[R18]黄色の花の物語

梅見月ふたよ

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第三十話 信じて

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 宮殿の上層階、国王の執務室。
 開いたままになっている廊下側の扉から、険しい表情のリブロムが足を踏み入れた。
 白いウールのシャツと、センタープレスが入った黒いズボン。光沢が特徴的なロングノーズの黒い革靴。
 二国を統べる王とは思えない軽装をした男の左手には、薄い紫色のカードが握られている。
「……どういうおつもりなのか、お伺いしてもよろしいか。ロゼリーヌ后。そして、シウラ」
「ご覧の通りですわ、リブロム陛下」
「用があったからお呼びして、お待ちしていた。それだけですが?」
 そんなリブロムを室内で待ち構えていたのは、藤色のドレスとパンプスで身を固めているウェラントの王太后・ロゼリーヌと、もう一人。
 ロゼリーヌと同じく後頭部で一つに束ねた黄金色の長い髪と、紫水晶にも似た虹彩を持ち。
 透き通ったラベンダー色で彩られたミモレ丈のシルクドレスを着て、ほんのり赤いパンプスを履いている、リブロムの愛妾・シウラ。
 室内の中央で並び立つ二人の手には、それぞれ短剣と果物ナイフが収まっていた。
「……どこの王室に、宮殿へ隠し武器を持ち込んで国王の訪れを待ち構える女性陣が居るんだ……」
「「ここに」」
「貴女方以外には聞いた例が無い、と言っているのだが」
「無いでしょうね」
「国長への害意表明は、たとえ王家に籍を置く人間でも国家反逆、良くて不敬に直結する重大な罪。片腕が機能不全になる程度で済むなら安いものです」
 静かに佇むロゼリーヌと、どこか楽しげに、それでいて挑発的に笑うシウラ。
 露骨な嫌みに、リブロムの眉がぴくりと跳ねた。
「……ゼルエスほど生温く済ませるつもりは無いぞ、俺は」
 剣呑な眼光。
 余裕の無さが態度に出ていると、リブロム本人は気付いていない。
「では、いかがなさいます?」
「使用人達にロゼリーヌ后と私を捕らえさせ、使い途が無くなったサーラ王妃陛下と共に首を刎ねますか? 私達の血に染まった手でミウルを陵辱しますか? ああ、それはとても良い案ですね。私達の首とミウルが発狂していくまでの詳細はどうぞ、丁寧にまとめてフリューゲルヘイゲンへ贈ってください。多少の変化は期待できるかも知れません。事態が好転するか悪化するかについては責任持てませんけど」
「ふざけるなよ、シウラ」
「ふざけてなどいません。『前王ゼルエスがロゼリーヌ后にした事以上』に相当する内容を端的にまとめただけです。違いと言えば、我が父の行く先がフリューゲルヘイゲンではなく、ウェラント国内にあるシュバイツァー家所有の墓地だったことくらいでしょうか。父の命日には毎年欠かさず正体不明の誰かから薔薇の花束が捧げられていましたが、私達の亡骸はきっと野晒しね。生温く済ませるつもりが無いと仰るなら、この程度は鼻歌交じりでやってのけるのでしょう? ねえ、侵略者・リブロム」
「黙れ」
「ああ、そう言えば。前王ゼルエスは、十人以上の宮廷騎士を倒した後も平然とオーリィードを抱いていたそうですね。オーリィードの仲間が血を流したこの部屋で。扉を開いた状態で。廊下には国王付きの護衛騎士も控えていたでしょうに、おぞましいこと」
「黙れ、シウラ! それ以上は!」
「シウラが黙ろうと黙るまいと関係ありません。貴方が選ぼうとしているのはそういう道なのです、リブロム陛下」
 手の中のカードをグシャッと握り潰しながら声を張り上げたリブロムに、ロゼリーヌがまっすぐな目で告げる。
「できるのですか? 貴方に。ゼルエスと同じ事を。ゼルエス以上の非道を」
「……説得のつもりか」
「いいえ。貴方の覚悟を問うているのです」
「ハッ! 侵略者に問うものではないな。第一、問うてどうなる。私が答えたとして、貴女がどうすると言われるのか、ロゼリーヌ后」
「「薔薇にはトゲがありますのよ、リブロム陛下」」
「!?」
 ヒュッと音がした瞬間。
 リブロムの目の前に、二つの切っ先があった。
 ロゼリーヌが右手に持つ短剣の切っ先と。
 シウラが左手に持つ果物ナイフの切っ先。
 咄嗟に退いた顔の上を同時に走る凶器。
 驚きつつ一歩も後退しなかったリブロムを称え、背中合わせで立つ母子がニッコリと笑う。
「我ら、フリューゲルヘイゲン流双剣術の継承者」
「『二頭の鷲』に倣い、二人で一組・二振りで一刃を成し、舞うが如く敵を討つ」
「花にたとえられし身と侮る者は多かれど」
「ウェラント王国に捧げし忠義は誠なれば」

「「侵略者ごときに従う道理は無い!」」

 二振りの刃がリブロムから離れ。
 二人の腕がリブロムの身体を挟むように交差する。
 対となって左右から襲い来る刃を後ろに下がって避けたリブロムを追い、呼吸を合わせた刃が空を斬る。
 微妙に色が違う二人のドレスの裾と黄金の髪がヒラヒラと宙を泳ぎ、獲物と定められた者の視界を惑わし注意力を散らす。
 時に背中合わせ、時に向かい合わせ、時に離れて螺旋を描く、その動きはまさに『舞い』。
 風に流されているようでありながら、風に乗って自由気ままに飛び回る。
 優雅にして苛烈。
 そんな『舞い』だった。
 だが。
「……フリューゲルヘイゲンの、双剣術?」
 緩急をつけた、しなやかで軽やかな躍動。
 高低差を惜しみなく利用する筋肉の使い方。
 回避に徹底していても観察が間に合わず、掴みにくい軌道。
 戦いにくさを感じる独特な間合い。
 知っている。
 知っていた。
 初めて聞く剣術の基本となる筋を、リブロムは理解していた。
「これが、フリューゲルヘイゲンの剣術!?」
「「あ!?」」
 一対の刃を避けて大きく飛び上がり、宙を蹴って二人の背後へ。
 着地直後に透かさず伸ばした足を大きく振り回し、二人の足下を薙ぐ。
 バランスを崩しかけた二人がなんとか堪えてリブロムに向き直った時、彼は既に国王の寝室に続く扉の前で立ち尽くしていた。
 双剣術の基本は『呼吸方法』と『足運び』だ。
 呼吸を乱すのは難しいが、足の抑え方さえ解れば一応の対処はできる。
 それを知ったのは……オーリィードとの手合わせで、だ。
「……ゼルエスは、フリューゲルヘイゲンの剣術を知っていたのか?」
「ゼルエス? ダンデリオンと同じ学園に留学していたから、知っていたとは思うけれど……」
「…………そうか」
 沈み込んだリブロムの顔色に、母と子が顔を見合わせ……ハッと目を見開く。
「まさか、オーリィードも双剣術を!?」
「ああ」
 アレンジこそしていたが、オーリィードはフリューゲルヘイゲンの剣術を修得していた。
 偶然にしてはピンポイントすぎて不自然な組み合わせ。
 ならば、これは必然。
 アーシュマーがベルゼーラの剣術を教える前に、オーリィードとフリューゲルヘイゲンが何らかの形で接触していたことになる。
 ゼルエスが剣術の型を知っていたとしたら……フリューゲルヘイゲンの剣術を体得しているオーリィードを見て、どれだけ歓喜しただろうか。どれだけ期待を寄せていただろうか。
「……今更だな」
 フリューゲルヘイゲンがどんなつもりで剣術を仕込んでいたのかは知らないが、オーリィードがマッケンティアの手に堕ちた今となってはどうでもいいことだと、リブロムは寝室の扉に手を伸ばした。
 開こうとする彼を、母子は止めようとしない。
 暗く淀んだ面持ちで押し開いた境界線の向こう、メイドに片付けさせておいた室内に。

 オーリィードが、眠っていた。

 寝台の上で軍服を着て眠っているオーリィード。
 ゼルエスに何もかもを奪い取られる前の、幼いオーリィードが。
 そこに、居た。
「…………なんの……つもり、なんだ……」
 驚愕で全開になった青い目が捉えているのは、幻覚ではない。
 勿論、本物のオーリィードでもない。
「いきなりミウルを人質にしたとか、訳が分からないカードで宮殿に呼び出したかと思えば、こんな真似をして……いったい、何がしたいんだ、お前達は……っ!!」
 オーリィードの面影がある少女、ミウル。
 寝台の上で仰向けになっていたのは、兵士時代のオーリィードの格好をしたミウルだった。
 髪色がもう少し濃く、かつてアーシュマーが贈った赤い髪留めを付けていれば、リブロムでもすぐには気付けなかったかも知れない程度に、よく、似ている。
「覚悟を問うていると、答えた筈ですわ」
「ゼルエスがした事。それ以上の事。これでも、貴方にできますか?」
「……ふざけるな……」
 ブルブルと震え出した肩の両横をすり抜け、母子が寝室に移動する。
「ふざけるな……っ!」
 あどけない少女の盾になるかのような位置で寝台に腰掛けた二人の女性に。

「ふざけるなあああ――――――――ッ!!」

 リブロムの絶叫が突き刺さる。
「話しただろう!? 聴いていただろう!? 中央大陸で何が起きていたのか、これ以上マッケンティアを放置していたら、ベルゼーラやウェラントが……バスティーツ大陸がどうなるかを!!」
「ええ。確かに伺いましたわ」
「私も、しっかりと聴いていました」
「だったら、どうしてこんな真似をするんだ! フリューゲルヘイゲンが動かない以上、他に手段が無いってこんな状況で、俺にどうしろって言うんだよ!? お前達はウェラントを滅ぼしたいのか!!」
「「いいえ」」
 頭を抱えて叫ぶリブロムに、二人はきっぱりと否定を返す。
「なら、どうして!!」
「できるのかと、お尋ねしているだけですわ。リブロム陛下」
「オーリィードを、この部屋で、もう一度壊せるのかと、貴方に尋いているだけですよ」
「できっ……!」

 ぱたり。

 ぱたりと、青い目から雫が落ちる。
 青い目の中で三人の姿がゆらゆら揺れる。

 答えはそれで十分だった。

「信じてください、リブロム陛下」
「……なにを」
 ロゼリーヌの呼びかけに、リブロムの両腕が垂れ下がる。
「ダンデリオンを。わたくしの親友を」
「…………動かなかった」
「信じてください。フリューゲルヘイゲンを」
「オーリィード達はもう、居ない」
「現状には何かしらの意味がある筈です。オーリィードがフリューゲルヘイゲンの剣術を覚えていたことにも。信じてください。彼らを信じている、わたくしを」
「……貴女達こそ、救われなかったでしょう。何故、信じられる?」
「救われなかったから」
 目を丸くしたシウラとリブロムの視線を集め、微笑むロゼリーヌ。
「入国許可と移住許可以外の反応が無かったわたくし達が救われなかったからこそ、ダンデリオンの関係者が存在を匂わせている今は、別の未来があるのだと信じられるのです。信じてください、リブロム陛下。可能性はまだ残されている。どうか、わたくしを信じて」
「…………」
 沈黙と、静寂。
 リブロムは答えなかった。
 靴先を執務室へ向け、無言で出て行ったきり、戻って来る気配は無かった。
「……伝わった、のでしょうか?」
 シウラの心配そうな目線を受けながら、ロゼリーヌは執務室の扉を……その向こうで閉じ切られたままのもう一枚の扉を見て、頷く。
「きっと大丈夫。貴女はいつも通り、ミウルと牡丹の宮に居てあげて」
「はい」

 自分にできるだけの事はした。
 あとはダンデリオンを……リブロムを信じるしかないと、気持ち良さそうに眠っているミウルの髪をそっと撫でた。

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