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第十三章 銀の火
銀の火
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マヒロは、恐るべき武の力で、敵の騎馬隊を全滅させた。更に前線に混乱と恐怖をもたらし、悠々と引き上げてきた。もう、全軍に、神殺しのマヒロの来襲がもたらす衝撃が伝わっていることであろう。
「戻ったぞ」
マヒロは、ナナシとタチナラに向かって言った。二人は、頷いた。マヒロは、自らの戦いを見せることで、将兵に明日への希望を見せようとしたのか。
後列の補給部隊から、連弩の矢箱を補充した。兵は一人も失っていない。
「クナの奴ら、どう出ますかね」
コウラが、連弩に矢箱を装着しながら言った。
「分からぬ。だが、おれたちがどう出るかは、おれたちが決められる」
おもむろに、長弓を持ち出した。
「どうするのです」
「ちょっと、驚かせてやろう。見ておれ」
黒雷に跨がり、ゆっくりと草原を進んでいく。
クナの陣は、大変な騒ぎであった。あのマヒロが騎馬隊を完全に消滅させ、さらに前線にありったけの矢を射込み、混乱させてきた。連弩など見たことも聞いたこともない者がほとんどであったから、それが大陸の発達した文明がもたらした道具であるとは誰も思わない。皆が、神の力だと思った。中には、マヒロは今まで数々の神を殺し、殺した神の力を取り込んでいるからあれほど強いのだ、と見てきたように言う者もいる。
連弩の矢に撃たれてのたうち回っていた者がやがて死ぬと、ただ単に矢が体内を破り、失血死しただけであっても、マヒロの神の力の宿った矢に触れれば、矢自体はこんなに小さくても、身体の中を食い破られ、やがて死ぬ。と恐怖した。
——おい、あれは、マヒロではないか。
誰かが、前方を指差した。確かに、草原に豆粒ほどの点が見える。馬に乗っているらしい。
一人であった。クナの者どもが、なんだろう。と見ていると、いきなり猛烈な風切音とともに、一人の頭が弾けた。その飛来物は後ろの者の喉に刺さり、その者を吹き飛ばし、三人ほどを巻き込んで、ようやく静止した。
見たこともないような、長く、大きな矢。
「マヒロだ!マヒロの矢だ!」
騒然となる。そのとき、別の場所でも同じ現象が起き、兵が複数倒れた。
それが、何度も続く。一人が、
「これは、マヒロがヤマトの地に棲むという、神の龍を殺した矢だ」
と、やはり見てきたようなことを言う。
神殺しの矢は、あちこちに飛来している。その度、矢の周囲は大変な混乱になった。
——神殺しの、矢だ。
それが、前線に瞬く間に広がり、波のような音になった。
——逃げろ。
という一人の声が、衆の声となるのに、そう時間はかからなかった。前線が、勝手に退却を始める。
まだ、神殺しの矢は飛んでくる。混乱が混乱を呼び、ついにクナらの軍は、陣そのものを大きく後退させざるを得なくなった。
信じられぬことが起きたのである。マヒロは、僅かな手勢のみで敵の騎馬隊を壊滅させただけに留まらず、十本ほどの矢だけで万を越える大軍を後退させた。
後退させただけでなく、敵の中にマヒロとヤマトを恐れさせる心理を植え付けた。
戦いは、数ではない。と後代では言われる。マヒロはその前例になりつつある。
「マヒロ様。これは、勝てるかもしれませぬ」
戻ったマヒロに、ナナシが心の底から嬉しそうに言った。
「負けるために戦う者が、どこにいるのだ」
マヒロも笑った。笑って、後ろを振り返る。その空のすぐ向こうに、サナがいるのだ。今も、楼閣の欄干から腕を垂らし、こちらを見ているような気がした。
クナの陣は。
「マヒロが、まさか、あそこまでやるとは」
タクが、口惜しそうに言った。ほんとうに悔しがっているのか、どうか。
「どうするのだ。私の騎馬隊は、全て死んだ。兵も、恐れている」
「ヒコミコが来られるのを、待つしかありますまい」
「ヒコミコの姿を目にすれば、兵も意気を取り戻す、か」
「はい」
「今のところ、お前の言う通りにことが運んだことなど、一つもないがな」
「お考え違いをなさいますな。私は、クナの作戦の指揮をするために参じたのではありません。あくまで、戦う道筋を敷いたまでのこと」
確かに、タクの二千五百の兵とその道案内がなければ、クナは攻めることすらできず、もし無理を押していればとっくに負けていたであろう。
「私が、マヒロと渡り合うしかないのか」
「早まられますな。ヒコミコが来られれば、その必要もないかもしれません」
「あるかもしれんがな」
セイは、やはり皮肉を言うのが好きらしい。
もう、陽は高くなっている。クナの陣もようやく落ち着きを取り戻しつつあるが、マヒロが再び姿を現せば、兵は皆一目散に逃げるに決まっている。ヤマトの意気は更に騰がっているし、その騎馬隊も健在である。
しかし、陽が最も高くなる頃、異変が起きた。どこからともなくこの初冬の草原に馬蹄の響きが聞こえてきた。ヤマトの軍は、どよめいた。
その音が、実体を持つようになった。騎馬隊である。ヤマトのものではないということは、クナのものか。その騎馬隊は、戦場に姿を見せつけるように駆けた。
先頭を駆ける葦毛の馬にまたがる男を、マヒロは知っていた。クシムである。遠目で顔は分からぬが、あの美々しい軍装は、並の者の着けるものではない。いや、軍装だけでなく、その姿形で、マヒロはそれがクシムであると分かった。
クシムの率いる騎馬隊は、ヤマトの軍に背を向け、クナの陣の方へ駆けてゆく。しばらくして、クナの陣から大歓声が上がるのが、ヤマトの陣まで聞こえた。
「クシムが、来たようだな」
傍らのコウラに向かって言った。
「敵の意気は、さぞ騰がっていることでしょう」
昨日負ったらしい頬の切り傷が痛むのか、コウラは、あまり口を大きく開かず言った。
「向かってくるぞ」
「迎え討ちますか」
「それしか、あるまい」
とうとう、全面衝突の時がきたらしい。クナか、ヤマトか、どちらが明日を迎えることが出来るのか。ただ、今日、この長い長い戦いの決着が着くことだけは、明らかである。
来た。
足並みを揃え、向かってくる。矢の届く距離になれば互いにそれを放つことは分かりきっているので、それぞれ、盾で身を守っていた。矢では、大きな動きは出そうもない。一通りの矢合わせを終えるまで射ち続けるのがこういった場合の決め事のようになっているが、数が多いということはすなわち矢も多いわけで、クナが有利となる。
だから、マヒロは矢が一度降り、次の矢がくる僅かな隙を狙って、思い切って騎馬隊を発した。
慌てて敵が矢で狙ってくるが、よく狙う暇を与えず機敏に動く騎馬隊には当たらない。見る見る、近づいた。ぶつかる前に、マヒロは前衛の全体を見た。弓の指揮官の位置を、それで記憶した。
最前衛に、ぶつかる。黒雷の凄まじい突進力を止められる者は、誰もいない。そのまま突き入れば押し包まれるだけなので、マヒロは程よいところで進路を横に取り、半円状に敵を崩す形を取った。先に騎馬隊を壊滅させたときには、連弩を扱うために獲物は剣にしていたが、いまは歩兵を吹き飛ばして穴を空けるべく、矛を振るっている。
黒雷で突進しながら中までぎっしりと鉄の詰まった矛を振れば、複数の者を巻き込んで人が吹き飛んだ。やはり、マヒロの姿を見た敵は、恐怖のあまり逃げようとする。それに向かって武器を突き出してくる者は、なかなかいない。
虫が葉を齧るように半円状に敵陣を切り取ると、前線から離脱した。そのまま陣に戻る。
「弓」
マヒロが、ナナシに言う。差し出された長弓を、続けざまに射った。矢の行くところで、敵が混乱する。こちらに飛んでくる矢は、圧倒的に少なくなった。マヒロが放った矢は一つも外れることなく敵を粉砕し、突入の前に見た弓の指揮官の首をも正確に飛ばしていた。
「矢だ」
マヒロが、号令する。連弩ではなく、通常の弓での攻撃である。敵の前衛が、守る暇もなく倒れていく。
「歩兵、百歩前進。弓、おれが再び突入するまで、続けろ」
歩兵が、前進を始める。それに取り残されるようにして残った弓隊が、上に向けて矢を放ち続ける。
「騎馬。ついて来い」
マヒロは、振り上げた矛を地に突き刺し、剣を一本抜いた。
再び、黒雷を疾駆させた。
敵陣に、再び突入する。今度は、さっきより深くまで入っていく。
「連弩」
腰に剣を戻し、後ろから連弩を回す。
「撃て」
敵陣の中で騎馬隊は一列になり、左右に連弩を掃射した。小回りが効くため、山などの閉塞された空間で効力を発揮するものであり、矢一本一本の殺傷力はそれほどでもない。しかし、これほど密集した敵の中で掃射するような接近戦では、その効力を十分に活かせる。腰に二つ付けた予備の矢箱を全て射ち尽くした。驚くほどの数の敵の死体が、その進んだ道を示すようにして残った。
再び馬を返し、陣に戻ってゆく。マヒロらが敵陣から飛び出してきたのを見るや否や、ヤマトの弓隊から、また矢の雨が発せられる。
今のところ、一方的に敵を削っている。ヤマトの損害は、マヒロの騎馬隊の中で二人、戻らぬ者がいたぐらいである。その間に、敵は千近くを損なったと思われる。異様なまでの強さである。
マヒロは、敵の軍の核を狙うのが得意であった。今までの戦いでも、的確にそこを突き、勝ちを手にして来た面もある。しかし、こうも人が多いと、前線の指揮官は分かっても、この軍自体を崩す痛点が見えぬ。それは、最後列にいるはずの、クシム、セイ、タクの三者であることは分かっている。しかし、そこに辿り着くためには、あの人の海を割らねばならない。そのための点を、マヒロは探していた。
地理的には、本国のすぐ近くで戦っているヤマトの方が、補給などの面で圧倒的に有利である。こうしている間にも、矢や武具などは後方に届けられている。一度でよい。敵に痛撃を与え、対峙に持ち込み、その後方の長細く延びた補給路を断ち切ってしまえば、勝手にクナは撤退する。
あまりにも、多くの者が死んだ。その死者の数を、今さら数えることはない。ただ、生きている者が明日を迎えられれば、それでよい。
その最も単純な動機が、マヒロを動かしている。今ごろ、サナはまだ楼閣からこちらの空を見ているのだろうか。勝ちを、信じてくれているのだろうか。マヒロは、信じてくれている、と信じるしかない。それで、戦える。
クナの歩兵が、前進を始めた。両軍の間に生じる隙間を騎馬隊に活用されることを嫌ってのことであろう。クシムが連れてきた騎馬隊を放たないのは、クシム直属の部隊だからか、別の狙いがあるからか。
両軍の歩兵が、ぶつかった。じわじわと、互いの数を削り合う。それは、想い合う者同士が睦み合うようにも見える。
ヤマトの兵は、強い。クナの兵も、やはり強い。それらがぶつかったとき、そこにはただ、死が生まれるだけだった。
前線が、やや押されだした。
「道を開けろ」
マヒロは、三度、騎馬隊を発した。
味方をかき分けるようにして、敵中へ突き入っていく。先程は連弩を用いるために矛は残したが、今回は矛をまた用いている。
クナの陣の後方で、整列した騎馬隊を背後に、クシムは戦いを見ていた。両脇に、セイ、タクがいる。
「どのような心持ちだ」
前を見つめたまま、クシムは言った。
「お前の考えたことで、お前の兵が、ヤマトの兵を殺している」
それで、タクはクシムが自分に語りかけていることを知った。
「よい気持ちではありませぬ」
「正直な男だ」
「セイ」
「はっ」
「騎馬を動かす準備を、しておけ」
「はい」
「マヒロは、左から出てくる。そこを、突け」
「はっ」
騎馬隊が、少し前に出た。ここからでも、混乱の位置が分かる。人の体が飛んだり、武器が舞ったり、血煙が上がったりしている。あの小さな玉のようなものは、首であろうか。そこに、マヒロはいる。かなり深く突っ込んできているらしい。
「騎馬。行け」
セイは、騎馬隊を発した。自陣を迂回するようにして、左に弧を描き、駆けてゆく。
もうすぐ、敵陣を割る。飛び出して、自陣に戻る。そこで、馬を休ませなければならない。黒雷はそうでもないが、兵の馬の中には既に限界が近いものもあるはずだ。
あと、少し。
飛び出した。
馬足を緩めようとしたとき、左から騎馬が来た。もう、目鼻が分かるほどの位置である。
マヒロは、矛を握り締めた。
サナは、マヒロが想像した通り、楼閣の自室から、北の空を眺めていた。腕を欄干から出し、意味もなくぶらぶらさせている。この季節のことであるから、陽はやや北寄りに出る。それが、目の前を通り過ぎようとしていた。
特に、何が見えるわけでもない。冬になると決まってやって来る白い鳥が一羽、地に降り立つのが見えるだけだ。
「ヒメミコ。あまり、風に当たられますと、よくありません」
かつてナナシがマナであったときと同じ、白い絹に紅い帯を身に付けた女が言った。
サナは、答えない。
「ヒメミコ」
いぶかしがって、その者はもう一度呼び掛けた。
「ヒメミコ?」
おそるおそる近づいて、横から顔を覗き込む。
サナは、瞬きもせず、天を見つめている。
天に浮かぶ、陽を。その眼は、いつものような濃い茶色ではなく、鈍い銀色に輝いて見えた。まるで、陽の光を、吸い取っているように。
「来るぞ」
銀色の火を宿したまま、サナは誰にともなく言った。
「なにが、来るのです」
と紅い帯の女は聞いてやった。サナは、答えない。
紅い帯の女は、サナの視線の先を追った。
最も高い位置を少し過ぎた陽が、欠け始めている。
「戻ったぞ」
マヒロは、ナナシとタチナラに向かって言った。二人は、頷いた。マヒロは、自らの戦いを見せることで、将兵に明日への希望を見せようとしたのか。
後列の補給部隊から、連弩の矢箱を補充した。兵は一人も失っていない。
「クナの奴ら、どう出ますかね」
コウラが、連弩に矢箱を装着しながら言った。
「分からぬ。だが、おれたちがどう出るかは、おれたちが決められる」
おもむろに、長弓を持ち出した。
「どうするのです」
「ちょっと、驚かせてやろう。見ておれ」
黒雷に跨がり、ゆっくりと草原を進んでいく。
クナの陣は、大変な騒ぎであった。あのマヒロが騎馬隊を完全に消滅させ、さらに前線にありったけの矢を射込み、混乱させてきた。連弩など見たことも聞いたこともない者がほとんどであったから、それが大陸の発達した文明がもたらした道具であるとは誰も思わない。皆が、神の力だと思った。中には、マヒロは今まで数々の神を殺し、殺した神の力を取り込んでいるからあれほど強いのだ、と見てきたように言う者もいる。
連弩の矢に撃たれてのたうち回っていた者がやがて死ぬと、ただ単に矢が体内を破り、失血死しただけであっても、マヒロの神の力の宿った矢に触れれば、矢自体はこんなに小さくても、身体の中を食い破られ、やがて死ぬ。と恐怖した。
——おい、あれは、マヒロではないか。
誰かが、前方を指差した。確かに、草原に豆粒ほどの点が見える。馬に乗っているらしい。
一人であった。クナの者どもが、なんだろう。と見ていると、いきなり猛烈な風切音とともに、一人の頭が弾けた。その飛来物は後ろの者の喉に刺さり、その者を吹き飛ばし、三人ほどを巻き込んで、ようやく静止した。
見たこともないような、長く、大きな矢。
「マヒロだ!マヒロの矢だ!」
騒然となる。そのとき、別の場所でも同じ現象が起き、兵が複数倒れた。
それが、何度も続く。一人が、
「これは、マヒロがヤマトの地に棲むという、神の龍を殺した矢だ」
と、やはり見てきたようなことを言う。
神殺しの矢は、あちこちに飛来している。その度、矢の周囲は大変な混乱になった。
——神殺しの、矢だ。
それが、前線に瞬く間に広がり、波のような音になった。
——逃げろ。
という一人の声が、衆の声となるのに、そう時間はかからなかった。前線が、勝手に退却を始める。
まだ、神殺しの矢は飛んでくる。混乱が混乱を呼び、ついにクナらの軍は、陣そのものを大きく後退させざるを得なくなった。
信じられぬことが起きたのである。マヒロは、僅かな手勢のみで敵の騎馬隊を壊滅させただけに留まらず、十本ほどの矢だけで万を越える大軍を後退させた。
後退させただけでなく、敵の中にマヒロとヤマトを恐れさせる心理を植え付けた。
戦いは、数ではない。と後代では言われる。マヒロはその前例になりつつある。
「マヒロ様。これは、勝てるかもしれませぬ」
戻ったマヒロに、ナナシが心の底から嬉しそうに言った。
「負けるために戦う者が、どこにいるのだ」
マヒロも笑った。笑って、後ろを振り返る。その空のすぐ向こうに、サナがいるのだ。今も、楼閣の欄干から腕を垂らし、こちらを見ているような気がした。
クナの陣は。
「マヒロが、まさか、あそこまでやるとは」
タクが、口惜しそうに言った。ほんとうに悔しがっているのか、どうか。
「どうするのだ。私の騎馬隊は、全て死んだ。兵も、恐れている」
「ヒコミコが来られるのを、待つしかありますまい」
「ヒコミコの姿を目にすれば、兵も意気を取り戻す、か」
「はい」
「今のところ、お前の言う通りにことが運んだことなど、一つもないがな」
「お考え違いをなさいますな。私は、クナの作戦の指揮をするために参じたのではありません。あくまで、戦う道筋を敷いたまでのこと」
確かに、タクの二千五百の兵とその道案内がなければ、クナは攻めることすらできず、もし無理を押していればとっくに負けていたであろう。
「私が、マヒロと渡り合うしかないのか」
「早まられますな。ヒコミコが来られれば、その必要もないかもしれません」
「あるかもしれんがな」
セイは、やはり皮肉を言うのが好きらしい。
もう、陽は高くなっている。クナの陣もようやく落ち着きを取り戻しつつあるが、マヒロが再び姿を現せば、兵は皆一目散に逃げるに決まっている。ヤマトの意気は更に騰がっているし、その騎馬隊も健在である。
しかし、陽が最も高くなる頃、異変が起きた。どこからともなくこの初冬の草原に馬蹄の響きが聞こえてきた。ヤマトの軍は、どよめいた。
その音が、実体を持つようになった。騎馬隊である。ヤマトのものではないということは、クナのものか。その騎馬隊は、戦場に姿を見せつけるように駆けた。
先頭を駆ける葦毛の馬にまたがる男を、マヒロは知っていた。クシムである。遠目で顔は分からぬが、あの美々しい軍装は、並の者の着けるものではない。いや、軍装だけでなく、その姿形で、マヒロはそれがクシムであると分かった。
クシムの率いる騎馬隊は、ヤマトの軍に背を向け、クナの陣の方へ駆けてゆく。しばらくして、クナの陣から大歓声が上がるのが、ヤマトの陣まで聞こえた。
「クシムが、来たようだな」
傍らのコウラに向かって言った。
「敵の意気は、さぞ騰がっていることでしょう」
昨日負ったらしい頬の切り傷が痛むのか、コウラは、あまり口を大きく開かず言った。
「向かってくるぞ」
「迎え討ちますか」
「それしか、あるまい」
とうとう、全面衝突の時がきたらしい。クナか、ヤマトか、どちらが明日を迎えることが出来るのか。ただ、今日、この長い長い戦いの決着が着くことだけは、明らかである。
来た。
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だから、マヒロは矢が一度降り、次の矢がくる僅かな隙を狙って、思い切って騎馬隊を発した。
慌てて敵が矢で狙ってくるが、よく狙う暇を与えず機敏に動く騎馬隊には当たらない。見る見る、近づいた。ぶつかる前に、マヒロは前衛の全体を見た。弓の指揮官の位置を、それで記憶した。
最前衛に、ぶつかる。黒雷の凄まじい突進力を止められる者は、誰もいない。そのまま突き入れば押し包まれるだけなので、マヒロは程よいところで進路を横に取り、半円状に敵を崩す形を取った。先に騎馬隊を壊滅させたときには、連弩を扱うために獲物は剣にしていたが、いまは歩兵を吹き飛ばして穴を空けるべく、矛を振るっている。
黒雷で突進しながら中までぎっしりと鉄の詰まった矛を振れば、複数の者を巻き込んで人が吹き飛んだ。やはり、マヒロの姿を見た敵は、恐怖のあまり逃げようとする。それに向かって武器を突き出してくる者は、なかなかいない。
虫が葉を齧るように半円状に敵陣を切り取ると、前線から離脱した。そのまま陣に戻る。
「弓」
マヒロが、ナナシに言う。差し出された長弓を、続けざまに射った。矢の行くところで、敵が混乱する。こちらに飛んでくる矢は、圧倒的に少なくなった。マヒロが放った矢は一つも外れることなく敵を粉砕し、突入の前に見た弓の指揮官の首をも正確に飛ばしていた。
「矢だ」
マヒロが、号令する。連弩ではなく、通常の弓での攻撃である。敵の前衛が、守る暇もなく倒れていく。
「歩兵、百歩前進。弓、おれが再び突入するまで、続けろ」
歩兵が、前進を始める。それに取り残されるようにして残った弓隊が、上に向けて矢を放ち続ける。
「騎馬。ついて来い」
マヒロは、振り上げた矛を地に突き刺し、剣を一本抜いた。
再び、黒雷を疾駆させた。
敵陣に、再び突入する。今度は、さっきより深くまで入っていく。
「連弩」
腰に剣を戻し、後ろから連弩を回す。
「撃て」
敵陣の中で騎馬隊は一列になり、左右に連弩を掃射した。小回りが効くため、山などの閉塞された空間で効力を発揮するものであり、矢一本一本の殺傷力はそれほどでもない。しかし、これほど密集した敵の中で掃射するような接近戦では、その効力を十分に活かせる。腰に二つ付けた予備の矢箱を全て射ち尽くした。驚くほどの数の敵の死体が、その進んだ道を示すようにして残った。
再び馬を返し、陣に戻ってゆく。マヒロらが敵陣から飛び出してきたのを見るや否や、ヤマトの弓隊から、また矢の雨が発せられる。
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マヒロは、敵の軍の核を狙うのが得意であった。今までの戦いでも、的確にそこを突き、勝ちを手にして来た面もある。しかし、こうも人が多いと、前線の指揮官は分かっても、この軍自体を崩す痛点が見えぬ。それは、最後列にいるはずの、クシム、セイ、タクの三者であることは分かっている。しかし、そこに辿り着くためには、あの人の海を割らねばならない。そのための点を、マヒロは探していた。
地理的には、本国のすぐ近くで戦っているヤマトの方が、補給などの面で圧倒的に有利である。こうしている間にも、矢や武具などは後方に届けられている。一度でよい。敵に痛撃を与え、対峙に持ち込み、その後方の長細く延びた補給路を断ち切ってしまえば、勝手にクナは撤退する。
あまりにも、多くの者が死んだ。その死者の数を、今さら数えることはない。ただ、生きている者が明日を迎えられれば、それでよい。
その最も単純な動機が、マヒロを動かしている。今ごろ、サナはまだ楼閣からこちらの空を見ているのだろうか。勝ちを、信じてくれているのだろうか。マヒロは、信じてくれている、と信じるしかない。それで、戦える。
クナの歩兵が、前進を始めた。両軍の間に生じる隙間を騎馬隊に活用されることを嫌ってのことであろう。クシムが連れてきた騎馬隊を放たないのは、クシム直属の部隊だからか、別の狙いがあるからか。
両軍の歩兵が、ぶつかった。じわじわと、互いの数を削り合う。それは、想い合う者同士が睦み合うようにも見える。
ヤマトの兵は、強い。クナの兵も、やはり強い。それらがぶつかったとき、そこにはただ、死が生まれるだけだった。
前線が、やや押されだした。
「道を開けろ」
マヒロは、三度、騎馬隊を発した。
味方をかき分けるようにして、敵中へ突き入っていく。先程は連弩を用いるために矛は残したが、今回は矛をまた用いている。
クナの陣の後方で、整列した騎馬隊を背後に、クシムは戦いを見ていた。両脇に、セイ、タクがいる。
「どのような心持ちだ」
前を見つめたまま、クシムは言った。
「お前の考えたことで、お前の兵が、ヤマトの兵を殺している」
それで、タクはクシムが自分に語りかけていることを知った。
「よい気持ちではありませぬ」
「正直な男だ」
「セイ」
「はっ」
「騎馬を動かす準備を、しておけ」
「はい」
「マヒロは、左から出てくる。そこを、突け」
「はっ」
騎馬隊が、少し前に出た。ここからでも、混乱の位置が分かる。人の体が飛んだり、武器が舞ったり、血煙が上がったりしている。あの小さな玉のようなものは、首であろうか。そこに、マヒロはいる。かなり深く突っ込んできているらしい。
「騎馬。行け」
セイは、騎馬隊を発した。自陣を迂回するようにして、左に弧を描き、駆けてゆく。
もうすぐ、敵陣を割る。飛び出して、自陣に戻る。そこで、馬を休ませなければならない。黒雷はそうでもないが、兵の馬の中には既に限界が近いものもあるはずだ。
あと、少し。
飛び出した。
馬足を緩めようとしたとき、左から騎馬が来た。もう、目鼻が分かるほどの位置である。
マヒロは、矛を握り締めた。
サナは、マヒロが想像した通り、楼閣の自室から、北の空を眺めていた。腕を欄干から出し、意味もなくぶらぶらさせている。この季節のことであるから、陽はやや北寄りに出る。それが、目の前を通り過ぎようとしていた。
特に、何が見えるわけでもない。冬になると決まってやって来る白い鳥が一羽、地に降り立つのが見えるだけだ。
「ヒメミコ。あまり、風に当たられますと、よくありません」
かつてナナシがマナであったときと同じ、白い絹に紅い帯を身に付けた女が言った。
サナは、答えない。
「ヒメミコ」
いぶかしがって、その者はもう一度呼び掛けた。
「ヒメミコ?」
おそるおそる近づいて、横から顔を覗き込む。
サナは、瞬きもせず、天を見つめている。
天に浮かぶ、陽を。その眼は、いつものような濃い茶色ではなく、鈍い銀色に輝いて見えた。まるで、陽の光を、吸い取っているように。
「来るぞ」
銀色の火を宿したまま、サナは誰にともなく言った。
「なにが、来るのです」
と紅い帯の女は聞いてやった。サナは、答えない。
紅い帯の女は、サナの視線の先を追った。
最も高い位置を少し過ぎた陽が、欠け始めている。
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「敵の軍を素通りさせて武士といえるのか!」
若き城代・丹羽氏重は死を覚悟する!
暁のミッドウェー
三笠 陣
歴史・時代
一九四二年七月五日、日本海軍はその空母戦力の総力を挙げて中部太平洋ミッドウェー島へと進撃していた。
真珠湾以来の歴戦の六空母、赤城、加賀、蒼龍、飛龍、翔鶴、瑞鶴が目指すのは、アメリカ海軍空母部隊の撃滅。
一方のアメリカ海軍は、暗号解読によって日本海軍の作戦を察知していた。
そしてアメリカ海軍もまた、太平洋にある空母部隊の総力を結集して日本艦隊の迎撃に向かう。
ミッドウェー沖で、レキシントン、サラトガ、ヨークタウン、エンタープライズ、ホーネットが、日本艦隊を待ち構えていた。
日米数百機の航空機が入り乱れる激戦となった、日米初の空母決戦たるミッドウェー海戦。
その幕が、今まさに切って落とされようとしていた。
(※本作は、「小説家になろう」様にて連載中の同名の作品を転載したものです。)
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