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†忘却†
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★☆★☆★
「…おい、懐音」
「何だ、腐れ死神」
…ここは、言わずと知れた懐音のデュランダル邸。
その邸宅の持ち主である懐音が、その自らの部屋で訊ね返していた相手は、こちらも言うまでもない死神の長・柩だった。
その当の柩は、懐音の部屋で、自らの小脇に抱えていた、洗い上がったばかりの複数のグレーのカーテンを、ずい、と懐音の目の前に突き出していた。
これにはさすがに懐音が不機嫌になる。
「何の真似だ、柩」
「何の真似だも何もない」
柩はこの時とばかりに、すっかり目を据わらせて懐音に諭すように言い聞かせた。
「…朱音に洗濯物を押し付けられてから、俺はよくよく考えてみたんだが…
いいか懐音。そもそも、このカーテンは誰の家のものだ?」
「何を今更…
俺の家のものに決まっているだろう」
懐音が意外にすんなり答える。
それに、柩は追随の手を緩めずに、倫理的に先を続けた。
「じゃあ、何で俺が洗わなければならない?」
「お前があいつに押し付けられたからに決まっているだろう?」
懐音は間髪入れずに答えた。
それに些かながら毒気を抜かれた柩が、すぐには次の手を打てずに言葉に詰まる。
すると懐音は、またしても一言余計につけ加えた。
「まあ…それ以前に、お前があいつを甘やかしたのが原因だがな」
「…あのな懐音、だからあれは甘やかしたとは──」
溜め息混じりに言いかけた柩は、そこで諦めて押し黙った。
こちらがどう諭そうと、相手はどう転んでも、この性格の懐音だ。
よほど気でも向かない限りは、到底、自分でやろうとするはずもない。
しかも挙げ句の果て、
「用件はそれだけか? …なら、さっさと干して来い。
分かっているだろうが、陽が落ちれば、それだけ乾きにくくなるからな」
「……」
この言い種だ。
柩はもはや懐音に言い聞かせること自体を放棄し、そのまま洗濯物を抱えて、部屋から外へ出ようとする。
が、そんな彼を、懐音が不意に、名を呟くことで呼び止めた。
「──柩」
「…? 何だ、懐音」
柩は振り向きざま、訝しげに問い返す。
すると懐音の瞳に、いつになく昏い、渇いた光が宿った。
「向こうの世界の動向はどうだ?」
「…、あくまで今の段階では…だが、お前が気にするようなことじゃない。
これでは答えにならないか?」
「ふん…エセとはいえ、お前も死神だ。
時には食えない反応をするからな」
言いながら、懐音はそれまで座っていた椅子から立ち上がった。
それに、柩はささやかな期待を仄めかす。
「…何だ懐音、手伝う気になったか?」
「馬鹿を言うな。それはお前の仕事だ」
そもそもが自分の家のカーテンであることを、完全に棚に上げた発言をする懐音に、柩が閉口する。
そんな柩を一瞥すると、懐音はその脇をすり抜け、扉の前まで自らの足を進めようとした。
…が、その足が不意に、ぴたりと止まる。
それに柩は、今だ洗濯物を抱えたまま、怪訝そうな瞳を向けた。
「どうした? 懐音」
「……」
懐音は無言のままだが、その双眸は、それまでとは打って変わって、鋭さと殺気に満ちている。
「おい、懐音──」
その懐音の異変の意味が分からず、柩がたまりかねて問いかけると、
「…何の用だ、サガ」
それを遮るかのように、懐音はなお、低い声を落とした。
それに柩はぎょっとする。
「!さ、サガ様っ…!?」
驚愕のあまり、足元に落とした洗濯物にはまるで構うこともなく、柩が反射にも近い速度で、慌てて扉の方に目を向ける。
するとその扉は、およそ形として存在する者が開けたとは思えない程に、音も、苦もなく開かれた。
「…実の兄に会いに来るのに、何か理由が必要なのか? 兄上」
冷笑と共に落とされたその言葉の冷徹さは、もはや人としてのそれでは無かった。
前回の氷皇の一件より、何の打診もなく、唐突に目の前に現れたサガ──
自らの“弟”に、懐音はその灰の瞳に、深い憤怒の感情を陰らせる。
「…白々しいことを…
貴様、あれだけのことをしておきながら、よくもぬけぬけと俺の前に顔を出せたものだな」
「玩具は譲ってやっただろう…
あれで不服だとは、やはり兄上はどこまでも貪欲なようだ…」
こつり、こつりと、わざと音を立てて、サガが室内に足を踏み入れる。
そして後ろ手に扉を閉めると、柩が居ることなど、まるで意にも介さないかのように、話を続けた。
「…さすがに半分は人間の血を引いているだけのことはある。
“懐音”…それが人間界での貴方の名前…」
「……」
懐音は厳しい表情のまま、サガを監視紛いに見つめる。
その視線にどこか心地良ささえ感じながら、サガは再び、静かに口を開いた。
「名前を漢字とかいう、人間界特有のものに宛てたのは、つまらない人間共への拘りの証なのか?
兄上… いや、冥王の第一子・“カイネ=デュランダル”」
「その言い方はやめろ…!」
低く懐音の口から洩れたのは、計り知れない憎悪と怒りを伴った、否定の言葉。
それにサガは嘲笑した。
「どれほど貴方が否定しようとも、それが事実だろう? 兄上…
貴方の母親は紛れもない人間。だがその父親は、冥界という名の、暗黒の死の世界を統べる王──
その真実を隣家の者共に語り聞かせたら、果たして一体、あの小娘と氷皇は…どんな反応を示すものかな?」
「!サガ──貴様っ!!」
怒りに満ちた懐音の鋭い言葉が飛ぶと同時、サガの左横の位置にあった壁が、突然、物凄い音を立てて、一瞬のうちに大破した。
その哀れにも粉々になり、崩れ落ちた壁の一部に対し、似つかわしくない程に冷めた瞳を向けるサガに、それまでの成り行きを見ていた柩が、次いで声を張り上げる。
「サガ様! その事実は、冥界の中でも禁忌中の禁忌、いわゆるトップシークレットなはず──!」
「黙れ柩。貴様がそれを言える立場か。
…そもそも何故、貴様は兄上の元になど入り浸っている。貴様は死神の長の地位にあるのではなかったか?
長がおらずに事が進むほど、冥界は落ち着いた世界ではないはずだが」
「!…っ、め、面目ありません…!」
びしびしと正攻法で手厳しくやられながらも、柩はそれでも怒りのあまり、サガに聞こえぬ程に、僅かにその奥歯を軋ませた。
確かにこの状態では、サガに職務怠慢と取られても仕方のないことだ。
その原因のほとんどが、今回は懐音と朱音にあるのだとしても、端からみればそれは確かに、成る程サガの言う通りであると言えるだろう。
柩は足元に落ちた大量の洗濯物を、恨めしそうに見つめた。
すると、まだ張り詰めた空気の余韻を残した懐音が、珍しく、それを無造作にではあるが拾い上げた。
それを手にした懐音は、真正面からサガを睨み据える。
そこには並々ならぬ硬質な怒りが窺われた。
「帰れ、サガ。お前が何を企んでいるかは知らないが、俺はそれにいちいち付き合えるほど暇じゃない。
それから柩は、こう見えても仕事はしている。
…俺を監視するという仕事をな」
「!懐音…」
それを聞いた柩の目が、何故か大きく見開かれた。
「…知って…いたのか? お前…」
「当然だ。…サガの言った通りで癪だが、元来、死神の長というのは、そう暇なもんじゃない。
ましてや朱音にこき使われている暇など、あるはずがないからな」
「…おい、懐音」
「何だ、腐れ死神」
…ここは、言わずと知れた懐音のデュランダル邸。
その邸宅の持ち主である懐音が、その自らの部屋で訊ね返していた相手は、こちらも言うまでもない死神の長・柩だった。
その当の柩は、懐音の部屋で、自らの小脇に抱えていた、洗い上がったばかりの複数のグレーのカーテンを、ずい、と懐音の目の前に突き出していた。
これにはさすがに懐音が不機嫌になる。
「何の真似だ、柩」
「何の真似だも何もない」
柩はこの時とばかりに、すっかり目を据わらせて懐音に諭すように言い聞かせた。
「…朱音に洗濯物を押し付けられてから、俺はよくよく考えてみたんだが…
いいか懐音。そもそも、このカーテンは誰の家のものだ?」
「何を今更…
俺の家のものに決まっているだろう」
懐音が意外にすんなり答える。
それに、柩は追随の手を緩めずに、倫理的に先を続けた。
「じゃあ、何で俺が洗わなければならない?」
「お前があいつに押し付けられたからに決まっているだろう?」
懐音は間髪入れずに答えた。
それに些かながら毒気を抜かれた柩が、すぐには次の手を打てずに言葉に詰まる。
すると懐音は、またしても一言余計につけ加えた。
「まあ…それ以前に、お前があいつを甘やかしたのが原因だがな」
「…あのな懐音、だからあれは甘やかしたとは──」
溜め息混じりに言いかけた柩は、そこで諦めて押し黙った。
こちらがどう諭そうと、相手はどう転んでも、この性格の懐音だ。
よほど気でも向かない限りは、到底、自分でやろうとするはずもない。
しかも挙げ句の果て、
「用件はそれだけか? …なら、さっさと干して来い。
分かっているだろうが、陽が落ちれば、それだけ乾きにくくなるからな」
「……」
この言い種だ。
柩はもはや懐音に言い聞かせること自体を放棄し、そのまま洗濯物を抱えて、部屋から外へ出ようとする。
が、そんな彼を、懐音が不意に、名を呟くことで呼び止めた。
「──柩」
「…? 何だ、懐音」
柩は振り向きざま、訝しげに問い返す。
すると懐音の瞳に、いつになく昏い、渇いた光が宿った。
「向こうの世界の動向はどうだ?」
「…、あくまで今の段階では…だが、お前が気にするようなことじゃない。
これでは答えにならないか?」
「ふん…エセとはいえ、お前も死神だ。
時には食えない反応をするからな」
言いながら、懐音はそれまで座っていた椅子から立ち上がった。
それに、柩はささやかな期待を仄めかす。
「…何だ懐音、手伝う気になったか?」
「馬鹿を言うな。それはお前の仕事だ」
そもそもが自分の家のカーテンであることを、完全に棚に上げた発言をする懐音に、柩が閉口する。
そんな柩を一瞥すると、懐音はその脇をすり抜け、扉の前まで自らの足を進めようとした。
…が、その足が不意に、ぴたりと止まる。
それに柩は、今だ洗濯物を抱えたまま、怪訝そうな瞳を向けた。
「どうした? 懐音」
「……」
懐音は無言のままだが、その双眸は、それまでとは打って変わって、鋭さと殺気に満ちている。
「おい、懐音──」
その懐音の異変の意味が分からず、柩がたまりかねて問いかけると、
「…何の用だ、サガ」
それを遮るかのように、懐音はなお、低い声を落とした。
それに柩はぎょっとする。
「!さ、サガ様っ…!?」
驚愕のあまり、足元に落とした洗濯物にはまるで構うこともなく、柩が反射にも近い速度で、慌てて扉の方に目を向ける。
するとその扉は、およそ形として存在する者が開けたとは思えない程に、音も、苦もなく開かれた。
「…実の兄に会いに来るのに、何か理由が必要なのか? 兄上」
冷笑と共に落とされたその言葉の冷徹さは、もはや人としてのそれでは無かった。
前回の氷皇の一件より、何の打診もなく、唐突に目の前に現れたサガ──
自らの“弟”に、懐音はその灰の瞳に、深い憤怒の感情を陰らせる。
「…白々しいことを…
貴様、あれだけのことをしておきながら、よくもぬけぬけと俺の前に顔を出せたものだな」
「玩具は譲ってやっただろう…
あれで不服だとは、やはり兄上はどこまでも貪欲なようだ…」
こつり、こつりと、わざと音を立てて、サガが室内に足を踏み入れる。
そして後ろ手に扉を閉めると、柩が居ることなど、まるで意にも介さないかのように、話を続けた。
「…さすがに半分は人間の血を引いているだけのことはある。
“懐音”…それが人間界での貴方の名前…」
「……」
懐音は厳しい表情のまま、サガを監視紛いに見つめる。
その視線にどこか心地良ささえ感じながら、サガは再び、静かに口を開いた。
「名前を漢字とかいう、人間界特有のものに宛てたのは、つまらない人間共への拘りの証なのか?
兄上… いや、冥王の第一子・“カイネ=デュランダル”」
「その言い方はやめろ…!」
低く懐音の口から洩れたのは、計り知れない憎悪と怒りを伴った、否定の言葉。
それにサガは嘲笑した。
「どれほど貴方が否定しようとも、それが事実だろう? 兄上…
貴方の母親は紛れもない人間。だがその父親は、冥界という名の、暗黒の死の世界を統べる王──
その真実を隣家の者共に語り聞かせたら、果たして一体、あの小娘と氷皇は…どんな反応を示すものかな?」
「!サガ──貴様っ!!」
怒りに満ちた懐音の鋭い言葉が飛ぶと同時、サガの左横の位置にあった壁が、突然、物凄い音を立てて、一瞬のうちに大破した。
その哀れにも粉々になり、崩れ落ちた壁の一部に対し、似つかわしくない程に冷めた瞳を向けるサガに、それまでの成り行きを見ていた柩が、次いで声を張り上げる。
「サガ様! その事実は、冥界の中でも禁忌中の禁忌、いわゆるトップシークレットなはず──!」
「黙れ柩。貴様がそれを言える立場か。
…そもそも何故、貴様は兄上の元になど入り浸っている。貴様は死神の長の地位にあるのではなかったか?
長がおらずに事が進むほど、冥界は落ち着いた世界ではないはずだが」
「!…っ、め、面目ありません…!」
びしびしと正攻法で手厳しくやられながらも、柩はそれでも怒りのあまり、サガに聞こえぬ程に、僅かにその奥歯を軋ませた。
確かにこの状態では、サガに職務怠慢と取られても仕方のないことだ。
その原因のほとんどが、今回は懐音と朱音にあるのだとしても、端からみればそれは確かに、成る程サガの言う通りであると言えるだろう。
柩は足元に落ちた大量の洗濯物を、恨めしそうに見つめた。
すると、まだ張り詰めた空気の余韻を残した懐音が、珍しく、それを無造作にではあるが拾い上げた。
それを手にした懐音は、真正面からサガを睨み据える。
そこには並々ならぬ硬質な怒りが窺われた。
「帰れ、サガ。お前が何を企んでいるかは知らないが、俺はそれにいちいち付き合えるほど暇じゃない。
それから柩は、こう見えても仕事はしている。
…俺を監視するという仕事をな」
「!懐音…」
それを聞いた柩の目が、何故か大きく見開かれた。
「…知って…いたのか? お前…」
「当然だ。…サガの言った通りで癪だが、元来、死神の長というのは、そう暇なもんじゃない。
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