海が鳴いている

八助のすけ

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海が鳴いている2

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 港町の朝はとても早い。
 どんな鳥達より、太陽よりも早く人々は起き出し夜の間漁火を焚き漁を終えた漁船や、早朝から近海の海の幸を獲っていた漁船が次々と港に戻って来る。

 その漁船を迎え待つのは各漁船の家の妻や家族で、それを仕分け木箱へと分けて行くが、半分以上は島から外へと出荷されていく。

 この島で獲れる海産物はとても美味しいと言われており、特に鯛やイカはとても人気があった。

 漁船がある程度戻り、漁港の中ではセリが始まる頃、この島唯一の寿司屋である鮨なぶらの店主が現れるのが日課となっていた。

「おう! マコさん」

「おはようございます、今日は中々魚種が豊富ですね」

「おうおう! けっこういろんなのが獲れたでな、気になるやつ箱に入れてってええぞ」

「はい」

 良い魚は高いセリにかけられるが、傷が付いたり少し小さいものは雑魚扱いとしてまとめて箱に入れてある。だが、味は落ちる訳でも無く逆に珍しい食材も含まれている為、真琴はあえてそう言う所から選ぶ様にしていた。

 元高級料亭や高級寿司店で修行していただけあって、素材の目利きには自信があり間違いは無く、河豚調理師としての免許も持っている為下手な店より確かな味でしかも島民が通えるくらいリーズナブルだ。

 真琴は魚が入った箱の一つ一つを見ながら、中からいくつかの魚を選びそれを箱へと入れて行く。その箱を持っているのはこの漁港には似合わないモデルの様な男だった。

 髪は夏の太陽を反射しキラキラと輝く明るい茶色で、瞳は茶色とブルーグリーンが混ざったかの様な不思議な色をしている。

「マコちゃん、この紅い四角い魚は何?」

 真琴が、チラリとそちらを確認し、また直ぐ視線を戻し魚を選び始める。

「ああ、それはホウボウって魚でとても美味しいんだ」

「へぇ~じゃあその今持ってる長い蛇の様なのは?」

「これ? これはヤガラって言う魚で、築地だと一匹一万円近くする高級魚だよ」

「面白い! この魚の目は猫みたいだ!」

「はは、僕も最初同じ事を思ったよ。身体の半分近くが口なのに、先だけおちょぼ口しか開かないし、変な魚だよね」

 章良が、ヤガラと言う奇妙な魚の口をパクっと開いて中を覗き込む。

「たしかに……これで良く餌が食べれるな」

「だよね、ストローみたいに吸い込むんだろうね」

 その後もあれは何だ、これはどう食べるのかと質問ばかりしてくるが、真琴はそれに対して面倒がらず、ひとつずつ説明して行く。

「アキちゃん、すっかりマコさんの弟子みたいだなぁ」

 セリ落とされた後の空いた木箱を洗っている漁師が声をかける、彼は最初漁業組合長と一緒に章良を共同浴場へとつれて行った人物で、組合長の長男だった。

「やめて下さいよ、僕は弟子なんてとりません。とりあえず何か手伝うと言って彼が勝手について来るだけですよ」

「え~~俺、マコちゃんの弟子になっても良いのに、この島も人もとても良いし、マコちゃんの料理はどれも美味しいし、ここに住んじゃおうかなぁ」

「え? そ、そんな!! 住むのは勝手ですけど! 住むなら僕の店からは出てって下さいね、空き家なら他にもあるんだから!!」

「も~つれないなぁ~俺達一緒に寝た仲でしょ?」

「ちょ!! 変な誤解産む様な事言わないでよ!! ね……寝たって一晩同じ部屋で別の布団で寝ただけでしょ?! ちゃんと次の日に昔の客室を片付けたし!!」

 真琴が顔を真っ赤にし、ワタワタと慌てて言い訳をしてふと周りを見ると、漁港の中で一番大きな声で話しており、皆が手を止めポカンとした顔でこちらを見ている事に気がついた。

「ぼ……ぼぼぼぼ僕、先に帰ります!!」

 そう言って顔を赤くしたまま魚の料金を払い、クーラーボックスを章良から奪いそのまま走る様にして道を渡り、路地の階段を上って行ってしまった。その場に残された章良がそんな真琴を目で追うが、そのままその場に留まり勧められるまま素直に漁師の為に作られた冷や汁と握り飯を貰いほお張っている。

「マコさん良う話して、よう笑うようになったわ」

 冷や汁を掻き混ぜながら漁師の妻達が笑っていた

「ん? そう? 俺が知ってる彼はいつも怒ってるか笑ってるかだし、喜怒哀楽もとても豊かだけど、前は笑わなかったの?」

 章良が冷や汁のおかわりを貰いながら聞き返す。

「ああそうやね、アキちゃんは一週間前からマコさんとこ来たで知らんのやね。マコさんもアキちゃんとおんなじでなぁ三年くらい前かね……突然こん島に来たんよ、登喜子ちゃんの旦那……辰朗さんが声かけてね、そんでたまたま登喜子ちゃんの叔父さんがやってたあの店が空いとったで、そこに泊めたんだわ。数日間なんも食わんし寝もせんかってね、流石に心配しとったら、ある日お礼にって店の調理場を掃除し始めて、フラっとここから魚を買って、見た事の無いご馳走を作ってくれてねぇ、うちらもビックリしたんよ。そんで、明日ここを出て行くって言うもんやから、辰朗さんがどっかアテでもあるんかと聞いたら、アテは無い言うもんで…… 
 ならいっそここで店をやらんかって言ってねぇ。ほら、この島はなーんも娯楽がないで、唯一の外食出来たのが、あのなぶらやってんけど、あそこがつぶれてから外で一杯飲むっちゅう事もできんくなった。
 そんならマコさん突然泣いてもうてね……ずっと面倒みてた辰朗さんはなんか事情を聞いてたんかはしらんけど、ここにおったらええって言って。
 そっからあのなぶらの店主はマコさんになったんよ。
 なぶら寿司って名前やけど、アキちゃんも知っての通り、居酒屋みたいな店で島の年寄りが具合が悪いって聞いたら〈残りものだから〉って言いながらも、わざわざ料理を届けたりね、今ではすっかり頼られてて。でも最初の頃は挨拶はするけどほんと喋らず大人しくて人見知りで……店でも笑顔を見せる事は少なかったし、あんな風に大きな声で話すなんて滅多になかったんよ」

「へぇ……」

 章良がもう一度振り返り、笑いも生きる事さえも忘れたかの様なそんな真琴の姿を思い描いた。

 確かにふとした時に見せる顔は影があり、遠くをぼんやりと見て居る瞳は心が何処かへと飛んで行っている様な事があった。その姿が今にも消えてなくなりそうで……まるで雲へと見え隠れする朧月の様だとそう感じていた。

 一体何があってこの島に流れつき、そして何を見て誰を想うのか――

 彼から笑顔と言葉を奪ったのはなんなのか――

 章良はこの一週間、坂下真琴と言う男と暮らして来て、益々彼に対して興味が出て来た。面白半分や冷やかしでは無く、何故か目が離せない……
 一人にさせたく無いと言う不思議な感情が湧いて来る。これまで自分の生業として来た仕事では人間観察は重要で、またそれを形として行くのが楽しいと感じていたが、真琴に対して湧きあがる様な感情は抱いた事は無かった。
 
 一体彼の何が自分の中でそう思わせるのか――
 
 章良はそれを確かめるまでは彼の側に居ようと心に決めた。

 神妙な顔をして真琴が姿を消した階段の方を見ていた章良に、別の漁師の妻がおかわりはいらんの? と声をかけると

「ううん、ごちそうさま~俺も店の掃除を手伝うから帰るよ」

 そう言って章良が走って、真琴の後を追いかけて行った。
 数段の階段を駆け上がり、また先のある数段の階段も一跨ぎで飛び上がり島のメインストリートへと出ると、その先を真琴が大きなクーラーボックスを肩から提げて歩いているのが見える。

「マコちゃん!!」

 章良がそう呼びかけると、店の入り口の前を通る細い石畳の道へ曲がる手前で真琴が振り返り、そのまま章良が走って来るのを待っていた。

「クーラーボックス貸して、俺が持つから」

 真琴が肩に提げていたクーラーボックスを、章良が掴み自分の肩へと下げた。

「もう店は目の前だよ、それより港で朝ごはんを食べた?」

「食べた食べた!! 初めて冷たい味噌汁を食べたけど美味しかった~」

「そう、良かったね」

「あれ、マコちゃんは作れる?」

「ん~~作れるけど、やっぱり港のお母さん達が作った方が美味しいと思うんだよね、同じ様に作るけど何故かあの味は出せないんだ」

「そう、マコちゃん結局朝ごはん、食べて無いよね?」

「ああ、うん……朝はどうしても食欲無くて」

「朝だけじゃ無く、マコあまりごはん食べないよね? それ良く無いと思うけど」

「昔修行してた頃からこうだったから、もう身体が馴れてしまってて朝はお腹空かないんだ、別にそれでどうこうなった事無いし」

 真琴がそこまで言ってクルっと身体の向きを変え、坂になっている石畳を上がって行く。章良はそんな背中を見ながら、手を伸ばせばぎりぎり届く寂しそうな背中を見つめ、何故か抱きしめたくなった。
 
 その気持ちを手の中へと仕舞い込み漏れ出さない様に固く握りしめた。







 この感情はなんだろう……








 章良は、握りしめた自分の拳を見つめながらそう心の中で呟いた。











 続く

 
 2019/05/28 22:21 海が鳴いている(二)
 八助のすけ



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