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1章 ダンジョンと少女

第16話

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 続いて感じたのは、靴を超えて液体が染み込んでくる感覚。背中に寒気が走った。ゆっくりと下を向く。不意に一際強く差し込んだ月明かりが足元に倒れこんだ人物の輪郭を浮かび上がらせた。

 『おかあ……さま……?』

 夢から覚めたばかりのような虚ろな声。響く悲鳴。それが自分の口から漏れていることに、シャルは遅れて気がつく。水中に突き落とされたかのように曖昧になる周囲の音。頭の中でぐわんぐわんと音が鳴り始め、再び目眩に襲われた。

 『何よ、これ……』

 たった今、母親の声を聞いたばかりだというのに。目の前には血溜まりに沈む母親。溢れ出す涙とともに思い出が走馬灯のように駆け巡る。唇を噛み締め、亡骸に向かって手を伸ばす。生きているかもしれない。そんな淡い希望を持ったわけではない。ただ、ただ。脳では理解しているはずの目の前の現実を拒絶する心を無理やり納得させるために。だが、その手が母親に触れることはなかった。

 『……え?』

 瞬きを一度。次に目を開けた時には一振りの黒剣が小さな手に握られていた。いつの間に現れ、いつの間に掴んだというのか。認識した瞬間から伝わる剣の重さにたたらを踏み、膝から血溜まりに崩れ落ちた。

 『どうして城の奥深くに厳重に保管されているはずの宝玉兵装がここに……』

 この世界に十二個しか存在しないとされる宝玉兵装。その希少性故に、普段は皇帝一族のみが開くことができる宝物個に保管されているはずなのだ。脳の理解を超えた出来事が立て続けに起こり、発狂しそうだった。赤いルビーが柄に嵌め込まれた剣から血が滴り落ちていく。月光を浴びたルビーが放つ妖しい光。まるで生きているかのように脈打つ赤い光は不気味という以外他になかった。その時、

 カチャリ——

 鍵をかけた記憶のない扉から開錠の音が聞こえてきた。

 『そんな何で……』

 唯一できたことは、助けを求めるように扉に向かって手を伸ばすことだけ。開くはずのない扉を開けて、顔を出したのは見回りの衛兵二人。

 『失礼します。何やら物音がしたのですが、大丈夫でしょうか。ノックをしても返事がありませんでしたので、扉を開けさせていただいたのですが』

 若い衛兵の目がシャルを捉える。

 『殿下? 目が覚めてしまわれて皇后様のお部屋においでになったのですか? もうすぐ夜が明け』

 言葉が途切れる。一点に視線を固定したままガクガクと震えだした。

 『おい、一体どうした?』

 半歩後ろにいた、口髭をたくわえた衛兵がただならぬ様子の衛兵に声をかけ、そのまま部屋の中を見る。床に沈む皇后の姿を認めるや否や、首から下げていた笛を掴む。直後、鼓膜をつんざく緊急事態を告げる音が城内に響き渡った。硬直するシャルをよそに、城内は一気に騒がしくなる。

 『ちょっと待ってください』

 動き出そうとするシャルの動きを封じるように、二人の衛兵が腰から剣を抜き放つと彼女に向かって構えた。

 『殿下、ご無礼をお許しください。ですが、この状況を見過ごすわけにはいきません』

 集まってくる複数の足音、シャルを照らす月明かりは扉をくぐった時と変わらずそこにあった。記憶が進む。シャルは幽閉先で大臣である男に告げられた。

 『シャルロッテ・キャンベル殿下。皇后殺害の罪により、明後日明朝死刑を執行させていただきます』

 その言葉を最後に世界がぐにゃりと曲がり、渦を巻いて一点へ集中し始める。厳しい目つきで記憶を見ていた少年はそっと瞼を閉じた。


 「ハァ、ハァ……」

 過去の記憶から抜け出し、サラの家へと意識が戻ってきた少年は床に座り込むと荒い息を吐いた。記憶の共有の副作用か、頭が燃えるように熱い。シャルは大丈夫だろうか。彼女の方を向いた少年はその瞳から大粒の涙が次々と溢れ出しているのを見て、口の中に苦いものが広がるのを感じた。滴り落ちる雫がシーツをとめどなく濡らしていく。

 「ごめんなさい。家族の笑顔を見て、もうみんなに会えないんだと思ったら」

 「いいんだよ、泣いて。ずっと我慢してきたんだろ」

 人差し指でシャルの目元を拭うと、微笑んで見せた。

 「ありがとう、ナイン」

 「それで。ナイン、記憶の方はどうだった?」

 記憶を共有できていないサラはもちろん、やはり自分が母親を手にかけたのではないかという疑念が拭いきれないシャルも少年の顔を覗き込んだ。サラのために共有した記憶の要点を掻い摘んで説明した上で、少年は自分の考えを告げた。
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