[R18]黄色の花の物語

梅見月ふたよ

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変わるもの、変わらないもの

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「失礼いたします、シュバイツァー公爵閣下」
「どうぞ。……いかがなさいましたか、バードガー卿」
 コンコンと扉を叩いて入室した男性を見上げ、小首を傾げるグローリア。
 男性は机上で整然と並ぶ書類の山に目を走らせ、右手を胸に当てて深々と腰を折った。
「お忙しいところ申し訳ございません。至急、裏門までお越しください」
裏門荷物搬入口?」
「はい。閣下に直接ご確認いただきたい物がございます」
 オールバックにした黄金色の短髪と、猛禽類を想起させる鋭い金色の目を持つ堅苦しい印象の青年アルベルト=バードガーは、グローリア専属の護衛騎士だ。
 身元保証人は居るが実際は住所未定無職で無一文なシュバイツァー公爵家の面々をしばらくの間王宮で預かる代わり、彼らが何か悪さをしないか監視させる……という名目で、貴族達がグローリアに付けるよう進言し手配した『当主を籠絡する係・真面目系担当』でもある。
 他にもクール系担当の護衛騎士、弟系担当の侍従、仔犬系担当の庭師などバラエティに富んだ人材が用意されているが、アーシュマーの奮闘もあってそれぞれ適切な距離が保たれていた。
 ちなみに、アーシュマーにも宮中での仕事を補助する為と言って可愛い系担当と綺麗系担当の女性騎士が二名付けられている。
 隠すつもりが全く無いハニートラップを提示された当初、アーシュマーは断固反対する姿勢を示していたが、事情を知る者達は腹が捩れるほど大爆笑した後、好きにすれば良いと快諾。
 グローリアだけは名目通りに受け取ったらしく、何がおかしいのだろうと不思議そうにしていた。
 室内で二人きりになった今も、グローリアとアルベルトの間に仕事以外の空気が入る余地は無い。
「私宛ての荷物の監査、ですね。承知しました。すぐに伺います」
「お願いします」


 アルベルトを伴って裏門へ向かうと、五十人ほどの若い男性が塊になって入口を塞いでいた。全員が同じ制服を着ていることから、いずれかの部署に所属するチームだと判る。
 公務を宛がわれるようになってからそれなりの時間が経つグローリアにも見覚えがない制服だ。どこの人達だろうとしばし観察し、彼らの胸元で光る銀製のバッジに気付いた。
 中心に丸を置いた三重の円は、水を吸い込む種子を表したもの。これから育っていく若手……フリューゲルヘイゲン王国の騎士見習いか。
 王宮内に立ち入れる身分ではない彼らが、しかも団体で何をしているのかと喧騒に聞き耳を立てれば、どうやら彼らも困惑した様子で、裏門の外側に気を取られているらしい。
 自分を呼んだ理由は彼らの向こう側ですかと、アルベルトに目線で問う。
 アルベルトは浅く頷き、両手をパーン! と打ち鳴らして騎士見習い達の注意を引き付けた。
「シュバイツァー公爵閣下がおいでになられました。道を空けなさい」
「「はっ! 大変失礼いたしました! どうぞ、お通りください!」」
 見習いながらも無駄がない俊敏な動きで、左右二手に分かれる団体。
 敬礼の狭間をアルベルトと共に通り抜けたグローリアは

「………………あの……なんですか、これは……」

 山沿いにうねる下り坂を遥か彼方まで隙間なく埋め尽くす無数の荷馬車と人影を見て、愕然と立ち尽くした。


「全て、シュバイツァー公爵閣下宛ての荷物とのことです」
「全部!? この荷馬車の荷物、全部が私宛て!?」
「はい」
「確実に百台は超えてますよね!?」
「千と九百五十二台です」
「ほ、ほぼ二千台……」
 途方もない数を突きつけられ、頬がひきつる。
「いったい、何故……何が……」
「閣下、こちらを」
 異様な光景に目眩を覚えてふらつきかけたグローリアの元へ、行列の先頭の馬車から木箱が運ばれてきた。
 騎士見習い二名でなんとか持ち上げられる大きさのそれを、グローリアの手前に置いて開封する。
 中身は、びっしり詰め込まれた黒っぽい物体。
「……木炭?」
「木炭です」
 円柱形の物体をグローリアが二本手に取り、じっと眺める。
 見た目には何の変哲もない、至って普通の、どこにでもありそうな木炭だが……。
「まさか、この荷馬車の中身って」
「搬入管理部と騎士見習いの荷改めで確認した限りでは、全て木炭でした。ただ、御者も荷物番も代理人からの依頼を受けて運んできただけのようで、直接の送り主は不明です。閣下も、ご存知ではありませんか?」
「知りません。少なくとも、聞いてはいません」
「そうですか」
 あの騎士見習いの団体は荷改めの為に駆り出された人足なのかと、彼らの本来の仕事を邪魔した罪悪感を覚えつつ、木炭を木箱に戻してぶんぶんと首を振るグローリア。
 アルベルトは閉じた木箱をじっと見ながら腕を組み、何やら思案する。

 と。
 二人の背後で騎士見習い達の気配が急に強ばった。
 何事かと振り返れば、シルバーブロンドの髪が特徴的な騎士を従えた国王ダンデリオンと視線が重なる。
 場所柄珍しい人物の登場に思わず「何故お二人がこちらへ?」と尋ねそうになったグローリアを目で制し、ダンデリオンが先んじて声を掛けた。
「君に用事があって出てきたのだが、驚かせてしまったようですまないな、シュバイツァー公」
「とんでもないことでございます、我らがダンデリオン陛下リア・マジュ・ダンデリオン
 今は国王の仕事中だと察したグローリアが、アルベルトと同時に臣下の礼を執る。
 大仰に頷いたダンデリオンは、右手を軽く持ち上げてシルバーブロンドの騎士に合図を送り、国王の代弁者として自身の前に立たせた。
 代弁者グエン=ハインリヒは、脇に抱えていた書簡を広げてグローリアに差し出す。
「先ほどシュバイツァー公爵宛てに届いた私信です。そちらの荷馬車とも関連があると思われますので、人前で申し訳ありませんが、ただちにご確認をお願いします」
「私信ですか?」
「ウェラント王国からです」
「! お預かりします」
 母国からの私的な手紙、と聞いた直後に心当たりの顔を一つ思い浮かべたグローリアは、受け取った書簡に慌てて目を通し……青ざめた。

「じっ……、!? あれ全部!?」

「……やはり、そうでしたか」
「や、やはりって」
 グローリアの半歩後ろで、納得したと言いたげに頷くアルベルト。
「これだけ大量の木炭を一度に輸送させられる閣下の関係者となれば、ウェラントの王族かフィオルシーニの皇帝陛下しか考えられませんので」
 グローリアの身元保証人後ろ楯であるフィオルシーニ皇帝がわざわざ代理人を立てて御者や荷物番を雇う理由は無いし、木箱に皇帝紋が入っていない時点で後見人からの届け物ではない。
「閣下もご存知ないとすれば、必然的にウェラント王家元血縁者からの贈答品かと」
「良い洞察力を持っているな、バードガー卿」
「はっ! お褒めに預かり恐悦至極に存じます、ハインリヒ国軍大将閣下」
 上官への礼を執り直すアルベルトを見て、グエンの目に笑みが浮かぶ。
「では、シュバイツァー公爵が青ざめられた理由も説明できるかな?」
僭越せんえつながら、推測を申し上げます」
「許す」
「はっ! ありがとうございます!」
 踵を揃えて敬礼したアルベルトが左手を上げ、グエンとダンデリオンの目を荷馬車の行列に導く。
「本日届きましたこちらの荷物には、いずれもウェラント王国との関わりを示す刻印が為されておりません。しかし、これだけの行列です。どこから移動してきたのか、周辺各国には一目瞭然」
「そうだな。ここに来るまでいくつの国境で監査を受け、越えてきたか」
「はい。当然、各国の出入国の記録にも詳細が残っているでしょう。現在も段階を追っている最中とはいえ、国交を断った敵国のフリューゲルヘイゲン王国に向けて、ウェラント王国から大量の物資が輸送されていると知れば、周辺各国の目はウェラント王国に当たりが厳しくなります。縁を切られても公爵閣下はウェラント王国のご出身。この件で母国が侮られはしないかと、危惧されたのではないでしょうか」
 身体の正面をグエンに向け、はきはきと答えるアルベルト。
 グエンとダンデリオンは満足げに頷き、

「「うん。まだまだ、彼女への理解が足りてないな!」」

 にこやかに口を揃えた。
 え? と、金色の目を丸くするアルベルトの前で、グローリアが悲しげに書簡を握り締めている。
「バードガー卿の推測も間違ってはいない。だがな、シュバイツァー公爵の目下の憂いは、もっと我々にとって深刻な問題だ」
「我々にとって深刻な問題、ですか?」
「シュバイツァー公爵、その書簡をバードガー卿に見せても構いませんか」
「……はい」
 グエンに促され、書簡を差し出すグローリア。
「失礼いたします」
 受け取ったアルベルトは、左上から右下へと文章を追いかける。

 グローリアへの挨拶から始まるウェラントの公用文字は、ウェラント王国からフリューゲルヘイゲン王国へ向けて大量の木炭を発送したこと、その総てがグローリアとアーシュマーに宛てられた持参金代わりの個人的な贈答品であり、両国家間での政治的・商業的関与は一切無いことを記していた。
 最後の二行には、グローリアが想像した通り異父姉サーラ王妃と予想外な実母ロゼリーヌ王太后の署名が並び、その横に王妃の紋章と王太后の紋章、ウェラントの国旗紋が刻まれている。
 ウェラント王家の紋章が見当たらないのは、この書簡の内容があくまでもサーラとロゼリーヌの個人的な用件であるという証。
 つまり、送られてきた荷馬車約二千台分の木炭はシュバイツァー公爵家の私的財産であり、ウェラント王家はもちろん、シュバイツェル王家にも管理責任が生じない品物であることの証明だった。
 シュバイツァー公爵家の現状を踏まえた上で、とっても解りやすく言うと


 『置き場所が無い』


「……………………ああ……………………」
 これには、さすがのアルベルトも言葉を失った。
 国家的に管理責任が生じない品物とは、言い換えれば『王族や公的機関が税金で運営・管理している倉庫などに入れてはいけない物』でもある。
 シュバイツァー公爵家の私的財産ならば、シュバイツァー公爵家の屋敷や倉庫などで運営・管理するのが筋だ。
 しかし、シュバイツァー公爵家には屋敷も倉庫も無い。
 シュバイツァー公爵家が王宮に間借りしている生活空間は、全部合わせて四部屋。寝室、衣装部屋、談話室、執務室のみ。その他の浴場などは高官用の共同施設を使っている。
 幼い子供も居る四部屋に、荷馬車約二千台分の木箱など、どうやったって詰め込める訳がなかった。

「これほど大量の私物。しかも、湿気による劣化対策で保存が面倒な木炭、このまま外部の雇われ御者と荷物番に預けてはおけない。かといって、我々フリューゲルヘイゲンの責任者は保管場所も管理者も提供できない。結果、どうなると思う?」
「……公爵家の方々がこの行列を何らかの形で捌ききるまで、王宮に関わる物流が滞り、足止めされた御者や荷物番への様々な人的被害に加え、王宮は兵糧攻め状態。周辺国との物的取引にも遅延が生じ、最悪の場合は外交問題に発展します」
「個人の荷物が多すぎて物的取引に応じられません、なんて知られても」
「国家の威信に傷が付きます」
「お世話になっている身でと日頃から謙遜しがちなシュバイツァー公爵は」
「フリューゲルヘイゲン王国に迷惑を掛けてしまうと、深く悲しまれた」
「「そういうことだな!」」
 得意げなグエンとダンデリオンの前でアルベルトは顔面蒼白なグローリアに書簡を返した。袖から覗く細い手も、いつも以上に白く見える。

 突然送られてきた持参金代わりの品物で窮地に立たされてしまった主人。
 今回ばかりは、専属の護衛騎士とてアルベルトにもどうにもできない。
 王族はもちろん、貴族の他家が無償で手を差し出せば、敵国宣言した筈のフリューゲルヘイゲン王国とウェラント王国がシュバイツァー公爵家を介して繋がっていると、周辺各国に付け入る隙を与えてしまう。
 フリューゲルヘイゲン王国の国際的地位と信用と発言力を保つ為、それはなんとしても避けるべき悪手だった。
 というのもあるが。
 荷馬車二千台分の膨大な荷物など、一貴族のしかも跡継ぎ程度が一朝一夕でどうにかできるものではないのだ。
 親に協力を願い、リスクを承知で預かったところで、やっぱり保管場所に困るのは目に見えている。

 うなだれてしまったグローリアを憐れみの目で見ていると、グエンが嘲るような笑みをアルベルトに向け、グローリアに語りかけた。
「貴女が時の第二王女アルストロメリア・ラトリアル・シュバイツァー直系の血筋であっても、私達は協力できません。これはシュバイツァー公爵家の問題ですので。ご自身の力で早急に解決してください」
 立場を考えれば当然のことながら、突き放した言葉。
 アルベルトが違和感を覚えると同時にグローリアがパッと顔を上げ、丸い目でグエンに振り返る。
 国王の代弁者に相応しい威厳を纏ったグエンは、表情を消して頷いた。
「行き止まりに見える場所でも空には月が輝き、足下では水が流れている。私達は、シュバイツァー公爵の天を衝く閃きに期待していますよ」
「…………はい」
 書簡を握るグローリアの手に力が籠り、小さな肩が震える。
「閣下……」

「では、私グローリア=シュバイツァーがシュバイツァー公爵家を代表し、この場にてグエン=ハインリヒ国軍大将閣下に商業的取引を申し入れます」

「「「え」」」

 グローリアの背を見ていた誰もが、降って湧いた重責故に、緊張と恐怖で震えているのだと思ったが。
 グローリアはグエンと真っ正面から向き合い、凛と声を張った。
 予想に反した彼女の力強い口調でアルベルトを含む周囲の人間が驚く中、グエンとダンデリオンは表情を変えず、淡々と受け流す。
「……ダンデリオン陛下の御前で、私に商業的取引を?」
「はい。この取引は必ずやフリューゲルヘイゲンの国益になるものと確信がございます。つきましては、ダンデリオン陛下にもご了承を賜りたく」
「弁えよ、シュバイツァー公爵。陛下に御足を運ばせただけでなく、長々と立ち話に興じろと申す気か!」
「良い。相手をしてやれ、ハインリヒ卿」
「陛下!」
「公務歴は浅く、現在もフリューゲルヘイゲン王国に面倒を掛けさせているシュバイツァー公の確信とやら、実に興味深い。余にも披露し、納得させてみせよ」
 腕を組んでグローリアを見下ろすダンデリオン。
 グエンは渋い顔でダンデリオンを見つめ、改めてグローリアと向き合う。
「……陛下の御許しが出ました。話を伺いましょう」
「ダンデリオン陛下には、この無礼者に慈悲深くも機会を与えていただきましたこと、深謝申し上げます」
 臣下の礼を執ったグローリアは、グエンから受け取った書簡を持ち直してグエンに見せた。

「御覧いただきました通り、本日届きました木炭は総て我がシュバイツァー公爵家の私的財産でございます」
「そのようですね」
 渋面を隠さず頷くグエンに、グローリアも真顔で頷く。
「この木炭の所有権及び流通権を、グエン=ハインリヒ国軍大将閣下に買い取っていただきたく存じます」
「畏れ多くも陛下への御道おんみちを塞いでいる邪魔物の責任を、私に押し付けたいと仰るのですね。状況を考えれば良い判断です。けれど、木炭ならば国にも軍にも十分な備蓄があります。私が引き受けるだけの有益性は感じられませんが」
「有益性は、ハインリヒ大将閣下のご采配によって陛下への御道が速やかに開かれること。開かれることで、荷物を運んできた御者や荷物番、荷改めに奔走していただいた方々の人的被害と過剰任務を解消できること。そして、近い将来にウェラント王国との断交で失われる軍の備蓄分を補い、先日から続く『白鋼しらはがね』の増産体制を、当面の間は安定維持できることです」
 グローリアの高らかな明言に、周囲から驚嘆の声が上がった。
 グエンの表情にも驚きが乗る。
「シュバイツァー公爵のご公務には関わりない案件と記憶しています。何故『白鋼』の件をご存知なのですか」
「私はフィオルシーニ皇国皇帝陛下の御温情とダンデリオン陛下の御厚意、フリューゲルヘイゲン王国の皆様の優しさで、この地を第二の故郷とさせていただけた身。己の無知無力を補うことこそ急務と思い、独自にではありますが、フリューゲルヘイゲン王国の歴史と文化を学んで参りました。それを継承し続ける為に、どこの国と、どんな取引をしてきたのかも」
「……ああ、なるほど。ウェラント王国の王太后陛下と王妃陛下は、断交後のフリューゲルヘイゲン王国における内需拡大を見越して、自国の特産品である木炭を公爵家に贈ったのではないかと。シュバイツァー公爵はそう解釈されたのですね」
「はい」

 ウェラントは、内陸にあって標高も高く、海とは縁遠い国だ。
 王都を貫く大河は雄大なれど、その河口は他国の領域に属している為に、国民の大半は水平線や砂浜、波打ち際を拝んだこともない。
 世界が平和主義に傾いている現代でこそ国際色豊かな市場や観光地を形成したが、以前は大河を含む複数の河川や湖の水源地である強みを活かした各種生産業が最も盛んだった。
 木炭の生産も、その一つ。
 水に恵まれた大地は雄大な森林を育み、深い緑と共に生きる民はいつしか木の扱い方を学ぶようになった。
 森を拓き、雑多に群生していた木々の種類を知り、森を絶やさぬ管理方法から特徴や用途に応じた焼き方まで、あらゆる技術を身に付け。
 現代ではウェラントに並ぶ炭焼き職人無しと言われるほどになっている。

 一方のフリューゲルヘイゲンは、広くはないが領海を擁する海沿いの国。
 国土は海に向かうなだらかな傾斜を描き、森林を抱えた山脈より草花茂る平野が広く幅を取っていた。
 海の幸と山の幸に恵まれた環境ながら、塩害、風害、水害、地盤の軟弱さなど、自然災害が多発しやすい条件も揃っている為、原材料の採取や生産を主とする第一次産業より、原材料の加工による価値の生産を主とする第二次産業を生業にした国民が多い。
 『白鋼しらはがね』は、フリューゲルヘイゲン王国の海岸に堆積した砂鉄と、ウェラント王国から輸入していた木炭などを使って製錬される鋼の一種。
 極秘とされる製法を用いたフリューゲルヘイゲン産の稀少で良質な白鋼を使った代表的な製品は『武器』。特に刃物だ。
 曲がりにくく折れにくい。
 鋭い切れ味が長持ちする。
 そんな上質な武器の生産こそ、フリューゲルヘイゲン王国の武勇と経済を支える要であり……
 いつ始まるとも知れぬ大陸間侵攻への対策に絶対不可欠な下準備だった。

「確かに、我がフリューゲルヘイゲン王国とウェラント王国は木炭の取引をしていました。製鉄に大量の木炭を消費するのも事実です。では、白鋼の製錬に使う木炭は少々特殊な焼き方でなければいけないこともご存知の筈」
 そちらの木炭は目的に適うものですか? と尋ねるグエンに、グローリアは迷いなく頷く。
「ウェラント王国のロゼリーヌ王太后陛下、並びにサーラ王妃陛下は、愛情深く聡明な御方々。ただの日用品を持参金代わりと銘打ち、これほどの手間隙を掛けて送り届けてくださったとは思いません」
「それは、初めから我がフリューゲルヘイゲン国軍に買い取らせるつもりで送ってきたという話ですか」
「いいえ。将来的に需要が高まる物を財産として贈与していただいただけでございます。これをどう扱うかはシュバイツァー公爵家が独自の判断で決めること。そしてシュバイツァー公爵家当主グローリア=シュバイツァーは、この品物の所有権と流通権を、グエン=ハインリヒ国軍大将閣下にこそ買い取っていただきたいと考えました。これが全てです」
「保管場所の問題も含めて、ずいぶんとピンポイントな贈答品であられる」
「私はウェラント王国と縁を切って以降、この私信を頂くまで、ロゼリーヌ王太后陛下にもサーラ王妃陛下にも、一度として連絡を取っておりません。御二方がシュバイツァー公爵家の現状をご存知ないのも無理からぬこと」
 不快げに片眉を上げたグエンの目線が、静かに成り行きを見守る護衛騎士アルベルトを捉える。
 シュバイツァー公爵の連絡事情に偽りがないかを訊かれていると察して、アルベルトは大きく頷いた。
 監視を兼ねた護衛が知る限り、グローリアと外部の人間がなんらかの接触を試みた形跡は無い。

「……良いでしょう。小賢しく使われた感が鼻につく展開ではありますが、陛下への御道を私物で塞がれたままにしておくのは不敬がすぎるというもの」
 踵を返したグエンが、ダンデリオンに恭しくひざまずく。
「ダンデリオン陛下。この国軍大将グエン=ハインリヒに、シュバイツァー公爵家との商業的取引を御認可ください」
「ふむ……所々にシュバイツァー公の希望的観測が混じっているようだが。白鋼の製錬に使える木炭ではなかった場合、何とするつもりか?」
「どの道ウェラント王国との取引は断っております故、このままの消費率でいけば製錬用以外の各種木炭の備蓄も、いずれ全体の三分の二程度は落ち込みます。私の責任で二度焼きにでもしまして、生活用に転化させた後、国内全体に流通させましょう」
「国軍への利益より、卿の負担が大きく見えるが」
「白鋼に使える木炭であれば、私も国も、莫大な資産が得られます」
「リスキーだな。だが、エサとしては上等だ」
 ニヤリと口角を上げたダンデリオンが、左手を腰に当てて頷く。
「フリューゲルヘイゲン国王ダンデリオン=シュバイツェルの名において、シュバイツァー公爵家当主グローリア=シュバイツァーと国軍大将グエン=ハインリヒの、国軍への転売を前提とした商業的取引を容認する! まずは道を空けよ。公と卿は、余の執務室で詳細を詰めるがよい」
「「ありがとうございます、我らがダンデリオン陛下リア・マジュ・ダンデリオン」」


 鶴の一声で行き先が決まった荷馬車達の誘導指揮はアルベルトに任せて、ダンデリオンとグエン、グローリアは王宮内にあるダンデリオンの執務室へと移動した。
 扉の外側に護衛二名を立たせ、三人以外は室内に入れないよう厳命し。
 防音がしっかりとした密室を作り上げた、次の瞬間。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいっっ」

 ダンデリオンが、グローリア=シュバイツァー改め、リアに土下座した。
 ハイジャンプからの、見事なスライディング土下座だった。

「あ、あのっ……?」
「ごめんね、リア。人前で突然あんな目に遭わされて、怖かったよね」
 グエンも眉尻を下げ、戸惑い後ずさるリアをぎゅっと抱き締める。
「い、いえ、ご迷惑をお掛けしてしまったのは私のほうで」
「違うんだ。あれは、ロゼリーヌ様達と私達が仕組んだ『試練』なんだよ」
「…………はい?」
 心苦しいと顔に書いたグエンが、状況を分かっていないリアの両肩に手を乗せ、首を振る。
「私とルビア王妃陛下が、時々ウェラントに行ってることは知ってるよね」
「はあ、一応は」
「あちらでは、密書を使った両国の情報交換と一緒に、リアがこちらでどう過ごしているのかをロゼリーヌ様達に話してる」
「え、では」
 シュバイツァー公爵家が王宮に間借りしているのを知っていて、自分宛てにあんなに大量の木炭を?
 と、疑問を顔に出したリアに、顔を上げたダンデリオンとグエンが頷く。
「でね。リアを王宮で預かってるところまでは良かったんだけど、その引き換えとしてリアに護衛や取り巻きを付けたことと、彼らを付ける際の理由がサーラ陛下の逆鱗に触れてしまって……物凄い剣幕で、計五時間ほどお説教されました。ルビア王妃陛下もご一緒に」
「ごっ……!?」
 上位国の王族に対してなんて失礼な、と青ざめるリア。
 グエンとダンデリオンは、何かを喪ったような目で薄く微笑んだ。
「ルビア王妃、珍しく落ち込んでたよ……態度には出してなかったけど」
「私達だって『リア達の挙動を監視する為に』『貴族推薦の護衛を付ける』なんて真似、考えなしに笑って快諾した訳じゃない。国の上に立つ人間が揃いも揃って笑い飛ばし、彼らが不正するとか絶対ありえないけど、まあやってみたら良いんじゃない? と態度で示せば、貴族達にはそれ以上突っ込む術が無くなるから……」
「うん……牽制のつもりだったんだよな、あれ……」
「監視させれば、リアの有能さが自然と伝わるだろうって計算もしてた……んですが、サーラ陛下が仰るには「皇国の後ろ楯を持つ公爵の挙動に監視を付ける発想自体が有罪」で、発想の実現を許した私達も同罪なのだそうです。皇国出身のルビア王妃陛下が付いていながら、なんたる体たらくかと」
「いや、間違ってない。彼女も間違ってはいないんだけど、現実は……ね。いろいろ複雑っていうか、ね」
 徐々に色を失い、落ちていく男女の頭。
「た、他国から知らない人間がいきなり転がり込んできたら、誰だって疑心暗鬼にもなりますよ! 貴族の方々の懸念はもっともですし、ダンデリオン陛下方が笑い飛ばしたのも、皇国への不敬から貴族の方々を護る意味で、最善の手段だったと思います!」
 植物が枯れていく様子を倍速で見ている気分になり、あわあわと宙を掻くリアの両腕。
 しかし、生気を欠いた国王と騎士は静かに長息する。
「「サーラ陛下の逆鱗は理由そのものじゃなく、ふざけた理由を口実にして虫を付けたことだと思う……」」
「虫?」
「気にしないで。防虫剤はちゃんと機能してるから」
「はあ、……??」

「とにかく、リアが監視なんて不名誉な扱いを受けているのは赦せないからと、リアの政務能力や人柄をできるだけ多くの人間の前で証明して、貴族達が付け入る口実を潰す為に両国共同で仕組んだのが、さっきの試練なんだ」
「試練とは、陛下への御道を塞ぐ私宛ての木炭をどう処理するか、ですか」
「そう。厳密には、誰の手助けも無い状況でフリューゲルヘイゲンの国益に適う判断を下せるかどうか。リアは期待以上の成果を示してくれたよ。あの流れなら、周辺各国も貴族達も、表立った因縁はつけられない。近いうちに監視を解かせるのも可能だと思う」
 でも、と、グエンはリアの肩に置いていた手を下ろして一歩下がった。
「ウェラント王国とフリューゲルヘイゲン王国の取引ではないと外部の者に認識させる為に、リアには酷い態度をとったし、リアがウェラントに居た頃からずっと抱えていた心痛を刺激する酷い言葉もたくさん吐いてしまった。謝って済む話じゃないけど……本当に、ごめん」

 リアは元々、ウェラント王国の後宮で姫君として育てられた貴族の令嬢。
 ウェラント王家の血を継がない王妃……現王太后の連れ子には、ウェラント国内に自分の居場所を見出だせないまま突然皇国の後ろ楯を得てフリューゲルヘイゲン王国に移住してきた経緯がある。
 迷惑や邪魔、仕方なく、といった言葉の数々は、たとえ放った側に悪意が無かったとしても、リアの心を切り裂く凶刃でしかない。
 疎外感の中で育った孤独な少女に居場所をあげたいと願って手を伸ばしたのはグエンなのに、よりによってそのグエンが凶刃を振るってしまった。
 リアの心傷の深さはいかほどかと、グエンこそが斬りつけられたような顔で涙をにじませている。
 しかしリアは、やや考える間を置き
「己の力量を他者に示す機会というものは、本人がどれだけ強く望んでも、挑む資格があると周囲に認められない限りは得られません。自分を見てくれと闇雲に叫んだとて、まず相手にもされないでしょう」
 花も綻ぶ柔らかい微笑みで、グエンの頬に両手を当てた。
「試練とは、資格を認められた者にのみ与えられる期待と信用の名誉。皆様に認めていただけたこの身、この力を、私は誇りに思い精進して参ります」
「リア……」
「リアちゃん……っ」
 よく似た面差しの男女二人が、まんまるにした黒紫色の目を潤ませ

「だからもう、試練中に答えと同義のヒントを出すなんて不正ズルは無しにしてくださいね」

「「ぎくっ」」
 鋭い指摘で硬直する。
 二人の顔面をダラダラと流れ落ちる冷や汗。
 グローリアのすみれ色の虹彩が、悲しげに翳った。
「やっぱり。おかしいと思ってたんです。アルストロメリア・ラトリアル・シュバイツァーは王籍離脱された後の御名前なのに、王女殿下の称号を付けて呼ばれるのは王族方にもご先祖様にも失礼だから。あれは、ウェラントの路地裏で聴いた話を思い出しなさいという意味ですよね」

 リアがフリューゲルヘイゲン王国へ移住する前、グエンはウェラント王国とフリューゲルヘイゲン王国の繋がりを、ウェラントの王都にある路地裏でリアとレクセルに話して聞かせていた。
 かつてのフリューゲルヘイゲンの第二王女アルストロメリアとウェラントの男爵マーキスが結婚して、ウェラント王国のシュバイツァー伯爵家が誕生したこと。
 身分差を埋める為に出された結婚の条件が、半ば荒廃していたウェラントの領土ラトリアの再興と、フリューゲルヘイゲンの未開拓地の新興だったこと。
 ラトリア再興の為にアルストロメリアがフリューゲルヘイゲンから炭焼きの技術を輸入し、森林の造成と木炭の商品化、経済基盤や生産基盤となる施設の整備で住民を誘致すると同時に、緑豊かな地域性を活かして観光地化を推進。結果、代を経た現在でもウェラントにこの都ありと称賛される大都市へと成長させていたこと。
 フリューゲルヘイゲンの未開拓地には職人や職人見習いを集め、ラトリアから輸出した木炭を貯蔵・使用できる蔵や窯を大量に設置、武器を含む焼き物製造に特化した工業団地へと発展させていたことを。

 これらの事前情報と、リアが独自に調べた『白鋼』の知識を合わせれば、あの場面、グエンがリアに示唆した内容は『ウェラント産の木炭はフリューゲルヘイゲンにとっても貴重な財産だから、遠慮なく売りつけて良いよ』になる。
 窮地に立たされたリアへのヒントなら親切心での助言でも、力量を示す為の試練中だったとなれば、それはリアの判断力を信じていないも同然の不正だ。
 リアは、騙し討ちのように仕掛けられた試練や、突き放すようなグエン達の態度よりも、そちらのほうがよほど淋しいと感じていた。
 ヒントを貰ったからこそ切り抜けられた自覚があるだけに、尚更。

「私は、たくさんの人に助けられてフリューゲルヘイゲン王国に来ました。自分の力で成し遂げた物事など一つもありません。今、この瞬間でさえ」
「っ、それは!」
「だからこそ、受け入れてくださったこの地に自分の力で立ちたい。助けてもらうばかりではなく、想いを返す力を手に入れたいんです」
 私を、頑張らせてくださいますか?
 グエンが掴んだ両手に優しい熱を感じながら、リアはまっすぐ前を見る。
 光を宿したすみれ色の中には、端正な顔立ちで眉根を寄せる女性が居た。

「……頑張ってるよ。リアがすごく頑張っているのを知ってるから、監視だ護衛だと御託を並べて一緒に居るくせに何も見えてないバードガー卿の憐れんだ視線が許せなかった」
 リアの涙も決意も知らないくせに。
 リアの優しさも強さも解ってないくせに。
「リアは憐れまれて良い人間じゃない。勝手に限界を決められ、見下されて良い人間じゃない。私の大切な娘で、優秀な弟子で、かけがえのない秘蔵っ子だ。頼りにしたい有能な臣下だ。だから、……あれはバードガー卿にリアの力を見せつけて見返したいと思った私の浅はかなわがままで、リアへの、侮辱だった」
 だけど、期待は本物だから。
 いつかフリューゲルヘイゲン王国の誰よりも憧れと尊敬の眼差しを集める素晴らしい為政者になると、確信しているから。
「もう二度とあんな形の手助けはしない。自分の力だけで、地に足をつけて生きなさい。グローリア=シュバイツァー」
 頬から引き離した手を胸元で握り、信頼を込めてリアを見つめるグエン。
 リアも真剣な表情でグエンを見つめ返し、頷いた。

「必ず、ご期待に応えてみせます。グローリア=ハインリヒ……お母様」

「「……………………っっ!」」
 剣術の師で、大切な人達を救ってくれた恩人で、自分を引き取ってくれた親代わりの女性をどう呼ぼうか、迷った末に出した答えは
「リア! 私の可愛い娘! 愛してるよ!」
「ぬあ!? ちょ、ずるい! 俺も俺も! 俺もお父様呼び希望! 母娘が相思相愛なら、俺とも愛情成立してなきゃでしょーっ!?」
「お前はうざいから却下」
「酷い!」
「えと、国王陛下を身内と呼ぶのは、私の立場上さすがに問題が……」
「良いじゃん! 国父だよ、俺! 国民の父、即ちリアちゃんのお父様!」
「見苦しい。黙れバカ」
「うわあああん、俺も愛が欲しいぃ~~っ」
 父親が生きて母親が傍に居る環境を知らなかったリアに、くすぐったくも温かい気持ちをもたらした。
 グエンと、立ち上がったダンデリオンにぎゅうぎゅうと抱き締められて、どうしたらいいのか戸惑う半面、安心感とよく似た心地好さに微笑が零れる。


「さて。では早速、商談に移りましょうか。シュバイツァー公爵」
「え?」
 親子愛が一段落したところでグエンが放った一言に、リアが首を傾げた。
「商談って……あの木炭は、元からフリューゲルヘイゲン王国に納める予定だったのでは? 適正価格で書類を作成していただければ、証拠として署名いたしますが」
「いいえ。正真正銘、シュバイツァー公爵家に贈られた持参金代わりの品物ですよ。引き取り先は予定通りですけど、価格交渉はシュバイツァー公爵家に一任されています。もちろん代金はお支払いしますので、相場と将来性を視野に入れてご提示ください。現物確認も一度入れますから、まずは全てを白鋼用と仮定した希望販売価格の形でお願いします」
「な……、え!? 本当に売買するんですか!? あの膨大な量を!?」
「はい」
「冗談ではなく!?」
「真実です。まあ、事前の取り決めで三百台だったものが約二千台まで大幅増量されている辺りは、私達への当てつけなのでしょうが」
「当てつけ」
「防虫ネットを速やかに張れ、と言いたいんだと思います」
「フリューゲルヘイゲンで虫に困ったことはありませんが」
「「そうでないと、私達がサーラ陛下に刺されますからね!」」
「はあ…… ??」
 顔色悪く声を揃えるグエンとダンデリオン。
 やっぱり意味が解らないリアは、目蓋を小刻みに開閉するばかり。

「ああ、そうだ。サーラ陛下ですが、先月のリブロム王のベルゼーラ王国・帰還をもって、正式に女王へと立位されましたよ。今は王妃陛下ではなく、女王陛下です」
「! サーラ様が」
 不意に振られた異父姉の話題に、リアの肩がビクッと跳ねる。
 いつかまた会う為に、最愛の姉も頑張っているのだと。
 詰まる胸を押さえて喜びを噛み締めた。
「それと、ベルゼーラ王国には、リブロム王の婚約者としてシウラ嬢が同行したそうです」
「ええ!?」
 一度だけ顔を見た、両親を同じくするリアの実の姉シウラが、リブロムの婚約者になっている。
 衝撃の事実に絶句するリア。
 リブロムと過ごした時間、記憶が脳裏を掠め、複雑な感情が渦を巻く。
「……政略、ではない、ですよね?」
「シュバイツァー伯爵家は解体されているので、政略的価値はありません。シウラ嬢から願い出た話だと聞いています」
「そう、ですか。なら……救われます。シウラ姉様もリブロムも、私も」
 リブロムがリアにくれた想い。
 リアがリブロムに返せなかった想い。
 リブロムの婚約話を聴いて胸の奥で何かが欠けたような、焦げつくような痛みや苦しみを感じるのは、あまりにも身勝手だ。
 アーシュマーがフリューゲルヘイゲンに居て、リアはアーシュマーの手を取った。
 リブロムはベルゼーラへ行って、シウラの手を握り返す。
 それぞれがそれぞれの場所で、新しい未来を描いていく。
 ほんの少しの寂寥を連れて。

「変わっていくんですね、皆」
「淋しい?」
「はい」
 覗き込む黒紫色の目を見て、こくりと頷く。
「でも、嬉しくもあります」
「嬉しい?」
「変わっていけるなら、涙はいつか笑顔になるから」
 誰もが泣いていた。
 痛くて苦しくて、叫びたくて悲しくて。
 なのに何もできなくて、皆が泣いていた。
 そんな過去が、ようやく終わりを告げようとしている。
「今度会う時は、皆で笑っていたいです」
「そうだね。その願いだけは、誰も変わってないだろうけど」
「はい」
 ぽんぽんと頭を軽く叩く優しい笑みのグエンに、リアも笑顔を返す。
 ソファーに腰を下ろしていたダンデリオンも、二人に笑顔を向けている。
「では、改めて。私達の願いを叶えてもらう為、存分に頭を回転させてくださいね。公爵」
「はい。よろしくお願いいたします、国軍大将閣下」
「うむ。二人共、良きに計らえ!」
 グエンとリアも席に着き、国王立ち会いの下で木炭の商談が始まった。

 この商談の結実が、フリューゲルヘイゲン王国に武器の大量生産を促し、シュバイツァー公爵家に領地と屋敷を購入する財産をもたらし、リアとアーシュマーの監視を全面廃除させ、大陸間侵攻への備えも磐石なものとさせるのだが。

 いくつもの国境を通り抜けて移動した長蛇の列が、周辺各国のみならず、大陸中にグローリア=シュバイツァーの名前と大まかな懐事情を知らしめた挙げ句。
 騎士の実力に加え、為政者の能力をも兼ね備えているらしい、と発覚したシュバイツァー公爵の評判が他国の王族にまで伝播し、厄介な強者の出現で警戒感を与えるどころか、国内で追い払った以上の虫を公爵家周辺で大量発生させるはめになるとは。
 『試練』を企画した誰にも、想定できていなかった。

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