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オッサンがスーパー銭湯で囲碁打ってるだけ

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 やっと手に入れた休暇。

 日々の忙しさに身を任せていつの間にか歳を重ねていた尾野は、新しい段階へ進もうと決意していた。
 今日、この日をもってアラフォーへと突入する。どうせなら、何か新しい趣味を持ちたい。

(オッサン趣味といったらやっぱりこれだな。うん、偏見なのはわかっている)

 尾野は人生で初めて、スーパー銭湯へとやって来たのだ。
 
 想像していたのは、中年男性たちのむさ苦しい体臭と硫黄のにおいが混じって漂う、年季の入った薄暗い建物だった。
 実際には、己の見識が相当な時代遅れなのだと、知ることとなった。

 パステル調の色合いの壁、優しい橙の間接照明がお洒落な脱衣所。
 広い浴場ではもったいぶらずに絶えず湯が湧き出ていて、全身の疲れをたっぷりと溶かすことができた。

 地下から汲み上げた加水なしの温泉、人工高濃度炭酸泉、壺湯に足湯に寝湯。
 新導入のジェット噴射水流温泉で体のコリをほぐす。全種類の湯を転々と、まるで遊園地のアトラクションのように楽しんだ。

 一万冊以上の書籍が置かれたコミックルームでは床から雑貨まで徹底した北欧風デザインで、リラックスできるアロマが焚かれている。

 尾野は自然に零れる笑顔で、用意されていたビーズクッションにもたれかかりながら、この場所で永住したいくらいだと幸せの伸びをした。

 この大規模なスーパー銭湯は飲食業界トップクラスの某会社が経営しているらしく、食事処や甘味処は直経営だった。
 新作アイスクリームの色鮮やかなポップに目を惹かれ、誘惑に負けて購入してしまった。アイスは高価なわりに小さいが、オッサンの縮んだ胃袋にはちょうど良いサイズ。味は文句なし。
 
 一通りの風呂とサービスを満喫した後は、二階の最奥部にある、和を基調とした部屋に行き着いた。

 そこではリラクゼーションルームにいたようなキラキラした若者達は一人もおらず、自分が仲間入りしたと勝手に身近に感じている“中年親父“から、今にもご逝去されそうな翁までで構成されていた。

(ここは何の部屋だ……?)

 チョイスが相当に古めの本棚、新聞を突っ込んだマガジンラック、そのさらに奥には将棋盤やオセロ、花札が無造作に置かれている。
 使い古された物も多い中、購入したばかりなのか一際光沢を放つ綺麗な物があった。

 脚つきの碁盤ごばんである。

 見入っていたら、部屋に住み着いているかのような老人達が尾野をからかう。

「にいちゃん、囲碁いごに興味あるのか?」
「こっちで麻雀でもどうよ」
「人数足りてないんでよー」

「あ、僕はいいかな~って」

 尾野は曖昧に笑い、それを断った。
 
 しばらく碁盤を見つめてから、何となく気乗りしてきたので、碁笥ごけの中の黒石を一つ摘む。
 大げさに腕を上げ、碁盤の中心部、天元てんげんに向かってそれを振り下ろした。

「囲碁神の一手——なんちゃって」

 碁石を打つ心地よい音が二つ、部屋に鳴り響いた。

 左へ視線をずらすと、自分の隣に他の碁盤の中央部へ石を打った人間がいた。
 偶然にも同じ思考で行動したであろうその人物と、しばし気まずそうに目線を交差する。

「あー……」
「……」

「そちらも“囲碁神様の一手“だった?」
「……ですね」

 著名な漫画に出てくるキャラクター『囲碁神』が放つ一手を真似して喜びに浸ろうとした男二人は、身なりを整えて互いに向き合った。

「ええと、……どうかな、ついでに一緒に囲碁でもやる?」

 尾野がへらっと愛想笑いをして誘うも、一回り体格が大きいその男は目を見開いて口を結んでいる。
 尾野は相手を観察した。

 風呂上がりなのに流れるように髪が整えられ、汗一つかいていない。
 髪や瞳の色が薄く、鼻筋が通り、日本人離れした顔立ち。
 その立ち居振る舞いから、身にまとうスーパー銭湯独自のシンプルな館内着が、ブランド服にも見えてしまう。

(お……お、ハーフのモデルさんか何かか? 
 僕も同じ館内着を着ているってのに、こんなに違うもんか……。
 この和風柄の館内着ってのは、普通身長で黒髪黒目の僕みたいなのが、一番それっぽく着れるようにできてんのね。
 まあでも、見たところ同年代。オッサン仲間だ)

 尾野が遠慮なく相手を見つめていると、部屋の壁に沿って構えていた柄の悪い男達がにじり寄ってくる。
 この男の取り巻きらしき猛者達だ。

 ただならぬ気配に、尾野は眉毛をハの字にする。

「……ああ、いい、いい。こちらへ来なくていい。君達、しばらく違う場所へ行っていなさい。
 絶対に割り込んでこないように」

 男はかなりの低音で念を押し、手を振り払うと、取り巻き達は静かに散っていく。
 口をぽかんと開けて目を丸くした尾野へ、男は穏やかな声色で返答をした。

「正直に言うと、お言葉に甘えて一局お願いしたいです。……が、何分、私は初心者でして」
「あ、僕も僕も。むしろ一局?すらもやったことがない。気にしないで。ほら、そこに座って」

 そんなレベルで何故対局を申し込んだのか、と聞き耳を立てていた周りの銭湯客が呆れる。
 尾野は早速、数個の黒石と白石を指先でいじり出した。

「まず振り駒ふりごまするんだよね」
「振り駒は将棋かと。囲碁は、確か、握った石の数をもう片方が言い当てて、上手く当てれたら先に打ち始める権利が……?」
「そうそう。それそれ! よく知ってるじゃん」

「はは、ではよろしくお願いします。
 私は水橋みずはしと申します」
「うん。僕、尾野ね」

 上手く石数を言い当てたことにより、水橋が黒石を持ち、先手となった。

 対局の始まりだ。

 水橋はしばらく長考した後、右上スミ小目こもくへ一手目を投じる。尾野は感心した。確かに囲碁漫画で読んだ初手しょてはそこだった。

 だが手順で覚えているのはそこまでで、後はストーリーの面白さや絵柄の美しさばかり思い起こす。
 ここから先は自分で考えるしかない。お互いに囲碁の知識は、宣言通り、少ししかない。
 
 囲碁とは、黒石と白石による陣地取りゲームである。
 自分の持ち石で歪んだ輪を描くように陣を作り、相手よりも一つでも自陣が多かったら勝ちとなる。
 しかし、陣地を作っていく中で当然ながら相手に妨害されるし、こちらも相手の石の流れを止めなければならない。

 概念的にはわかっていても、盤面が広すぎてどうすればいいのか分からなくなってしまう。

「これ……」
「ん?」
「この白石、とっていいですよね」

 気付くと尾野の打ってあった白石が二つ、水橋の黒石に閉じ込められていた。
 もう出口がない。
 自分の石が完全に相手の色で囲われてしまった場合、中に取り残されたままの石は相手に持っていかれてしまう。

「あ、これはとられるやつだー。しまった、もうちょっと狭い範囲で見ていたわ」
「私もさっき、ここに置けば取り囲み完了だと気付きました。実は偶然なんですけどね」

 嬉しそうな水橋が強面の顔を緩める。尾野は少しいじけた。

「かと言ってほら、ここ、次の僕の手で取れちゃうよ~」
「! そこはまだとられないって思っていたのに」
「一ターン分違うだけで、とられちゃうね」

 オッサン同士は笑いながら、へっぽこな囲碁を打ち合った。

 たまに他の銭湯客が横を通って碁盤を覗くが、あまりにも未熟な打ち合いに見ていられず去ってしまう。マイペースな二人はどこ吹く風といった感じだった。

 黒石が白石をとって、白石が黒石をとって。初めこそ気をつけて盤面を広く注視していたのに、集中が少し切れてくると、あっさりと四つの最小の石で一つの石が囲われて持っていかれてしまう。
 自分の陣地を形成する暇もなく、尾野も水橋もミスの連続だった。

「うーん、ここからどうすればいいんですかね」
「なんだか陣地を作るって言うより、石取りゲーム一本になってきたなあ」
「それはそれで楽しいですけどね」
「だなあ」

 ゲームとしては、早くも行き詰まってきた感じはある。
 しかし、純粋に同年代の相手と石遊びをしているだけでも楽しい。
 

 
「あちらのかたから、さしいれです」

 
 突如、割り込んできた声は幼きものだった。

 二人が見下ろすと、無垢な笑顔をした幼児が古書をこちらへ差し出している。
 差し入れらしいその本は、『囲碁の基礎』と堂々と書かれていた。

 周りを見渡すと、尾野達を遠巻きに観察して楽しんでいた老人客達が微妙に笑う。
 おそらく、尾野達の様子を見かねたご老人が、囲碁の基本となる参考書を子どもを使って渡してくれたのだろう。

「ああ、どーも、ありがと。お利口さんだね」

 ヘラりと笑いながら受け取ると幼児は尾野の笑顔のどこかにウケたのか、声を出して笑った。
 そういえば、先ほどから尾野が長考をする度にこの幼児が手を叩いて笑っていた。

(考えている僕の顔ってそんなに面白いのかな。……いやチビにとってはオッサンがゲームで苦悩してるなんて、面白いに決まってる。僕でも笑う)

 いつからか、年齢層が高いこの部屋に入ってきていた幼児は、きっと周りにいる爺の孫なのだろう。

「さて」と声を出し、尾野と水橋が仲良く顔を並べて参考書の数ページを読み出した。

 難しい専門用語を使わず、図解で打ち方の基本を解くこの古書は、全ての碁打ちの登竜門なのだ。

 しばらくオッサン二人は、眉間に皺を寄せたり頬を掻いたりしながら、書の第一章部分を読み耽った。

「んー、要は相手より一手でも先に形を作っちゃえばいいんじゃない?」
「確かに。そうなると、手の読み合いですね」
「僕はね、せいぜい頑張っても三手さんてしか読めないんだよ」
「はは! 堂々と言ってますね。私は……五手ごてほどいける気がします」
「五手読めるなんてプロじゃん」

 黒石を白石が囲んでいるからここは白石の陣地…と思いきや、一旦冷静に視野を広げると更に黒石の方が囲み始めている。
 どうやって盤の上の石を見ればいいのか、白黒、白黒、混乱する。

 それも着目点は一箇所だけではない。
 広い盤上あちこちでそういった戦いが起こっているのだ。
 右上の争いばかりに手を使っていては、左下がいつの間にか取られているし、かといって左下へ手を回すと右上の戦いに一歩出遅れる。

 脳がついていかない。
 それは尾野だけではない。
 
「……ちょっと糖分を補給しましょうか。ここで待っていて下さいね」
「へ? 了解」

 まだ糖分を補うほど脳のカロリーを使っていないだろうと、周りで聞き耳を立てている碁の有識者達は思ったが、言葉にする勇気はない。

 席を外し、すぐに戻ってきた水橋は、このスーパー銭湯名物のブルーベリーヨーグルトフラッペを両手に持っていた。

「まー、おごり? ありがと。美味しそう」
「はは、まだ何も言ってないですよ」
「えーじゃあいくら?」
「実はクーポンを持っていたので、ゼロ円です。はい」
「おごりじゃん!」

 けたけたと尾野が笑いながらフラッペを受け取ると、その冷たさが掌の熱を瞬時にとった。
 碁石を深く握っていた手は、思いの外、熱くなっていたようだ。

 一口飲むと甘味が口内を癒したが、その後すぐにブルーベリーの酸味が引き締めてくれる。

「はー、碁盤を挟んでお洒落なフラッペ飲めるなんて、何だかオツなものよ。この光景がたまんねえ」
「いいでしょう?」
「とってもいいねぇ~」

 純粋に満面の笑みを見せてくれる尾野に、水橋は満足そうだ。
 これまたフラッペのPRモデルとでも言わんばかりに、優雅に飲んでいる。
 ストローにつける口元も無駄に男の色気がある。

「なんか……モデルなの?」
「ええ? いやいや、まさか。普通の会社勤めですよ。そういう尾野さんは何をされてる方なんですか?」
「僕こそ、そこら辺の勤め人だよ。水橋さんはオーラが違うね。集団の中で立っていても一番に目を惹きそう」
「よく言われます」
「自信満々だ。でも、こうやって、よく分からない囲碁をカッコ悪くも楽しく打ってるところが、一番カッコイイよね」

 水橋は急に無言になった。

 尾野は遠慮なくフラッペをズルズルと飲む。

「うまいよ、これ」


 
 賑やかに飲んでいるその雰囲気は、周りにも感化する。
 椅子に深く腰掛けて新聞を広げていた老人も、畳の上で将棋を指していた中年達も、どこか喉が渇いてきた気がした。

「俺もちょっとカフェコーナーで何か仕入れてくるわ」
 一人がたまらず宣言すると、他も釣られて口々に言う。

「確かスーパー銭湯特集の雑誌についてたクーポンで、コーヒー割引があったな」
「この部屋、飲食OKなんだ。じゃあ飲みながら続きやろうかね」
「酒~酒はないか!」
「ビールはそこの自販機でも買えるぞ。花札もあるならやらないか?」
「この銭湯、以前は自販機でタコ焼きや焼きそばが買えたんだけどよー」
 
 遊戯室が、途端に賑やかになってきた。
 
 
 
   


 
 閑話。

 ある熟練囲碁打ちの独り言。

 
 囲碁を学ぼうかと迷っている人を、継続的なプレイヤーとして定着させることは実に難しい。

 将棋だと、対戦相手の王将の駒をとってしまえばそれで終わりだ。勝敗は割とわかりやすい。

 しかし、囲碁は一目でわかる勝ちを得られないため、初心者には「これどっちが勝っているの?」と聞かれることが非常に多い。
 大体が基本ルールを教えたところで終局まで持って行くことができない。

 何をやっているか掴めないから途中で飽きる。気張って終局を迎えても、初心者には達成感が得られにくいからだ。
 

 俺が幼い頃、——一体何を思ったのだろうか未だに理解はできないが——唐突に父が三国志の本を全巻プレゼントしてくれた。
 
 読めば読むほど深みがある義賊の戦いに興奮し、三国志の関連書籍やテレビ番組を漁った。
 それでも足りなくなって、三つ上の姉の人形を借りて関節を大きく振り動かして趙宋の戦いを再現したり、動物のフィギュアを使って馬兵を並べてみもした。

 劉備が指揮した布陣を何かで再現したくなった時は、物置に放置されたままの囲碁の黒石と白石で官軍と属軍の一進一退の布陣を作った。シンプルな碁石だから、幼き手には使いやすかった。

 何度も何度も夢中になって、碁石で三国志の“ごっご遊び“をしたものだ。

 その内、囲碁の盤上で繰り広げられる陣地取り合戦とは、つまり、三国志なのだと気づくこととなった。
 
 こうして、囲碁の道を深く突き進むこととなったのである。

 
 余談だが、姉に三国志全巻を読むべきだと薦めたら、半年後に「桃園の誓い、よかったよ!」と一言だけ感想をもらった。
 
 陣地合戦である囲碁は他人の対戦を見るのも楽しい。
 その人の行軍は性格そのものが出る。
 囲碁の対局のために毎週通う日本棋院で観戦するのも楽しいが、老若男女、初心者有識者、さまざまなバックグラウンドを持つ人々の対局も味わいたい。

 まさか今、目の前で、出会ったばかりの中年親父二人の対局が拝めるとは思わなかった。
 すこぶる初心者でもいい。むしろそこがいい。楽しい気持ちで満たされ、思わず笑みが溢れてしまう。手も叩いてみた。
 
 ああ、こう言うのが観たかった。
 ここに通っている甲斐があった。
 もっとせて欲しい。
 
 

   ————認定棋力アマ五段
       幼稚園年中 四歳
        壁谷 創


  
 閑話休題。




 
 
 
 飲み干し終わったフラッペの底で、水滴が光る。

 地道に打った碁もほぼ終局。陣を作るという最終目的は何処へ、盤面はほとんど白と黒の石が置かれてしまっている。

 尾野と水橋の現在の感覚では、とった石の数の多い方が勝ちとなっている。
 裏返した碁笥の蓋を受け皿にして置かれた石は、わずかに水橋の方が多そうだ。
 
「なるほど……そういうことか」

 尾野は唐突に、囲碁というものを少し理解できた気になった。
 相手が打ちたいと思う場所へ、先に打ってしまえばいいのだ。
 水橋へ告げると彼も首肯した。

「尾野さん、そういうことですね」
「まあ言うのは簡単で、実際やるのはもっと経験を積まないといけないだろうけど、今はこれで充分かね、今はね!」
「はい……ふふ」

 水橋がまた一つとった白石を置くと、他の白石に当たってカランと心地よい音を立てた。

「これで……終わりですかね」
「多分。もう打てる箇所ないよね」
「本によれば、この後“整地せいち”なるものをして、相手の陣の数を数えて報告しあうらしいですけど……“整地“も何もしていない今の段階で、もうわかります……ね」
「だって全部埋まってるもんね。数える場所ないね」

 なので、二人ともちまちまと、自分がとった石(アゲハマと言うらしい)の数を数え始めた。
 尾野の方はすぐ終わってしまったので顔を上げる。
 水橋のような大男が小さくなって、どこかぎこちなく石を数えている姿が妙に面白かった。

「水橋さんの方が七個多いから勝ち!
 ああ、やられちゃったよ。視野が広いね」
「ありがとうございます。私も何度か状態がわからずに取られてしまってますから、似たようなものですよ」
「いやー、深いとこは掴めないけれど、これはこれで楽しかった。
 これにて、終局~」
 
 何故かまだ飽きずに横から見ていた幼児が、また手を叩いて笑っていた。





 
「脳の今まで使ってない部分が……なんか軋んでいる気がする」
「明日以降、脳の筋肉痛になっていそうですね」
「違いない」

 尾野も水橋もどこか上機嫌だ。
 石と盤を丁寧に片付けて部屋を出た二人は、今はリラクゼーションルームに併設してあるマッサージコーナーで体を預けている。15分300円での機械による全身マッサージだ。
 
 時間が来たのか、水橋は静かに立ち上がった。

「もう行くのかい」
「はい。楽しかったですよ」

 手を優雅に振ると、どこかへ潜んでいた取り巻きの男達が寄ってきて水橋を囲んだ。
 水橋はリラックスしている尾野を見つめて口元だけで笑むと、優しく囁いた。

「また……会えますからね」

 断定した言い方だ。

 尾野は「今度会う時はもっと強くなっておく」と、この台詞だけ聞くと熱い囲碁打ちのように告げた。
 
 遠からず会えるだろう。
 尾野はここが気に入った。しばらく通うことになるだろうから。

 それに、この水橋という男は、“気軽に自分の店へ来ちゃう“系の社長なのだと分かったから。
 




 
「さて、と」

 水橋が作ったスーパー銭湯を後にした尾野は、鞄の奥に詰め込んであったシールを取り出す。シールは精巧な和彫りの鬼神に見える。
 それを適当に腕へ貼った。

 幹部連中に「箔がつくから」としつこく薦められた入れ墨を、体に刻んでいなくて本当に良かった。
 入れていたら、公衆浴場には入れないのだ。

 幹部の一部には「墨も入れないしボディガードも付けないなんて、組織のトップとして威厳がない」と泣きつかれもしたが、知ったことではない。

 この綺麗な体で、またたっぷりの湯に浸かりに来よう。
 
 スーパー銭湯。そして友と打つ囲碁。

 オッサンとしてのステップアップ。

 新しい趣味の始まりに、尾野は満足そうに微笑んだ。
 
 




               
                    おしまい。
                
               
               


--------------------------------------------------------------------------------------

おまけ。




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みんなの感想(1件)

おきえ
2022.09.02 おきえ

こんな話すごく好きです!
最近のスーパー銭湯は永住したくなりますよね…!そこにおっさんと囲碁をかけるって最高です(語彙力)
其々が思いがけなさすぎて、あと背景の爺も生き生きしてて、でものほほんとしてて最高です(語彙力…)
ありがとうございました!

素笛ゆたか
2022.09.02 素笛ゆたか

こちらこそ、読了&ご感想をありがとうございます!オッサン、スーパー銭湯、囲碁、と好きなものを好きに詰め込みました。最近のスーパー銭湯はあらゆるサービスを提供してくれるし楽園ですよね〜!心から永住したいです。

解除

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