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0 命の期限

0-1.天使か悪魔

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『お前は死ぬ』

 ぽかんと、口を開けていたと思う。

 僕は生まれた時から体が弱く、頻繁に体調を崩していた。
 今回もまた寝込んでしまっていたのだけれど、連日の外出で少し疲れていたのだろうと言われて、僕もそう思っていた。
 別に不思議には思わなかったし、いつものことだと思っていた。
 熱が出ても、いつも数日経てば引くし、気にするほどのことでもなかった。
 怠さだって辛さだって、いつもと大差は無かったし、すぐに治ると思っていた。
 いつものように。

 いつものように。


「え…?」

 開いた口から、小さく声がこぼれた。
 理由は、魘される頭に突然響いた声。
 聞いたことのない、少し雑音の混じったような、低い声。

 その声は確かに今、「お前は死ぬ」と、そう言った。

『具体的に言うと、今夜、夜が明けぬうちに、お前は死ぬ。ああ、別に人為的な要因でも、災害が起こるわけでもないぞ。お前はその貧弱さ故に、体が持たずに死ぬだけだ』

(また…また聞こえた。)

 熱で頭が痛い。苦しいし、気持ちが悪い。
 しかし、その声だけは、嫌にはっきりと、頭の中で響いた。

「あなたは…だれ…」

『あー、管理者の一柱だ。まあ、天使か悪魔とでも思ってくれれば良い』

「ぁ…天使か…悪魔…?」

 今この声は僕が死ぬと言った。それが本当なら、この人(?)は、これから死ぬ僕を迎えにきたのだろうと、なんとなく思った。
 思ってから、自分が死ぬことを想像して、苦しくなった。
 弱い自分が嫌で、人に迷惑をかけるのが辛くて、消えてしまいたいと思ったことなら沢山あった。
 それでも、それよりも、この世界が、周りの人たちや頑張っている自分が、好きなのだ。

『ああ。とにかく、お前の命をどうこうする権利のある存在だ。敬えよ』

「これから…死ぬ…のに…?」

 口に出した途端に、涙で視界が滲む。
 わからなかった。わざわざ伝えに来なくとも、死んでしまうなら関係ないと思った。
 交わした約束も、築いてきた関係も、宣言した目標も、全部もう意味のないものになってしまうのだ。
 そんなこと、知りたくはなかった。

 もう大切な人と言葉を交わすことも、その顔を見ることも、きっとできない。

「なんでっ…なんでそんな」

 涙が止まらない。鼻が詰まって、うまく言葉を発せない。
 辛くて起き上がることも動くこともできない。

「…そんなの、とつぜん言われてもわからなっ」

 声は、暫く泣きじゃくる僕に何も言わなかった。
 そして、僕の目が大分腫れてきた頃、最初よりは歯切れが悪そうにぽつりと言った。

『…まあ、落ち着けよ。死期が早まったらどうすんだ』

「……」

 その声が少し申し訳なさを孕んでいるように聞こえて、死ぬと聞いて泣き喚くのは少し、子供っぽすぎたなと黙り込む。
 そうだ。この人は別に悪くない、と思う。人はいつか死ぬのが道理なのだと、いつか父様が言っていた。
 仕方のないことだ。
 それでも、僕はまだ子供だから、死ぬのはまだ先だと思いたかった。
 また、涙が込み上げてきて、必死に堪えた。
 苦しくて、咽せかける。

『…ありがとう。その調子でオレの話を』

 ドンドンッ
 僕の部屋の扉を、強く叩く音がした。
 驚いて息を呑む。

『チッ』

 声の主は話すのをやめたようだった。

「サリエル! 大丈夫か!」

 扉を開けて入ってきた父が、僕のベッドへと駆け寄ってくる。

「あ…父…さま…」

 反射的に手を伸ばした。
 いつもならこんな事はしないのだが、今はつまらない意地を張っている余裕もない。

 もう、会えないと思っていた。
 いつの間に帰ってきたのだろうか。今日までは、仕事で領地の外にいたはずだ。
 父は僕の手を取り、近づいてきて僕の頬をそっと拭った。

「苦しんでいると聞いて、急いで来たんだ。バルトもまだいないだろう。どこか痛いのかい?水は…もう無いようだね。持って来させよう」

 バルトに会えないのは残念だが、こんな僕を見せずに済んで良かったと思う。

「だい…じょうぶ…です、いつものことなので」

 心配の色に染まった父の顔に、僕も手を伸ばす。

 父も精悍で悪くない顔つきをしているというのに、こんな表情をしては台無しだ。
 いつも心配させてしまって本当に心が痛い。
 僕は、父が、僕を跡取りとしてではなく、一人の息子として大切に思ってくれていることを知っている。
 だから、僕が死んでしまうなんて知ってほしくはない。
 それなのに。

「だいじょうぶ…ぅう」

涙が出てきてしまった。

「本当に?そんな顔をされると益々心配になってしまうよ。それとも、なにか悲しいことでも思い出したかい? 遠慮しないで言ってくれ。言ってくれないと何もしてあげられないんだ」

 父が僕の涙や鼻水を拭いながら悲しげな顔をする。
 またそんなことを言うのだ。
 いつも思うが、父は本当に、貴族の当主らしくない。
 そんなだから周りに舐められるのだと、友人に言われたのを忘れたのだろうか。
 少しずつ泣き止みながら、僕は頑張って、父を安心させようと笑みを浮かべた。

「父様は…いてくれるだけでいいです」

 僕らしくはない弱気な言葉。けれど、今はそれでも伝えたい。

「そうか?…そうか」

 大きな手が、僕の頭を撫でて、掛布団をかけ直す。

「私も、サリエルが居てくれるだけで幸せだよ」

 落ち着いた様子の僕に少し安心したのか、父も穏やかな笑みを浮かべてそう言った。
 心がズキリと痛む。

(ごめんなさい、父様。僕は居なくなるかもしれないです)

 こんなことなら、もっと甘えておけば良かったと思う自分が憎い。
 どんな顔をして良いかわからなくなって、僕は布団を被った。でもすぐに、見ておけるうちに父の顔を見たいと思い直して、目だけ見える位置に布団を直す。

「どうした?」

「いつも…」

「いつも?」

 ありがとう、と続けたかった言葉は、何故か息が詰まって出てこない。ならば大好きだと伝えようと口を開くも、言えずに閉じてしまう。
 僕は、何もなしにこういうことは言わない。
 自分で、これが最期だと認めるようで、凄く怖くなった。
 もう死ぬことが決まっていたとしても、認めることで本当になってしまうようで、怖かった。

「…なんでもない、です。…明日、言います」

 再び、布団に潜り込む。
 耐えていた涙が、また溢れ出しそうだった。視界がぐにゃりと歪む。
 明日なんて、なかったらどうしよう。
 こんなこと言って、後悔したらどうしよう。
 普段なら浮かばない考えが頭の中を巡って、止まらなくて、僕は縮こまった。

「サリエル? 本当に大丈夫かい?」

 そんな父の声も聞こえていなくて、僕は嗚咽を繰り返した。

「…死にたく、ない……ぇぐっ」

「サリエル!」

 無理矢理布団を剥がされて、父の手に、顔を挟まれる。

「あっ」

「そんなこと言うんじゃない。またすぐに治る、大丈夫。それに、その体質だって、大きくなれば治る。サリエル。元気になるんだ。大丈夫」

 聞かれてしまった。
 そんなつもりはなかった。

「……とうさ、」

「さあ、何が辛いのか言ってごらん。父様に、お前を守らせてくれ」

 目を背けた。

「サリエル。」

「いや…です」

「サリエル。」

「…言えません」

 これはつまらない意地ではない。はずだ。
 暫く睨めっこをした後、父が諦めたように息を吐く。

「ひとつだけ聞く。言いたくないのは、体調についてのことか?」

 僕は黙って首を振った。
 括りは同じかもしれないが、今は別に体調が悪いから辛いわけではない。体調を崩すのには、もう慣れた。
 辛いのは、もう会えないかもしれないことだ。

 …父様が言いたいのはそういうことではないのは、わかっているけれど。

「…わかった。それなら無理には聞かない。言いたくなったときに教えてくれればいい。ただ、私がいつでもサリエルのためにありたいと思っていることを、忘れないでくれ」

 頷く。
 父が顔を近づけだと思うと、僕の額にキスを落としてから立ち上がった。

「寝なさい。元気になったらまた話そう」

「はい、…あの、父様」

「なんだい?」

「ありがとう、ございます」

 やっとの思いでそう言うと、父は微笑んでもう一度僕の頭を撫でてから、部屋を出て行った。
 これが最後のお別れかもしれないと、布団を握る手に力が入るが、不思議と、先程までの辛さはなかった。



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