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第十五話:朝日のリハーサル
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その日の夜、朝日さんから『今日はありがとう。夏休みの最終日、学校行くから朝8時に迎えに行く』とお礼のメールが届いた。彼女がコミュニケーションを苦手としていることは十分伝わっているから、こうやってわざわざお礼のメールを送ってくれたのは驚いた。何より、ぶっきらぼうな文章の中に朝日さんの努力が垣間見えた気がして、嬉しくなった。朝日さんも変わろうとしているんだなと。
朝日さんとの付き合いももう一ヶ月になる。一ヶ月もあれば朝日さんが用事がなければ連絡はしないタイプの人間だとわかってくるが、それでも友達なんだから他愛のないメールのやりとりをするかもしれないと妄想をしてしまう。
しかし結局朝日さんから連絡が来ることはなく、告白してしまった手前、俺は気恥ずかしさで連絡が出来ず、夏休み最終日を迎えた。
朝7時に起きて、朝食を用意してくれた母さんに感謝しながら食事を摂る。その後はシャワーを浴び、制服に着替える。後はトイレに行って、歯を磨いたら準備万端だ。
リビングで朝の情報番組を眺めること数分、時刻が7時59分になったところで、俺は玄関へと向かう。朝日さんのことだ。きっと、8時ジャストにチャイムを鳴らすはずだ。
俺はスマホで時計アプリを起動させ、秒針をじいと眺める。そして時刻が8時になった瞬間、チャイムが鳴った。俺はすぐに鍵を開け「行ってきまーす!」と言いながら玄関を開けた。
立っていたのはクソダサジャージ姿の朝日さんだ。朝日さんは俺をギロリと睨みつけると、ぷくうと頬を膨らませて怒った。
「ぴったりに来るのわかってて、狙ってた」
「んー? まあ、いつも時間ぴったりだし、今日もそうだろうなあって。ついでに言うと、ぴったりってことは、毎回時間になるまで待ち合わせ場所の近くで時間潰してたんだろうなって」
朝日さんは図星をつかれたのか、悔しそうに唸りながら、羞恥に顔を赤らめた。最近は図星をつかれることが多いように思っていたので、こうやって図星をつけたのは純粋に嬉しい。まあ、蓮樹先生に図星つかれた分もあるから、半分八つ当たりなんだが。
「というか、やっぱりこのダサいジャージなんだね。制服じゃなくて」
俺は朝日さんと並んで歩きながら訊ねた。
「ああ、そうだな。建前上は体力が大分戻ったとはいえ、やはりこれだけ歩くと汗をかくからな。だからジャージの方がいいってことだな……30分余計に歩かされるしな」
朝日さんは恨みがましくそう言った。迎えに来るって言ったのそっちじゃん。
「それで? 本音は?」
「ああ、時に夕陽くん。実はこの学校、ジャージで過ごしてもいいって校則があるのって知ってたか?」
「え? 学校に来るときは制服かジャージって校則じゃなくて? ごめん、校則なんか読んでないから、有名なやつしかしらないや」
「そうか。授業もジャージで受けられるんだよ。まあ、授業は制服で受けるものって先入観があるからか、このジャージがあまりにもダサいからか、ジャージで過ごしてる人間は見たことないがな……ほとんど学校行ってないけど」
「いいや、合ってるよ。みんな制服だ」
「そうか。つまりはそういうことだ」
朝日さんは空を見上げ、太陽に向かって手を伸ばす。クサいかよ。気取ってる。
「私は普通に生活していても浮く。無理して溶け込もうとも思っていないがな。白髪は染めないし、自分を偽ってまで他人と仲良くするつもりはない。まあ、今はこうして友達がいるわけだし、浮こうが浮かまいがどうでもいいんだ。ただ、確実に浮くだろうな……だから、これは決意だ」
朝日さんは太陽に向かって伸ばした手で何かを掴む。その何かは太陽かもしれないし、かつて夢想した未来かもしれない。だからクサいよ。気取りすぎてる。
「どうせ浮くんならとことん浮いてやる! 一日中クソダサジャージで過ごして、浮いてやる! これが私の決意だよ」
朝日さんは浮くことが嫌だと言っていた。浮くことは独りになること。誰にも頼れず、周りに誰もいない道を独りで進んでいかないといけない。でも、今は俺がいると思ってくれているらしい。
性別が違うから、あらゆる面で助けになれるとは思わない。でも、俺を頼りにしてくれているんだ。絶対に朝日さんを独りにさせてはいけない。
朝日さんはストレスで髪が真っ白になった。そのレベルのストレスを感じるかもしれないのに、朝日さんは決意した。一体どれほど腹を括れたらそう思えるのだろう。俺には想像も出来ない。想像も出来ないからこそ、自分が出来る精一杯の決意をしなければならない。
朝日さんほど固くはない。だが、俺は自分が出来る限界まで決意を固めた。絶対に朝日さんの味方でいると。
学校に着くなり、朝日さんは俺の後ろにぴょこっと隠れた。
「まだ怖い? 他の生徒に見られること……とは言っても夏休み最終日だから部活やってるところは少ないだろうし、あんまり心配しなくてもいいと思うよ」
「いや、腹括ったんだだから、今更他人の視線どうこうで寂しくなるとかはないよ。ただ、行き先がわからないから案内してほしい。職員室は覚えているんだけどな……」
「え? 職員室じゃないの!? 俺、今回も図書室で待っているつもりだったけど」
「あー……ごめん。行く理由伝えてなかったよ」
朝日さんは頭をこつんと叩いて、舌を出した。
「てへぺろ!」
「てへぺろじゃないから!? 朝日さんは抽象的だったり、何も伝えなさすぎだから!」
「いやあ……まーちゃん、ごめんね?」
「まーちゃんって誰だよ」
「冗談だ、教室まで連れて行ってくれ」
「教室って……」
朝日さんが教室に用事があるとは考えにくい。忘れ物があれば朝日さんの家に訪問している蓮樹先生が届けに来るだろうし、他にやることは全く思い浮かばない。唯一考えられるのは、学校に来るための練習。前回学校に来たときは職員室に用事があるようだった。
わざわざ場所を覚えていると言うあたり、職員室に行くことは慣れているだろう。しかし教室に行くのはおそらく久しぶりだし、そもそも教室で、クラスで過ごした時間があまりにも少なすぎる。だから練習をしたいのだろうか。
朝日さんに聞いて、答え合わせをしたい気持ちはある。ただ、朝日さんは深い気を吐きながら、時折目をつむっており、集中しているようにも見える。そんな朝日さんにわざわざ声をかけて聞くなんてのは野暮だろう。
俺は疑問を飲み込み、教室までの道を先導した。
教室の前に着くと、朝日さんは懐かしむように目を細めた。
「ここが私のクラスか?」
「うん、そうだよ」
「そうか……人がいないとこんなにも過ごしやすそうに見えるんだな」
朝日さんはおもむろに歩き出すと、窓側の一番前の席に座った。
「席替えはあったか?」
「いいや、出席番号順のままだよ」
「そうか」
朝日コモリ。出席番号が一番最初。対して俺は夕陽旅路。出席番号は一番最後で、廊下側の一番後ろの席だ。
俺たちの心の距離はこのクラスで一番近いだろう。この夏休み、二人で色々な話をした。色々な場所に遊びに行った。もちろん、二人で同じ時間を過ごしたのは夏休み全体で見れば少しだけだ。だけど、二人で過ごした時間が朝日さんと会わなかった場合の夏休みより濃い時間だったことは確かだ。
けれど、俺たちの物理的な距離はこの教室の中で最も遠い。
「いやあ、困ったな。これでは夕陽くんまでの距離が遠すぎる。おちおち顔も見れないレベルだぞ?」
「そうだね、遠い」
「心細いなあ……だが、大丈夫だ。決意は固い。ジャージを着ているし、夕陽くんもいる。今回は大丈夫だ」
朝日さんはそう言って、スマホをぽちぽちと操作し始めた。
「何してるの?」
「ああ、練習用具をちょっとね」
「誰が練習用具じゃ」
後ろから怒気を孕んだ女性の声が聞こえると同時に、頭に軽い衝撃が走る。振り返ると、蓮樹先生が立っていた。
「……蓮樹先生、あいつです。俺は関係ありません」
「いやいや、久しぶりに会えて嬉しいから、ちょっと頭を撫でただけさ」
「撫でたにしては衝撃が強かったんですけど。馬鹿力ですか」
蓮樹先生はたんたんと小気味好いリズムを刻みながら教室の前へと歩いて行き、教壇の上へと立った。そして、気怠げに教卓に片手をついた。
「お前たち、今日は何しに来たんだ?」
「登校の練習だよ。というか、なんでこんなすぐ教室に来れるんだよ。蓮樹はストーカーなのか?」
「何、校門の辺りでクソダサジャージが歩いているのが見えたからな。あんなの好んで着るのは朝日だけだし、この前ジャージ着て授業受けられるか聞かれたからな。朝日が学校に来ているのはわかったよ。後は今日は呼び出してないはずだし、学校に来た心当たりがないから、気になって後をつけてきたというわけさ」
「ストーカーかよ」
蓮樹先生はゴキゲンなのか、けたけたと大声で笑った。
「機嫌いいですね」
「ああ、ずっと気にかけてた不登校の生徒がこうして教室にいるわけだからな。全力でサポートしないとってモチベーション爆上がりだし、何よりこうやって教室にいる朝日を見れるのが嬉しいんだ。今までのお節介は全部自分のためにやったことだ。それが報われたら嬉しいに決まってるさ」
「やっぱり陰湿性悪不良教師だな。不登校な生徒を救った私って、今最高に先生してる。これをしたいだけの偽善者だな」
朝日さんはそうやって憎まれ口を叩くが、蓮樹先生から視線を逸らし、耳と頬を真っ赤に染めている。照れ隠しの憎まれ口。朝日さんのツンデレなところが出てしまったようだ。こういった一面は蓮樹先生に対してしか見せないので、ちょっぴり蓮樹先生が羨ましい。
蓮樹先生は目を閉じて胸に手を当てる。とびっきりの笑顔を見せた。
「起立」
俺たちは蓮樹先生の合図に合わせて立ち上がる。
「気をつけ、礼」
「お願いします!」
「お願いします!」
俺たちは蓮樹先生の合図に合わせて挨拶をする。
「着席」
俺たちは蓮樹先生の合図に合わせて椅子に座る。
この当たり前のホームルームの始まりの挨拶も、三人しかいない教室となってはなんだか恥ずかしい。
「えー、今日は夏休み最終日だ。まあ、お前たちのことだ。どうせ遊びに出かけたりなんかしないだろうから、夏休み序盤に終わってるだろ。心配はしてない。さて、今日のショートホームルームでやりたいのは席替えだ。お前らを廊下側二列の一番前の席でくっつける。教室の外に逃げやすいからな」
「いいのか!?」
朝日さんはバンと机を叩き、身を乗り出した。
「ああ、いいさ。ついでに他の奴らの席も変える。他はランダムで座席決めて、新しい座席はランダムで決めましたって文字列と座席表を黒板に貼っておけばいいさ」
「職権乱用じゃないですか?」
俺が訊ねると、蓮樹先生は雲一つない笑みを浮かべた。
「担任の言うことは絶対だ」
「こんな絶対王政強いておいて、こんなに爽やかに笑える先生怖いよ」
「ははは、私は自殺がトラウマだからな。朝日で好きに贖罪させてもらうさ……だからまあ、ありがとうな。必死に生きてる朝日も、そんな朝日と一緒にいる夕陽も。本当にありがとう」
「いえいえ。どういたしまして」
「こちらこそ、ありがとうな。蓮樹と夕陽くんのおかげでここまで来れた」
俺たちはぺこりと頭を下げると、こうやって改まって感謝の気持ちを伝えるのがなんだかおかしくて、笑い合った。
蓮樹先生はぱんぱんと手を叩いて笑いを区切ると、こほんと咳払いをした。
「起立」
俺たちは蓮樹先生の合図に合わせて立ち上がる。
「気をつけ、礼」
「ありがとうございました!」
「ありがとうございました!」
俺はいつもよりも深く、そして長く頭を下げた。
「じゃあ、お前たち。また明日な」
「ああ、蓮樹。また明日だよ。また明日」
朝日さんは手を上げて蓮樹先生に挨拶をする。また明日、学校で会いましょう。この意味が込められた挨拶を朝日さんと出来る幸せ。これを噛みしめることが出来るのは、朝日さんが不登校になってから頑張り続けた担任の蓮樹先生の特権だろう。
蓮樹先生はそっと目を閉じると、目を潤ませながら微笑み教室を後にした。
「じゃあ、私たちも帰ろうか」
「そうだね」
これから何百回も繰り返し歩くことになってほしい。否、繰り返し歩くであろう帰路に俺たちはついた。
朝日さんとの付き合いももう一ヶ月になる。一ヶ月もあれば朝日さんが用事がなければ連絡はしないタイプの人間だとわかってくるが、それでも友達なんだから他愛のないメールのやりとりをするかもしれないと妄想をしてしまう。
しかし結局朝日さんから連絡が来ることはなく、告白してしまった手前、俺は気恥ずかしさで連絡が出来ず、夏休み最終日を迎えた。
朝7時に起きて、朝食を用意してくれた母さんに感謝しながら食事を摂る。その後はシャワーを浴び、制服に着替える。後はトイレに行って、歯を磨いたら準備万端だ。
リビングで朝の情報番組を眺めること数分、時刻が7時59分になったところで、俺は玄関へと向かう。朝日さんのことだ。きっと、8時ジャストにチャイムを鳴らすはずだ。
俺はスマホで時計アプリを起動させ、秒針をじいと眺める。そして時刻が8時になった瞬間、チャイムが鳴った。俺はすぐに鍵を開け「行ってきまーす!」と言いながら玄関を開けた。
立っていたのはクソダサジャージ姿の朝日さんだ。朝日さんは俺をギロリと睨みつけると、ぷくうと頬を膨らませて怒った。
「ぴったりに来るのわかってて、狙ってた」
「んー? まあ、いつも時間ぴったりだし、今日もそうだろうなあって。ついでに言うと、ぴったりってことは、毎回時間になるまで待ち合わせ場所の近くで時間潰してたんだろうなって」
朝日さんは図星をつかれたのか、悔しそうに唸りながら、羞恥に顔を赤らめた。最近は図星をつかれることが多いように思っていたので、こうやって図星をつけたのは純粋に嬉しい。まあ、蓮樹先生に図星つかれた分もあるから、半分八つ当たりなんだが。
「というか、やっぱりこのダサいジャージなんだね。制服じゃなくて」
俺は朝日さんと並んで歩きながら訊ねた。
「ああ、そうだな。建前上は体力が大分戻ったとはいえ、やはりこれだけ歩くと汗をかくからな。だからジャージの方がいいってことだな……30分余計に歩かされるしな」
朝日さんは恨みがましくそう言った。迎えに来るって言ったのそっちじゃん。
「それで? 本音は?」
「ああ、時に夕陽くん。実はこの学校、ジャージで過ごしてもいいって校則があるのって知ってたか?」
「え? 学校に来るときは制服かジャージって校則じゃなくて? ごめん、校則なんか読んでないから、有名なやつしかしらないや」
「そうか。授業もジャージで受けられるんだよ。まあ、授業は制服で受けるものって先入観があるからか、このジャージがあまりにもダサいからか、ジャージで過ごしてる人間は見たことないがな……ほとんど学校行ってないけど」
「いいや、合ってるよ。みんな制服だ」
「そうか。つまりはそういうことだ」
朝日さんは空を見上げ、太陽に向かって手を伸ばす。クサいかよ。気取ってる。
「私は普通に生活していても浮く。無理して溶け込もうとも思っていないがな。白髪は染めないし、自分を偽ってまで他人と仲良くするつもりはない。まあ、今はこうして友達がいるわけだし、浮こうが浮かまいがどうでもいいんだ。ただ、確実に浮くだろうな……だから、これは決意だ」
朝日さんは太陽に向かって伸ばした手で何かを掴む。その何かは太陽かもしれないし、かつて夢想した未来かもしれない。だからクサいよ。気取りすぎてる。
「どうせ浮くんならとことん浮いてやる! 一日中クソダサジャージで過ごして、浮いてやる! これが私の決意だよ」
朝日さんは浮くことが嫌だと言っていた。浮くことは独りになること。誰にも頼れず、周りに誰もいない道を独りで進んでいかないといけない。でも、今は俺がいると思ってくれているらしい。
性別が違うから、あらゆる面で助けになれるとは思わない。でも、俺を頼りにしてくれているんだ。絶対に朝日さんを独りにさせてはいけない。
朝日さんはストレスで髪が真っ白になった。そのレベルのストレスを感じるかもしれないのに、朝日さんは決意した。一体どれほど腹を括れたらそう思えるのだろう。俺には想像も出来ない。想像も出来ないからこそ、自分が出来る精一杯の決意をしなければならない。
朝日さんほど固くはない。だが、俺は自分が出来る限界まで決意を固めた。絶対に朝日さんの味方でいると。
学校に着くなり、朝日さんは俺の後ろにぴょこっと隠れた。
「まだ怖い? 他の生徒に見られること……とは言っても夏休み最終日だから部活やってるところは少ないだろうし、あんまり心配しなくてもいいと思うよ」
「いや、腹括ったんだだから、今更他人の視線どうこうで寂しくなるとかはないよ。ただ、行き先がわからないから案内してほしい。職員室は覚えているんだけどな……」
「え? 職員室じゃないの!? 俺、今回も図書室で待っているつもりだったけど」
「あー……ごめん。行く理由伝えてなかったよ」
朝日さんは頭をこつんと叩いて、舌を出した。
「てへぺろ!」
「てへぺろじゃないから!? 朝日さんは抽象的だったり、何も伝えなさすぎだから!」
「いやあ……まーちゃん、ごめんね?」
「まーちゃんって誰だよ」
「冗談だ、教室まで連れて行ってくれ」
「教室って……」
朝日さんが教室に用事があるとは考えにくい。忘れ物があれば朝日さんの家に訪問している蓮樹先生が届けに来るだろうし、他にやることは全く思い浮かばない。唯一考えられるのは、学校に来るための練習。前回学校に来たときは職員室に用事があるようだった。
わざわざ場所を覚えていると言うあたり、職員室に行くことは慣れているだろう。しかし教室に行くのはおそらく久しぶりだし、そもそも教室で、クラスで過ごした時間があまりにも少なすぎる。だから練習をしたいのだろうか。
朝日さんに聞いて、答え合わせをしたい気持ちはある。ただ、朝日さんは深い気を吐きながら、時折目をつむっており、集中しているようにも見える。そんな朝日さんにわざわざ声をかけて聞くなんてのは野暮だろう。
俺は疑問を飲み込み、教室までの道を先導した。
教室の前に着くと、朝日さんは懐かしむように目を細めた。
「ここが私のクラスか?」
「うん、そうだよ」
「そうか……人がいないとこんなにも過ごしやすそうに見えるんだな」
朝日さんはおもむろに歩き出すと、窓側の一番前の席に座った。
「席替えはあったか?」
「いいや、出席番号順のままだよ」
「そうか」
朝日コモリ。出席番号が一番最初。対して俺は夕陽旅路。出席番号は一番最後で、廊下側の一番後ろの席だ。
俺たちの心の距離はこのクラスで一番近いだろう。この夏休み、二人で色々な話をした。色々な場所に遊びに行った。もちろん、二人で同じ時間を過ごしたのは夏休み全体で見れば少しだけだ。だけど、二人で過ごした時間が朝日さんと会わなかった場合の夏休みより濃い時間だったことは確かだ。
けれど、俺たちの物理的な距離はこの教室の中で最も遠い。
「いやあ、困ったな。これでは夕陽くんまでの距離が遠すぎる。おちおち顔も見れないレベルだぞ?」
「そうだね、遠い」
「心細いなあ……だが、大丈夫だ。決意は固い。ジャージを着ているし、夕陽くんもいる。今回は大丈夫だ」
朝日さんはそう言って、スマホをぽちぽちと操作し始めた。
「何してるの?」
「ああ、練習用具をちょっとね」
「誰が練習用具じゃ」
後ろから怒気を孕んだ女性の声が聞こえると同時に、頭に軽い衝撃が走る。振り返ると、蓮樹先生が立っていた。
「……蓮樹先生、あいつです。俺は関係ありません」
「いやいや、久しぶりに会えて嬉しいから、ちょっと頭を撫でただけさ」
「撫でたにしては衝撃が強かったんですけど。馬鹿力ですか」
蓮樹先生はたんたんと小気味好いリズムを刻みながら教室の前へと歩いて行き、教壇の上へと立った。そして、気怠げに教卓に片手をついた。
「お前たち、今日は何しに来たんだ?」
「登校の練習だよ。というか、なんでこんなすぐ教室に来れるんだよ。蓮樹はストーカーなのか?」
「何、校門の辺りでクソダサジャージが歩いているのが見えたからな。あんなの好んで着るのは朝日だけだし、この前ジャージ着て授業受けられるか聞かれたからな。朝日が学校に来ているのはわかったよ。後は今日は呼び出してないはずだし、学校に来た心当たりがないから、気になって後をつけてきたというわけさ」
「ストーカーかよ」
蓮樹先生はゴキゲンなのか、けたけたと大声で笑った。
「機嫌いいですね」
「ああ、ずっと気にかけてた不登校の生徒がこうして教室にいるわけだからな。全力でサポートしないとってモチベーション爆上がりだし、何よりこうやって教室にいる朝日を見れるのが嬉しいんだ。今までのお節介は全部自分のためにやったことだ。それが報われたら嬉しいに決まってるさ」
「やっぱり陰湿性悪不良教師だな。不登校な生徒を救った私って、今最高に先生してる。これをしたいだけの偽善者だな」
朝日さんはそうやって憎まれ口を叩くが、蓮樹先生から視線を逸らし、耳と頬を真っ赤に染めている。照れ隠しの憎まれ口。朝日さんのツンデレなところが出てしまったようだ。こういった一面は蓮樹先生に対してしか見せないので、ちょっぴり蓮樹先生が羨ましい。
蓮樹先生は目を閉じて胸に手を当てる。とびっきりの笑顔を見せた。
「起立」
俺たちは蓮樹先生の合図に合わせて立ち上がる。
「気をつけ、礼」
「お願いします!」
「お願いします!」
俺たちは蓮樹先生の合図に合わせて挨拶をする。
「着席」
俺たちは蓮樹先生の合図に合わせて椅子に座る。
この当たり前のホームルームの始まりの挨拶も、三人しかいない教室となってはなんだか恥ずかしい。
「えー、今日は夏休み最終日だ。まあ、お前たちのことだ。どうせ遊びに出かけたりなんかしないだろうから、夏休み序盤に終わってるだろ。心配はしてない。さて、今日のショートホームルームでやりたいのは席替えだ。お前らを廊下側二列の一番前の席でくっつける。教室の外に逃げやすいからな」
「いいのか!?」
朝日さんはバンと机を叩き、身を乗り出した。
「ああ、いいさ。ついでに他の奴らの席も変える。他はランダムで座席決めて、新しい座席はランダムで決めましたって文字列と座席表を黒板に貼っておけばいいさ」
「職権乱用じゃないですか?」
俺が訊ねると、蓮樹先生は雲一つない笑みを浮かべた。
「担任の言うことは絶対だ」
「こんな絶対王政強いておいて、こんなに爽やかに笑える先生怖いよ」
「ははは、私は自殺がトラウマだからな。朝日で好きに贖罪させてもらうさ……だからまあ、ありがとうな。必死に生きてる朝日も、そんな朝日と一緒にいる夕陽も。本当にありがとう」
「いえいえ。どういたしまして」
「こちらこそ、ありがとうな。蓮樹と夕陽くんのおかげでここまで来れた」
俺たちはぺこりと頭を下げると、こうやって改まって感謝の気持ちを伝えるのがなんだかおかしくて、笑い合った。
蓮樹先生はぱんぱんと手を叩いて笑いを区切ると、こほんと咳払いをした。
「起立」
俺たちは蓮樹先生の合図に合わせて立ち上がる。
「気をつけ、礼」
「ありがとうございました!」
「ありがとうございました!」
俺はいつもよりも深く、そして長く頭を下げた。
「じゃあ、お前たち。また明日な」
「ああ、蓮樹。また明日だよ。また明日」
朝日さんは手を上げて蓮樹先生に挨拶をする。また明日、学校で会いましょう。この意味が込められた挨拶を朝日さんと出来る幸せ。これを噛みしめることが出来るのは、朝日さんが不登校になってから頑張り続けた担任の蓮樹先生の特権だろう。
蓮樹先生はそっと目を閉じると、目を潤ませながら微笑み教室を後にした。
「じゃあ、私たちも帰ろうか」
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