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結
第九話 宮殿の虜囚
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ウェラント王国の中心部にある、巨山『ウェルノスフォリオ』。
防衛と政治の機能を併せ持った王城の敷地の頂で青い尖塔を掲げて建つ、国王の居住空間である宮殿の上層階。
普段は後宮に身を置く歴代の王妃達が、王城の内外で公務に臨む時だけ、特別に滞在していた寝室。
白く半透明な紗の内側でベッドの端に腰掛けているサーラが、所在無げに投げ出した足先へと怪訝な視線を落としていた。
「……どういうことなの?」
アーシュマーの手でここに連れ戻されてから、約五ヶ月。
サーラは特に何もされず、何かをする自由も無く、ただただ漫然と時間を食い潰していた。
公務はおろか、王侯貴族の女性達が嗜む刺繍やダンス、書き物でさえもリブロムに禁じられ。
運動代わりに庭園を散策したいと訴えても、寝室から出るなの一点張り。
試しに何度か廊下へ出ようとしてみたが、扉を開いた途端に、使用人達がどこからともなくぞろぞろと現れ、問答無用で押し戻された。
室内扉を隔てた隣にある執務室や、その奥に続く国王の寝室となら行き来できるらしいが……
自分でも制御できない憤怒と憎悪に駆られて、内装品やガラス扉を粉々に砕いてしまう自信がある為、できる限り近付かないようにしている。
サーラは虜囚だ。
国際的に価値が認められている虜囚。
手足が動かなくなるまで労働を強いられ、使えなくなったら塵芥も同然に捨てられる奴隷とは違う。
その存在、一言一句、一挙手一投足、果ては髪の一筋に至るまで、関わるすべてに意味を求められる高貴な虜囚。
しかしリブロムは、サーラに対して何も求めない。
ウェラント王国の第一王位継承者であった自分に『ウェラント王妃』と『ベルゼーラ王妃』の看板を背負わせた以外、何一つ求めてこなかった。
「いくらなんでも、さすがにおかしいでしょう」
何もしてこない。
とはつまり、看板の価値を動かすだけの理由が無い。
血統掌握による王国乗っ取り完遂後、五ヶ月が経過してもまだ。
『近隣諸国に動きが無い』……ということだ。
リブロムがウェラント王国の椅子を掠め取って三年、加えて五ヶ月。
四年目突入も遠くない。
様子見にしたって、傍観期間があまりにも長すぎる。
リブロムが意図的にサーラの耳を塞いでいるとしても、これだけの年月が経てば、そろそろ王妃の扱いに変化が出ていてもおかしくない。
いや、変化しないほうがおかしい。
半年近くも白い関係を続けるなど、王族としてはありえない職務放棄。
他国やウェラント王国の貴族達が知れば、良くも悪くも槍玉に挙げられるというのに、リブロムもそれを隠そうとしているかどうか怪しい。
彼が王妃の寝室を最後に訪れたのは、大体三ヶ月前だ。
それなのに。
「どうして、どの国も動かないの……?」
「動かないのではなく、動けないのよ」
「!?」
「ずっと昔から、こうなるように仕向けられてきたから」
知らない女性の声。
「始まりは限られていても、立てる戸が無ければ、気付けなければ、それは際限なく拡がり、侵食して、終わる。なにもかも、解りきっていた話だわ」
一言一句をはっきりと丁寧に発音していながら、どこか突き放したように響く言葉。
「貴女、は……?」
跳ねるように立ち上がったサーラが、勢いよく紗を払う。
いつの間にか真正面に佇んでいたのは、黒いベルベットのロングドレスやグローブ、アクセサリーなどで首から下の肌を全面覆い隠した四十代前後の女性。
艶やかに陽光を弾く、黄金色の豊かな巻き髪。
言い知れぬ妖艶さが宿る、濃い赤紫色のつり目。
ドレスの上からでも判る整った肢体は、同性のサーラにも息を呑ませる、圧倒的な魅力を放っている。
畏怖、とでも言うのだろうか。
ただそこに居るだけで他者を威圧する存在感に身体の芯が震え、喉の奥がひきつってしまう。
「『はじめまして』……なんて、とても滑稽だけれど。手紙以外でやり取りするのは初めてですもの。はじめまして、が正しい挨拶なのでしょう」
「手紙? ……あっ!」
今更ながら、女性の外見に結び付く愛しい面影。
サーラの異父妹が成熟した姿はきっと、目の前の女性とよく似ている。
「ロゼリーヌ王妃陛下!?」
既に家庭を持っていた身で後宮に囚われ、国王の子供を産まされて。
愛する夫を目の前で殺されたばかりか、夫婦の間に産まれたばかりの赤子まで国王に奪われた女性。
現シュバイツァー伯爵家、本来の当主。
ウェラント王国の前王妃ロゼリーヌ・シャフィール・ウェラント。
サーラとオーリィードの実母だ。
生まれてから……少なくとも自我を得て以降は一度として会った例が無い母親との突然の初対面で動揺しているサーラを、ロゼリーヌは肩を揺らしてクスクスと笑った。
「今は、貴女が王妃です。正しく言い表すなら、わたくしは王太后ですよ。サーラ」
「あっ! も、申し訳ございません!」
「気にしなくて結構。それより……元気そうで良かったわ。わたくしに力が無かったばかりに、貴女達姉妹には数え切れないほどたくさんの嫌な思いをさせてしまったわね。ごめんなさい」
「そんな、こと!」
嫌な思いと言うなら、妻として、母親として、意思を持つ一個人として、あらゆる尊厳を足蹴にされてきたロゼリーヌのほうが、よほどたくさん経験してきた筈だ。
にも拘わらず娘を気遣う言葉に、戸惑いよりも申し訳なさが湧き上がる。
……けれど、どうしてだろう?
ロゼリーヌの言葉に嘘は無い。
本心を語っている気はするのに、妙な空々しさも感じる。
「わたくしは貴女の世話をするようにと、リブロム王に命じられて来たの。今日からはわたくしと一緒に居る間に限り、宮殿内を自由に動き回れるし、シウラとも会えるわ」
「シウラお姉様?」
ロゼリーヌの第一子で長女のシウラは、ロゼリーヌが後宮へ封じられたと同時に、彼女の夫であるオースティン・バスティヴィル・ヒューマーの実弟によって保護され、ヒューマー伯爵家の養女として育っていた。
『シウラ・ルーヴェル・ヒューマー』として社交界への顔見せを済ませてからは、王城で三等書記官の任に就き、宮殿に囚われていたオーリィードを救出する為の協力も、手紙一つで快く引き受けてくれたのだが。
「……私が動き回れるのは、宮殿内部のみですよね?」
「ええ」
「ならばどうして、王城勤めの三等書記官と私が会えるのです? 宮殿への立ち入りには、一等以上の資格を必要とする筈では」
書記官の三等は、七段階中、下から二番目の官位。
雑用係が少しだけまともな仕事を貰える程度の役職だ。
普通なら、宮殿の入口周辺にも近寄れない。
「もう、書記官ではないからよ」
「?」
「シウラは、国王陛下の愛妾として、今日付けで牡丹の宮に入ったの」
「…………!?」
「愛妾の身分で宮殿にまで立ち入れるのは、リブロム王が、わたくしの付き添いを条件に、許可を出しているから」
「な、どっ、どうしてそんな、冷静に……!? 私だけでなく、シウラお姉様までって、それでは……!」
それでは、まるっきり、かつてのロゼリーヌとオーリィードを苛んでいた『ウェラントの悪夢』の再現ではないか。
しかも今度は、オーリィードが信頼を寄せていたアーシュマーが主犯。
即座にオーリィードの悲しげな眼差しがよぎり、怒りと衝撃で、サーラの身体がふらついた。
ところが。
「国王命令ではないわ」
「え」
「シウラが自ら進んで名前を貸し、国王陛下がそれに応じただけ。あの子の知名度では時間稼ぎにもならないでしょうけれど、何もしないよりは良いと判断したのでしょう」
「…………え?」
「二人が自分の意思で選んだの。わたくしや貴女が口を挟む事ではないわ」
心底、興味無さげに切り捨てるロゼリーヌ。
その態度で、サーラはようやく気が付いた。
「王太后陛下……貴女は……」
ロゼリーヌに感じる空々しさの理由。
「ねえ、サーラ」
彼女は、どうでもいいのだ。
「貴女はどうする? これから、どうしたい?」
首を傾げて尋ねながら、関心は無い。
娘達がどうしようと、ロゼリーヌには関係ない。
「ねえ、サーラ。貴女はウェラント王国を……」
整った顔に薄ら笑いを浮かべる絶世の美女。
「オーリィードを、どうしたい?」
その目は、少しも笑っていなかった。
防衛と政治の機能を併せ持った王城の敷地の頂で青い尖塔を掲げて建つ、国王の居住空間である宮殿の上層階。
普段は後宮に身を置く歴代の王妃達が、王城の内外で公務に臨む時だけ、特別に滞在していた寝室。
白く半透明な紗の内側でベッドの端に腰掛けているサーラが、所在無げに投げ出した足先へと怪訝な視線を落としていた。
「……どういうことなの?」
アーシュマーの手でここに連れ戻されてから、約五ヶ月。
サーラは特に何もされず、何かをする自由も無く、ただただ漫然と時間を食い潰していた。
公務はおろか、王侯貴族の女性達が嗜む刺繍やダンス、書き物でさえもリブロムに禁じられ。
運動代わりに庭園を散策したいと訴えても、寝室から出るなの一点張り。
試しに何度か廊下へ出ようとしてみたが、扉を開いた途端に、使用人達がどこからともなくぞろぞろと現れ、問答無用で押し戻された。
室内扉を隔てた隣にある執務室や、その奥に続く国王の寝室となら行き来できるらしいが……
自分でも制御できない憤怒と憎悪に駆られて、内装品やガラス扉を粉々に砕いてしまう自信がある為、できる限り近付かないようにしている。
サーラは虜囚だ。
国際的に価値が認められている虜囚。
手足が動かなくなるまで労働を強いられ、使えなくなったら塵芥も同然に捨てられる奴隷とは違う。
その存在、一言一句、一挙手一投足、果ては髪の一筋に至るまで、関わるすべてに意味を求められる高貴な虜囚。
しかしリブロムは、サーラに対して何も求めない。
ウェラント王国の第一王位継承者であった自分に『ウェラント王妃』と『ベルゼーラ王妃』の看板を背負わせた以外、何一つ求めてこなかった。
「いくらなんでも、さすがにおかしいでしょう」
何もしてこない。
とはつまり、看板の価値を動かすだけの理由が無い。
血統掌握による王国乗っ取り完遂後、五ヶ月が経過してもまだ。
『近隣諸国に動きが無い』……ということだ。
リブロムがウェラント王国の椅子を掠め取って三年、加えて五ヶ月。
四年目突入も遠くない。
様子見にしたって、傍観期間があまりにも長すぎる。
リブロムが意図的にサーラの耳を塞いでいるとしても、これだけの年月が経てば、そろそろ王妃の扱いに変化が出ていてもおかしくない。
いや、変化しないほうがおかしい。
半年近くも白い関係を続けるなど、王族としてはありえない職務放棄。
他国やウェラント王国の貴族達が知れば、良くも悪くも槍玉に挙げられるというのに、リブロムもそれを隠そうとしているかどうか怪しい。
彼が王妃の寝室を最後に訪れたのは、大体三ヶ月前だ。
それなのに。
「どうして、どの国も動かないの……?」
「動かないのではなく、動けないのよ」
「!?」
「ずっと昔から、こうなるように仕向けられてきたから」
知らない女性の声。
「始まりは限られていても、立てる戸が無ければ、気付けなければ、それは際限なく拡がり、侵食して、終わる。なにもかも、解りきっていた話だわ」
一言一句をはっきりと丁寧に発音していながら、どこか突き放したように響く言葉。
「貴女、は……?」
跳ねるように立ち上がったサーラが、勢いよく紗を払う。
いつの間にか真正面に佇んでいたのは、黒いベルベットのロングドレスやグローブ、アクセサリーなどで首から下の肌を全面覆い隠した四十代前後の女性。
艶やかに陽光を弾く、黄金色の豊かな巻き髪。
言い知れぬ妖艶さが宿る、濃い赤紫色のつり目。
ドレスの上からでも判る整った肢体は、同性のサーラにも息を呑ませる、圧倒的な魅力を放っている。
畏怖、とでも言うのだろうか。
ただそこに居るだけで他者を威圧する存在感に身体の芯が震え、喉の奥がひきつってしまう。
「『はじめまして』……なんて、とても滑稽だけれど。手紙以外でやり取りするのは初めてですもの。はじめまして、が正しい挨拶なのでしょう」
「手紙? ……あっ!」
今更ながら、女性の外見に結び付く愛しい面影。
サーラの異父妹が成熟した姿はきっと、目の前の女性とよく似ている。
「ロゼリーヌ王妃陛下!?」
既に家庭を持っていた身で後宮に囚われ、国王の子供を産まされて。
愛する夫を目の前で殺されたばかりか、夫婦の間に産まれたばかりの赤子まで国王に奪われた女性。
現シュバイツァー伯爵家、本来の当主。
ウェラント王国の前王妃ロゼリーヌ・シャフィール・ウェラント。
サーラとオーリィードの実母だ。
生まれてから……少なくとも自我を得て以降は一度として会った例が無い母親との突然の初対面で動揺しているサーラを、ロゼリーヌは肩を揺らしてクスクスと笑った。
「今は、貴女が王妃です。正しく言い表すなら、わたくしは王太后ですよ。サーラ」
「あっ! も、申し訳ございません!」
「気にしなくて結構。それより……元気そうで良かったわ。わたくしに力が無かったばかりに、貴女達姉妹には数え切れないほどたくさんの嫌な思いをさせてしまったわね。ごめんなさい」
「そんな、こと!」
嫌な思いと言うなら、妻として、母親として、意思を持つ一個人として、あらゆる尊厳を足蹴にされてきたロゼリーヌのほうが、よほどたくさん経験してきた筈だ。
にも拘わらず娘を気遣う言葉に、戸惑いよりも申し訳なさが湧き上がる。
……けれど、どうしてだろう?
ロゼリーヌの言葉に嘘は無い。
本心を語っている気はするのに、妙な空々しさも感じる。
「わたくしは貴女の世話をするようにと、リブロム王に命じられて来たの。今日からはわたくしと一緒に居る間に限り、宮殿内を自由に動き回れるし、シウラとも会えるわ」
「シウラお姉様?」
ロゼリーヌの第一子で長女のシウラは、ロゼリーヌが後宮へ封じられたと同時に、彼女の夫であるオースティン・バスティヴィル・ヒューマーの実弟によって保護され、ヒューマー伯爵家の養女として育っていた。
『シウラ・ルーヴェル・ヒューマー』として社交界への顔見せを済ませてからは、王城で三等書記官の任に就き、宮殿に囚われていたオーリィードを救出する為の協力も、手紙一つで快く引き受けてくれたのだが。
「……私が動き回れるのは、宮殿内部のみですよね?」
「ええ」
「ならばどうして、王城勤めの三等書記官と私が会えるのです? 宮殿への立ち入りには、一等以上の資格を必要とする筈では」
書記官の三等は、七段階中、下から二番目の官位。
雑用係が少しだけまともな仕事を貰える程度の役職だ。
普通なら、宮殿の入口周辺にも近寄れない。
「もう、書記官ではないからよ」
「?」
「シウラは、国王陛下の愛妾として、今日付けで牡丹の宮に入ったの」
「…………!?」
「愛妾の身分で宮殿にまで立ち入れるのは、リブロム王が、わたくしの付き添いを条件に、許可を出しているから」
「な、どっ、どうしてそんな、冷静に……!? 私だけでなく、シウラお姉様までって、それでは……!」
それでは、まるっきり、かつてのロゼリーヌとオーリィードを苛んでいた『ウェラントの悪夢』の再現ではないか。
しかも今度は、オーリィードが信頼を寄せていたアーシュマーが主犯。
即座にオーリィードの悲しげな眼差しがよぎり、怒りと衝撃で、サーラの身体がふらついた。
ところが。
「国王命令ではないわ」
「え」
「シウラが自ら進んで名前を貸し、国王陛下がそれに応じただけ。あの子の知名度では時間稼ぎにもならないでしょうけれど、何もしないよりは良いと判断したのでしょう」
「…………え?」
「二人が自分の意思で選んだの。わたくしや貴女が口を挟む事ではないわ」
心底、興味無さげに切り捨てるロゼリーヌ。
その態度で、サーラはようやく気が付いた。
「王太后陛下……貴女は……」
ロゼリーヌに感じる空々しさの理由。
「ねえ、サーラ」
彼女は、どうでもいいのだ。
「貴女はどうする? これから、どうしたい?」
首を傾げて尋ねながら、関心は無い。
娘達がどうしようと、ロゼリーヌには関係ない。
「ねえ、サーラ。貴女はウェラント王国を……」
整った顔に薄ら笑いを浮かべる絶世の美女。
「オーリィードを、どうしたい?」
その目は、少しも笑っていなかった。
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