上 下
9 / 182
1章 ダンジョンと少女

第9話 医術師サラ

しおりを挟む
 夕焼け空の端から濃紺の闇が侵食し始める。徐々に細くなっていく夕方の陽射に目を細めていると、少年が背を預けていた壁のすぐ横で、古ぼけた扉がゆっくりと開いた。家の扉の隙間から上半身だけ出し中に入るように手招きしたのは、彼よりも年上と思われる妙齢の女性。家の中に入ると、わずかに残った薬の匂いが鼻先をかすめた。

 「二人の様子はどうだ?」

 「少女の方は一時間ほど前に目を覚ましたけど、さっきまた横になったよ。擦り傷が体のあちこちにあるが、若いしすぐに良くなるだろう。だが」

 知り合いの医術師——サラは後ろで束ねていたオレンジ色の髪を無造作に解くと、眉間に皺を寄せた。扉の閉まった奥の部屋の方へ悲哀のこもった視線を向けながら。

 「少女をかばっていた近侍の方が目覚める保証はできない。出血量が多くてね。ナインがここに運んできた時点でショック状態だった。医療魔術を使って治療は行ったが、あとはあの人の生命力次第だね」

 「そうか……。ありがとう」

 二人の様子を手短に伝えたサラは壁際に設置されている薬草棚に近づく。保管されている薬草を取り出すと、手に持っていた容器に素早く入れていく。材料を入れた容器を床に置き、人差し指を地面につけ何やら描き始めた。彼女の指の軌跡を追うようにして青白い光が地面へと刻まれていく。やがて完成したのは医療魔術を発動させるための魔術陣。そこに両手を触れ、サラは体内に渦巻く”霊子”と呼ばれる魔術を発動させるための物質を魔術陣に流し込んだ。

 「混ざり合い、溶け合えテラ・センタミス

 呟きとともに青い光が二人の顔を照らし、光が収束した後の部屋には液体へと姿を変えた薬草を入れた容器があった。中の液体を指につけ、出来具合を確かめるサラ。満足そうに頷く彼女に少年は問いかけた。

 「もし俺が医療魔術を使えたら、あの近侍を確実に救えたかな?」

 「それは分からない。うまくいって部屋の中を元気に歩いていたかもしれないし、失敗してここに運び込むことさえ叶わなかったかもしれない。だろ? 大事なのは自分が持ちうる選択肢でどうするかだ。持ってもいない手札の可能性を考えたところで意味はないよ。それよりも」

 優しげな声音が真剣みを帯びた。ついさっきまで窓から差し込んでいた薄暮の眩しさは消え去り、真っ暗な部屋に蝋燭の明かりが揺れ始める。

 「指輪をしている少女。いや、皇女殿下がなぜこのカザラにいたんだ? 護衛はたった一人で、その上野盗に追われていたというじゃないか」

 「それは俺も知りたいところだよ。理由を知りたいから今の今まで待っていたんだ。今作ったの、皇女殿下のための薬だろ? 聞きに行くついでに、その薬も飲むように言ってくるからかしてくれ」

 「わかった。くれぐれも失礼のないように……って言うだけ無駄か。せめて、その」

 「わかってる。殺さないよ。パッと見た感じ俺より年下だ。あの子が三年前の件に関わっているとは思えない。ひとまず……こんなところに来た理由は知らないけど、結果としてこの国の皇女殿下を助けたんだ。きっと報奨金が出るだろうな。その証人をなかったことにするほどアホじゃない。これで攻略者稼業ともおさらばかもな」

 「…………」

 「なんだよ? 何か不満でもあるのか? 大丈夫だよ。報奨金は殿下と近侍を治療したサラさんにも出るだろうし、それに——」

 「そうじゃない。攻略者をやめても、ナインはいいのか? あいつらへの手がかりが絶たれるんじゃないのか?」

 厳しい口調で紡がれた言葉が少年の唇を歪ませる。正面切って相手の顔を見ることができなくなった少年は、明後日の方に顔を向けた。

 「どのみち今の俺じゃ、あいつらを殺した奴らにたどり着くための手がかりを得ることもできないのはわかっているだろ? あの日から三年間、一度しか起動できなかったんだ。だから……あの世に行ったら、あいつらに土下座するよ。俺じゃ力不足だったって」

 「毎日訓練も欠かしていないんだろ? それに、一度でも起動できれば可能性は……」

 「大事なのは過程じゃない。結果だ。一度だけ成功したのは、運命の女神様あたりが酒でも飲んで、幸運を与える相手を間違えでもしたんだろうよ。これでこの話は終わりだ。明かりは?」

 「……部屋の中に蝋燭を置いたままにしてある」

 「了解。皇女殿下を手にかけたりしないから、サラさんは自分の仕事に戻ってくれ」

 「……ああ、任せた。だけど、ナインの口から『あきらめる』って言葉が出なくて少しほっとしたよ」

 どこか寂しそうな、それでいてわずかに嬉しそうな余韻が少年の耳に残った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【書籍化】家に住み着いている妖精に愚痴ったら、国が滅びました【決定】

猿喰 森繁
ファンタジー
【書籍化決定しました!】 11月中旬刊行予定です。 これも多くの方が、お気に入り登録してくださったおかげです ありがとうございます。 【あらすじ】 精霊の加護なくして魔法は使えない。 私は、生まれながらにして、加護を受けることが出来なかった。 加護なしは、周りに不幸をもたらすと言われ、家族だけでなく、使用人たちからも虐げられていた。 王子からも婚約を破棄されてしまい、これからどうしたらいいのか、友人の屋敷妖精に愚痴ったら、隣の国に知り合いがいるということで、私は夜逃げをすることにした。 まさか、屋敷妖精の一声で、精霊の信頼がなくなり、国が滅ぶことになるとは、思いもしなかった。

転生幼児は夢いっぱい

meimei
ファンタジー
日本に生まれてかれこれ27年大学も出て希望の職業にもつき順風満帆なはずだった男は、 ある日親友だと思っていた男に手柄を横取りされ左遷されてしまう。左遷された所はとても忙しい部署で。ほぼ不眠不休…の生活の末、気がつくとどうやら亡くなったらしい?? らしいというのも……前世を思い出したのは 転生して5年経ってから。そう…5歳の誕生日の日にだった。 これは秘匿された出自を知らないまま、 チートしつつ異世界を楽しむ男の話である! ☆これは作者の妄想によるフィクションであり、登場するもの全てが架空の産物です。 誤字脱字には優しく軽く流していただけると嬉しいです。 ☆ファンタジーカップありがとうございました!!(*^^*) 今後ともよろしくお願い致します🍀

異世界でぺったんこさん!〜無限収納5段階活用で無双する〜

KeyBow
ファンタジー
 間もなく50歳になる銀行マンのおっさんは、高校生達の異世界召喚に巻き込まれた。  何故か若返り、他の召喚者と同じ高校生位の年齢になっていた。  召喚したのは、魔王を討ち滅ぼす為だと伝えられる。自分で2つのスキルを選ぶ事が出来ると言われ、おっさんが選んだのは無限収納と飛翔!  しかし召喚した者達はスキルを制御する為の装飾品と偽り、隷属の首輪を装着しようとしていた・・・  いち早くその嘘に気が付いたおっさんが1人の少女を連れて逃亡を図る。  その後おっさんは無限収納の5段階活用で無双する!・・・はずだ。  上空に飛び、そこから大きな岩を落として押しつぶす。やがて救った少女は口癖のように言う。  またぺったんこですか?・・・

めんどくさがり屋の異世界転生〜自由に生きる〜

ゆずゆ
ファンタジー
※ 話の前半を間違えて消してしまいました 誠に申し訳ございません。 —————————————————   前世100歳にして幸せに生涯を遂げた女性がいた。 名前は山梨 花。 他人に話したことはなかったが、もし亡くなったら剣と魔法の世界に転生したいなと夢見ていた。もちろん前世の記憶持ちのままで。 動くがめんどくさい時は、魔法で移動したいなとか、 転移魔法とか使えたらもっと寝れるのに、 休みの前の日に時間止めたいなと考えていた。 それは物心ついた時から生涯を終えるまで。 このお話はめんどくさがり屋で夢見がちな女性が夢の異世界転生をして生きていくお話。 ————————————————— 最後まで読んでくださりありがとうございました!!  

『伯爵令嬢 爆死する』

三木谷夜宵
ファンタジー
王立学園の中庭で、ひとりの伯爵令嬢が死んだ。彼女は婚約者である侯爵令息から婚約解消を求められた。しかし、令嬢はそれに反発した。そんな彼女を、令息は魔術で爆死させてしまったのである。 その後、大陸一のゴシップ誌が伯爵令嬢が日頃から受けていた仕打ちを暴露するのであった。 カクヨムでも公開しています。

クラス転移から逃げ出したイジメられっ子、女神に頼まれ渋々異世界転移するが職業[逃亡者]が無能だと処刑される

こたろう文庫
ファンタジー
日頃からいじめにあっていた影宮 灰人は授業中に突如現れた転移陣によってクラスごと転移されそうになるが、咄嗟の機転により転移を一人だけ回避することに成功する。しかし女神の説得?により結局異世界転移するが、転移先の国王から職業[逃亡者]が無能という理由にて処刑されることになる 初執筆作品になりますので日本語などおかしい部分があるかと思いますが、温かい目で読んで頂き、少しでも面白いと思って頂ければ幸いです。 なろう・カクヨム・アルファポリスにて公開しています こちらの作品も宜しければお願いします [イラついた俺は強奪スキルで神からスキルを奪うことにしました。神の力で学園最強に・・・]

異世界で買った奴隷が強すぎるので説明求む!

夜間救急事務受付
ファンタジー
仕事中、気がつくと知らない世界にいた 佐藤 惣一郎(サトウ ソウイチロウ) 安く買った、視力の悪い奴隷の少女に、瓶の底の様な分厚いメガネを与えると めちゃめちゃ強かった! 気軽に読めるので、暇つぶしに是非! 涙あり、笑いあり シリアスなおとぼけ冒険譚! 異世界ラブ冒険ファンタジー!

婚約破棄されまして(笑)

竹本 芳生
恋愛
1・2・3巻店頭に無くても書店取り寄せ可能です! (∩´∀`∩) コミカライズ1巻も買って下さると嬉しいです! (∩´∀`∩) イラストレーターさん、漫画家さん、担当さん、ありがとうございます! ご令嬢が婚約破棄される話。 そして破棄されてからの話。 ふんわり設定で見切り発車!書き始めて数行でキャラが勝手に動き出して止まらない。作者と言う名の字書きが書く、どこに向かってるんだ?とキャラに問えば愛の物語と言われ恋愛カテゴリーに居続ける。そんなお話。 飯テロとカワイコちゃん達だらけでたまに恋愛モードが降ってくる。 そんなワチャワチャしたお話し。な筈!

処理中です...