Ωの皇妃

永峯 祥司

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第2部

迷惑な闖入者

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 ノットが暴力沙汰を起こしてから1週間が経った。

 この数日の間、リューシに除隊の通告書が届く事もなければノットに謹慎が言い渡される事もなかった。どういうわけか、加害被害双方から報告が挙がっているにも関わらず上は沈黙している。

 リスティが仕組んだ事と露見したのだろうかと考えてもみたが、それにしては静か過ぎる。
 第一、リスティの陰湿な買収行為だとわかったとして、上層部の連中は彼を罰しはしまい。これ幸いと事実を揉み消し、自分の処分案をまとめ始めるはずだ。ミリスのドテッ腹・・・・が嬉々として書類を作る様子が目に浮かぶ。

 それなのに、なぜ何も動きがないのか。
 それとなくリスティに鎌をかけてみる事も考えたものの、あの組み手以来第7との合同訓練はなく、その機会もなかなか見つけられないでいた。

 そういうわけで、気味の悪い沈黙が続く中、リューシはやはり皇后補佐の仕事に追われ続けている。このところは輪を掛けて忙しく、辛うじて確保出来ていた仮眠時間すら削るという有り様だ。一番の原因は皇后本人なのだが、未だそれを彼女が悟る事はない。それでもまあ、不幸中の幸いというか、少し前にバルトリスがガス抜きに付き合ってくれたお陰でどうにか荒れずにいる。
 一旦仕事を自宅に持ち帰ってみてはどうかという彼の提案に従ってみたのも良かったのかも知れない。プライベートな空間に仕事は持ち込まない主義だが、場所を変えるだけでも随分と気分が違うものだ。仕事の合間にヤスミーが淹れてくれる紅茶があるとないでは捗り方が違うとは最近気付いた。

「ん……?」

 書類の束を整理していると、見覚えのある封筒が間から出てきた。封は既に切られている。はて、これは何だったかと差出人を見て、あっと声を上げた。

『ミアーナ・リロスティ』

 随分前にセドルア宛てに届いていた恋文である。本人に受け取りを拒否され、捨てるに捨てられず、取り敢えずリューシが保管していたのだ。存在を失念していつの間にか書類に埋もれさせてしまっていた。

 確かセドルアはこの手紙を「お前が思っているような綺麗なものではない」と言った。その言葉の真意は不明だ。今まで特に気にも留めていなかった──というか忘れていたが、改めて考えてみれば不思議である。一途な恋心を綴ったもののどこに嫌悪するのか、多少の興味を覚えた。

 “ミアーナ・リロスティ”。名前からして恐らくは女性だ。セドルアに想いを懸ける彼女はどんな人間だというのだろうか。どこで、どうやってセドルアに出会い、なぜあそこまで嫌悪されるのだろう。どんな顔か知らないが、まさか見目だけの問題という事はあるまい。とんでもなく自己中心的なのか、余程しつこい性格なのか、はたまた押しが強過ぎるのか……色々と候補を挙げてみる。が、どれもピンとこない。
 まあそれもそうだとリューシは封筒を机に置いて眺めた。そもそもセドルアが嫌う種類の人間というものがわからないのに、人物像を思い描くのには無理があるのだ。
 唯一わかっていた「Ω嫌い」という情報も今となっては疑わしいものだ。兄の現皇帝と同じく極端なΩ嫌いだと思っていたが、少なくとも自分は彼に邪険にされた覚えはない。かといって好きなわけでもないだろうが。人の好き嫌い程わかりにくいものはない。

 仮にわかったとして、だ。あの第2皇子様相手に何をしようと言うのだ。約10年の間殆ど接点を持たなかった者に好みどうこうの話をしてどうなる。恋のお悩み相談でもしようと言うのか。下らない。
 自分が言うのも何だが、果たしてあの無表情皇子に懸想する相手がいるだろうか。彼は幼少期から今まで外部との接触はあまりなかったはずだ。恋愛感情というものを知っているかどうかも怪しい。もっとも、知っていようがいまいが、皇族に恋愛は難しいだろうが。
 
 ──さて、この恋文はどうしたものか。

 想いの込もったものを処分するのは、やはり気が引けた。他人の恋路を勝手に覗き見たという後ろめたさもある。しかし、そうは言ってもいつまでも手元に置いておくのもそれはそれで気不味い。
 一瞬バルトリスに相談する事を思い付くが、そこまでする内容でもないだろうと却下した。あの男に相談するのは何か違う気がする。

 いよいよ本格的に考え込み始めた時、「困ります!!」というヤスミーの悲鳴が扉越しに聞こえる。何事だと驚いていれば、バタバタと騒々しい足音が近づき、勢いよく扉が開け放たれた。

「リューシ!」

 そこに現れたのが他の誰かならどんなに良かったか。
 
「ミハネ様……」

 なぜよりによってこの女なのだ。

 また無理にクッキーだかケーキだかと呼ばなければならないモノでも持参したのだろうか。それもわざわざ自宅に。一体誰が住所を教えたのだ。
 頬を紅潮させるミハネの背後に目をやれば、ヤスミーが申し訳なさそうに眉を下げていた。仕事をしている間は誰も入れないようにと言いつけておいたのだが、この無作法な娘はそれを押し切って乱入して来たものらしい。気の毒な乳母にお前に非はないと目配せしてから、リューシは「従者はどうなさったのです」とミハネに尋ねた。

「ミエリャが一緒だよ──ほら、来た」

 パタパタと慌ただしく駆けて来る音がしたかと思えば、ヤスミーの横をすり抜け、開け放たれたままの扉から1人の女が飛び込む。

「陛下!! お一人で動かれては困ります!」

 侍女らしきその女はそばかす顔に汗を浮かべて叫んだ。その様子にミハネは謝るでもなく、「大丈夫だって言ってるのに」と膨れてみせる。

「どこに行くのにもぞろぞろついて来るなんて、窮屈過ぎるもん」
「でも、皇帝陛下から絶対にお一人にはしないようにと仰せつかっております!」
「ラディが過保護過ぎなんだってば」

 目の前で続く押し問答に痺れを切らし、リューシは「ミハネ様、」と口を挟んだ。

「貴女はご自分の立場をわかっておいでか」
「立場?」

 小首を傾げる皇后に頭が痛くなる。

「貴女は皇后であせられる。貴女の身がどれ程大切なものか、いい加減理解して頂きたい」
「だって、リューシも皇妃だけど一人で色んなとこに行ってるじゃない」

 不公平だもんとむくれる。
 また例の平等論か。日本には「かけっこはみんなでお手々を繋いでゴールしましょう」などと言う狂った時代があったが、この娘はそういう教育でも受けてきたのだろうか。

「私と貴女は違う。貴女は軍人ではない。武器を持たないし、体術も使えないでしょう。それでどうやって身を守ると言うのです」
「ラディに護身用の短剣貰ったもん」

 護身用の短剣。何とまあ、短絡的な方法だ。リューシは心中で呆れ返った。使う人間がどんなだか、皇帝陛下はまるで考えていない。

「では、それで人が殺せますか」
「え」

 「仮に私が暴漢だとして、」と立ち上がり、机の前に出る。面倒だが、物わかりの悪い者には身を以て理解させる他ない。

「その短剣でどうやって抵抗しますか」

 短剣を出してみろと促せば、ミハネは「そりゃ、こうやって……」と短剣をローブの内側からそろそろと取り出す。リューシは素早くその手から短剣を叩き落とし、落下する途中で受け止めて背後に回る。鞘に収まったままのそれを首筋に宛がうまで5秒とかからなかった。

「──これでも身を守れていると?」

 ひゅっとミハネの息を吸い込む音が聞こえる。もういいだろう。解放してやり、呆然と立ち尽くす彼女に短剣を投げ返す。

「貴女が武器を持っていたとして、それは護身用にはならない。敵に武器を提供しているようなものだ。そんな状態で外を出歩くのは自殺行為に等しい」

 従者が貴女を守れるなら別ですが、と侍女に目を向ける。

「恐らく、そちらの侍女も武術は心得ていないでしょう。何の抵抗力もない者同士に何が出来ますか。正直に申し上げますと、その従者は無意味です」

 わかったらさっさと帰れ。そう思いを込めて言えば、ミハネは「でも!」と叫んだ。まだ何か言うのか。うんざりする。

「何であたしばっかりそんなに気を付けなきゃいけないの?」
「皇后陛下だからです。貴女に何かあっては──死なれては困る」
「どうして? 」
「何度同じ事を口にさせるおつもりで? 貴女が皇后だからだ。その辺の小娘一人が死ぬのとあんたが死ぬのではわけが違う。なぜそれがわからない」

 徐々に口調が乱れてきているのを自覚する。だが、もう軌道修正は効きそうもない。侍女から皇帝に伝えられでもすれば厄介だなと思いながらも、リューシは言葉を訂正する事はしなかった。

「命ってみんな大切でしょ? 皇后だけ特別なんておかしいよ」

 まただ。またそんな偽善を振りかざす。
 舌打ちしたくなるのだけは辛うじて堪え、リューシは吐き捨てるように言った。

「確かに命の尊さは平等だ。だが、重みや価値は違う」

 この娘が理解出来ようが出来まいが関係ない。これは事実だ。
 道徳の授業で習う「命の重みは同じだ」という理論が単なる綺麗事だとは言わない。自分も“尊さ”ならどの命も同じだと思う。ただ、世の中の道理は人が思うよりも捻曲がっている。それを理解する程には、無意味な死を見過ぎた。

 命に価値の格差はあるし、命は選別される。
 決して平等などという事はない。

 ミハネはつい最近までただの女子高生だった。その時なら彼女が死んでもさして世界に影響はなかっただろう。言い方は悪いが、全世界からすれば蟻が踏み潰されるのも少女一人が事故に遭うか何かで死ぬのもそう変わらない。
 だが、今は違う。どれだけ物わかりが悪かろうが、どれだけ役立たずだろうが、皇后の命は平民より遥かに重いのだ。皇帝皇后両陛下の命は国の命。何より優先して守るものだ。
 その守られるべき対象が、“皇后”の命の付加価値を知らない。知らないからこそ、今に守られるのが当たり前だと思い始めるだろう。自分が“皇后”だから守られているのだと気付かないまま、それをそのまま自分の価値として受け止めるのだろう。

 ああ、何と馬鹿馬鹿しい事か。
 何と愚かな事か。

「──それで、用件は何です。まさか私の説教を聞きに来たわけではないでしょう」

 嘲笑を喉の奥に押し込め、どさりと椅子に腰掛け直して問う。それが身分が上の者に対する態度でないという事に、無知な皇后陛下は気付かない。ただ説教が終わって自分がここに来た動機に関心を向けてくれたのを喜んでいる。

 冷め切った気分で見つめ返答を待っていれば、「あのね、」とミハネは頬を染めた。菓子の出来損ないが出てくるわけではないらしい。
 もじもじとまごついた後、彼女は少女らしく恥じらいながら言った。

「一緒に、街に行きたいなぁって……」
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