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第二章 埋め火
罠への入り口
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クナのヒコミコは、オオシマを落とすだけ落とすと、老軍師ユンにあとの仕置きを任せ、海路をもって上陸した制圧部隊を引き連れ、さっさと帰国の徒についたらしい。それに代わり、諸国より手配した陸路の兵をオオシマの駐屯部隊とした。
老軍師ユンは、その独特の粘り気のある微笑をもって、拠点とする東向きの崖に面したムラから、海向こうのヤマトの国を眺めていた。
「さて、どう出る」
と歯の半分以上抜け落ちた口から言葉を発したのが、脇にいる駐屯軍の総指揮者テツモリに言ったものなのか、己の思案が口から漏れ出たものなのかは分からない。
テツモリは前者ととらえたらしく、
「我らが烈火のごとき侵攻に慌てるヤマトの者共が、目に浮かぶようですな」
と同調してやった。するとユンはテツモリがそこに居ることを初めて知ったような顔をしながら、
「いや、ヤマトは慌てぬ。もう既にこの海の道を一旦諦め、べつの道を探しておることであろうて」
と油断のならないことを説いた。
「べつの、道?」
たとえば、とユンは北の方角を指差した。
「北、ですか」
「大陸と交わるための海路は、むしろ北の方が短い。ヤマトから北の海までは、かなり距離があるが、海までの陸路上に存在するクニグニは、ヤマトの北東隣のハラを除き、ことごとくヤマトの傘下に入っておる」
「ハラといえば、以前よりヤマトと小競り合いを繰り返している小国ですな」
「そうじゃ」
「ハラに手を回し、ヤマトの海への道を塞いでしまうというのは」
とまで言ったとき、テツモリは、いち軍人が国家直属の軍師に言うようなことではないと思い直したのか、言葉を切った。
「手は打ってあるよ、若いの」
とだけ、この老人は臭い息と共に言った。
折り良くか悪しくか、長大な兵站線の確保が難しいため、島の中での作物の採れ高と、農耕に従事している、あるいは出来る民がどれほど生き残っているのかの調査を指示していた者からの報告が来たので、テツモリは老軍師の前を辞去した。
一方、ヤマトではユンの読み通り、北からの海上交通を目論んでいた。
もともとオオトであった平野を流れる大きな河を舟でもって遡上し、若干の陸路と山道を取り鳰の海にまで出、湖を北の果てまで船を用いて進み、また山を越えれば北の海である。
そのため中継点となる各所で造船を行い、荷捌きと積み替えをするための設備と人を置いた。
中継しながらしながらでは輸送に日数がかかる。しかし大陸や東の諸国との交易を絶やすわけにはいかぬため、オオシマがクナに抑えられた以上、それが最も早い道であった。
オオトの地の要塞化は、タクの手配により着々と進み、海向こうに見えるオオシマへの備えをし、睨みを効かせている。
ヤマトは傘下に入ったクニのほとんどの王やその一族と領土を安堵し、その地を統治する「権利」を与えていたが、交易路の安全のため、統治下の諸国に向け、改めてその旨を発布した。
いままでの、その土地における絶対的な存在である王とは異なることを民と王自身に認識されるため、王という名称はサナが占有することとし、リュウキの発案による大陸的名称「コウ」を用いることとした。漢字ならば「候」と書く。また、貴人の直接の家系の名は一般には明かされぬという風習はヤマト本国のみに残し、傘下の諸国においては撤廃した。
この統治方法は、定義上は、封建制であろうか。いや、統治下のクニの都邑やその領土の中の主だったムラにはヤマトから派遣された官吏がその統治を取り仕切るという仕組みも取っていたから、郡県制なのかもしれない。
また、未だ服属せず、周辺の僅かな小国と共に独立を保っているハラのクニとの境に最も近いムラも要塞化し、その統治者として戦歴の最も古く、ハラにもその顔と威を知る者の多いユウリを置いた。
彼らにとって全くあたらしい試みである割には、リュウキの持ち込んだ大陸式の統治法と民政の事実上の頂点であるマヒロ、外交の頂点にあるタクらの働きにより、上手く仕組みを作り上げることができた。
その情報を、粘り気のある微笑を持つが歯はあまり持たぬクナの軍師ユンは、ヤマトの領内に放った多くの諜者から得た。
ほう、ほう、とこの老人が関心するときの癖である感嘆詞をリズミカルに吐いてから、
——ヤマトにも、我が故地の者が入っておるようだの。
と呟いた。
諜報とは、大陸において、これより遥か昔より戦争は勿論、国家の運営に最も重要であると考えられ、その技術も非常に発達していた。
その土地の者を手懐け、こちらに有益な情報をもたらす。あるいは敵国の諜者を手懐け逆スパイとして利用するなど、多くの兵法書においてその効果的な利用法が論じられているが、その中に、勿論、
暗殺。
を目的とするものもあった。
この場合、暗殺の標的はサナら王の一族、マヒロやタク、ユウリら政治や軍事の重責を担う者、画期的な思想と具体的方策をもたらす軍師——この時点のユンにとっては軍師らしき者——などがあった。
この列島の人々は、まだそのような手法に触れる機会が少なく、暗殺があるとするならば身内や側近に毒を盛られるなどの分かりやすい例が殆どであった。
ユンは今より、この列島において、もしかしたら初の事例となるかもしれない「他国による暗殺」という手段を用いることもあるやもしれぬ、と飼っている者の中から、そういった働きを仕遂げそうな者の名と顔を幾つか浮かべた。
話を、交易路のことに戻す。大陸からの使者の相手をしたり、行き来する荷の手配や管理をするのに適した者について、サナ、マヒロ、リュウキで談義しているとき、広間の入り口からサナの末の妹が覗き込んできた。
末の妹は、名をトミといった。今年で十三才になる。
トミはしばらくサナらの様子を伺ったあと、こほん、と小さな咳をした。それに気付いたサナらが入り口の方に注目すると、ちょっと羞恥んだような表情を作ってみせた。
母がことごとく違うため、サナもマオカもトミも、全く似ていない。
トミもまた美人であったが、マオカのような、凛とした冷たさのある美ではなく、どちらかといえばサナ寄りの、丸みのある美しさを持っていた。
一重瞼のトミの、ぷっくりとみずみずしい唇が動いた。
「難しいお話をなさっているところ、失礼します」
「なんじゃ、末の妹」
サナは、常のごとくぞんざいな呼び方で答えた。
「お邪魔でなければ、わたしも、お話に混ぜていただきたいのです」
「そなたが?構わぬが、邪魔はするなよ」
「お部屋の隅の方で、静かにしています」
リュウキが、どういうわけかくすりと笑った。
ひと通りの話が終わり、ついでに飯でも食っていけ、というサナの誘いにより、そのまま広間に膳を運ばせ、食事になった。
この頃の主食はこんにちで「古代米」などという有難い名称で販売されている黒米、赤米のほか、粟、稗、麦などであった。それに川魚を塩焼きにしたもの、菜を塩で和えたもの、貝を醤でもって甘辛く煮たものなどが出た。
またこの頃は、権力者を修飾する手段としての儒教を輸入する前のことだから、主従が一緒に食事を取ることは別に不思議でもなんでもない。基本的に食事はおのおのが決まった頃合いに別々に取ることが多いが、このように、皆がおおらかに座を囲むこともあった。
貝が噛み切れず苦しそうにするトミの背中を、何気なく、優しい力で叩いてやるリュウキを見て、サナは、おや、と思った。
故地での貝の調理法についてや、貝殻を使った美しい装飾の加工方法についての話を、リュウキはした。
「そういえばリュウキ、今も三日に一度は食事を取らぬのか?」
マヒロが、リュウキの不思議な習慣について水を向けた。
「ええ。今日がその日です」
「しっかりと食っているじゃないか」
「ええ、折角の機会ですから。食事を抜くのは、明日にします」
リュウキは、自らの妙な習慣よりも、サナらとの相伴の方を重視する程度の柔軟性は持っているようである。
「トミがおるからか」
サナが例によってずばりと言うものだから、リュウキは、飯を喉に詰まらせた。
「なにを、仰います」
「好き合っておるのだろう」
「まさか、そのような」
リュウキは否定したが、トミはまんざらでもなさそうに頬を赤らめて眼を伏せた。
この年頃の女子によくあるように、どこかミステリアスで己とは異なる習慣や癖を持つ寡黙な男性に注目し、はじめは不思議だなと思いながら眺めていたはずが、いつのまにかそれが個人に対する興味へと変わり、いつしか、好き、という感情に変わっているのかもしれない。
リュウキは思考が鋭すぎるため逆にものごとに恬淡としており、正直、人間に対する好悪の感情があるのか無いのか分からない。が、少なくともトミに関しては、好もしくは思っているようだった。
このサナの無邪気な指摘により、リュウキとトミが互いに一層激しく意識し合うようになったのは言うまでもない。
秋には、北の海への交易路が動き出し、まだ中継点や設備の整備などは途中であるが、試験的な運用として荷を運ぶことを数度行うようになっていた。
しかし、どういうわけか、北に向かう途上の陸路において、賊が多い。特にヤマトの地を出てすぐ北の地域において、それが顕著であった。一度など、輸送隊が殆ど全滅に近い打撃を受け、荷も全て奪われたという。
生き残った者の証言によると、賊は輸送隊の出現を待ち構えており、とても賊とは思えぬほど統制の取れた動きであっという間に取り囲まれて雨のように矢を射込まれ、悠々と荷を奪われたという。
タクとリュウキは、明らかにハラの差し金であると考えた。
そこでタクは人を放ち、ヤマトから大輸送隊が出発したという噂を流し、空の荷車数十輌を曳かせ、北へ向かわせた。指揮者は、老練のユウリ。この老勇ならば、どのような事態においても冷静に対応ができるはずである。
やはり、ハラとの国境にある平原の、小さな丘や低い樹木が散在する地帯に差し掛かると、待ち構えていたかのようにばらばらと賊が現れた。
ここで賊を一網打尽にし、ヤマトの輸送隊の防備が尋常でないことを示し、かつ指揮官を捕らえるつもりであったユウリは、敵の姿を捉えるとすぐさま戦闘隊形の展開を指示した。
彼がまだ若い頃にはこの島国にはまだ馬は皆無であったために乗馬は上手くなく、徒歩である。
突進してくる敵の隊に向け、ただ歩いてゆく。獲物は鉄製の矛。老いて腕力が衰えたため、柄の部分は筒状になっており、見た目の重厚さよりも軽く振り回せた。
それを一度振ると、空気が唸りを上げ振動し、同時に敵が吹き飛んだ。
頭を、すこし滑らせる。それで生まれた空間に、矢が一本通っていった。
「やめておけ。儂に、矢など当たらぬわ」
向き合う相手のただならぬことに気付いた敵の隊は、ユウリのみに狙いを絞り、取り囲んだ。じりじりと輪を縮めるが、ユウリは動かない。
その輪が急速に収縮したとき、内側から破裂するように弾け飛んだ。
ユウリの一閃で、数人が死骸になっている。
ここで初めてユウリは呼吸を沈め、深く踏み込む。
叫ぶ。
そして、ユウリを取り囲む隊は、いなくなった。
「冗談じゃないぞ、あいつ」
と声を上げるのが、指揮官か。
歳からは考えられぬほどの速さで、ユウリは駆けた。
矢が降り注ぐ。
当たらない。かわしているようでもあるし、矢がユウリを避けているようでもあった。
指揮官の脇を通りすぎ、その直後、指揮官の片腕が、薪でも放り捨てたように地に落ちた。
矛を左手で握ったまま右手で抜剣し、身体を旋回させると、鳩が豆鉄砲を食らった——恐らくこの時代にはまだ鳩に豆鉄砲を食らわせたことのある者はいないであろうが——ような顔をした指揮官の首に、刃を当てた。
「これ以上はせぬ。おとなしくせよ」
とやや嗄れた低い声で言うと、生き残った賊どもは救われたように尻餅をついた。
「お前、何者だ」
指揮官が、やっと言った。今ごろになって腕を切り落とされた痛みを知覚したのか、苦痛に顔を歪めている。
「何者でもない。貴様より、ただ死線を越えた数が多いだけの爺だ」
「こんなことが」
ひとつ口惜しそうな顔を見せた指揮官は、自らユウリの刃に首の動脈を擦れ合わせ、鮮血を吹き出しながら倒れた。
まさか賊の首魁ごときが、捕らえられ自死するなど考えていなかったユウリは驚いたが、とりあえずその死骸を荷車に積み、帰国するよう配下に指示した。
ユウリはあまり人前で武器を取らず、どちらかと言えば参謀のような役割を果たすことが多い。以前のオオトとの大戦の際も、結局己は一度も武器を振るっていない。
しかし先王の時代から数々の戦に立ち、王の命を幾度となく救ってきた武は、老いてなお研ぎ澄まされているようであった。
その配下のほとんどはユウリの初めの一振りで気を飲まれてしまい、我を取り戻す頃には戦いが終わってしまっていた。
運ばれてきた死骸を見ながら、リュウキは、
「この男はただの賊であったとしても、やはり、ハラの意を受けていたものと思われます。恐らく、捕らえられ、背後を洗われることを嫌っての自死でしょう」
「それほどまでに、ハラに脅されていたというのか」
「あるいは、もっと別の」
具体的な思案のない限り口を開かぬリュウキがそう言うのだから、彼の中で何か断片的な思考が繋がったのかもしれない。
老軍師ユンは、その独特の粘り気のある微笑をもって、拠点とする東向きの崖に面したムラから、海向こうのヤマトの国を眺めていた。
「さて、どう出る」
と歯の半分以上抜け落ちた口から言葉を発したのが、脇にいる駐屯軍の総指揮者テツモリに言ったものなのか、己の思案が口から漏れ出たものなのかは分からない。
テツモリは前者ととらえたらしく、
「我らが烈火のごとき侵攻に慌てるヤマトの者共が、目に浮かぶようですな」
と同調してやった。するとユンはテツモリがそこに居ることを初めて知ったような顔をしながら、
「いや、ヤマトは慌てぬ。もう既にこの海の道を一旦諦め、べつの道を探しておることであろうて」
と油断のならないことを説いた。
「べつの、道?」
たとえば、とユンは北の方角を指差した。
「北、ですか」
「大陸と交わるための海路は、むしろ北の方が短い。ヤマトから北の海までは、かなり距離があるが、海までの陸路上に存在するクニグニは、ヤマトの北東隣のハラを除き、ことごとくヤマトの傘下に入っておる」
「ハラといえば、以前よりヤマトと小競り合いを繰り返している小国ですな」
「そうじゃ」
「ハラに手を回し、ヤマトの海への道を塞いでしまうというのは」
とまで言ったとき、テツモリは、いち軍人が国家直属の軍師に言うようなことではないと思い直したのか、言葉を切った。
「手は打ってあるよ、若いの」
とだけ、この老人は臭い息と共に言った。
折り良くか悪しくか、長大な兵站線の確保が難しいため、島の中での作物の採れ高と、農耕に従事している、あるいは出来る民がどれほど生き残っているのかの調査を指示していた者からの報告が来たので、テツモリは老軍師の前を辞去した。
一方、ヤマトではユンの読み通り、北からの海上交通を目論んでいた。
もともとオオトであった平野を流れる大きな河を舟でもって遡上し、若干の陸路と山道を取り鳰の海にまで出、湖を北の果てまで船を用いて進み、また山を越えれば北の海である。
そのため中継点となる各所で造船を行い、荷捌きと積み替えをするための設備と人を置いた。
中継しながらしながらでは輸送に日数がかかる。しかし大陸や東の諸国との交易を絶やすわけにはいかぬため、オオシマがクナに抑えられた以上、それが最も早い道であった。
オオトの地の要塞化は、タクの手配により着々と進み、海向こうに見えるオオシマへの備えをし、睨みを効かせている。
ヤマトは傘下に入ったクニのほとんどの王やその一族と領土を安堵し、その地を統治する「権利」を与えていたが、交易路の安全のため、統治下の諸国に向け、改めてその旨を発布した。
いままでの、その土地における絶対的な存在である王とは異なることを民と王自身に認識されるため、王という名称はサナが占有することとし、リュウキの発案による大陸的名称「コウ」を用いることとした。漢字ならば「候」と書く。また、貴人の直接の家系の名は一般には明かされぬという風習はヤマト本国のみに残し、傘下の諸国においては撤廃した。
この統治方法は、定義上は、封建制であろうか。いや、統治下のクニの都邑やその領土の中の主だったムラにはヤマトから派遣された官吏がその統治を取り仕切るという仕組みも取っていたから、郡県制なのかもしれない。
また、未だ服属せず、周辺の僅かな小国と共に独立を保っているハラのクニとの境に最も近いムラも要塞化し、その統治者として戦歴の最も古く、ハラにもその顔と威を知る者の多いユウリを置いた。
彼らにとって全くあたらしい試みである割には、リュウキの持ち込んだ大陸式の統治法と民政の事実上の頂点であるマヒロ、外交の頂点にあるタクらの働きにより、上手く仕組みを作り上げることができた。
その情報を、粘り気のある微笑を持つが歯はあまり持たぬクナの軍師ユンは、ヤマトの領内に放った多くの諜者から得た。
ほう、ほう、とこの老人が関心するときの癖である感嘆詞をリズミカルに吐いてから、
——ヤマトにも、我が故地の者が入っておるようだの。
と呟いた。
諜報とは、大陸において、これより遥か昔より戦争は勿論、国家の運営に最も重要であると考えられ、その技術も非常に発達していた。
その土地の者を手懐け、こちらに有益な情報をもたらす。あるいは敵国の諜者を手懐け逆スパイとして利用するなど、多くの兵法書においてその効果的な利用法が論じられているが、その中に、勿論、
暗殺。
を目的とするものもあった。
この場合、暗殺の標的はサナら王の一族、マヒロやタク、ユウリら政治や軍事の重責を担う者、画期的な思想と具体的方策をもたらす軍師——この時点のユンにとっては軍師らしき者——などがあった。
この列島の人々は、まだそのような手法に触れる機会が少なく、暗殺があるとするならば身内や側近に毒を盛られるなどの分かりやすい例が殆どであった。
ユンは今より、この列島において、もしかしたら初の事例となるかもしれない「他国による暗殺」という手段を用いることもあるやもしれぬ、と飼っている者の中から、そういった働きを仕遂げそうな者の名と顔を幾つか浮かべた。
話を、交易路のことに戻す。大陸からの使者の相手をしたり、行き来する荷の手配や管理をするのに適した者について、サナ、マヒロ、リュウキで談義しているとき、広間の入り口からサナの末の妹が覗き込んできた。
末の妹は、名をトミといった。今年で十三才になる。
トミはしばらくサナらの様子を伺ったあと、こほん、と小さな咳をした。それに気付いたサナらが入り口の方に注目すると、ちょっと羞恥んだような表情を作ってみせた。
母がことごとく違うため、サナもマオカもトミも、全く似ていない。
トミもまた美人であったが、マオカのような、凛とした冷たさのある美ではなく、どちらかといえばサナ寄りの、丸みのある美しさを持っていた。
一重瞼のトミの、ぷっくりとみずみずしい唇が動いた。
「難しいお話をなさっているところ、失礼します」
「なんじゃ、末の妹」
サナは、常のごとくぞんざいな呼び方で答えた。
「お邪魔でなければ、わたしも、お話に混ぜていただきたいのです」
「そなたが?構わぬが、邪魔はするなよ」
「お部屋の隅の方で、静かにしています」
リュウキが、どういうわけかくすりと笑った。
ひと通りの話が終わり、ついでに飯でも食っていけ、というサナの誘いにより、そのまま広間に膳を運ばせ、食事になった。
この頃の主食はこんにちで「古代米」などという有難い名称で販売されている黒米、赤米のほか、粟、稗、麦などであった。それに川魚を塩焼きにしたもの、菜を塩で和えたもの、貝を醤でもって甘辛く煮たものなどが出た。
またこの頃は、権力者を修飾する手段としての儒教を輸入する前のことだから、主従が一緒に食事を取ることは別に不思議でもなんでもない。基本的に食事はおのおのが決まった頃合いに別々に取ることが多いが、このように、皆がおおらかに座を囲むこともあった。
貝が噛み切れず苦しそうにするトミの背中を、何気なく、優しい力で叩いてやるリュウキを見て、サナは、おや、と思った。
故地での貝の調理法についてや、貝殻を使った美しい装飾の加工方法についての話を、リュウキはした。
「そういえばリュウキ、今も三日に一度は食事を取らぬのか?」
マヒロが、リュウキの不思議な習慣について水を向けた。
「ええ。今日がその日です」
「しっかりと食っているじゃないか」
「ええ、折角の機会ですから。食事を抜くのは、明日にします」
リュウキは、自らの妙な習慣よりも、サナらとの相伴の方を重視する程度の柔軟性は持っているようである。
「トミがおるからか」
サナが例によってずばりと言うものだから、リュウキは、飯を喉に詰まらせた。
「なにを、仰います」
「好き合っておるのだろう」
「まさか、そのような」
リュウキは否定したが、トミはまんざらでもなさそうに頬を赤らめて眼を伏せた。
この年頃の女子によくあるように、どこかミステリアスで己とは異なる習慣や癖を持つ寡黙な男性に注目し、はじめは不思議だなと思いながら眺めていたはずが、いつのまにかそれが個人に対する興味へと変わり、いつしか、好き、という感情に変わっているのかもしれない。
リュウキは思考が鋭すぎるため逆にものごとに恬淡としており、正直、人間に対する好悪の感情があるのか無いのか分からない。が、少なくともトミに関しては、好もしくは思っているようだった。
このサナの無邪気な指摘により、リュウキとトミが互いに一層激しく意識し合うようになったのは言うまでもない。
秋には、北の海への交易路が動き出し、まだ中継点や設備の整備などは途中であるが、試験的な運用として荷を運ぶことを数度行うようになっていた。
しかし、どういうわけか、北に向かう途上の陸路において、賊が多い。特にヤマトの地を出てすぐ北の地域において、それが顕著であった。一度など、輸送隊が殆ど全滅に近い打撃を受け、荷も全て奪われたという。
生き残った者の証言によると、賊は輸送隊の出現を待ち構えており、とても賊とは思えぬほど統制の取れた動きであっという間に取り囲まれて雨のように矢を射込まれ、悠々と荷を奪われたという。
タクとリュウキは、明らかにハラの差し金であると考えた。
そこでタクは人を放ち、ヤマトから大輸送隊が出発したという噂を流し、空の荷車数十輌を曳かせ、北へ向かわせた。指揮者は、老練のユウリ。この老勇ならば、どのような事態においても冷静に対応ができるはずである。
やはり、ハラとの国境にある平原の、小さな丘や低い樹木が散在する地帯に差し掛かると、待ち構えていたかのようにばらばらと賊が現れた。
ここで賊を一網打尽にし、ヤマトの輸送隊の防備が尋常でないことを示し、かつ指揮官を捕らえるつもりであったユウリは、敵の姿を捉えるとすぐさま戦闘隊形の展開を指示した。
彼がまだ若い頃にはこの島国にはまだ馬は皆無であったために乗馬は上手くなく、徒歩である。
突進してくる敵の隊に向け、ただ歩いてゆく。獲物は鉄製の矛。老いて腕力が衰えたため、柄の部分は筒状になっており、見た目の重厚さよりも軽く振り回せた。
それを一度振ると、空気が唸りを上げ振動し、同時に敵が吹き飛んだ。
頭を、すこし滑らせる。それで生まれた空間に、矢が一本通っていった。
「やめておけ。儂に、矢など当たらぬわ」
向き合う相手のただならぬことに気付いた敵の隊は、ユウリのみに狙いを絞り、取り囲んだ。じりじりと輪を縮めるが、ユウリは動かない。
その輪が急速に収縮したとき、内側から破裂するように弾け飛んだ。
ユウリの一閃で、数人が死骸になっている。
ここで初めてユウリは呼吸を沈め、深く踏み込む。
叫ぶ。
そして、ユウリを取り囲む隊は、いなくなった。
「冗談じゃないぞ、あいつ」
と声を上げるのが、指揮官か。
歳からは考えられぬほどの速さで、ユウリは駆けた。
矢が降り注ぐ。
当たらない。かわしているようでもあるし、矢がユウリを避けているようでもあった。
指揮官の脇を通りすぎ、その直後、指揮官の片腕が、薪でも放り捨てたように地に落ちた。
矛を左手で握ったまま右手で抜剣し、身体を旋回させると、鳩が豆鉄砲を食らった——恐らくこの時代にはまだ鳩に豆鉄砲を食らわせたことのある者はいないであろうが——ような顔をした指揮官の首に、刃を当てた。
「これ以上はせぬ。おとなしくせよ」
とやや嗄れた低い声で言うと、生き残った賊どもは救われたように尻餅をついた。
「お前、何者だ」
指揮官が、やっと言った。今ごろになって腕を切り落とされた痛みを知覚したのか、苦痛に顔を歪めている。
「何者でもない。貴様より、ただ死線を越えた数が多いだけの爺だ」
「こんなことが」
ひとつ口惜しそうな顔を見せた指揮官は、自らユウリの刃に首の動脈を擦れ合わせ、鮮血を吹き出しながら倒れた。
まさか賊の首魁ごときが、捕らえられ自死するなど考えていなかったユウリは驚いたが、とりあえずその死骸を荷車に積み、帰国するよう配下に指示した。
ユウリはあまり人前で武器を取らず、どちらかと言えば参謀のような役割を果たすことが多い。以前のオオトとの大戦の際も、結局己は一度も武器を振るっていない。
しかし先王の時代から数々の戦に立ち、王の命を幾度となく救ってきた武は、老いてなお研ぎ澄まされているようであった。
その配下のほとんどはユウリの初めの一振りで気を飲まれてしまい、我を取り戻す頃には戦いが終わってしまっていた。
運ばれてきた死骸を見ながら、リュウキは、
「この男はただの賊であったとしても、やはり、ハラの意を受けていたものと思われます。恐らく、捕らえられ、背後を洗われることを嫌っての自死でしょう」
「それほどまでに、ハラに脅されていたというのか」
「あるいは、もっと別の」
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ぜひ、伊藤長官率いる第一遊撃艦隊の進む道をご覧ください
ところどころ戦術おかしいと思いますがご勘弁
どうか感想ください…心が折れそう
どんな感想でも114514!!!
批判でも結構だぜ!見られてるって確信できるだけで
モチベーション上がるから!
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