Ωの皇妃

永峯 祥司

文字の大きさ
上 下
46 / 51
第2部

“大人”の会話

しおりを挟む
「──ここだ」

 例の店の前で足を止める。まだ早い時間、昨日は賑やかだったこの通りも人がまばらだ。

 誰一人として口を開かないという異様な空気を連れての道中。よくわからない発言をした年長者はどういうわけか機嫌を直していたが、年下の方が終始重い沈黙を保っていた。そして後ろからの視線が痛かった。
 たったあれだけのやり取りだけでこうなるかと、リューシは半ば呆れ、半ばある意味での恐れを感じながらひたすら耐えて歩いた。それがようやく終わった。安堵に息をつく。

 と、ここでバルトリスがあっと声を上げた。

「おいおい、休みじゃねぇか」

 昨日と同じ真新しい看板には「本日休業」の2言語表記の看板が重ねられている。その店内に灯りはなく、文字通り休業中のように見えた。

「確かに明日と聞いたんだが……」

 はてと首を傾げていれば、

「あら、今日はお休みよ」

 背後から若い女の声が投げ掛けられた。
 忘れもしない、いや、一晩中魘されたあの声。測量器を熱く語った彼女の声だ。リューシ、セドルア、リーンはいち早く振り返る。その天敵の足音を聞いたかのような反応に、彼女を知らない3人はぎょっとしつつ1拍遅れで振り返った。

 そこにいたのは無論、地図オタクの店主である。彼女はリューシの姿を見るなり、「まあ!」と相好を崩した。

「約束通り、ちゃんと来てくれたのね!」
「休業中というのは……」
「ああ、それなら問題ないわ。邪魔が入らないようにそうしてるだけだもの。貴方は大歓迎よ!」

 ──俺を呼ぶ為にわざわざ店を閉めたのか。

 リューシの驚きをよそに、女はぐるりと視線を巡らせる。

「それにしても、随分たくさん“坊や”を連れて来たのねぇ……あら、昨日の坊や達もいるじゃない」

 びくりとリーンの肩が跳ね、セドルアがすっと目を逸らした。その様子に女は華やかな笑い声を立てる。

「そんなに怯えなくってもいいじゃないの。大丈夫よ、今日は地図の話はしないから。ね?」

 「ちょっと準備してくるから」と女が階段を駆け上がって5分程姿を消した後、一行は2階へ通された。独り暮らしにしては大きなテーブルに着くよう言い、女は一旦台所へ入る。椅子は他の部屋のものを寄せ集めたのか、ちぐはぐな7つが揃えられていた。

 居住スペースの居間は意外に広く大の男6人が入ってもまだ余裕があるが、可愛らしい内装に若者達はそわそわと落ち着かない。特にレイドは挙動不審だ。ただ一人セドルアは表情ひとつ動かさないものの、そのアメジストがこちらにばかり向けられるのを見ては他の3人と変わりないようである。
 リューシはバルトリスと顔を見合せ、苦笑しながらゆったりと椅子に腰掛けた。

 落ち着きのない若者4名を少々意地の悪い気分で観察するのを楽しんでいると、紅茶の良い香りが漂ってくる。台所の方を見れば、女が大きなトレイを運ぼうとしているところだった。
 カップ6つに加えポットやクリーマーまで1度に載せている為、女性の細腕には随分重そうに見える。リューシは立ち上がり、カウンターでまごついている女の横からひょいとトレイを取り上げた。

「座っていろ」

 まあ、と空色の瞳が大きくなる。

「お客さんにやってもらっちゃ悪いわよ」
「構わん。断りもなく大勢を連れて来た俺の落ち度だ」
「ちゃんと人数を訊かなかったあたしのせいでもあるんだけど……そこまで言うならお願いしようかしら」

 やっぱりいい男ねと微笑み、女はクッキーの皿だけを持ってテーブルへ向かった。それに続き、リューシもトレイを運ぶ。

「お口に合えばいいけど」

 そう楽し気に申し訳程度の謙遜をしながら女がそれぞれのカップに紅茶を注ぐ。フルーツフレーバーのものなのだろうか、甘酸っぱい香りが部屋に広がった。

「遠慮なく飲んでね。お代わりもあるから」

 それと、と女はリューシを見る。

「そのローブ、取ってもいいわよ」

 何度目かの空気の凍結。今になってこの姿を指摘されるとは思わなかった。どう言い訳しようかとリューシを中心に忙しく視線を交わして無言の相談がなされる。

 女は「あらあら」と笑い、

「大丈夫。貴方が誰かはわかってるわ……リューシさんでしょう?」

 ガタッと音を立ててノットが立ち上がった。腰の短剣に手が掛かっている。見れば、他の者もいつでも攻撃を加えられる臨戦態勢に入っていた。リューシはそれを手で制し、女に向き直る。

「貴女が俺をここに招いたのは、昨日の問いに答える為か」
「そうよ」
「それは、こちらが求める答えを返せるという事か」
「ええ、そのつもりよ」

 女は淀みなく答えた。これで確信が持てるわけではないが、ある可能性は急速に事実へ近付いた。
 リューシは真っ直ぐに女の空色を見つめ、

「──貴女がパヴィナか?」

 ゆるりと女の唇が弧を描く。

「いいえ──」

 残念ね、と美しく微笑んだ。

「あたしはパヴィナじゃないわ」

 それなら一体誰だというのか。最も信憑性の高かった仮説を真っ向から否定され、リューシは困惑する。
 パヴィナでないなら、この目の前の存在は何なんだ。なぜ昨日の問いに答えられると言ったのか。この女の言うこちらの求める答えとは何なのか。どうして自分の名前まで言い当てたのか──いや、これはパヴィナであったとしても不可解か。

「なら、貴女は……」

 どう問うたものかと迷う声に女の笑みが深められた。

「あたしはヘディナ。パヴィナの姉よ」

 「はあ!?」と声が揃う。

「姉……!?」
「そう、パヴィナはあたしの妹。5つ下のね」
 
 歌うように衝撃の事実を口にする女──もとい、ヘディナ。

「いや、ちょっと待て」

 と遮ったのはバルトリスである。

「あんた、どう見ても20そこそこのお嬢さんだろ。その5つ下の妹っつうと……16、7じゃねぇか」

 ──そうなのだ。ヘディナの容姿は20代前半の若い女。艶やかな赤毛、瑞々しく張りのある肌、ふっくらとした赤い唇。どこからどう見てもそれ以上の年齢には見えない。
 彼女の妹となると、5つも離れていればどれだけヘディナの年齢を高く見積もってもバルトリスの言うように10代の少女という事になる。だが、モルス曰く、パヴィナは「呪術に詳しいあの女」だ。彼の「あの女」という言い様からしても少女のようには取れない。

 と、いう事は。

「ふふふ……あたしも妹もそんなお子ちゃまじゃあないわよ、坊や」

 成熟した大人の微笑。それは少女の面影の残る20代前半のものではない。30、いや、40……あるいは、

「あたしは花の62歳。あんた達はあたしからすれば“男”じゃないの。みーんな“坊や”なのよ。……リューシさんは特別だけど、ね」

 唖然。今度は声も出ない。
 詐欺だ、とバルトリスが呟いた。

「詐欺だなんて、失礼な坊やねぇ。そういう時は『お若いですね』って言うのよ」

 ねえリューシさん。同意を求められるが、色々な意味で衝撃が強過ぎて何も言えない。へディナはにこりと今度は見目相応に微笑み、舞踏的な歩調で歩み寄ってくる。
 身動きする間もなくフードに手を掛けられ、ぱさりと脱がされた。隠されていた黒が露になる。ハッと誰かの息を呑む気配を感じた。

「──うん、やっぱりいい男だわ。思った通り」

 やはり、とリューシは若々しい老女を見据えた。彼女は俺を「坊や」とは言わない。「男」として扱っている。この女の言う「特別」だからなのか。しかし、その「特別」とは何だ。

「……どこまで俺を知っている」

 低く問えば、ヘディナは「そうね」と小首を傾げた。

「全部……って言ったら、驚くかしら」

 ──まさか。

 どくりと心臓が波打つ。
 モルス──あの時はナドッカとしてだったが──にバルトリスを伴って対面した時。あの感じに似ている。全てを見透かされているかのような、この感じだ。いや、それよりももっとたちが悪いかも知れない。

 空色を覗き込んだ時、リューシさんと呼び掛けられる。

「あたしの言ってるいい男っていうのはね、外見の事だけじゃあないの」
「どういう意味だ」
「魂があたしのいい男の条件なのよ」

「……っ、魂、だと……?」
「そうよ」

 頷き、ヘディナはうっとりした表情を浮かべる。

「絶妙なバランスで形を保っているその魂……最高に美しいわ」

 心臓を握り潰されたかのような衝撃が身体を貫いた。思わずローブの胸元を掴む。その反応にノットら3人が戸惑いの表情を浮かべ、バルトリスとセドルアの鋭い視線がヘディナに向けられた。それを気にするでもなく、この女は続ける。

「傷ひとつない魂は好きじゃないの。傷付けられて、壊れそうになって、それでも輝こうとしているものが美しい」
「……やめろ」
「そういう魂は何度かお目にかかったわ。でもね、貴方程の……そう、あり得ない程傷だらけのものは初めてよ」
「それ以上言うな……っ!」

 ガタンと音を立てて椅子が倒れた。震動で溢れた紅茶がテーブルクロスに染みを作る。じわり、じわりと広がった。

「もう言うな! やめろ……っ!」

 取り乱した様子のリューシにノットらの目は見開かれている。両脇のバルトリスとセドルアが立ち上がり、庇うように前に出た。

「あら……可愛らしい騎士様達ね」

 くすりとヘディナが笑う。直後、

「でも駄目よ」

 すうっと空色が細められる。腹の底から冷えさせるような凄みを帯びたそれに、動きを封じられる。

「真実から保護するだけじゃ、何も出来ないのよ……ね、リューシさん、いずれ坊や達も知らなければならない事よ。あたしの妹に会うなら尚更」

 ──駄目だ。彼らが知るのは“リューシ”だけでいい。

「貴方は坊や達に全て受け入れて貰わなければならないの。貴方が生きた時の全てをね」

 これ以上暴かれるわけにはいかない。

「──俺はリューシだ。それだけでいい」

 前に立つ二人の間から、リューシはヘディナの目を強く見返した。どくりどくりと過剰に血液を送り出す心臓を無理に理性で押さえ付ける。
 全てを受け入れられる必要はないのだ。そうしてこの世界で24年を生きてきた。この女が自分の何を知っていようと、関係ない。

 ダークブラウンと空色の長い睨み合いが続いた。周囲の者が窒息するような錯覚に陥り始めた時、いいわ、とヘディナの表情が和らいだ。

「あたしからは言わないでおいてあげる。後は妹に任せるわ。……でもね、いつまでも独りじゃ駄目なのよ。貴方は誰より強くて美しいけれど、誰より脆いのよ。それだけは覚えておいて」

 さあ、他の話をしましょうか。お茶も淹れ直さなきゃ。
 くるりと20代の顔になり、ヘディナはポットを手に台所へ消えていった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

巻き戻りした悪役令息は最愛の人から離れて生きていく

藍沢真啓/庚あき
BL
婚約者ユリウスから断罪をされたアリステルは、ボロボロになった状態で廃教会で命を終えた……はずだった。 目覚めた時はユリウスと婚約したばかりの頃で、それならばとアリステルは自らユリウスと距離を置くことに決める。だが、なぜかユリウスはアリステルに構うようになり…… 巻き戻りから人生をやり直す悪役令息の物語。 【感想のお返事について】 感想をくださりありがとうございます。 執筆を最優先させていただきますので、お返事についてはご容赦願います。 大切に読ませていただいてます。執筆の活力になっていますので、今後も感想いただければ幸いです。 他サイトでも公開中

囚われ王子の幸福な再婚

高菜あやめ
BL
【理知的美形宰相x不遇な異能持ち王子】ヒースダイン国の王子カシュアは、触れた人の痛みを感じられるが、自分の痛みは感じられない不思議な体質のせいで、幼いころから周囲に忌み嫌われてきた。それは側室として嫁いだウェストリン国でも変わらず虐げられる日々。しかしある日クーデターが起こり、結婚相手の国王が排除され、新国王の弟殿下・第二王子バージルと再婚すると状況が一変する……不幸な生い立ちの王子が、再婚によって少しずつ己を取り戻し、幸せになる話です

箱庭

エウラ
BL
とある事故で異世界転生した主人公と、彼を番い認定した異世界人の話。 受けの主人公はポジティブでくよくよしないタイプです。呑気でマイペース。 攻めの異世界人はそこそこクールで強い人。受けを溺愛して囲っちゃうタイプです。 一応主人公視点と異世界人視点、最後に主人公視点で二人のその後の三話で終わる予定です。 ↑スミマセン。三話で終わらなかったです。もうしばらくお付き合い下さいませ。 R15は保険。特に戦闘シーンとかなく、ほのぼのです。

アルファな俺が最推しを救う話〜どうして俺が受けなんだ?!〜

車不
BL
5歳の誕生日に階段から落ちて頭を打った主人公は、自身がオメガバースの世界を舞台にしたBLゲームに転生したことに気づく。「よりにもよってレオンハルトに転生なんて…悪役じゃねぇか!!待てよ、もしかしたらゲームで死んだ最推しの異母兄を助けられるかもしれない…」これは第2の性により人々の人生や生活が左右される世界に疑問を持った主人公が、最推しの死を阻止するために奮闘する物語である。

主人公のライバルポジにいるようなので、主人公のカッコ可愛さを特等席で愛でたいと思います。

小鷹けい
BL
以前、なろうサイトさまに途中まであげて、結局書きかけのまま放置していたものになります(アカウントごと削除済み)タイトルさえもうろ覚え。 そのうち続きを書くぞ、の意気込みついでに数話分投稿させていただきます。 先輩×後輩 攻略キャラ×当て馬キャラ 総受けではありません。 嫌われ→からの溺愛。こちらも面倒くさい拗らせ攻めです。 ある日、目が覚めたら大好きだったBLゲームの当て馬キャラになっていた。死んだ覚えはないが、そのキャラクターとして生きてきた期間の記憶もある。 だけど、ここでひとつ問題が……。『おれ』の推し、『僕』が今まで嫌がらせし続けてきた、このゲームの主人公キャラなんだよね……。 え、イジめなきゃダメなの??死ぬほど嫌なんだけど。絶対嫌でしょ……。 でも、主人公が攻略キャラとBLしてるところはなんとしても見たい!!ひっそりと。なんなら近くで見たい!! ……って、なったライバルポジとして生きることになった『おれ(僕)』が、主人公と仲良くしつつ、攻略キャラを巻き込んでひっそり推し活する……みたいな話です。 本来なら当て馬キャラとして冷たくあしらわれ、手酷くフラれるはずの『ハルカ先輩』から、バグなのかなんなのか徐々に距離を詰めてこられて戸惑いまくる当て馬の話。 こちらは、ゆるゆる不定期更新になります。

それ以上近づかないでください。

ぽぽ
BL
「誰がお前のことなんか好きになると思うの?」 地味で冴えない小鳥遊凪は、ある日、憧れの人である蓮見馨に不意に告白をしてしまい、2人は付き合うことになった。 まるで夢のような時間――しかし、その恋はある出来事をきっかけに儚くも終わりを迎える。 転校を機に、馨のことを全てを忘れようと決意した凪。もう二度と彼と会うことはないはずだった。 ところが、あることがきっかけで馨と再会することになる。 「凪、俺以外のやつと話していいんだっけ?」 かつてとはまるで別人のような馨の様子に戸惑う凪。 「お願いだから、僕にもう近づかないで」

勇者召喚に巻き込まれて追放されたのに、どうして王子のお前がついてくる。

イコ
BL
魔族と戦争を繰り広げている王国は、人材不足のために勇者召喚を行なった。 力ある勇者たちは優遇され、巻き込まれた主人公は追放される。 だが、そんな主人公に優しく声をかけてくれたのは、召喚した側の第五王子様だった。 イケメンの王子様の領地で一緒に領地経営? えっ、男女どっちでも結婚ができる? 頼りになる俺を手放したくないから結婚してほしい? 俺、男と結婚するのか?

愛を知らない少年たちの番物語。

あゆみん
BL
親から愛されることなく育った不憫な三兄弟が異世界で番に待ち焦がれた獣たちから愛を注がれ、一途な愛に戸惑いながらも幸せになる物語。 *触れ合いシーンは★マークをつけます。

処理中です...