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結
第十一話 フィールレイク伯爵邸へ
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オーリィードの実姉であるシウラが、シュバイツァー伯爵家の長女としてリブロム王の後宮に封じられると公布された、次の日。
メイベルの予想通り、今日もどこからともなく現れた野次馬達が、都内の至る所で黒山を作っていた。
メイベルが切り盛りする一階の食堂にも、二階で営む宿屋にも、早朝から大勢の客が押し寄せ、従業員達は接客や片付けに追われて休む隙が無い。
前日に引き続いて仕入れを担当するオーリィードも、買った端から尽きる食材を更に求め、食堂と市場の間を数え切れないほど往復していた。
集荷の仕事に勤しむレクセルも、かつてない大量の配達物に口を閉ざし、淡々と業務をこなしていく。
その忙しさは、昼を越えて落ち着くどころか、夕方に向かって益々の盛り上がりを見せている。このままの勢いが続くと、ヘンリー兄妹に指定された時間、指定の場所へ赴くのは難しい。
さてどうしたものかと悩んでいた二人に助け舟を出したのは、それぞれの雇い主だった。
「オーリさん、今日はもう上がってください」
「え? ですが、食材の買い出しは」
「大丈夫です! 今夜の仕事分は、代わりの方が来てくれるそうですから。オーリさんは早く行ってください。昨夜は緊張しすぎてうまくいかなかったから、仕切り直しの為に、レクセルさんとデートしたいんでしょう?」
「デッ……、はい!?」
「やはり、こういうコトには心の準備が必要ですものねえ……。解ってます解ってます。この私、愛の仲介者メイベル! どれだけ忙しくなろうとも、愛し合うお二人の仲を仕事で引き裂こうなどと野暮な真似はしませんよ! さあ、早く早く!」
「ちょっ、あの!?」
にんまりと意味ありげに笑う雇用主に背中を押され、問答無用で、食堂の外に置き去られてしまった。
玄関の内側から手を振るメイベルや常連客の一部に「let-toua~♪」と上機嫌で見送られ、なにやらまた誤解されていることに頭を痛めるが。
せっかく貰った機会だ。活かさない手はない。
彼女の夢想は後でなんとか醒ますとして、今は軽く一礼し、最寄りの乗合馬車の停留所へ足先を向ける。
途中で合流したレクセルも、似たような経緯で仕事を終えてきたらしく、事情を理解した二人は揃って遠い目をするハメになった。
もうちょっと違う言い訳は無かったんですか、ヘンリー卿……と。
指定の場所で待っていた胸に赤い薔薇を差す黒いタキシード姿の男性は、二枚の封筒を確認するなり深々と腰を折り、脇に停めてある二頭立ての箱型馬車へと二人を誘導した。
一般向けに比べれば高級かも知れない、程度の日用馬車を用意する辺り、周囲の目に気を配っている様子が窺える。
仕事着のままの二人は、変な注目を集める前に乗り込み、タキシード姿の男性と並んで座る御者の走りに任せて、都内の貴族街へ向かう。
道中、貴族や大富豪を相手に取引する服飾店で、何故かサイズピッタリのテールコートとイブニングドレスに着替え、フィールレイク伯爵家の家紋が施された豪華な造りの馬車に乗り換えた。
目的地は夜会の会場になっている伯爵邸だ。
当然、服装も乗り入れる馬車も格式に合わせた物に変えられるだろうと、二人共予想してはいたが。
「………………。」
「……さっきから、なんなんだ? 物言いたげなその顔は」
「えっと、その……よく、お似合いだと思いまして……」
着替えてからというもの。
レクセルの視線は、オーリィードに釘付けだった。
口元を手で隠したり、自身の襟元をいじったり。
時折横を向いたかと思えば何事か呟いていて、とにかく落ち着きがない。
「こんな服装、動きにくくて邪魔臭いだけだ」
一方、オーリィードの態度は冷め切っている。
下に向けて濃くなるグラデーションが見事なすみれ色のシルクで作られたマーメイドラインのベアトップドレスは、太股を曝すほど深めのスリットが入っていても、蹴る跳ぶ走るなどの大きな動作には不向きだ。
頭部や耳元や胸元でちゃらちゃらと鳴るアクセサリー類も、肘上まで覆うツルツルした肌触りのロンググローブも、走りには適さないハイヒールも、剣を扱うオーリィードにとっては、手枷足枷でしかない。
ハーフアップにした髪がいつもより視界を広げているので、初動の遅れはこれでカバーできるとしても。
やはり、できればズボンスタイルが望ましい。
特に、薄塗りでも唇をべたつかせたり、頬を突っ張らせる化粧なんかは、今すぐにでも落としたい……が、オーリィードの本音だった。
「お前は楽そうで良いな」
そんな彼女と向かい合って座るレクセルも、地毛より長い金髪で作られたかつらで生来の銀髪を隠し、ビシッと決めたフォーマルスタイルで、先ほどまでの『作業員のお兄さん』な空気を一掃している。
「そうですね。男性の装いは、女性ほど種類豊富ではありませんから」
「うらやましい」
「……地味に悔しく思うのは、贅沢なのでしょうね……」
「は?」
「いえ、なんでも」
状況的に『元』が付くとはいえ、レクセルとて一国の王子。
政治に使う材料の一つとして、ある程度着飾れば見られる容姿に磨かれていた自覚はあったし、服飾店の女性達にもうっとりと目を細められたので、多少は色良い反応を期待したのだが。
オーリィードには、まったく通用しなかったらしい。
ゼルエスやリブロムとの事があって『王族の男性』に良い印象が無いのは当然だとしても、ここまで眼の外にされているとは。
吐いた息が悩ましく、切ない。
そうこうしている間に、馬車が止まった。
御者の合図で扉が開き、まずはレクセルが。そのレクセルの手を借りて、オーリィードが降り立つ。
途端に周囲がざわめき、静まり返った。
よく見ると、二人の後方には格式高い馬車が長蛇の列を作り、入口へ続く階段では、招待客や接待係らしき人々が動きを止め、二人に注目している。
レクセルはともかく、オーリィードは、こういう改まった場所での視線に慣れていないので、居心地がすこぶる悪い。
エスコートモードに切り替わったレクセルの左腕に右手を預け、パラッと開いた扇子で顔の下半分を隠し。
見た目は優雅に、さりげなく足早に。
タキシード姿の男性の案内で、伯爵邸の玄関ホール手前まで移動する。
「お待ちしておりました。どうぞ、こちらへ」
そこで立っていた執事らしき男性に頭を下げられ、大広間へ向かう男女の群れとは違う方向へ。
入口正面の二股階段を右手に上り、巡回する警備員に見守られながら角を曲がって、いくつかの部屋をやり過ごし。
目的地に着いたのか、閉じ切られている頑丈そうな二枚扉を、執事がコンコンと軽く二回叩いた。
「失礼します。お客様をお連れしました」
「入っていただいて。扉は両方開いたまま、決して閉めないように」
「かしこまりました」
「? オーリ……」
室内に居る人物と執事のやり取りに、オーリィードの手が微かに跳ねる。
不思議に思ったレクセルが、彼女の顔を覗こうとして。
開いた扉の向こうから溢れ出すシャンデリアの光に遮られた。
「ようこそおいでくださいました。シュバイツァー隊長。並びにお連れ様」
目が眩むほど明るい室内では、レクセルより少しだけ派手な装飾のテールコートを着用した二十代後半の青年が、左手を胸に当てて立っている。
「お二人を招待した当家の嫡男ティアン・フォルト・フィールレイクです。以後、お見知りおきを」
鼻筋に掛かるサラサラな金色の髪と、柔らかく細められた緑色の涼しげな目元が人当たりの良さを感じさせる好青年を前に、オーリィードは、
「…………」
扇子の影でうつむいたまま、震えていた。
メイベルの予想通り、今日もどこからともなく現れた野次馬達が、都内の至る所で黒山を作っていた。
メイベルが切り盛りする一階の食堂にも、二階で営む宿屋にも、早朝から大勢の客が押し寄せ、従業員達は接客や片付けに追われて休む隙が無い。
前日に引き続いて仕入れを担当するオーリィードも、買った端から尽きる食材を更に求め、食堂と市場の間を数え切れないほど往復していた。
集荷の仕事に勤しむレクセルも、かつてない大量の配達物に口を閉ざし、淡々と業務をこなしていく。
その忙しさは、昼を越えて落ち着くどころか、夕方に向かって益々の盛り上がりを見せている。このままの勢いが続くと、ヘンリー兄妹に指定された時間、指定の場所へ赴くのは難しい。
さてどうしたものかと悩んでいた二人に助け舟を出したのは、それぞれの雇い主だった。
「オーリさん、今日はもう上がってください」
「え? ですが、食材の買い出しは」
「大丈夫です! 今夜の仕事分は、代わりの方が来てくれるそうですから。オーリさんは早く行ってください。昨夜は緊張しすぎてうまくいかなかったから、仕切り直しの為に、レクセルさんとデートしたいんでしょう?」
「デッ……、はい!?」
「やはり、こういうコトには心の準備が必要ですものねえ……。解ってます解ってます。この私、愛の仲介者メイベル! どれだけ忙しくなろうとも、愛し合うお二人の仲を仕事で引き裂こうなどと野暮な真似はしませんよ! さあ、早く早く!」
「ちょっ、あの!?」
にんまりと意味ありげに笑う雇用主に背中を押され、問答無用で、食堂の外に置き去られてしまった。
玄関の内側から手を振るメイベルや常連客の一部に「let-toua~♪」と上機嫌で見送られ、なにやらまた誤解されていることに頭を痛めるが。
せっかく貰った機会だ。活かさない手はない。
彼女の夢想は後でなんとか醒ますとして、今は軽く一礼し、最寄りの乗合馬車の停留所へ足先を向ける。
途中で合流したレクセルも、似たような経緯で仕事を終えてきたらしく、事情を理解した二人は揃って遠い目をするハメになった。
もうちょっと違う言い訳は無かったんですか、ヘンリー卿……と。
指定の場所で待っていた胸に赤い薔薇を差す黒いタキシード姿の男性は、二枚の封筒を確認するなり深々と腰を折り、脇に停めてある二頭立ての箱型馬車へと二人を誘導した。
一般向けに比べれば高級かも知れない、程度の日用馬車を用意する辺り、周囲の目に気を配っている様子が窺える。
仕事着のままの二人は、変な注目を集める前に乗り込み、タキシード姿の男性と並んで座る御者の走りに任せて、都内の貴族街へ向かう。
道中、貴族や大富豪を相手に取引する服飾店で、何故かサイズピッタリのテールコートとイブニングドレスに着替え、フィールレイク伯爵家の家紋が施された豪華な造りの馬車に乗り換えた。
目的地は夜会の会場になっている伯爵邸だ。
当然、服装も乗り入れる馬車も格式に合わせた物に変えられるだろうと、二人共予想してはいたが。
「………………。」
「……さっきから、なんなんだ? 物言いたげなその顔は」
「えっと、その……よく、お似合いだと思いまして……」
着替えてからというもの。
レクセルの視線は、オーリィードに釘付けだった。
口元を手で隠したり、自身の襟元をいじったり。
時折横を向いたかと思えば何事か呟いていて、とにかく落ち着きがない。
「こんな服装、動きにくくて邪魔臭いだけだ」
一方、オーリィードの態度は冷め切っている。
下に向けて濃くなるグラデーションが見事なすみれ色のシルクで作られたマーメイドラインのベアトップドレスは、太股を曝すほど深めのスリットが入っていても、蹴る跳ぶ走るなどの大きな動作には不向きだ。
頭部や耳元や胸元でちゃらちゃらと鳴るアクセサリー類も、肘上まで覆うツルツルした肌触りのロンググローブも、走りには適さないハイヒールも、剣を扱うオーリィードにとっては、手枷足枷でしかない。
ハーフアップにした髪がいつもより視界を広げているので、初動の遅れはこれでカバーできるとしても。
やはり、できればズボンスタイルが望ましい。
特に、薄塗りでも唇をべたつかせたり、頬を突っ張らせる化粧なんかは、今すぐにでも落としたい……が、オーリィードの本音だった。
「お前は楽そうで良いな」
そんな彼女と向かい合って座るレクセルも、地毛より長い金髪で作られたかつらで生来の銀髪を隠し、ビシッと決めたフォーマルスタイルで、先ほどまでの『作業員のお兄さん』な空気を一掃している。
「そうですね。男性の装いは、女性ほど種類豊富ではありませんから」
「うらやましい」
「……地味に悔しく思うのは、贅沢なのでしょうね……」
「は?」
「いえ、なんでも」
状況的に『元』が付くとはいえ、レクセルとて一国の王子。
政治に使う材料の一つとして、ある程度着飾れば見られる容姿に磨かれていた自覚はあったし、服飾店の女性達にもうっとりと目を細められたので、多少は色良い反応を期待したのだが。
オーリィードには、まったく通用しなかったらしい。
ゼルエスやリブロムとの事があって『王族の男性』に良い印象が無いのは当然だとしても、ここまで眼の外にされているとは。
吐いた息が悩ましく、切ない。
そうこうしている間に、馬車が止まった。
御者の合図で扉が開き、まずはレクセルが。そのレクセルの手を借りて、オーリィードが降り立つ。
途端に周囲がざわめき、静まり返った。
よく見ると、二人の後方には格式高い馬車が長蛇の列を作り、入口へ続く階段では、招待客や接待係らしき人々が動きを止め、二人に注目している。
レクセルはともかく、オーリィードは、こういう改まった場所での視線に慣れていないので、居心地がすこぶる悪い。
エスコートモードに切り替わったレクセルの左腕に右手を預け、パラッと開いた扇子で顔の下半分を隠し。
見た目は優雅に、さりげなく足早に。
タキシード姿の男性の案内で、伯爵邸の玄関ホール手前まで移動する。
「お待ちしておりました。どうぞ、こちらへ」
そこで立っていた執事らしき男性に頭を下げられ、大広間へ向かう男女の群れとは違う方向へ。
入口正面の二股階段を右手に上り、巡回する警備員に見守られながら角を曲がって、いくつかの部屋をやり過ごし。
目的地に着いたのか、閉じ切られている頑丈そうな二枚扉を、執事がコンコンと軽く二回叩いた。
「失礼します。お客様をお連れしました」
「入っていただいて。扉は両方開いたまま、決して閉めないように」
「かしこまりました」
「? オーリ……」
室内に居る人物と執事のやり取りに、オーリィードの手が微かに跳ねる。
不思議に思ったレクセルが、彼女の顔を覗こうとして。
開いた扉の向こうから溢れ出すシャンデリアの光に遮られた。
「ようこそおいでくださいました。シュバイツァー隊長。並びにお連れ様」
目が眩むほど明るい室内では、レクセルより少しだけ派手な装飾のテールコートを着用した二十代後半の青年が、左手を胸に当てて立っている。
「お二人を招待した当家の嫡男ティアン・フォルト・フィールレイクです。以後、お見知りおきを」
鼻筋に掛かるサラサラな金色の髪と、柔らかく細められた緑色の涼しげな目元が人当たりの良さを感じさせる好青年を前に、オーリィードは、
「…………」
扇子の影でうつむいたまま、震えていた。
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