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2 未知の世界
2-2.独りのはじまり
しおりを挟む「Aクラス…ここか」
ホールから階段を上がって、二階の廊下を真っ直ぐ進むと、突き当たりに1-Aの札が下がった教室があった。
Bクラスは一つ手前の教室だったので、既にバルトとは別れている。
(緊張する…)
中からは、既に生徒たちの騒めきが聞こえる。
他の子達は、既に知り合いということもあるのだろうか。
どうしよう。僕が入って行く余地なんてなかったら。
「入らないんですの?」
声をかけられて、瞳を瞬く。
そこにいたのは、滑らかな青髪と薄赤い瞳を持つ可愛らしい少女だった。その後ろから、同じ色の少年が続く。
顔立ちが非常に似ているが、双子だろうか。
「君もAクラスなのだろう?のんびりしていると良い席を取られてしまうよ」
「そうですわ。特に今年は第二王女殿下がいらっしゃいますから、競争率は高いですわよ」
人差し指を立てた少女の物言いに、少年は笑う。
「近くに座ったからと言って、お近づきになれるとは限らないけどな」
「あら、遠くに座るよりは幾らか可能性がありますわ。ほら、ヴィンツ。あの方たちも狙っていてよ。
では、私たちは行きますわね。またお話させてくださいませ」
「おい、先に行くな。俺も行く」
少年は最後に振り返って、「また会おう」とだけ言って、少女の後を追って教室へ入っていった。
「あ……」
返事をする間もなく行ってしまった。
緊張で笑うことさえできなかったが、変な印象を与えてはいないだろうか。
頬を両手で包み込む。
(凄いな、初対面でこんなにあっさり話しかけてくるなんて)
流石は貴族。
そこまで考えて、はたと気づく。
何も憚らずに話しかけてきて、今の二人もAクラス。ということは、もしかして公爵家の令嬢令息だったりしないだろうか…?
急に不安になってきた。
僕は知識としては知っていても、実際に身分の高い人を目にしたり、接したりしたことはない。
知らずに失礼な振る舞いをしてしまうことも十分にあり得る。
とりあえず今の出来事は忘れて、これからは気をつけよう。
と言って、気張るほど表情が固まるのだが。
教室の中へと、そっと足を踏み出した。
◇
教室に踏み入った途端、皆の視線を感じる。
流石は貴族。堂々と目線を寄越しはしないものの、しっかりと周りを観察している。
双子が言っていたように、前列の真ん中らへんの席には、人が群がっているようだった。
視認できないが、その中心にいるのがおそらく王女殿下だろう。興味はあるが、あの輪の中に入っていく勇気はない。
別に目立ちたいわけではないので、後方へと進み、最後列の一番左の席に腰掛けた。
周りの会話力が凄すぎて、正直やっていける気がしていない。
先程の双子も教室の右側で、何やら人に囲まれていた。
ただ、たまにこちらをチラチラと伺うような視線だけを、ずっと感じる。
(僕の顔に…何かついてる?)
そんなことはないはずだが、そうとしか思えなかった。
「話しかけてみましょうよ…!」
「わ、私は無理ですわ。話題が思いつきません」
(?)
近くから聞こえた声に、目を向ける。
何やら数人の令嬢が、固まって何かを話しているようだった。
「仲良くなりましょうでいいのではないですか?」
「そんな、高貴な方だったらどうするのです」
「あ、こちらを向きなさったわ。今ですわよ」
一人の令嬢が近づいてきたので、身構える。
柔らかな茶髪を腰あたりまで伸ばした、女性らしい令嬢である。
令嬢は僕の前まで来て礼をすると、微笑んだ。
「ご機嫌麗しゅう。クラーラ・ヴェルデミスと申しますわ。貴方のお名前を伺ってもよろしくて?」
「あ…」
どうしよう。
とりあえず、挨拶は返すべきだろう。
丁寧に椅子をひいて立ち上がり、練習した通りにお辞儀をする。
「ご挨拶いただき光栄です、クラーラ様。僕はサリエル・ルエド・ブランシュと申します」
小さく、キャーという声が聞こえる。
残りの令嬢はまだ、別の話題で盛り上がっているようだ。
「ブランシュ、というと、ブランシュ伯爵家の…」
クラーラが驚いたようにそう呟くと、後ろから令嬢たちが顔を出してきた。
「まあ、貴方があの!」
「どうりでお会いしたことがないと思いましたの」
「え、えっと…」
流石に、一気に何人もとは話せない。
興味を持ってもらえたのならありがたいが、やらかさないように必死なので気が休まらない。
「私はフローラ・ルダ・アーツと申しますわ!」
「ジルヴィア・アミュス・レトラフルです」
「グレータ・エヴィゼンですわ」
自己紹介をしてくれたので、慌てて頭の中に顔と名前を叩き込む。
フローラは赤みがかった金髪を一つに結った元気そうな令嬢で、ジルヴィアは紺色のショートヘアで眼鏡をかけた真面目そうな令嬢、グレータは亜麻色のふわふわの髪を耳の下あたりで二つに結った令嬢だった。
「お体が弱いのでしょう?何か不便があったらご相談くださいね」
「…ありがとうございます、ジルヴィア様」
既に知られている。恐るべきは貴族の情報網。
「私たち皆、ブランシュ様とお近づきになりたいと思っていますの。友人になってくださるかしら」
クラーラがそう言って微笑むので、反射的に頷いた。
「こちらこそ、よろしくお願いします。あと、僕のことはサリエル、と呼んでくださっても…」
「本当ですか!」
勢いに押されて、思わず語尾を飲み込んでしまった。
目の前には、きゃっきゃと笑い合う少女たち。
女子特有の盛り上がり方だろうか。わからない。
少し頭が痛くなってきた。
と、そこで、離れたところからこちらを伺っているもう一人の令嬢に気づく。
桃色の髪と瞳をした美しい令嬢だ。確か彼女も、先程までここにいる令嬢たちと話していたうちの一人のはずだ。
僕が友人をとってしまっただろうか。
「サリエル様」
「?」
「綺麗なお肌ですわね。羨ましいですわ」
グレータが、のほほんとした表情で僕の頬に手を伸ばしていた。内心でビクッと跳ね上がりながら、落ち着いたふりをしてゆっくりと遠ざかる。
「外出をしないので白いだけです。グレータ様のほうがお綺麗ですよ」
「まあ、嬉しいですわ」
貴族令嬢の強かさに圧倒されつつ、当たり障りないように受け答えをしていると、教室の扉が大袈裟に開く音がした。
同時に、ポロンポロンと短い音楽が流れる。
皆が何事かと前を向くと、教壇に立った一人の男性が静かに手を挙げた。
「これから、ホームルームを始めます。皆、席に着くように」
その声に従って、立ち歩いていた生徒らが近くの座席に腰を下ろす。
僕も席に座り直し、令嬢たちは軽く礼をして、元いた場所へ戻っていった。
僕の隣に座る人は居ないようだ。
何故か少しホッとして、人との関わりに慣れない自分に辟易した。
「私は、今年度Aクラスを担任するライナルトです。一年間皆さんのホームルームを担当します。よろしくお願いします」
真面目そうな、壮年の男性・ライナルトは一礼して、再び口を開く。
「まずはご入学おめでとうございます。皆さんはこれからこの学園の基礎科に三年間、高等科に三年間通うこととなります。ここで学ぶことは、仲間と切磋琢磨し己の能力を高めることに加え、将来皆さんが国政を担っていく上で大きな助けになります。皆さんの、そしてこの国の未来のために、大いに努力してください」
(未来…か)
「そして学園には、研究会・同好会と呼ばれる組織が存在します。そこでは、自らの興味を活かし、面白いものや新たな発見に触れて、仲間とともに活動する喜びを得ることができます。これから紹介もありますが、ぜひ参加して、世の中に対する視野を広げていただきたいと思います。
また学園には、普段の勉学や実践の他に、数々の行事があります。企画、運営を通して学ぶことも多いでしょうし、人との関わりを学ぶ上でも良い経験になるでしょう」
「皆さんは今まで、あくまで自分の家の一息子・娘として過ごしてきたと思います。勿論学園でも、皆さんがそれぞれの家の一員であることに変わりはありませんが、ここでは、決めるのは全て皆さん自身です。どの授業を受けるのか、誰と仲良くし、行動を共にするのか。どの研究会に所属するのか。全て、自分自身で決めるのです。
自分の意思を持ち、自分の決定に責任を持って過ごしてください。当然、学内で両親の権力に頼ることはできません。
また、これは社交界の基本ですが、立場が上の者は、下の者に寛容に、立場が下の者は、上の者に敬意を持って接するようにしてください」
頷く。
「それでは、これからの動きについて説明します。本日は、出席をとったのち解散。基本的には、寮へ行って、ルームメイトとの顔合わせと、自分の荷物の整理をすることになると思います。Aクラスの皆さんは、教室棟から一番近いフェザント寮に、部屋が割り当てられています。人数の都合上1人部屋になっているところもありますが、基本的には二人部屋です。荷物は入学式の間に運び込まれているので安心してください」
少し、教室がざわつく。
僕も二人部屋なんて初耳だ。
それに、もしクラスごとに寮が分かれるのならば、寮もバルトと別々ということになってしまう。
(ふ、不安しかない)
「明日は、十時にこの教室に集合。前期の時間割の説明と、選択授業の説明、校舎の説明をします。その後は、各研究会と同好会の代表者が教室を回って紹介をしてくださるので、それを聞きます。授業は明後日から始まります」
「何か質問はありますか?」
スッと一人の手が上がる。
教室に入る前に話しかけられた、青髪の少年だった。
「ヴィンツェンツ君」
(ヴィンツェンツっていうのか)
「寮はクラスごとに異なるのですか?」
「はい。Bクラスはアウル寮、Cクラスはシーアット寮、Dクラスはスクワル寮に割り当てられています」
「ありがとうございます」
(あっ)
終わった。
これでバルトとは寮も別々であることが確定した。
ツイてない。
「他にありますか?それでは、出席を取りたいと思います。フルネームを読み上げますので、返事をしてその場で起立。
一年間学びを共にする仲間に、自己紹介をお願いします」
「アーベル・ツルト・フォルン君」
「はい。アーベルと申します。騎士の家なので、剣の腕には自信があります。優秀な皆さんと切磋琢磨していきたいと思いますので、積極的に声をかけさせていただきます。俺のことは、アーベルと気軽にお呼びください。よろしくお願いします」
次々に名前が読み上げられ、生徒が思い思いの挨拶をしていく。
「続いて、サリエル・ルエド・ブランシュ君」
(きた)
「はい」
軽く息を吐いて、立ち上がる。
皆の注目が、自分に集まっているのを感じる。
自己紹介の練習をしておいて良かった。
ありがとうございます、レアジさん。
「サリエルといいます。初めて顔を合わせる方も多いかと思いますが、これを機に覚えていただけると嬉しいです。虚弱な身ではありますが、できるだけ皆さんと同じように学園生活を楽しみたいと思っていますので、僕に気を遣っていただく必要はありません。これから、仲良くしていただけると幸いです。
よろしくお願いします」
言えた…。
向けられる視線が、どういった感情のものなのかわからなくて、ドキドキしながら席に着く。
でも、一先ず乗り切ったからよしとしよう。
「ティアナ・アルヴ・レイテュイアさん」
「はい」
少し、空気が変わるのを感じた。
美しい所作で立ち上がったのは、真紅の髪で丁寧に形作られた美しいシニヨンがよく似合う姫だった。
(僕の次は殿下か)
その赤い髪からレアジさんを連想して、少し心が安らいだ。
「ティアナと申します。兄や姉たちと違い、大した才も持ち合わせておりませんが、精一杯頑張って行こうと思いますので、どうぞよろしくお願いします」
ティアナ殿下が謙虚な言葉を並べるが、声から、表情から、自信が溢れ出ているのを感じる。
流石は王女様。
できるなら関わりたくないなんて思ってしまって、そんな思考にしかいかない自分にまた呆れてしまう。
「ディルク・リーレ・クラーゼ君」
「はい」
その後も皆の自己紹介が続き、一人の名前が呼ばれたところで、「あ」と反応する。
リーゼ・フェル・ラウスという呼ばれた彼女は、先程僕に話しかけてきた令嬢たちと一緒にいた、例の桃色の令嬢だった。
名前を覚えようと頭の中にメモをしていると、彼女が座る直前にこちらを見た。
(…なんだ?)
それはもう、キラキラとした目で。
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