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第二部

第十一章  椿、凛として咲く  其の二

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「空いた大坂城をどうするかまで考えておかねば、大御所様のご裁可さいかは下りますまい。徳川の者でさえ、へたには置けませぬぞ。」 
 秀忠の力強い顔を見て、利勝はさらに進言する。 
「それは考えてある。」 
 秀忠からは、すぐにさらりと言葉が返ってきた。利勝が驚く。 
「大坂城ですぞ?」 
 秀忠は、それくらいは考えているというように、手元の書状を整えながら話した。 

「そうじゃ。武家の物にすると乱れる元ゆえ、とりあえずは、禁裏きんりにお預けし、堀と天守閣をなくして、学問所とする。」 
「禁裏?学問所?」 
 利勝は、秀忠が考えていることがすぐには飲み込めないでいる。 
「そうだ。いにしえの大学寮を大がかりにしたようなものじゃ。大名家と公卿くぎょうの子弟と小姓こしょうをそこで生活させ、学ばせる。姫たちもの。」 
「姫も?人質ではないのですか?」 
 さすがの利勝も、今一つ秀忠の考えていることがわからなかった。 
「学ぼうと思う奴がくればよい。できる奴は幕府に迎え入れる。まぁ、子弟を出さないところはその理由を探らせればよい訳じゃ。それもひとつのふるいにはなる。将軍家も同じように学ばせればよい。」 

 利勝は「むぅ」とうなった。
 確かにそのような場所ができれば、公家にも武家の考えを教えられるだろうし、武家も公家の考えを理解できる。徳川の考え方を徹底させるのも容易たやすいし、反分子の芽は摘みやすい。将軍家の子供たちも揉まれて育つだろうし、公家たちの文化を守ることも可能だろう。 

「なるほど。そうして禁裏に管理させれば、そこを統べる公家として豊臣を大坂城へ戻せるというわけですか。」 
 武家の誇りが解る公家ならば、豊臣は最適の家柄である。 
「城ではない。学問所・・・じゃ。」 
 感心したような利勝の言葉に、秀忠はニヤリと笑って訂正した。
「ふむ。公家とはいえ、武家の考えや志を持つものがべねば、また主上おかみを奉じて天下を狙うやからがでましょうな。しかし、姫様方にもそのように学問が要りようでしょうか。」 
 利勝は感心しながらも、まだ秀忠に尋ねる。秀忠は硯に水を落とし、ゆっくり墨を擦り始めた。 
「子を生み育てるのは女子おなごじゃ。戦に出ずとも世を作れるのは女子じゃ。戦のない世になれば、その力はさらに強まろう。」 

 利勝は、秀忠の「戦のない世を」という言葉の本気を見た。
 大御所に言われて目指しているのではない。いや、そういう部分もあるだろうが秀忠こやつは「誰かのためだけに」戦のない世を目指しているのではないのだ。 
 学問所の考え方といい、女を学ばせる考え方といい、夢物語のようで己では考え付かないと利勝は思う。まだ完全に徳川の天下となっていないのに、秀忠はその先を考えている。 
 (どこを見つめているんだ、こやつは…) 
 利勝は、初めて秀忠に家康と同じ空恐ろしさ・・・・・を感じた。いや、無意識のうちにそれを持っている秀忠の方が、恐ろしいかもしれぬ。 
 破天荒な考えだと思いながらも、だからこそ家康を納得させられそうだと利勝は思った。 

「それが叶えば、御台様もお喜びになりましょうな。」 
「うむ。」 
 秀忠が少し照れ臭そうに笑った。 
「江を見ているとそう思うたのじゃ。大坂城にいた頃から知りたがりであったらしいゆえな。」 
 (御台様の思い出の城を残すために知恵を絞ったか。) 
 女に惚れ抜く男とは、こうも違うのかと利勝が苦笑する。 

「では、まず世子せいしをお決めになることですな。」 
「そうじゃ。それがすんなりとはいくまい。」 
 手前に大きな障害があるのを思い出して、秀忠の眉間に再び皺が寄る。 
 息子たちはまだ幼い。できれば、どちらがふさわしいかじっくり見てやりたい。しかし、家康ちちの年齢を思うとそうのんびりとはできない。 
 大御所が少しおとなしくしている今のうちに、豊臣を残す道を示さねば戦がおこるだろう。 
 (まずは、己の問題か……) 
 秀忠は、筆に墨を含ませ、書状を書き始めた。 

◇◆

 (世子のう……) 
 政を進めながらも秀忠は考えていた。 

 何を迷うことがあるだろう。
 竹千代の名を継いだ総領息子がいるではないか。
 徳川の跡取りの名を持つ子が。
 正室の江との間の、一の男子おのこが。
 長丸ながまるが死んだ今、己の血を引く一番年長の男子。徳川宗家、将軍御台所の一の若。竹千代に継がせるべきなのであろう。何を迷うことがある。 
 (したが……) 
 秀忠は考える。国松に比べ、体が弱く、人見知りも激しい。そのような息子に将軍という重責を負わせてよいものか。
 己が今、その地位にいるからわかる。この重さは並大抵ではない。竹千代が潰れるのではあるまいか。 
 父も自分も将軍として育ってきたわけではない。次期将軍として育つのがどういうものか、自分には、いや、大御所でさえ見当がつかないのだ。 
 それだけではない。なにより気になるのは、気がたかぶった江が「竹千代は福の子じゃ。」というほどの福の過干渉、繋がり。豊臣を敵と刷り込まれているのではないか。 
 それに比べると、国松は豊臣を思う江が手をかけ育っているし、乳母は利勝の妹。まつりごとの体制作りの際に何かと便利だろう……。 
 なんと言っても、江が国松を可愛がっている。 江と清も仲がよいし……。

 目を閉じた秀忠は、小さく溜め息をついた。 
 (だが、やはり国松は控えじゃな。) 

 兄、秀康ひでやすの目を思い出す。父が何を思って兄を差し置き、己を跡継ぎにしたのかが秀忠にはわからなかった。
 母の身分が低いなどで、家康ちちが跡継ぎから外すはずはない。
 勇猛で豪胆で、武士もののふとして憧れた。
 跡継ぎにされるまでは、己を可愛がってもくれた。
 それが…
 自分を時々射るように見ていた兄の目。それを思い出すと、竹千代を世子とするのが、世のことわりだと思う。 
 (江も得心してくれるであろう。) 
 秀忠はとりあえず決着をつけた。そして考え事をしていた分、滞っている書状の目通しに全神経を傾けた。
 早く片付けて、江の元へ戻りたかった。
 近頃の秀忠は忙しさのためか、夜は崩れるように眠ることが多くなっている。江が体を揉んでくれるのが、秀忠の一日を締めくくる楽しみとなっていた。心地よさを感じているうちに寝てしまうこともしばしばであった。 

 当然のことながら、静のところへ通うことはない。
 「静がいる」と思うだけで、落ち着くからだに秀忠は苦笑する。 
 (利勝が「男とはそういうものです。」と言うておったが、されば男というのはなんとも残酷な生き物じゃ。) 
 静には申し訳ないが、そう思う。 
 それよりも今日は江と話をしなければならない。
 (どう話したものか……)
 秀忠は考えながら、奥への回廊を歩いて行った。 


*****
【禁裏】宮中
【主上】帝、天皇
【秀康】結城秀康。秀忠の異母兄
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