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第1部
蹂躙
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けたたましいファンファーレの音に顔をしかめ、ベッドから降りる。そういえば今日は皇太子の婚儀だったと、寝起きの頭で思い出した。
あの正面衝突の戦から5日。他の敵が侵攻して来る事もなく、至って平穏であった。床に臥す皇帝も、今のところ何とか持ちこたえていた。
「坊ちゃん、もうお目覚めになりましたか?」
扉を叩く声。ああ、と応答すると、着替えを携えたヤスミーが入って来た。いつもの軍服とは違う、儀礼用のもの。その下には遠慮がちに純白の衣装があった。
「なぜそれを?」
軍服の方を受け取りながら尋ねる。
ルバルア帝国では、正妻以外の妻との婚儀は行わない。つまり、それは皇妃となるリューシには無用の衣装である。今日はただ護衛として出席すればよかった。
「折角用意したものですから、一度だけでも、着て頂きたくて……」
ばあやの我儘でございます。
そう笑う彼女の目は哀しかった。
「わかった」
さっと衣装を受け取り、袖を通す。正確に採寸されていてきちんと体に沿う。改めて見ると、袖口の刺繍や裾の装飾はかなり手が込んでいた。凝り性のヤスミーらしい。
完全に純白の衣装に身を包んだリューシに、彼女はクスッと笑いかけた。
「ふふ……やっぱり、坊ちゃんには似合いませんねぇ」
「そんなに可笑しいか?」
純白に包まれた自分の体を見回すと、ヤスミーはええ、と頷いた。
「坊ちゃんに白は似合いません。黒が宜しゅうございます」
口元に笑みが浮かぶのを自覚する。
──知っている。俺は白とは相容れない。
「……ああ、そうだな。白は好かない」
眩しい程の純白を脱ぎ、儀礼用の軍服に着替える。こちらも結局は白だ。
白は直ぐに汚れる。黒なら──
◇◇◇
扉を叩くと、「はぁい」と若い女の声が応えた。
「失礼します」
中に入ると、ウェディングドレスを着付けて貰っている少女がいた。それももう終盤に差し掛かっているらしく、その長い黒髪を結っているところだ。
「あ……!」
リューシの姿を認め、少女のただでさえ大きな瞳がぱっちりと開かれる。白い頬にパッと赤みが差した。保護した日以来、この少女とは顔を合わせていない。
「あの時の……!」
「ご無沙汰しております、皇后陛下」
深々と礼をして言うと、彼女はええっと声を上げた。
「そんなに畏まらないでよ! あたしの方が年下なんだし、前みたいな感じでいいって」
心中で冷笑する。どこに皇后に向かって命令口調で喋る奴がいるんだ。馬鹿馬鹿しい。
「そういうわけには参りません」
表情筋を動かさず言う。少女は不満気に頬を膨らませた。
「じゃあ、せめてその皇后陛下っていうのやめて。あたし、ミハネっていうの。美しい羽って書いて、美羽──って、わかんないよね、日本の漢字」
名前で呼べ、という事だろうか。
口をつぐんでいると、少女は上目遣いに小首をかしげた。
「ね、ミハネって呼んで。いいでしょ?」
冷めた頭で思う。これに何人かの男は騙されるだろう。あまりに無防備で守ってやりたくなる、と。
「お願い! 2人の時だけでもいいから! ねっ?」
なぜ名前で呼ばれる事に拘るのか。リューシには理解出来ない。自分に呼ばれたところで、何もないだろう。
「ミハネ様。……これで宜しいですか」
面倒になって、その名を口にする。元々桃色になっていたミハネの頬が薔薇色に染まった。髪に付けられた煌びやかなリボンが揺れる。
「うん! ホントは様もいらないけど……今はそれで!」
満足したならもういいだろうと本題に入りかけるが、それを声に出す前にミハネの弾んだ声が被さって来た。
「あなたの名前も教えて!」
「は。第1部隊隊長リューシ・ラヴォルと申します」
階級と名を告げると、彼女は破顔した。それこそ、花がほころぶように。
「リューシね! よろしく!」
──何て無警戒な。
「ミハネ様、本日の護衛は私が務めさせて頂きます。着付けが済み次第パレードとなりますので、庭に停めてある馬車にお乗り下さい」
淡々と段取りを伝える。ただそれだけなのに、下らないと笑いそうになる。
紙切れ1枚書けば夫婦なのだ。人はそれだけの事にお祭り騒ぎする。“結婚”というものには魔力でもあるのだろうか。会議の席で抗議していたこの少女も、いざその日になってみれば浮かれている。
下らない。
「うん、わかった!──あ、」
ミハネは明るく頷くと、思い出したように俯いた。
「あの、リューシ……これ、変に見えない?」
ウェディングドレスの裾を持ち上げる彼女は、恥ずかしそうに尋ねる。
「いえ。よくお似合いです」
求められているであろう答えを返すと、その表情はパッと華やいだ。
「そっか! ありがと。リューシも、その服似合ってるよ!」
「は。恐れ入ります。──では、後程」
硬い口調のままで応え、そのまま部屋を後にする。「直ぐに行くから!」と背中に声が飛んで来た。
白ばかりの1日が始まる。
◇◇◇
一通りの用が済んで宮殿をうろついていると、廊下沿いの一室からよく知った声が聞こえてきた。
「──では、後程」
真面目腐った調子で部屋から出て来る姿を認め、静かに背後から忍び寄った。
「よっ」
パシッと背中を叩く。
「ああ、バルトリス。またお前か」
その人物は特に驚く事もなく、冷静に振り返った。見慣れない儀礼用軍服が眩しい。
「似合わねぇな」
何が、とは言わないが伝わったらしい。リューシは嫌な顔もせず頷いた。
「ヤスミーにも言われた」
だろうな、とバルトリスも頷く。
真っ白な生地に金の飾り紐が付いた軍服を着た彼は、何も知らない者が見れば精悍でうっとりする程だろう。しかし、乳母のヤスミーや自分のように付き合いが長くなると、如何に彼が白の似合わない人間かよくわかってくる。
「お前は黒がいい。真っ黒な軍服を着ればいい」
そう言うと、リューシはフッと笑みをこぼした。あまりお目にかかれないダークブラウンの瞳が真っ直ぐこちらに向けられる。
綺麗だ。何となく思った。
「馬鹿、うちの軍服はカーキ色だろ。いつ黒なんて着るんだ」
「そりゃそうだな」
それに、とリューシが続ける。
「お前だって似たようなもんだろう。全然似合ってない」
お前は赤だな。
そう言う彼の瞳が思いの外優しくて、柄にもなく戸惑う。
「赤なんて、余計に着る機会ねぇだろ」
それを誤魔化すように茶化して言うと、リューシはそれもそうかと笑った。
「今日の仕事が終わったら、一杯飲みに行くか」
「ああ。今度は俺の奢りだな」
「いいって、また俺が奢る。年上には甘えるもんだぞ」
そう先輩風を吹かせてみるが、リューシは意味あり気に口端を上げた。
「いや、今度こそ俺が出す。カッコつけても、お前が金欠なの知ってるからな?」
「ぬ……何でお前が知ってるんだよ」
なぜこいつが自分の懐事情を知っている。超能力でもあるのかと我ながらアホらしい考えが浮かぶ。
「どうせ娼館にでも通い詰めたんだろ」
あらぬ誤解にげっと妙な声が出る。これでは肯定しているも同然だと気付いた時には遅かった。
「やっぱりな。火遊びも過ぎると毒だぞ」
「違ぇよ!」
呆れたように言うリューシに「違うって!」と必死に弁解するが、「わかったわかった、お前はそういう奴だ」と流されてしまう。
確かに、無実潔白だとは言わない。が、ほんの数回だけ。本当に2、3回程度だ。通い詰めたわけではない。そう反論しても、やはり流されるだけである。自分でも、なぜこんなに必死になって弁解しているのかわからない。
「もういい、もういい。言い訳はわかったから、次は俺が奢る。それで決まりだ」
な? と小首を傾げるリューシに、ぐっと言葉が詰まる。
「一度くらい、大人しく奢られろ」
──敵わない。
やっぱり、自分はこの男には敵わない。そう思うと笑えてくる。
「んじゃ、お言葉に甘えて……仕事が終わったら迎えに行ってやっから、着替えて家で待ってろ」
「何だそれは。デートかよ」
プッと吹き出すリューシに、じわりと胸の辺りが温まる。この感覚が何なのか、今は知る必要はない。
「待っててやるから、ちゃんと迎えに来いよ」
からかうような調子で言って踵を返す彼の背を、バルトリスは何とはなしに見つめていた。
◇◇◇
沿道には新しい皇后様──皇帝存命の今は皇太子妃だが──を見ようと、人が詰めかけていた。いや、皇后だけではない。皇太子を目当てに来ている者もいる。
「素敵ねぇ……」
「お似合いだね」
「見てよ、あの皇太子様のお優しいお顔!」
「愛だわぁ……」
ルバルア帝国皇太子、ラガーディ。彼の容姿はいわゆる美男子というやつで、雄々しくも美しい皇太子は国中の女性の憧れである。その美男子と並んだ皇后──ミハネもまた、美少女と言って差し支えない。特にこの日は結い上げた黒髪がひときわ艶やかであった。
“お似合い”2人に人々が嘆息するのも当然と言えば当然なのだろう。
「あ。あれって……」
「結局軍に戻ったらしいな」
「随分階級は落とされたみたいだぜ?」
「へぇ……見ろよ、あの仏頂面」
「相変わらずの冷徹だなァ」
女達のはしゃぐ横で、そんな会話がなされている。「やっぱり、ミハネ様が皇后で正解だな」と笑い声が起こった。
馬車に並走して護衛するリューシは無表情のまま、その前を通り過ぎる。
暇な奴らだ。新郎新婦だけ見ていればいいものを。
「ねぇ、リューシ」
民衆に手を振っていたミハネが馬車から身を乗り出した。
「は」
夫の鋭い視線を感じながら馬を寄せる。
「この後のパーティーなんだけど、」
ライトブラウンの瞳がきらきらと輝いている。私は幸せです。そう言っているのと同じ事だ。
「みんなを呼べないかなぁって」
「……と、言いますと?」
まさかと思って聞き返す。
まさか、国民全員とパーティーがしたいなんて言うんじゃないだろうな。
「このパレードを見に来てる人達みんなでパーティーすれば楽しいと思うの!」
そのまさかであった。
リューシは大きなため息をつくのをぐっとこらえ、至極穏やかに言った。
「それは、承諾出来ません」
ミハネがえっと声を上げる。
「どうして? 絶対楽しいよ!」
どうして、と言うその表情は、なぜリューシが反対するのか冗談でなく本当にわかっていない。
──まるで無邪気な子供だ。
呆れたような、諦めのような、救いのない感情が心を覆った。
「国民に宮殿を開放するには、幾つもの手続きがございます。仮にその手続きが出来たとしても、これだけの人数を受け入れるのは不可能です」
そう答えると、ミハネはむっとした顔で言った。
「だって、みんな一緒にお祝い出来ないなんておかしいじゃない。貴族なんかだけ特別扱いって変だよ!」
返す言葉もない。
正論だからではない。あまりに幼稚な理論に呆気に取られたのだ。
こちらとて、意地悪で民衆をパーティーに参加させないのではない。いくら宮殿といえども広さには限りがある。広さが無限だったとしても、それだけの人数だと警備も行き届かなくなるだろう。だから、パーティーには主要な人物だけ参加してもらい、他はパレードや各地のイベントで楽しんでもらおうという事なのだ。彼らもその辺りは承知で見学しに来ている。その意図も汲み取れないというのか。
「一般人だからってパーティーにも来られないなんて、可哀想。絶対おかしいもん!」
可哀想。
この世で一番嫌いな言葉だ。
哀れみ、見下す偽善者の台詞。お優しい皇后様のつもりか。笑わせる。
「理由あっての事です。ご理解下さい」
だけど、と愚図るミハネに途方に暮れる。べそまでかき始めたらしい。この少女に理解を求めるのは無理だと悟った。
「本日のみ、宮殿を開放しろ」
威圧的な声に驚く。視線を移すと、ラガーディが射るような目でこちらを睨み付けていた。
「しかし、」
「口答えするな。命令だ」
有無を言わせぬ口調に、押し黙る。こんな無茶な命令があってたまるか。どれだけ無理な事を言っているか、わからないのか。
「従わないなら……わかっているだろう」
ミハネに聞こえないよう、耳元で低く囁かれる。
今度は脅しか。
命令を聞かなければ除隊すると?
「お前じゃない。ロドスを処分する」
「な……っ!」
「お前とは昔から釣るんでいたな?」
こんな卑怯な手を使うのか、この男は。リューシは絶望的な気分に陥った。
──やはり、変わってしまった。
昔の彼が脳裏にちらつく。が、自分に懐古趣味はない。直ぐに振り払った。
彼に逆らうという選択肢は与えられていない。
「……承知しました」
答えると、ラガーディは満足気に鼻を鳴らした。
「初めからそう言えばいいものを」
体を離し、ミハネに向き直った。その表情は柔らかく、同じ人物とは思えない。見ているこちらにまで愛情が伝わってくるようだ。
2人から目を逸らし、リューシはこれから起きるであろう混乱に頭を抱えた。
◇◇◇
宮殿内はごった返すどころの騒ぎではなかった。
大広間だけでは足りず庭まで開放したが、それでも人が溢れ返っていて収集がつかない。ラガーディとミハネの護衛役のリューシは勿論、警備係の第1部隊隊員達も気が休まる間がない。
「何で俺たちがこんな事を……っておい! 俺の軍服に吐くな!」
「おいまたあっちで吐いてるぞ! 誰かバケツ持って来い!」
「そっちに迷子だ!」
「何!? ……お、お嬢ちゃん、お兄さんと一緒にママを探そうか~?」
警備係というのは、曲者がいないか目を光らせるのが仕事なのだ。それなのに、酔っ払いを摘まみ出し、飲み過ぎて気分が悪くなった者を医務室に運び、更には迷子センターのような事までしている。黒子よろしく貴人達の視界に入らないように処理するのに必死だ。正直に言えば、いい迷惑であった。
「すっごく楽しい! やっぱりみんなに来てもらって良かったね!」
ご満悦の皇太子妃殿下に、リューシは青筋を立てそうになる。
彼女が楽しいのは当たり前だ。自分たちが影で死に物狂いの働きをしているのだから。
「そんな怖い顔してないで、リューシも楽しめばいいのに」
この少女は無意識に神経を逆撫でする。
差し出されたグラスを仕方なく受け取り、一気に飲み干した。酒ではない。甘ったるいジュースだ。
顔をしかめていると、隊員の1人が指示を仰ぎに来た。何人もが入れ替わり立ち替わり来る為正確にはわからないが、もう5、6回はこの男に指示を出しただろう。
「隊長、泥酔者が増え過ぎてこれ以上は医務室に入り切りません。どうしますか」
「隣の部屋を医務室と併用しろ。あそこは空いていたはずだ。それから、一般人にグァリはもう出さないよう厨房に伝えろ。アルコール度数の低い他の酒か、ジュースに変た方がいい」
「はっ」
疲れ切った顔で敬礼する男に同情を禁じ得ない。もう2、3時間の辛抱だと心の中で励ましていたその時、どくりと心臓が波打った。
──何だ……!?
空のグラスが手から滑り落ちる。綺麗に磨かれた床の上で、透明なガラスが砕け散った。
「大丈夫ですか、隊長」
グラスの割れる音に気付いた先程の隊員が駆け寄って来る。
「ああ……大丈夫──っ!?」
──ドクッ
膝に力が入らなくなり、隊員の胸に倒れかかった。全身が焼けるように熱い。
「隊長……?」
耳元で困惑した声がする。ふっとかかった吐息に体が反応した。
「ぐ……ぁ……っ」
「た、隊長? どうされたんです? きついお酒でも飲まれたんですか? 何だか、甘い香りが……」
──まさか。
ぎょっとして隊員から離れる。少しよろめいたが、どうにかまだ歩ける。
「直ぐに、俺から離れろ……」
「しかし、医務室に行った方が……」
「早く!」
「は、はい!」
ここにいては不味い。壁伝いに出入口まで歩き、廊下に出る。会場を離れるのは気掛かりだが、今はとにかく1人にならなければならない。
「こんな時に、発情期か……っ!」
突き当たりの部屋に転がり込み、扉を閉め切る。本当なら上の階に行くか地下に行くかするのだが、ここまでで限界だった。
「はぁ……っ……くそっ……」
絨毯に座り込み、荒い息を吐く。
「何で今……っ」
前回の発情期は1ヶ月前。間隔が空いていない。Ω特有のこの症状と付き合ってもう10年になるが、周期が狂った事は一度もなかった。発情期が近くなると欠かさずに飲んでいた抑制剤を服用していない場合、どこまで症状が重くなるのか予測不能だ。
不安に駆られ、自分の体を制御出来ない情けなさと恐怖で冷静さを失いそうになる。
「……っく……」
奥が疼き、熱を持ち始めている。そう自覚して益々悔しくなった。
何とか性欲の波に耐えようとしていると、ふわりと独特の強い香りが漂ってきた。
──αがいる……!
発情期のΩに誘発されたαが発する、Ωにしかわからない匂い。それが近付いて来ている。
危険だと頭では警告しているのに、体はαを求めて疼く。感じた事のないこの矛盾に混乱する。
何か打開策はないかと回らない頭で考えるが、αの匂いはどんどん濃くなってゆく。
カツンと靴の音がした。
扉がゆっくり開かれる。逃げ場はもうない。
薄暗い中に光が射し込む。
そこに立つ姿に、息を呑んだ。
「ラガーディ……殿下……!!」
皇太子殿下はずかずかと室内に入って来た。目眩がする程の香りにこれでもかと身体中が反応する。
「ミハネの護衛を放り出して何をしているのかと思えば……発情か」
泥を吐くような口調。軽蔑の眼差しの中に、狂暴な雄の欲が見える。熱い背中に冷たい汗が流れた。
「殿下……離れて、下さい……!」
リューシの訴えに、ラガーディは鼻を鳴らす。
「ハッ……白々しい事を……僕の気を引こうとして抑制剤を飲まなかったんだろう?」
「違う……!」
あらぬ疑いに、噛みつくように反論する。が、彼が信じるはずもない。
「望み通り、僕はお前に誘発されて発情している……」
乱暴に顎を掴まれる。ぎらついた碧の瞳とかち合った。
「これで満足か?」
「……っ」
「種が欲しいんだろう?」
絨毯の上に押し付けられ、息が詰まる。
のし掛かってくる体を押し退けようと抵抗するが、思うように力が入らない。いつもの力強く俊敏な動きが、どうしても出来ない。甘い痺れにことごとく支配されている。
きっちりと着ていた軍服を引き剥がすように脱がされてゆく。剥き出しになった肌が外気に触れる。それさえも刺激になり、低く呻いた。
「殿下……っ……お止め下さい……!!」
辛うじて理性を保った悲鳴に、ラガーディが嘲笑した。
「なぜだ? お前の望み通りにしてやるというのに」
急に片脚を持ち上げられ、下着まで取り去られてしまった下半身があられもなく晒される。耐え難い羞恥と屈辱にカッと頬が火照った。
自分を見下ろす端正な面立ちを睨み付ける。ラガーディは不快そうに顔を歪めた。吐き捨てるように言う。
「その目が、気に入らない」
視線を下ろすと、そそり立つ“凶器”が目に入った。それが、自分の後孔に宛がわれている。サッと血の気が引いた。
「やめ──っ」
体を捻って逃れようとするが、遅かった。凶器は容赦なく狭い場所に押し入り、一気に貫いた。
「……っぐぁ……!」
とてつもない圧迫感に、一瞬、呼吸が出来なくなる。どうにか空気を取り込むと、続いて激痛が襲ってきた。大抵の痛みには慣れているはずの軍人でさえ意識が遠退く程の痛み。目の前が真っ白に弾けた。
「う……ぐ……っ」
生理的な涙が溢れる。
発情して受け入れ易くなっているとはいえ、慣らしもせずに捩じ込まれれば負担は大きい。痛覚は正常に機能しているのだ。発情中でも快感ばかりになるわけではない。それも完全に無視した、獣のような交わり。叩き付けるように腰を振られ、悲鳴が漏れた。
「い゛……っあ……!」
「もう少しマシな声でも出せないのか」
苦しい声を上げるリューシに、ラガーディは更に激しく中を突き上げる。再奥を何度も攻められ、苦痛とは裏腹に溢れ出る蜜がぐちょぐちょと卑猥な水音を立てる。内壁がぎゅっと締まると、中に埋められているそれは一層狂暴さを増した。
──この拷問は、いつまで続くんだ。
自尊心もろとも蹂躙されるこの時間はいつまで続くのか。きっと、ラガーディの気が済むまで終わらない。
もういっそ、死んでしまえばとさえ思う。後孔で激しく出入りする肉棒を、どこか他人事のように眺める自分が惨めだ。痛みの中に快楽を感じ始めているこの身体も惨めだ。
あの正面衝突の戦から5日。他の敵が侵攻して来る事もなく、至って平穏であった。床に臥す皇帝も、今のところ何とか持ちこたえていた。
「坊ちゃん、もうお目覚めになりましたか?」
扉を叩く声。ああ、と応答すると、着替えを携えたヤスミーが入って来た。いつもの軍服とは違う、儀礼用のもの。その下には遠慮がちに純白の衣装があった。
「なぜそれを?」
軍服の方を受け取りながら尋ねる。
ルバルア帝国では、正妻以外の妻との婚儀は行わない。つまり、それは皇妃となるリューシには無用の衣装である。今日はただ護衛として出席すればよかった。
「折角用意したものですから、一度だけでも、着て頂きたくて……」
ばあやの我儘でございます。
そう笑う彼女の目は哀しかった。
「わかった」
さっと衣装を受け取り、袖を通す。正確に採寸されていてきちんと体に沿う。改めて見ると、袖口の刺繍や裾の装飾はかなり手が込んでいた。凝り性のヤスミーらしい。
完全に純白の衣装に身を包んだリューシに、彼女はクスッと笑いかけた。
「ふふ……やっぱり、坊ちゃんには似合いませんねぇ」
「そんなに可笑しいか?」
純白に包まれた自分の体を見回すと、ヤスミーはええ、と頷いた。
「坊ちゃんに白は似合いません。黒が宜しゅうございます」
口元に笑みが浮かぶのを自覚する。
──知っている。俺は白とは相容れない。
「……ああ、そうだな。白は好かない」
眩しい程の純白を脱ぎ、儀礼用の軍服に着替える。こちらも結局は白だ。
白は直ぐに汚れる。黒なら──
◇◇◇
扉を叩くと、「はぁい」と若い女の声が応えた。
「失礼します」
中に入ると、ウェディングドレスを着付けて貰っている少女がいた。それももう終盤に差し掛かっているらしく、その長い黒髪を結っているところだ。
「あ……!」
リューシの姿を認め、少女のただでさえ大きな瞳がぱっちりと開かれる。白い頬にパッと赤みが差した。保護した日以来、この少女とは顔を合わせていない。
「あの時の……!」
「ご無沙汰しております、皇后陛下」
深々と礼をして言うと、彼女はええっと声を上げた。
「そんなに畏まらないでよ! あたしの方が年下なんだし、前みたいな感じでいいって」
心中で冷笑する。どこに皇后に向かって命令口調で喋る奴がいるんだ。馬鹿馬鹿しい。
「そういうわけには参りません」
表情筋を動かさず言う。少女は不満気に頬を膨らませた。
「じゃあ、せめてその皇后陛下っていうのやめて。あたし、ミハネっていうの。美しい羽って書いて、美羽──って、わかんないよね、日本の漢字」
名前で呼べ、という事だろうか。
口をつぐんでいると、少女は上目遣いに小首をかしげた。
「ね、ミハネって呼んで。いいでしょ?」
冷めた頭で思う。これに何人かの男は騙されるだろう。あまりに無防備で守ってやりたくなる、と。
「お願い! 2人の時だけでもいいから! ねっ?」
なぜ名前で呼ばれる事に拘るのか。リューシには理解出来ない。自分に呼ばれたところで、何もないだろう。
「ミハネ様。……これで宜しいですか」
面倒になって、その名を口にする。元々桃色になっていたミハネの頬が薔薇色に染まった。髪に付けられた煌びやかなリボンが揺れる。
「うん! ホントは様もいらないけど……今はそれで!」
満足したならもういいだろうと本題に入りかけるが、それを声に出す前にミハネの弾んだ声が被さって来た。
「あなたの名前も教えて!」
「は。第1部隊隊長リューシ・ラヴォルと申します」
階級と名を告げると、彼女は破顔した。それこそ、花がほころぶように。
「リューシね! よろしく!」
──何て無警戒な。
「ミハネ様、本日の護衛は私が務めさせて頂きます。着付けが済み次第パレードとなりますので、庭に停めてある馬車にお乗り下さい」
淡々と段取りを伝える。ただそれだけなのに、下らないと笑いそうになる。
紙切れ1枚書けば夫婦なのだ。人はそれだけの事にお祭り騒ぎする。“結婚”というものには魔力でもあるのだろうか。会議の席で抗議していたこの少女も、いざその日になってみれば浮かれている。
下らない。
「うん、わかった!──あ、」
ミハネは明るく頷くと、思い出したように俯いた。
「あの、リューシ……これ、変に見えない?」
ウェディングドレスの裾を持ち上げる彼女は、恥ずかしそうに尋ねる。
「いえ。よくお似合いです」
求められているであろう答えを返すと、その表情はパッと華やいだ。
「そっか! ありがと。リューシも、その服似合ってるよ!」
「は。恐れ入ります。──では、後程」
硬い口調のままで応え、そのまま部屋を後にする。「直ぐに行くから!」と背中に声が飛んで来た。
白ばかりの1日が始まる。
◇◇◇
一通りの用が済んで宮殿をうろついていると、廊下沿いの一室からよく知った声が聞こえてきた。
「──では、後程」
真面目腐った調子で部屋から出て来る姿を認め、静かに背後から忍び寄った。
「よっ」
パシッと背中を叩く。
「ああ、バルトリス。またお前か」
その人物は特に驚く事もなく、冷静に振り返った。見慣れない儀礼用軍服が眩しい。
「似合わねぇな」
何が、とは言わないが伝わったらしい。リューシは嫌な顔もせず頷いた。
「ヤスミーにも言われた」
だろうな、とバルトリスも頷く。
真っ白な生地に金の飾り紐が付いた軍服を着た彼は、何も知らない者が見れば精悍でうっとりする程だろう。しかし、乳母のヤスミーや自分のように付き合いが長くなると、如何に彼が白の似合わない人間かよくわかってくる。
「お前は黒がいい。真っ黒な軍服を着ればいい」
そう言うと、リューシはフッと笑みをこぼした。あまりお目にかかれないダークブラウンの瞳が真っ直ぐこちらに向けられる。
綺麗だ。何となく思った。
「馬鹿、うちの軍服はカーキ色だろ。いつ黒なんて着るんだ」
「そりゃそうだな」
それに、とリューシが続ける。
「お前だって似たようなもんだろう。全然似合ってない」
お前は赤だな。
そう言う彼の瞳が思いの外優しくて、柄にもなく戸惑う。
「赤なんて、余計に着る機会ねぇだろ」
それを誤魔化すように茶化して言うと、リューシはそれもそうかと笑った。
「今日の仕事が終わったら、一杯飲みに行くか」
「ああ。今度は俺の奢りだな」
「いいって、また俺が奢る。年上には甘えるもんだぞ」
そう先輩風を吹かせてみるが、リューシは意味あり気に口端を上げた。
「いや、今度こそ俺が出す。カッコつけても、お前が金欠なの知ってるからな?」
「ぬ……何でお前が知ってるんだよ」
なぜこいつが自分の懐事情を知っている。超能力でもあるのかと我ながらアホらしい考えが浮かぶ。
「どうせ娼館にでも通い詰めたんだろ」
あらぬ誤解にげっと妙な声が出る。これでは肯定しているも同然だと気付いた時には遅かった。
「やっぱりな。火遊びも過ぎると毒だぞ」
「違ぇよ!」
呆れたように言うリューシに「違うって!」と必死に弁解するが、「わかったわかった、お前はそういう奴だ」と流されてしまう。
確かに、無実潔白だとは言わない。が、ほんの数回だけ。本当に2、3回程度だ。通い詰めたわけではない。そう反論しても、やはり流されるだけである。自分でも、なぜこんなに必死になって弁解しているのかわからない。
「もういい、もういい。言い訳はわかったから、次は俺が奢る。それで決まりだ」
な? と小首を傾げるリューシに、ぐっと言葉が詰まる。
「一度くらい、大人しく奢られろ」
──敵わない。
やっぱり、自分はこの男には敵わない。そう思うと笑えてくる。
「んじゃ、お言葉に甘えて……仕事が終わったら迎えに行ってやっから、着替えて家で待ってろ」
「何だそれは。デートかよ」
プッと吹き出すリューシに、じわりと胸の辺りが温まる。この感覚が何なのか、今は知る必要はない。
「待っててやるから、ちゃんと迎えに来いよ」
からかうような調子で言って踵を返す彼の背を、バルトリスは何とはなしに見つめていた。
◇◇◇
沿道には新しい皇后様──皇帝存命の今は皇太子妃だが──を見ようと、人が詰めかけていた。いや、皇后だけではない。皇太子を目当てに来ている者もいる。
「素敵ねぇ……」
「お似合いだね」
「見てよ、あの皇太子様のお優しいお顔!」
「愛だわぁ……」
ルバルア帝国皇太子、ラガーディ。彼の容姿はいわゆる美男子というやつで、雄々しくも美しい皇太子は国中の女性の憧れである。その美男子と並んだ皇后──ミハネもまた、美少女と言って差し支えない。特にこの日は結い上げた黒髪がひときわ艶やかであった。
“お似合い”2人に人々が嘆息するのも当然と言えば当然なのだろう。
「あ。あれって……」
「結局軍に戻ったらしいな」
「随分階級は落とされたみたいだぜ?」
「へぇ……見ろよ、あの仏頂面」
「相変わらずの冷徹だなァ」
女達のはしゃぐ横で、そんな会話がなされている。「やっぱり、ミハネ様が皇后で正解だな」と笑い声が起こった。
馬車に並走して護衛するリューシは無表情のまま、その前を通り過ぎる。
暇な奴らだ。新郎新婦だけ見ていればいいものを。
「ねぇ、リューシ」
民衆に手を振っていたミハネが馬車から身を乗り出した。
「は」
夫の鋭い視線を感じながら馬を寄せる。
「この後のパーティーなんだけど、」
ライトブラウンの瞳がきらきらと輝いている。私は幸せです。そう言っているのと同じ事だ。
「みんなを呼べないかなぁって」
「……と、言いますと?」
まさかと思って聞き返す。
まさか、国民全員とパーティーがしたいなんて言うんじゃないだろうな。
「このパレードを見に来てる人達みんなでパーティーすれば楽しいと思うの!」
そのまさかであった。
リューシは大きなため息をつくのをぐっとこらえ、至極穏やかに言った。
「それは、承諾出来ません」
ミハネがえっと声を上げる。
「どうして? 絶対楽しいよ!」
どうして、と言うその表情は、なぜリューシが反対するのか冗談でなく本当にわかっていない。
──まるで無邪気な子供だ。
呆れたような、諦めのような、救いのない感情が心を覆った。
「国民に宮殿を開放するには、幾つもの手続きがございます。仮にその手続きが出来たとしても、これだけの人数を受け入れるのは不可能です」
そう答えると、ミハネはむっとした顔で言った。
「だって、みんな一緒にお祝い出来ないなんておかしいじゃない。貴族なんかだけ特別扱いって変だよ!」
返す言葉もない。
正論だからではない。あまりに幼稚な理論に呆気に取られたのだ。
こちらとて、意地悪で民衆をパーティーに参加させないのではない。いくら宮殿といえども広さには限りがある。広さが無限だったとしても、それだけの人数だと警備も行き届かなくなるだろう。だから、パーティーには主要な人物だけ参加してもらい、他はパレードや各地のイベントで楽しんでもらおうという事なのだ。彼らもその辺りは承知で見学しに来ている。その意図も汲み取れないというのか。
「一般人だからってパーティーにも来られないなんて、可哀想。絶対おかしいもん!」
可哀想。
この世で一番嫌いな言葉だ。
哀れみ、見下す偽善者の台詞。お優しい皇后様のつもりか。笑わせる。
「理由あっての事です。ご理解下さい」
だけど、と愚図るミハネに途方に暮れる。べそまでかき始めたらしい。この少女に理解を求めるのは無理だと悟った。
「本日のみ、宮殿を開放しろ」
威圧的な声に驚く。視線を移すと、ラガーディが射るような目でこちらを睨み付けていた。
「しかし、」
「口答えするな。命令だ」
有無を言わせぬ口調に、押し黙る。こんな無茶な命令があってたまるか。どれだけ無理な事を言っているか、わからないのか。
「従わないなら……わかっているだろう」
ミハネに聞こえないよう、耳元で低く囁かれる。
今度は脅しか。
命令を聞かなければ除隊すると?
「お前じゃない。ロドスを処分する」
「な……っ!」
「お前とは昔から釣るんでいたな?」
こんな卑怯な手を使うのか、この男は。リューシは絶望的な気分に陥った。
──やはり、変わってしまった。
昔の彼が脳裏にちらつく。が、自分に懐古趣味はない。直ぐに振り払った。
彼に逆らうという選択肢は与えられていない。
「……承知しました」
答えると、ラガーディは満足気に鼻を鳴らした。
「初めからそう言えばいいものを」
体を離し、ミハネに向き直った。その表情は柔らかく、同じ人物とは思えない。見ているこちらにまで愛情が伝わってくるようだ。
2人から目を逸らし、リューシはこれから起きるであろう混乱に頭を抱えた。
◇◇◇
宮殿内はごった返すどころの騒ぎではなかった。
大広間だけでは足りず庭まで開放したが、それでも人が溢れ返っていて収集がつかない。ラガーディとミハネの護衛役のリューシは勿論、警備係の第1部隊隊員達も気が休まる間がない。
「何で俺たちがこんな事を……っておい! 俺の軍服に吐くな!」
「おいまたあっちで吐いてるぞ! 誰かバケツ持って来い!」
「そっちに迷子だ!」
「何!? ……お、お嬢ちゃん、お兄さんと一緒にママを探そうか~?」
警備係というのは、曲者がいないか目を光らせるのが仕事なのだ。それなのに、酔っ払いを摘まみ出し、飲み過ぎて気分が悪くなった者を医務室に運び、更には迷子センターのような事までしている。黒子よろしく貴人達の視界に入らないように処理するのに必死だ。正直に言えば、いい迷惑であった。
「すっごく楽しい! やっぱりみんなに来てもらって良かったね!」
ご満悦の皇太子妃殿下に、リューシは青筋を立てそうになる。
彼女が楽しいのは当たり前だ。自分たちが影で死に物狂いの働きをしているのだから。
「そんな怖い顔してないで、リューシも楽しめばいいのに」
この少女は無意識に神経を逆撫でする。
差し出されたグラスを仕方なく受け取り、一気に飲み干した。酒ではない。甘ったるいジュースだ。
顔をしかめていると、隊員の1人が指示を仰ぎに来た。何人もが入れ替わり立ち替わり来る為正確にはわからないが、もう5、6回はこの男に指示を出しただろう。
「隊長、泥酔者が増え過ぎてこれ以上は医務室に入り切りません。どうしますか」
「隣の部屋を医務室と併用しろ。あそこは空いていたはずだ。それから、一般人にグァリはもう出さないよう厨房に伝えろ。アルコール度数の低い他の酒か、ジュースに変た方がいい」
「はっ」
疲れ切った顔で敬礼する男に同情を禁じ得ない。もう2、3時間の辛抱だと心の中で励ましていたその時、どくりと心臓が波打った。
──何だ……!?
空のグラスが手から滑り落ちる。綺麗に磨かれた床の上で、透明なガラスが砕け散った。
「大丈夫ですか、隊長」
グラスの割れる音に気付いた先程の隊員が駆け寄って来る。
「ああ……大丈夫──っ!?」
──ドクッ
膝に力が入らなくなり、隊員の胸に倒れかかった。全身が焼けるように熱い。
「隊長……?」
耳元で困惑した声がする。ふっとかかった吐息に体が反応した。
「ぐ……ぁ……っ」
「た、隊長? どうされたんです? きついお酒でも飲まれたんですか? 何だか、甘い香りが……」
──まさか。
ぎょっとして隊員から離れる。少しよろめいたが、どうにかまだ歩ける。
「直ぐに、俺から離れろ……」
「しかし、医務室に行った方が……」
「早く!」
「は、はい!」
ここにいては不味い。壁伝いに出入口まで歩き、廊下に出る。会場を離れるのは気掛かりだが、今はとにかく1人にならなければならない。
「こんな時に、発情期か……っ!」
突き当たりの部屋に転がり込み、扉を閉め切る。本当なら上の階に行くか地下に行くかするのだが、ここまでで限界だった。
「はぁ……っ……くそっ……」
絨毯に座り込み、荒い息を吐く。
「何で今……っ」
前回の発情期は1ヶ月前。間隔が空いていない。Ω特有のこの症状と付き合ってもう10年になるが、周期が狂った事は一度もなかった。発情期が近くなると欠かさずに飲んでいた抑制剤を服用していない場合、どこまで症状が重くなるのか予測不能だ。
不安に駆られ、自分の体を制御出来ない情けなさと恐怖で冷静さを失いそうになる。
「……っく……」
奥が疼き、熱を持ち始めている。そう自覚して益々悔しくなった。
何とか性欲の波に耐えようとしていると、ふわりと独特の強い香りが漂ってきた。
──αがいる……!
発情期のΩに誘発されたαが発する、Ωにしかわからない匂い。それが近付いて来ている。
危険だと頭では警告しているのに、体はαを求めて疼く。感じた事のないこの矛盾に混乱する。
何か打開策はないかと回らない頭で考えるが、αの匂いはどんどん濃くなってゆく。
カツンと靴の音がした。
扉がゆっくり開かれる。逃げ場はもうない。
薄暗い中に光が射し込む。
そこに立つ姿に、息を呑んだ。
「ラガーディ……殿下……!!」
皇太子殿下はずかずかと室内に入って来た。目眩がする程の香りにこれでもかと身体中が反応する。
「ミハネの護衛を放り出して何をしているのかと思えば……発情か」
泥を吐くような口調。軽蔑の眼差しの中に、狂暴な雄の欲が見える。熱い背中に冷たい汗が流れた。
「殿下……離れて、下さい……!」
リューシの訴えに、ラガーディは鼻を鳴らす。
「ハッ……白々しい事を……僕の気を引こうとして抑制剤を飲まなかったんだろう?」
「違う……!」
あらぬ疑いに、噛みつくように反論する。が、彼が信じるはずもない。
「望み通り、僕はお前に誘発されて発情している……」
乱暴に顎を掴まれる。ぎらついた碧の瞳とかち合った。
「これで満足か?」
「……っ」
「種が欲しいんだろう?」
絨毯の上に押し付けられ、息が詰まる。
のし掛かってくる体を押し退けようと抵抗するが、思うように力が入らない。いつもの力強く俊敏な動きが、どうしても出来ない。甘い痺れにことごとく支配されている。
きっちりと着ていた軍服を引き剥がすように脱がされてゆく。剥き出しになった肌が外気に触れる。それさえも刺激になり、低く呻いた。
「殿下……っ……お止め下さい……!!」
辛うじて理性を保った悲鳴に、ラガーディが嘲笑した。
「なぜだ? お前の望み通りにしてやるというのに」
急に片脚を持ち上げられ、下着まで取り去られてしまった下半身があられもなく晒される。耐え難い羞恥と屈辱にカッと頬が火照った。
自分を見下ろす端正な面立ちを睨み付ける。ラガーディは不快そうに顔を歪めた。吐き捨てるように言う。
「その目が、気に入らない」
視線を下ろすと、そそり立つ“凶器”が目に入った。それが、自分の後孔に宛がわれている。サッと血の気が引いた。
「やめ──っ」
体を捻って逃れようとするが、遅かった。凶器は容赦なく狭い場所に押し入り、一気に貫いた。
「……っぐぁ……!」
とてつもない圧迫感に、一瞬、呼吸が出来なくなる。どうにか空気を取り込むと、続いて激痛が襲ってきた。大抵の痛みには慣れているはずの軍人でさえ意識が遠退く程の痛み。目の前が真っ白に弾けた。
「う……ぐ……っ」
生理的な涙が溢れる。
発情して受け入れ易くなっているとはいえ、慣らしもせずに捩じ込まれれば負担は大きい。痛覚は正常に機能しているのだ。発情中でも快感ばかりになるわけではない。それも完全に無視した、獣のような交わり。叩き付けるように腰を振られ、悲鳴が漏れた。
「い゛……っあ……!」
「もう少しマシな声でも出せないのか」
苦しい声を上げるリューシに、ラガーディは更に激しく中を突き上げる。再奥を何度も攻められ、苦痛とは裏腹に溢れ出る蜜がぐちょぐちょと卑猥な水音を立てる。内壁がぎゅっと締まると、中に埋められているそれは一層狂暴さを増した。
──この拷問は、いつまで続くんだ。
自尊心もろとも蹂躙されるこの時間はいつまで続くのか。きっと、ラガーディの気が済むまで終わらない。
もういっそ、死んでしまえばとさえ思う。後孔で激しく出入りする肉棒を、どこか他人事のように眺める自分が惨めだ。痛みの中に快楽を感じ始めているこの身体も惨めだ。
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