新田という者。この三名は、そこそこに剣が使える。少ないなら、少ないなりに、やるしかない。
 そのまま会津の援兵を待つ。として、一同、待機した。陽がなお傾いても、会津は来ぬ。更に待っても、来ぬ。近藤は、何も言わず、真っ直ぐに前を向いて、待っている。だから、他の者で、口を開く者はない。
 日没。
「近藤さん」
 土方が、近藤に声をかけた。
「会津が来ぬな、歳よ」
 近藤は、前を見たまま言った。
「来ぬさ。長州と、おおっぴらに問題を起こすことを是とするか否とするか、今なお呑気に評定しているのさ」
「ふむ」
 久二郎の鉢金の布に、汗が染みた。なんとなく鉢金と額の隙間に指を入れようとしたとき、近藤がにわかに立ち上がった。
「もはや、これまで。我らだけで、ゆく」
 一同、声を上げ、一斉に立ち上がった。
「歳、頼んだぞ」
「近藤さん、気を付けてな」
 そう二人は言い交わす。
 土方隊は、木屋町を。近藤隊は、三条を。これら二隊は、一軒一軒宿を当たり、御用改めをしていく。松原隊は、河原町の御用改めをし、その後御池まで上がり、鴨川まで出て川沿いに四条へ、そして木屋町方面へ、という具合に巡回する。
 土方隊が最初の宿に入っていくのを横目に、近藤隊は木屋町を駆け、北上する。三条通り沿いにある宿に、そのままなだれ込む。
「新撰組、御用により改める」
 そう大喝すると、慌てて出てきた宿の者に案内させ、部屋を改めてゆく。
 突然のことで、一般の宿泊客は皆、悲鳴を上げて身をすくめた。この宿は、特に変わったことはなかった。同じことを、他の数軒の宿でも行った。三軒目くらいで、久二郎はだんだんが掴めてきて、近藤が呼ばわっている最中から、ずかずかと上がり込み、たとえば藤堂、永倉が一階の廊下へ消えて行くならば自分と彰介は二階、という具合に自然と行動するようになっていた。
「こちらでは、ないのかもしれぬ」
 久二郎が、彰介に言った。
「とすれば、土方さんの方か。昼間見たときも、木屋町のほうが、おかしな者が多かった」
 永倉が横から口を挟む。
「なぁに、こっちに決まっていますよ」
 と沖田は笑っている。
「なんで分かるんだよ、沖田さん」
 藤堂である。
「絶対、こっちですって。土方さんにばかり、いい所を持っていかれて、たまるもんですか。ねぇ武田さん?」
「諸君、静かにしたまえ。談笑しながら御用改めをする者が、どこにある」
「あはは、怒られた。近藤さん、次はあそこですね」
 沖田が指さす先に、提灯が出ている。
「池田屋」
 昼間も、怪しい者の出入りがあるにはあった宿である。
「新撰組、御用によって改める」
 近藤が大声を出しても、反応はない。店の中は、静まり返っている。何か、妙だ。全員、店の中の気配を聞いている。今、亥の刻(午後十時ごろ)。この時刻なら、もっと店の中は、起きている者の気配や、談笑の声が聞こえていてもおかしくないはずである。
 久二郎らが勝手に上がり込もうとしたとき、奥からやっと、店の者が現れた。揃いの浅葱色の羽織を見、あっと声を上げた。
 そのまま、店の奥にある二階へと続く細い階段へと、転ぶように駆けてゆく。
 それを、彰介が素早く取り押さえ、殴り倒した。
 その横を、近藤が音もなく駆け過ぎてゆく。
 続いて、沖田、永倉。上に三名。
「彰介、下だ。俺は上へゆく」
 階下は、彰介、藤堂、武田、浅野、安藤、新田。これらは、一階に潜む敵及び、二階から外へ逃げ出そうとする敵への対応となる。
「なんじゃあ、来たのか」
 狭く、細い階段の上から、呑気な土佐訛りの声が降ってきた。土佐、ということから坂本かと久二郎は思ったが、違うらしい。
 近藤は驚くべき速さで声に向かうと、抜き打ちに斬り捨てた。近藤が刀を抜くのを久二郎は初めて見たが、暗く、狭い階段の途中から見上げたその剣筋を眼に捉えることはできなかった。当の斬られた男さえもそれを見ることはなかったであろう。見ぬまま、土佐訛りの男は転がった。死んでいるのが、一目で分かった。
 この瞬間、方針が決まった。
 人数の少ない近藤隊が、を引き当ててしまった。
 捕らえることなど、叶わぬ。
 全て、斬り捨てる。
 その方針を、近藤は身をもって示した。
 廊下の先、少し襖の開いた部屋。そこから、またひょっこりと顔が覗いた。激烈な企みをしている割に、志士どもはのんきである。
 遅れている者が来たと思ったのか、
「こっちだ」
 と手をひらひらとさせている。廊下が暗いため、よく見えぬのか。
 それへ、沖田がツツと間を詰めた。
「お前は」
「新撰組副長助勤、沖田総司」
 どん、と床板が鳴った。地に低く膝を付け、背から頭、腕を一直線に伸ばし、襖ごしに男を突き刺した。
 刀を引き抜くと、踊るように襖を倒して男が廊下に倒れ込んだ。
 それを乗り越え、近藤、永倉、久二郎が大部屋へと躍り込む。
 部屋の中の者は、皆一様に奇声を上げ、刀を取り立ち上がった。
 もう、眼の合った順に、剣を合わせてゆく。
 その中で、わっと部屋の外へ逃げた者が数名いる。
「追います。綾瀬さん」
 沖田に促され、久二郎は一度入った部屋を出た。
「二人を残して、大丈夫でしょうか」
「大丈夫ですよ」
 沖田が、さっそく一人の背を斬った。浅かったのか、男が恐怖に歪んだ顔を向けた。
 久二郎は、その胴を払った。
 意味にならぬ叫び声を上げながら、男は廊下に転がった。
 走る。もう一人の男に、追い付いた。
 沖田は、更に奥を駆ける男目掛けていった。
 久二郎は、一人、浪士と対峙する。久二郎への呪詛を吐きながら、男が抜刀した。
 また、あの感覚。
 抜き打ちに斬り付けてくる剣が、ゆっくりと見える。
 音が、消えた。続いて、色も。
 薄暗い廊下なのに、やけにはっきりと、浪士の姿だけが見える。
 喝、と鉄が鳴いた。
 狭い屋内であるから、壁や梁に刀を取られぬよう剣筋を整え、そのまま擦り上げるようにして浪士の刀を跳ね上げ、わずかに手首だけを返して喉笛を斬った。
 久二郎の世界に、色と音が戻った。
 襖に鮮血が飛び散る濡れた音が、響いている。久二郎に手を伸ばすようにして、男が一歩、歩いた。その肩口から胸にかけて斬り下げると、男は倒れ、血溜まりの中を泳ぐようにしてもがいた。
 それを跳び越え、廊下の奥へ。
 裏へ続く階段のところに、沖田が一人、立っている。
 その足元には、死骸が一つ。
 振り返った沖田の胸のあたりが、血で染められている。
「一階に降りた者が、藤堂君らと、戦っています。ここは私に任せて、近藤さんの、ところへ」
 沖田が言葉を発する度、おかしな息の音がする。久二郎は、なんだろうと思いながら、もと来た道を戻り、大部屋へ向かった。
 大部屋の中では、近藤と永倉が、文字通り獅子奮迅の働きをしていた。
 室内では一斉に押し包むということができぬため、二人にとっては優位であった。
 近藤の、凄まじい気合い。
 若く細面の浪士が、斬り飛ばされる。
 永倉の方を見た。
 永倉と向き合っている男に、久二郎は目を奪われた。
「瀬尾さん?」
「綾瀬か」
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