Ωの皇妃

永峯 祥司

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第1部

帝国のひび割れ

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 おかしい。
 そう感じたのは10日程前だ。

 ウィランドンから輸入する宝飾品が爆発的に増加している──いや、単に増加したと言っては語弊がある。数は大して変わっていないが、国全体の輸入金額が膨れ上がっているのだ。それに引き換え、こちらからの輸出金額の変化は殆どない。
 要するに赤字だった。

 この状態が続けば大国ルバルア帝国といえども破綻してしまう。皇妃の特権を不本意ではあるが行使して調べたところ、何と増加した輸入金額の8割が皇室の購入分であった。法外な値段の指輪やら首飾りやら、不要な物を突然購入し始めたのだ。それこそ、ひとつで広い屋敷を2、3買える程の。しかも、ミハネの身につける装飾品の類が日に日に華美になっている。まさかと思い、問いただしてみれば「ラディが買ってくれたの。私はいいって言ったんだけど……」と頬を染めた。あろうことか、赤字の根元は皇帝その人だったのである。正に国家の危機、財政難への出発だ。

「それは問題ですねぇ……」

 脚を組み換え、事の顛末を聞いた目の前の男がティーカップを傾ける。頬に負った火傷の痕はまだ少し目立つ。
 どういう訳か、リューシはフォンドと向かい合い、庭のテーブルセットで財政政策について議論しているのであった。

「……それで、なぜお前に相談しなければならないんだ」
「それはそれは、何とも野暮なご質問で」

 気障っぽく前髪を撫で付けながらフォンドが唇を引き上げる。
 
「貴方には不本意ながら大きな借りが出来てしまいましたからねぇ……私はともかく、姪が死んでいれば妹は発狂していたでしょうな」

 議論の相手ぐらいにはならざるを得ないでしょう。そう言って紅茶の中に砂糖をひとつ落とした。
 
 フォンド一家は一時的にラヴォル家に身を寄せている。フォンドを気に入っているラヴォル家当主──リューシの父親の厚意で妹ロアンヌとその娘のメリア、メリアの乳母のナンナを連れ、計4人が居候しているのだ。住み込みで働いていた者達には屋敷を再建するまでの間、暇を出したらしい。

「火元は煙草、だったか」

 そう言ってやると、フォンドはきまり悪そうにカップの中身を掻き回した。
 現場検証により、火事は煙草の不始末というありがちな原因とわかっている。身から出た錆びというものだが、あれから禁煙に努めているようだ。そのお陰で最近の彼からはあの嫌味ったらしい甘い匂いはしない。

「急にやめて口寂しくならないのか」
「そりゃあ、多少は。だから紅茶を飲んで誤魔化しているんですよ」

 フォンドが顔をしかめて角砂糖を幾つ入れたかわからない紅茶を流し込む。甘いものを欲するのは禁煙の影響なのだろうか。

「──さて、話を戻すが……陛下に忠言したところで、直ぐに解決するとは思えん。暫くは輸出の方で手を打たねばならない」
「……同感ですね。しかし、その輸出額をどう増やすか」

 沈黙が流れる。その時、鈴を鳴らすような声が静寂を破った。

「こうひさま!」

 テーブルの下からフォンドの隣にひょっこり顔を出したのは、メリアである。はい、とリューシの前に小さな花束が差し出された。

「お花つんだの」

 色とりどりの花を束ねているのは、桃色のリボン。リューシはメリアの髪に同じものが結ばれているのに気付いた。ロアンヌが綺麗にお下げにしてやっていたのであろう、栗色の髪の片側が無造作に垂らされている。

「……そうか。ありがとう」

 「ほどこし」等とは無縁の、精一杯のプレゼントを受け取れば、純真な子供はパッと顔を輝かせた。6歳の可愛い盛りだ。

「……冷血隊長も、笑うんですねぇ……」

 フォンドが妙に感心した声で言う。「冷血隊長」等という呼び名は初めて聞いたが、「鉄仮面」だの何だのとは昔から言われている。こいつらは俺をサイボーグか何かのように思っているんじゃないかとリューシは疑った。

「俺だって笑うくらいは出来る」

 不愉快な男から顔を背け、メリアに手招きする。首を傾げながらもとことこと近付いて来た彼女に後ろを向かせ、残されているリボンをほどいた。

「じっとしてろ」

 栗色の柔らかな毛に指を通し、桃色を編み込んでいく。メリアは嫌がる様子もなく、リューシの手を受け入れている。子供の髪はしなやかで傷みがないな、と考えながら後ろでくるりとまとめた。ふんわり結べば完成だ。

「もういいぞ」

 手を離してやると、メリアはくるりと伯父の方に背を向けた。

「ガスパールおじさん、どう? かわいい?」

 フォンドは目をぱちくりさせながら、あんぐりと口を開けていた。

「鉄仮面に、こんな芸当が出来たとは……」
「……おい」

 今度は鉄仮面呼ばわりだ。慣れているとはいえ、少しムッとして軽く睨んだ。

 この髪型は、休日に“彼女”にせがまれてよくしてやったのだ。
 インターネットで見たヘアアレンジが可愛いと言って、いつもひとつにまとめている髪を弄り始めたのは確か、クリスマスの少し前だった。不器用な“彼女”は鏡を2枚使っても出来ず、自分に泣きついてきたのだ。自衛官の女性は職業柄、お洒落の範囲が限られている。休日ぐらいは思う存分お洒落させてやってもいいかと、そう苦笑しながら編み込んでやったものだ。

「皇妃様、ありがとう!」

 純粋な笑顔を咲かせ、メリアはリボンを揺らしながら駆けて行った。


◇◇◇


 あれから暫く話し込んだものの、結局これといった案は出なかった。しかし、悔しいが誰かと話す事で考えを整理出来たのは事実。収穫はなかったとはいえ無意味ではなかった。その点では借りをほんの少し返されたのだろう。

 まともに聞き入れられるとは思えないが、これから皇帝に一応の忠言をしなければならない。皇帝の一存がなければいくら皇妃といえども政治的措置は取れないのだ。
 
 磨き上げられた宮殿の廊下を歩きながら思わず舌打ちしてしまう。先帝が死んで以来──いや、ミハネがリューシと花畑にいるのを見つけて以来と言うべきか──皇帝は愛する皇后を殆ど側から離さなくなった。という事は、必然的にあの女の顔も見なければならないのだ。皇后補佐として仕えている身ではあるが、あの女に対する嫌悪だけはどうしても拭えない。本能が拒否していると言ってもいい。
 慈愛、同情、正義感、義憤……表面的なもので飾り立てた、金メッキのような女だ。少し剥がしてやれば安っぽい素材が剥き出しになる。本当の純金だった“彼女”とは違う。それなのに、あの女の髪と瞳は“彼女”に似ている。無性に腹立たしかった。

 皇帝のには案の定ミハネもいた。皇后の椅子に座り、ごてごてと宝石で全身を飾り立てている。ただの女子高生だった少女が贅沢に慣れた結果がこれだ。全ての灰被り娘が美しく変身する訳ではない。
 不快感に顔を歪めそうになるのを抑えていると、ラガーディの方はリューシへの不快感を隠さずに眉をひそめた。

「……何の用だ」

 不機嫌を包み隠さず表した声色は面白いくらいだ。

「交易の件でお話が」
「何、交易?」

 はいと頷く。ラガーディのひそめた眉の間に深い皺が刻まれた。お前の話を聞くつもりはないという事だろうか。出だしは最悪だ。

「単刀直入に申し上げます。当分は宝飾品のご購入をお控え下さい」
「何?」
「このところウィランドンからの輸入額が跳ね上がっております。それに引き換え、輸出額の変動は殆どございません。前代未聞の赤字です」
「他の国で利益を上げればいいだろう」
「それでは解決出来ないが故に、こうしてお伝えしているのです」

 呆れた。自国の状態も把握していないのか。話にならない。
 またも舌打ちしそうになっているのを必死に抑えていると、ミハネの手がラガーディの右手に添えられた。

「ラディ……あたし、アクセサリーしばらくは我慢するから。リューシの言う通りにしよ?」

 意外や意外、ミハネ自らがリューシを援護し始めた。しかし、ラガーディは微笑んでかぶりを振った。

「ミハネ、お前が気にする事じゃない。好きな物を何でも買ってやる。そう約束しただろう?」
「でも……」

 ──『ぼくがなんでもかってやる!』

 不意に、幼い第1皇子の姿がダブって見えた。今はその約束の相手が違う。口約束程あてにならないものはない。

 俯いたほんの一瞬、自嘲的に口端を吊り上げ、リューシは“鉄仮面”を被った。感情を覆い隠すのはこちらに生まれてから上手くなった。

「どんな約束をしようと構いませんが、私情で国を傾けられては国民に示しがつきません。今一度よくお考え下さい」

 必要な措置は私が取りますので悪しからず。
 有無を言わせぬ口調で言う。反対してもらっては困るのだ。

「宜しいですね」

 そう念を押すと、先帝と同じ玉座に座るラガーディは見るのも嫌だという風に顔を背けた。

「……勝手にしろ」
「感謝します」

 吐き捨てるように放たれた言葉に感謝を述べる。不機嫌極まりない返事だが、イエスが貰えればいい。後は歳出入のバランスを修正するのみだ。最も効果的な手段を見つけ、実行する。言葉で見れば簡単な事だ。

「ごめんね、リューシ……そんな事になってるなんて、あたし、全然知らなくって……」

 ミハネがしおらしく言った。知らないのは当たり前だ。政治に関わろうとしていないのだから。
 自分の無知を弁明する中になぜか媚びるような色を感じ、吐き気がした。同性に嫌われるタイプだなと思う。女はそういうものを感じるのに長けている。よく、前世の母親がそう言っていた。

 ミハネはまだ何か言おうとしていたが、ラガーディが「ミハネが謝る必要はない」と遮った。仰る通りです、とリューシも頷く。貴女あなたに謝って頂いたところで、何も変わらないんですから。

「話は以上です。……では」

 ぴしりと礼をして皇帝の間を後にした。
 ミハネの視線を、背中に絡み付けながら。

  ──さて、どうするか……

 倉庫で銃の手入れをしつつ、リューシは思考を巡らせた。

 ウィランドンに輸入を増やせと言っても、そんな余裕はないと断られるだろう。あの国の財務大臣は強欲でケチだ。口説き落とすのは容易ではない。
  なら、他国への輸出額を増やすのはどうか。残念ながらそれも現実的ではない。交渉の名手であった先帝は各国との最大限の取引関係を完成させている。ラガーディに進言した通り、これ以上は望めないだろう。

 ならば、新たな輸出品を見出だすしかない。それは一体何だ。

「……わからねぇな……」

 するりと独り言が漏れる。

「何がわからないんです?」

 突然頭上から降ってきた声に驚き見上げれば、リーンが手元を覗き込んでいた。

「輸出品だ」

 カタリと銃を置いて答える。「輸出品……?」と繰り返し、リーンが首を傾げる。

「そうだ。輸出入額の均衡が崩れていてな……」
「はあ」
「要は赤字なんだ」

 えっと驚き、そばかすが浮く顔が少年っぽくなった。

「それは、不味いですね」
「だから輸出額を増やさなければならないんだが、新たな輸出品をとなると……」

 そうですね……とリーンが隣に腰を下ろす。その時にちらりと何かが光った。反射的に手を伸ばし、リーンの腕を掴む。

「えっ」

 ピシッとリーンが硬直する。

「なっ……な、何ですか……?」

 若干震える声で問われ、リューシはこれ、とリーンの手首に光るものを視線で示した。

「え……? ああ、これですか。マストネラって言うんですよ」

 マストネラ、と呼ばれるそれはブレスレットのようなものだ。銀細工の輪に群青色の石が付いている。それが何の石かは判断出来ないが、その中に星を散りばめたように輝く金は雲母だろうか。宇宙の欠片を身に付けているように見える。ウィランドン産の装飾品でも類を見ない、神秘的な美しさだ。

「マストネラ……聞いた事がないな」
「僕も最近知ったんです。骨董品を扱ってる店でたまたま見つけて……東部に住んでるウラウロイっていう部族の工芸品らしいです。店主が旅好きで、ふらっと立ち寄った集落でその部族の人に売って貰ったとか」

 戦士の勝利を願う装身具だそうです、とリーンは照れくさそうに笑った。

「ひとつ幾らくらいだ」
「そんなに高くありませんでしたよ? 大体12ガルぐらいで……」
「12ガル? まさか」

 予想を遥かに下回る値段に思わず目を剥く。
 ルバルアの通貨は“ガル”で統一されている。1ガルは日本円にしておよそ100円程度の価値だ。12ガルなら約1200円。マストネラの値段はリューシの見立てでは500ガルは下らないものだが、その10分の1にも満たないと言う。あまりのギャップに唖然とした。

「それ、暫く貸してくれないか。鑑定に出したい」
「ええ!?」

 鑑定に出すんですか!? と今度はリーンが目を丸くする。リューシはニヤリと口角を上げた。

「ああ。俺の見立てに間違いがなければ、それはいい輸出品になる」


◇◇◇


 自由時間に弓の練習をしようと倉庫に入ると、ラヴォル隊長が胡座をかいて銃の手入れをしていた。弓を取るだけなのだから問題ないのだが、妙に気が退けてしまって、回れ右して帰ろうかと思った。この人の前では元々上がり症の僕がもっと上がってしまう。弓の稽古をつけてくれている時だけはまともにいられるが、それ意外はまるで駄目だ。今は第1部隊に配属された初日よりどもってしまう。そういうところは見られたくない。どうしても、頼りない男だと思われたくなかった。
 幸い隊長は僕に気付いていない。そっと出れば気付かれないままだ。やっぱり弓は諦めて引き返そう。そう思った時、隊長がふっとため息をついた。

「……わからねぇな……」

 いつもとは違う口調にドキッとする。多分、これが素なのだろう。完璧な軍人である隊長が、自分の友人とさして変わらない言葉を使っている。今なら上がらずに話せる気がした。

「何がわからないんです?」

 近付いて、手元を覗き込んで尋ねると、隊長は驚いた様子で僕を見上げた。しかし、それも一瞬で、すぐにいつもの軍人の顔になって「輸入品だ」と答えた。声の硬さもいつも通りに戻っていた。少し、残念だ。

 隊長曰く、今のルバルアは赤字らしい。輸出入額の均衡が崩れているのだと言う。隊長のため息は我が国の財政を案じてのものだった。新しい輸出品を見つけたいが、それが「……わからねぇな……」という事らしい。 
 未だに信じられないが、隊長はΩで皇妃だ。皇后の補佐をしなければならない立場上、相当悩んでいるのだろう。

 それは大問題だと僕も一緒に考えるつもりで腰を下ろすと、唐突に腕を掴まれた。何か気に障ったのだろうか。冷たい汗が流れ、体が動かなくなる。結局どもりながら何ですかと尋ねると、隊長は僕の身に付けている装飾品に興味を示しただけだった。
 拍子抜けして東部部族のウラウロイが作ったマストネラという装身具だと教えると、興味深そうに聞いていたが、値段を言うと驚いたようだった。僕も安すぎる気はしていたが、目利きではないのでよくわからない。隊長は幾らだと思ったのだろうと考えていると、鑑定に出したいから貸してくれと言う。今度は僕の方が驚いて、素っ頓狂な声を上げてしまった。これを鑑定に出してどうすると言うのだろう。困惑していると、隊長は「しめた」という風に笑みを溢した。「俺の見立てに間違いがなければ、それはいい輸入品になる」と。

 ──どうやら、我が国は財政難を迎えずに済みそうだ。


◇◇◇


 今にも崩れそうな古い建物。その前にリューシは立っていた。
 
 細い路地をひたすら歩いた先の奥まった場所にひっそりと、賑やかな表通りから隔絶するように、その建物はあった。煉瓦造りの2階建てだが、横幅は極端に狭い。両脇の家との間隔が殆どないのも相まって、押し潰されているように見える。大抵の商店に備え付けられている看板というものは見当たらないが、教えられた場所はここで間違いない。

 取っ手のない内開きの扉を押す。途端、得体の知れない香りが襲いかかってきた。噎せるようなにおいは、アロマか何かだろうか。その中に薬草のようなにおいや煙草のにおいも混ざっている。形容し難い嗅覚への刺激に顔をしかめながらも中へ足を進めた。

 店内は外観通り幅が狭く、手を広げられない程しかない。その両側の壁1面に棚が据え付けられており、所狭しと商品が──ともすればガラクタに見える物が並べられている。存外奥行きはかなりあり、細長い蛇のような空間だ。

『劇薬』
 
 ラベルにそれだけ書かれている小瓶を見つけ、ぎょっとした。何を売っているんだ、ここは。骨董屋だと聞いたのは間違いなのか。

「……いらっしゃい」

 店内の奥から声をかけられる。妙に張りのあるその声は、どこかで聞いたような気がする。はてなと首を傾げ、店主の姿を認めた瞬間、思わずあっと声を上げた。

「あんたは……」

 リューシの声に、古めかしい机の向こうに座る老人が読んでいた本を閉じて顔を上げる。薄暗い店内で、鷲鼻がはっきり見えた。

「おや……皇妃殿じゃないか」

 あの時はフードに隠れていたが、すうっと細められた目はかなりの鋭さを以てリューシを見つめた。

「ふむ……生きていたなら結構、結構」

 そう言いながら、緩慢な動作でパイプに詰めた煙草に火をつける。ゆっくりと上がった紫煙が揺らめきながら流れた。

「フォンド男爵とやらの屋敷には行ったのか」
「……ああ」
「ならば、お前さんの馬が何を伝えようとしていたか、よくわかったろう」

 リューシは黙って店主を見た。

 青馬がなぜ、ああも暴走したのか。火事の騒動が終息してからようやく気付いた。
 青馬は、避難する人々の声をいち早く察知したのだ。それで、この先に進むのは危険だと判断した。しかし、自分が行くまいとしたところで主には伝わらない。だから直接悲鳴を聞かせようとした。主の耳が喧騒を捉えられる所まで、早く行こうとした。そうすれば気付いて貰える。青馬はそう考えたのだ。

「賢い馬だ。いい馬を持っているな、お前さんは」

 店主はふうっと煙を吐き出した。コンコンと机にパイプを打ち付け、「それで、」と言葉を継いだ。

「どういう用件でここに? まさかこのガラクタを買いに来た訳じゃあないだろう」
「……これについて話を聞きたい」

 カタンと店主の前に銀細工の輪を置く。リーンに借りている、例の装飾品──マストネラだ。

「これを買った者から、ウラウロイという東部部族から仕入れたと聞いたんだが」
「ああ。そうだ。旅の土産にと思ってな……」
「原価は幾らだった」
「3ガルだ」

 耳を疑った。
 3ガル。街の屋台で売っている軽食程度の値段でしかない。
 絶句しているリューシに店主は「安いだろう?」と言った。

「安いなんてものじゃない……タダ同然だ。少なくとも500ガルの価値はあるはずだ。鑑定に出したからわかる。それが、なぜそんな値段になるんだ」
「彼らは、商売というものをした事があまりない。だから自分たちが作ったモノの価値がわからない。俺が渡した1ガル硬貨3枚も、彼らにとっては珍しいモノとの物々交換でしかない。それだけの理由だ」
 
 ──物々交換……

 衝撃だった。この世界で20年以上生きてきて、そんな原始的な生活をしている部族が国内に残っていると知らなかった。次期皇后としての教育で嫌という程ルバルア帝国について学習したものだが、ウラウロイという東部部族の話を聞いた事もなければ、未開部族が残っている事も教えられなかったのだ。

 ルバルア帝国内の少数民族は2代目の皇帝の時に殆ど消滅したと、どの歴史の本にも記されている。原因は大量虐殺だ。

 2代皇帝は、長いルバルアの歴史の中でも特に暴君と名高い。気に入らない者は誰であろうと拷問にかけ、なぶり殺したと伝えられている。その暴君の最も残虐な所業として知られるのが「ルバルア少数民族大虐殺」だ。

 狩りに出掛けた先で、森を住みかにする少数民族の少年が皇帝の狙っていた獲物を射ってしまった。それが彼の逆鱗に触れた。少年はその場で気を失う寸前まで殴りつけられ、首を切られた。森の住民達は怒って皇帝一向を襲ったが、棒切れの先に石を付けた槍では勝てなかった。その部族は老若男女皆殺しとなり、森から姿を消した。
 何を思ったか、それから皇帝は他の少数民族までも殺し始めた。兵士達に命じた主な殺害方法は撲殺だったと言う。捕らえた者をその辺りにある石でひたすら打ち付け、殴り殺すのだ。皇帝はその“遊戯”をいたく気に入り、あれだけ好んでいた鹿狩りをやめて毎日少数民族を狩った。兵士達が彼らを殴り殺す様を、隣でハープを弾かせながら眺めたという伝説まで残っている。その遊戯は目につく少数民族がいなくなるまで続いた。

 辛うじて生き残った部族は3つ。

 北部で漁業を営んでいたサラントロル族。
 南部の森の奥深くに定住していたモスフィナ族。
 西部の荒野の遊牧民だったナナカラバン族。

 彼らは息を潜めて虐殺を逃れ、故郷を離れ都市に溶け込んだ。今はその子孫達が、自分達のルーツである部族の歴史を背負いながら国中に散らばって暮らしている。

 記録に残っているのはこの3部族だけ。数少ない生き残りだと後に注目されたからだ。あとの部族はものの数にもならず、忘れ去られた。屋敷に所蔵されている膨大な文献を端から端まで読まされたリューシでさえ、これら3部族以外の少数民族について書かれたものは見た事がない。ましてや、ウラウロイという名など一度も目にした試しがなかった。この東部部族の存在は恐らく誰も知らない。つまり、外部の手が加えられていないという事だ。だから未だに物々交換をする素朴な社会なのだろう。

「ウラウロイ族の居住区域がどこか、教えて欲しい」

 そう頼むと、店主はぴくりと眉を動かした。

「それを知って、どうする」
「装飾品を輸出できないか交渉する」

 駄目だ、と店主は首を振った。

「彼らは貨幣価値のない世界で生きている。交渉したところで無駄だ」
「ならば、貨幣でなくてもいい。彼らの望むものを対価にすれば問題ない」
「ウラウロイ達はあまり部外者を歓迎しない。下手すれば殺される。よしておけ」
「だが、貴方は生きて帰って来ただろう」
「運が良かったんだ」

 とりつく島もないとはこの事だ。押しても引いてもびくともしない。ここまで拒否されるとは、リューシも予想していなかった。

 そこから1時間も粘ったが、店主は「危険だ」の一点張り。意地でも口を割らない。結局口説き落とす事は出来ず、後ろ髪を引かれる思いで店を後にした。教えて貰えた事といえば、彼の名前が“ナドッカ”だという事と、ペットに蛇の“ミグ”を飼っているという事ぐらいだ。普通に考えれば脈なしだろう。

 しかし、今から他の輸出品を探すには、マストネラはあまりに魅力的過ぎた。これしかない。そう思わせる程の何かがあった。運命どうこうというものを信じる訳ではないが、偶然出会った装飾品は異様に人を惹き付ける力を持っている。

 ──まだ、諦める訳にはいかない。
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