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外伝
少女怪盗と仮面の神父 7
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夕方に吹く風は、昼間より少しだけ穏やかになっている。
葉っぱ攻撃は相変わらず吹き止まないが。
顔や体にぶつかる勢いは比較的大人しく、その分、歩きやすい。
加えて、陽光が落ちたせいで活発に動く生き物が減ったからだろう。
葉擦れの音や波の音が、周辺に一層大きく反響している。
それだけ、小さな音でも響きやすくなった、ということだ。
シャムロックの速さの基は、持ち前の俊足と、複数の道具の使い分けだ。
道具の中には、どうしたって大きな音を立ててしまう物もある。
教会の外に誰かが居たら、足音や金属音は誤魔化せないかも知れない。
海賊の間抜けぶりが招いた、やむを得ない作戦の大筋変更だったが……
夜間が毎日こうであるとしたら、いっそ変更して良かったと言える。
他所でなら、顔さえしっかり見られなければ、仮にすれ違った誰かと肩や手足が接触しても、問題はない。
だが、地元ではそうはいかないのだ。
数十歩分距離を置いた影の形だけでも、正体に気付かれる可能性がある。
『知り合いの目には映らない』が絶対条件だっただけに、こんな環境下で変更前の作戦を押し進めるのは、かなり難しかっただろう。
初日の早い段階で切り替えられたのは、不幸中の幸いか。
明るいとも真っ暗とも言えない、中途半端に暗い夕空の下。
教会の窓から零れる灯りを目指して、アプローチをまっすぐ進む。
両開きの扉は昼間と同じく閉まっていたが、やはり鍵は掛かっていない。
片方の取っ手を掴んで一呼吸置き、そお~っと開いて、中を覗き見る。
……まあ、多分そうだろうなあと、思ってはいたけれども……
(早く家に帰って、夕飯の仕度をしようよ、みんな……)
案の定、女衆が礼拝堂の床を占拠している光景に大きな変化はなかった。
ミートリッテが早めに済ませてきたのに対し。
彼女達は、食事の間も惜しんで教会に居続けてるんじゃなかろうか。
美形に対する女の執念、恐るべし。
そして
「こんばんは、ミートリッテさん」
「……こんばんは、アーレスト神父様」
相変わらず、素晴らしい隙間抜けの特技を披露してくれるアーレスト。
本気でその技を伝授していただきたい。
「ああ……お昼頃とは印象が違うと思ったら、着替えていらしたのですね。お化粧もされているのでしょうか?」
しかも記憶力が良く、目ざとい。
一斉に押し掛けた数十人の女の中でミートリッテを正確に覚えていた上、間近で見ないと分からない程度のうーっすらとした化粧に気付くとか。
貴方、怪盗に向いてますよ?
とは、聖職者相手に冗談でも言うべきじゃないな。
「ええ。似合いますか?」
ミートリッテがにこりと微笑めば。
逆光でよく見えないが、アーレストもにこりと微笑み返した気配。
「よくお似合いです。艶やかで美しい大輪の花も、色鮮やかで可憐な花も、今の貴女を前にしては輝きを失ってしまうことでしょう」
(ひっ⁉︎)
取っ手に掛けていた手を取られ、甲に恭しい口付けが降ってきた。
こういう時、大抵の女性なら『あらあら、まあまあ……』とか言いつつ、頬を薄紅に染め、内面で狂喜乱舞するものなのだろうが。
ミートリッテは取られた手を咄嗟に引き寄せ、全体重を乗せた握り拳で、神父の綺麗な顔面を変形させてしまいそうになった。
(き……っ、気っ色悪ぅーっ! 今の何⁉︎ なんなの今の⁉︎ 愛らしいとか口付けとか、これが聖職者の言動⁉︎ 昼に会った時と全然違うじゃない! 態度がめっっちゃくちゃ空々しいんですけど⁉︎)
アーレストに触れられた場所から凄絶な寒気が走る。
小虫が全身を這い回るかのようなぞわぞわ感が、物凄く気持ち悪い。
ワンピースが露出を控えた造りになっていて助かった。
やすり並みに立った鳥肌を見られる心配がない。
「…………お上手ですね。」
さすがに顔面を殴るのはまずい。
奇声を上げて暴れまくりたい衝動を、理性で必死に抑え込み。
なんとか笑顔を取り繕う。
「思うままを告げただけですよ。ですが……、いけませんね。貴女のように可愛らしい方を見ていると、ついつい口が弛んでしまう。女神に仕える者の言葉としては、軽薄に聞こえてしまったでしょうか」
聞こえました。
あまりにも白々しくて、心臓が冷たいです。
温暖な地域が瞬時に寒冷地帯と化しました。
猛吹雪に襲われたみたいで、とてもとっても寒くて痛々しいです。
などと、正直に言えたら心底スッキリするのだが。
雪なんて、生まれてこの方、一度も見たことないけれど。
「いえ……ありがとう、ござい、ます」
「良かった。どうぞ、お入りください。荷物、お預りしましょうか?」
「いえ、これは大切な物なので。お構いなく」
誘われるまま、アーレストのエスコートで礼拝堂へと足を踏み入れる。
堂内の灯りでくっきりと形を得た彼の爽やかな微笑みを見上げて。
ミートリッテは確信した。
(遊び人だ……この人絶対、真性の遊び人だ!)
上流階級の挨拶には慣れてないミートリッテでも、それが儀礼的なものか裏があるのかくらいは嗅ぎ分けられる。
あんなの、社交辞令なんかじゃない。
獲物を見つけた狼の誘い文句だ。
『アーレスト神父は女遊びに長けている』
一番の障害は女衆の目線だと思っていたが。
どうやら、その認識も改める必要が出てきた。
この神父、女衆に捕らわれた憐れな囚人なんかじゃない。
とんだ食わせ者だ。
多分、一筋縄では攻略できない。
物腰の柔らかさに気を抜いたら、あっさり呑まれてしまうだろう。
昼に見せていた真面目そうな態度はなんだったんだ。
仕事熱心な性格に合わせて考えていたのに、差が酷すぎる。
まるっきり別人。詐欺じゃないか。
(……だからって、ここまで来たら退くに退けないんだけどさ。アーレスト神父がどんな人間で、どんな癖があるのかを細かく観察するのだって目的の一つだし。多少の誤認だったら、これから上書き修正していけば良いわ)
『戦』はまだ始まったばかり。
気後れしちゃいられないと、心持ちをしっかり立て直す。
「御前へ伺っても?」
「もちろんです。日に何度祈りを捧げようとも、女神アリアはそのすべてを快く歓迎してくださるでしょう」
背後で扉を閉め、するりと離れていくアーレスト。
その辺りは変わらないんだと安心して見送れば、ミートリッテへの敵意に満ち満ちていた女衆の視線が、色を変えて神父一人に集中する。
(みんな単純だなあ。色目なんか使ったりして、うっかり喰われちゃっても文句は言えないよ? と思ったけど、これだけ牽制し合ってたら抜け駆けも摘まみ喰いも難しいか。って、……あれ? こんな状態じゃ、外側の人間も自分達も身動きが取れない……あ、そうか。好きなものに群がる行為自体が個々の防衛にも繋がってるのね。へぇー。これも生物の本能なのかしら? 凄いな、女社会の仕組み。断じて倣いたくはないけど)
変な感心を抱きつつ、愛想が良い神父を囲い込む女衆を避けて、壁沿いに女神像の足下まで進む。
天井吊るしに、壁掛けに、床置きに。
無数の燭台が照らし出す空間は、昼間と比べてほんのり薄暗い程度。
ただ、灯火それぞれの一定ではない揺らぎが影を動かし、どこはかとなく不安定さと不気味さを演出している。
(…………?)
祭壇の前で女神像の左手首を確認すれば、細い鎖がきらりと光った。
何度か瞬きをくり返したミートリッテは、眉を寄せて首を傾げる。
(アリア信仰って、女神像を飾り付ける習慣でもあるのかしら?)
目立つ。
指輪自体は小さいせいか目には映らないが、とにかく鎖が目立ってる。
真昼の逆光では判りにくかったのに。
今は、顔を上げれば自然と視界に入ってしまう。
(腐れ男から聴いた話を真に受けるなら、あの鎖は少なくとも前任の神父が居た頃からずっと引っ掛かってた筈よね?)
これまでほとんど教会に来なかった信仰心が薄い女衆はともかく。
この場所で暮らす神父達がまったく気付かなかったとは思えないが。
実際、背後の集団を肩越しに一瞥してみた限りでは、アーレストを含め、誰一人として鎖を気にする人間は居ない。
海賊が言ってた『世話になった昔』が、具体的に何年前の話なのかまでは聞いてないが、今日になるまで外されてないのだから、これが普通なのか。
神であっても女性だから装飾品が好きって設定で、奴らもそれを知ってて違和感が少ないここに隠した?
ふわふわした語りが大好きな宗教も、意外と俗っぽい側面があるらしい。
(だとしたら好都合、なんだけどな)
家から持ってきた小道具入りのバッグを小脇に抱え。
両手の指を組んで、祈りを捧げる。
(ごめんなさい、女神アリア。貴女の存在やら教えやらは全然、丸っきり、髪の毛一本分も信じてないけど。私はこれから、貴女を信じて働いてる? アーレスト神父を騙します。ここでだけあらかじめ正直に謝っておくので、どうか許してください)
自分の悪行を正当化する為の、気休めの祈り。
本物の信徒達が知ったら怒り狂いそうだ。
苦笑いで指を解き、体の向きをくるんと反転。
中央の通路を境に左右対称でずらりと並ぶ長椅子の、左手側最前列。
中央側の端へと腰を下ろした。
荷物を脇に置き、賑やかな声を斜め後ろに聴きながら女神像を見上げる。
女衆が一人残らず家に帰るまで、ただただ、じいっと見上げる。
(……退屈。でも、この瞬間を含めて『戦』なんだから! 今の私は真剣に悩む信徒の一人。みんなが帰った後、神父のほうから話しかけてくるまでは悩んでる格好を崩しちゃダメ!)
変更前の作戦は、『誰にも見つからず密かに盗み出す』が大綱だった。
しかし、軍や自警団によって怪盗の動きが封じられるならと急遽変更した作戦では『誰の目にも自然な形で持ち出す』が肝だ。
そう。盗むのが難しいなら、同意を獲て持ち出せば良い。
まさかバカ正直に女神像の指輪を下さいとは言えないが、鎖に直接触れる機会さえあれば、本物と偽物を入れ換えるくらいはできる。
指輪が見えてなくて良かったと思う。
遠目にもゴテゴテの細工が必要だったら、五日間じゃ到底足りなかった。
急な出費は家計に響くし、個人用の財布にも大打撃だが。
銀の台座に丸くて青い石を乗せるだけなら、ミートリッテにも作れる。
ミートリッテ製の指輪と本物の指輪を入れ換える為、鎖に直接触る為に、女神像に何回登っても不敬を問われない方法を考えてきたのだ。
目的を達成する為にはまず、一信徒として神父の信用を得る必要がある。
ぼんやりなんかして、万が一にも嘘を見抜かれるわけにはいかない。
(さっきは不意を衝かれたけど、もう二度と油断しないから! 人情でも、物理的な弱点でも、何でも良い。私が精神面で優位に立つ為、貴方の弱みを探らせてもらうわよ、アーレスト神父!)
目線はあくまでも女神像に定めたまま、耳は背後の集団に傾ける。
村の様子や、今日の天気や、どこの誰がどうしたこうした。
女衆の言葉はどれも取るに足らないものばかりで。
アーレストも、これといって変わった返事はしていない。
いわゆる井戸端会議だ。
もしかして、こんな調子で一日中似たり寄ったりな会話をしてたのか。
人の話を聴くのも神父の仕事……にしたって、軽く拷問だな。
きっと解決させたい問題を相談されてるのとも違うのに、お気の毒。
「神父様は、はるばる王都からいらしたのですよね。そちらではどのようにお過ごしでしたの?」
(うわー。今までそんな言葉遣いしてなかったよね。何枚着込んでるの? 分厚い猫の皮)
「無二の親友達に、大変有意義な時間を与えられました。彼の地での経験はこれから先を生きる希望と言えます。貴女方とも、大切な時間を共有させていただければ幸いです」
笑顔を深めたのだろう。
女衆の黄色い悲鳴が波を打った。
(……微妙に濁してない? それで良いの?)
声の応酬を楽しみたいのであって、内容はどうでもいいのか。
「神父様のご親友となれば、さぞ優秀な方々なのでしょうね」
「ええ。私など彼女達の慧眼や勤勉さの前では霞も同然です。だからこそ、親友達の存在は何よりも誇らしく……愛おしい」
空気が固まった。
親友が女で、愛おしいと形容されたからか。
もしや既に女の影が? と、わずかに滲む沈黙。
ミートリッテだけが眉を寄せて、「ん?」と小さく喉を鳴らした。
(愛しいじゃなくて、わざわざ愛おしいって強調した? 愛おしいねえ……確か、可愛いとか、愛情を示す他に、可哀想とか不憫とか、同情的な意味もあったような。考えすぎ?)
一音下げた言葉がやけに気になって、思わず神父に顔を向けてしまった。
「…………⁉︎」
後悔先に立たず。
アーレストと目が合ってしまった。
筋違える勢いで首を逸らし、跳ねた心音を呼吸でなだめる。
(……なに、あれ)
「私も惚けてはいられません。ご指導、よろしくお願いしますね」
「いえ、そんなっ! こちらこそ……」
「……………………」
どうして……女衆は盛り返せたんだ?
あの神父は一瞬、今にも泣き出しそうな悲しい顔で、微笑んでいたのに。
葉っぱ攻撃は相変わらず吹き止まないが。
顔や体にぶつかる勢いは比較的大人しく、その分、歩きやすい。
加えて、陽光が落ちたせいで活発に動く生き物が減ったからだろう。
葉擦れの音や波の音が、周辺に一層大きく反響している。
それだけ、小さな音でも響きやすくなった、ということだ。
シャムロックの速さの基は、持ち前の俊足と、複数の道具の使い分けだ。
道具の中には、どうしたって大きな音を立ててしまう物もある。
教会の外に誰かが居たら、足音や金属音は誤魔化せないかも知れない。
海賊の間抜けぶりが招いた、やむを得ない作戦の大筋変更だったが……
夜間が毎日こうであるとしたら、いっそ変更して良かったと言える。
他所でなら、顔さえしっかり見られなければ、仮にすれ違った誰かと肩や手足が接触しても、問題はない。
だが、地元ではそうはいかないのだ。
数十歩分距離を置いた影の形だけでも、正体に気付かれる可能性がある。
『知り合いの目には映らない』が絶対条件だっただけに、こんな環境下で変更前の作戦を押し進めるのは、かなり難しかっただろう。
初日の早い段階で切り替えられたのは、不幸中の幸いか。
明るいとも真っ暗とも言えない、中途半端に暗い夕空の下。
教会の窓から零れる灯りを目指して、アプローチをまっすぐ進む。
両開きの扉は昼間と同じく閉まっていたが、やはり鍵は掛かっていない。
片方の取っ手を掴んで一呼吸置き、そお~っと開いて、中を覗き見る。
……まあ、多分そうだろうなあと、思ってはいたけれども……
(早く家に帰って、夕飯の仕度をしようよ、みんな……)
案の定、女衆が礼拝堂の床を占拠している光景に大きな変化はなかった。
ミートリッテが早めに済ませてきたのに対し。
彼女達は、食事の間も惜しんで教会に居続けてるんじゃなかろうか。
美形に対する女の執念、恐るべし。
そして
「こんばんは、ミートリッテさん」
「……こんばんは、アーレスト神父様」
相変わらず、素晴らしい隙間抜けの特技を披露してくれるアーレスト。
本気でその技を伝授していただきたい。
「ああ……お昼頃とは印象が違うと思ったら、着替えていらしたのですね。お化粧もされているのでしょうか?」
しかも記憶力が良く、目ざとい。
一斉に押し掛けた数十人の女の中でミートリッテを正確に覚えていた上、間近で見ないと分からない程度のうーっすらとした化粧に気付くとか。
貴方、怪盗に向いてますよ?
とは、聖職者相手に冗談でも言うべきじゃないな。
「ええ。似合いますか?」
ミートリッテがにこりと微笑めば。
逆光でよく見えないが、アーレストもにこりと微笑み返した気配。
「よくお似合いです。艶やかで美しい大輪の花も、色鮮やかで可憐な花も、今の貴女を前にしては輝きを失ってしまうことでしょう」
(ひっ⁉︎)
取っ手に掛けていた手を取られ、甲に恭しい口付けが降ってきた。
こういう時、大抵の女性なら『あらあら、まあまあ……』とか言いつつ、頬を薄紅に染め、内面で狂喜乱舞するものなのだろうが。
ミートリッテは取られた手を咄嗟に引き寄せ、全体重を乗せた握り拳で、神父の綺麗な顔面を変形させてしまいそうになった。
(き……っ、気っ色悪ぅーっ! 今の何⁉︎ なんなの今の⁉︎ 愛らしいとか口付けとか、これが聖職者の言動⁉︎ 昼に会った時と全然違うじゃない! 態度がめっっちゃくちゃ空々しいんですけど⁉︎)
アーレストに触れられた場所から凄絶な寒気が走る。
小虫が全身を這い回るかのようなぞわぞわ感が、物凄く気持ち悪い。
ワンピースが露出を控えた造りになっていて助かった。
やすり並みに立った鳥肌を見られる心配がない。
「…………お上手ですね。」
さすがに顔面を殴るのはまずい。
奇声を上げて暴れまくりたい衝動を、理性で必死に抑え込み。
なんとか笑顔を取り繕う。
「思うままを告げただけですよ。ですが……、いけませんね。貴女のように可愛らしい方を見ていると、ついつい口が弛んでしまう。女神に仕える者の言葉としては、軽薄に聞こえてしまったでしょうか」
聞こえました。
あまりにも白々しくて、心臓が冷たいです。
温暖な地域が瞬時に寒冷地帯と化しました。
猛吹雪に襲われたみたいで、とてもとっても寒くて痛々しいです。
などと、正直に言えたら心底スッキリするのだが。
雪なんて、生まれてこの方、一度も見たことないけれど。
「いえ……ありがとう、ござい、ます」
「良かった。どうぞ、お入りください。荷物、お預りしましょうか?」
「いえ、これは大切な物なので。お構いなく」
誘われるまま、アーレストのエスコートで礼拝堂へと足を踏み入れる。
堂内の灯りでくっきりと形を得た彼の爽やかな微笑みを見上げて。
ミートリッテは確信した。
(遊び人だ……この人絶対、真性の遊び人だ!)
上流階級の挨拶には慣れてないミートリッテでも、それが儀礼的なものか裏があるのかくらいは嗅ぎ分けられる。
あんなの、社交辞令なんかじゃない。
獲物を見つけた狼の誘い文句だ。
『アーレスト神父は女遊びに長けている』
一番の障害は女衆の目線だと思っていたが。
どうやら、その認識も改める必要が出てきた。
この神父、女衆に捕らわれた憐れな囚人なんかじゃない。
とんだ食わせ者だ。
多分、一筋縄では攻略できない。
物腰の柔らかさに気を抜いたら、あっさり呑まれてしまうだろう。
昼に見せていた真面目そうな態度はなんだったんだ。
仕事熱心な性格に合わせて考えていたのに、差が酷すぎる。
まるっきり別人。詐欺じゃないか。
(……だからって、ここまで来たら退くに退けないんだけどさ。アーレスト神父がどんな人間で、どんな癖があるのかを細かく観察するのだって目的の一つだし。多少の誤認だったら、これから上書き修正していけば良いわ)
『戦』はまだ始まったばかり。
気後れしちゃいられないと、心持ちをしっかり立て直す。
「御前へ伺っても?」
「もちろんです。日に何度祈りを捧げようとも、女神アリアはそのすべてを快く歓迎してくださるでしょう」
背後で扉を閉め、するりと離れていくアーレスト。
その辺りは変わらないんだと安心して見送れば、ミートリッテへの敵意に満ち満ちていた女衆の視線が、色を変えて神父一人に集中する。
(みんな単純だなあ。色目なんか使ったりして、うっかり喰われちゃっても文句は言えないよ? と思ったけど、これだけ牽制し合ってたら抜け駆けも摘まみ喰いも難しいか。って、……あれ? こんな状態じゃ、外側の人間も自分達も身動きが取れない……あ、そうか。好きなものに群がる行為自体が個々の防衛にも繋がってるのね。へぇー。これも生物の本能なのかしら? 凄いな、女社会の仕組み。断じて倣いたくはないけど)
変な感心を抱きつつ、愛想が良い神父を囲い込む女衆を避けて、壁沿いに女神像の足下まで進む。
天井吊るしに、壁掛けに、床置きに。
無数の燭台が照らし出す空間は、昼間と比べてほんのり薄暗い程度。
ただ、灯火それぞれの一定ではない揺らぎが影を動かし、どこはかとなく不安定さと不気味さを演出している。
(…………?)
祭壇の前で女神像の左手首を確認すれば、細い鎖がきらりと光った。
何度か瞬きをくり返したミートリッテは、眉を寄せて首を傾げる。
(アリア信仰って、女神像を飾り付ける習慣でもあるのかしら?)
目立つ。
指輪自体は小さいせいか目には映らないが、とにかく鎖が目立ってる。
真昼の逆光では判りにくかったのに。
今は、顔を上げれば自然と視界に入ってしまう。
(腐れ男から聴いた話を真に受けるなら、あの鎖は少なくとも前任の神父が居た頃からずっと引っ掛かってた筈よね?)
これまでほとんど教会に来なかった信仰心が薄い女衆はともかく。
この場所で暮らす神父達がまったく気付かなかったとは思えないが。
実際、背後の集団を肩越しに一瞥してみた限りでは、アーレストを含め、誰一人として鎖を気にする人間は居ない。
海賊が言ってた『世話になった昔』が、具体的に何年前の話なのかまでは聞いてないが、今日になるまで外されてないのだから、これが普通なのか。
神であっても女性だから装飾品が好きって設定で、奴らもそれを知ってて違和感が少ないここに隠した?
ふわふわした語りが大好きな宗教も、意外と俗っぽい側面があるらしい。
(だとしたら好都合、なんだけどな)
家から持ってきた小道具入りのバッグを小脇に抱え。
両手の指を組んで、祈りを捧げる。
(ごめんなさい、女神アリア。貴女の存在やら教えやらは全然、丸っきり、髪の毛一本分も信じてないけど。私はこれから、貴女を信じて働いてる? アーレスト神父を騙します。ここでだけあらかじめ正直に謝っておくので、どうか許してください)
自分の悪行を正当化する為の、気休めの祈り。
本物の信徒達が知ったら怒り狂いそうだ。
苦笑いで指を解き、体の向きをくるんと反転。
中央の通路を境に左右対称でずらりと並ぶ長椅子の、左手側最前列。
中央側の端へと腰を下ろした。
荷物を脇に置き、賑やかな声を斜め後ろに聴きながら女神像を見上げる。
女衆が一人残らず家に帰るまで、ただただ、じいっと見上げる。
(……退屈。でも、この瞬間を含めて『戦』なんだから! 今の私は真剣に悩む信徒の一人。みんなが帰った後、神父のほうから話しかけてくるまでは悩んでる格好を崩しちゃダメ!)
変更前の作戦は、『誰にも見つからず密かに盗み出す』が大綱だった。
しかし、軍や自警団によって怪盗の動きが封じられるならと急遽変更した作戦では『誰の目にも自然な形で持ち出す』が肝だ。
そう。盗むのが難しいなら、同意を獲て持ち出せば良い。
まさかバカ正直に女神像の指輪を下さいとは言えないが、鎖に直接触れる機会さえあれば、本物と偽物を入れ換えるくらいはできる。
指輪が見えてなくて良かったと思う。
遠目にもゴテゴテの細工が必要だったら、五日間じゃ到底足りなかった。
急な出費は家計に響くし、個人用の財布にも大打撃だが。
銀の台座に丸くて青い石を乗せるだけなら、ミートリッテにも作れる。
ミートリッテ製の指輪と本物の指輪を入れ換える為、鎖に直接触る為に、女神像に何回登っても不敬を問われない方法を考えてきたのだ。
目的を達成する為にはまず、一信徒として神父の信用を得る必要がある。
ぼんやりなんかして、万が一にも嘘を見抜かれるわけにはいかない。
(さっきは不意を衝かれたけど、もう二度と油断しないから! 人情でも、物理的な弱点でも、何でも良い。私が精神面で優位に立つ為、貴方の弱みを探らせてもらうわよ、アーレスト神父!)
目線はあくまでも女神像に定めたまま、耳は背後の集団に傾ける。
村の様子や、今日の天気や、どこの誰がどうしたこうした。
女衆の言葉はどれも取るに足らないものばかりで。
アーレストも、これといって変わった返事はしていない。
いわゆる井戸端会議だ。
もしかして、こんな調子で一日中似たり寄ったりな会話をしてたのか。
人の話を聴くのも神父の仕事……にしたって、軽く拷問だな。
きっと解決させたい問題を相談されてるのとも違うのに、お気の毒。
「神父様は、はるばる王都からいらしたのですよね。そちらではどのようにお過ごしでしたの?」
(うわー。今までそんな言葉遣いしてなかったよね。何枚着込んでるの? 分厚い猫の皮)
「無二の親友達に、大変有意義な時間を与えられました。彼の地での経験はこれから先を生きる希望と言えます。貴女方とも、大切な時間を共有させていただければ幸いです」
笑顔を深めたのだろう。
女衆の黄色い悲鳴が波を打った。
(……微妙に濁してない? それで良いの?)
声の応酬を楽しみたいのであって、内容はどうでもいいのか。
「神父様のご親友となれば、さぞ優秀な方々なのでしょうね」
「ええ。私など彼女達の慧眼や勤勉さの前では霞も同然です。だからこそ、親友達の存在は何よりも誇らしく……愛おしい」
空気が固まった。
親友が女で、愛おしいと形容されたからか。
もしや既に女の影が? と、わずかに滲む沈黙。
ミートリッテだけが眉を寄せて、「ん?」と小さく喉を鳴らした。
(愛しいじゃなくて、わざわざ愛おしいって強調した? 愛おしいねえ……確か、可愛いとか、愛情を示す他に、可哀想とか不憫とか、同情的な意味もあったような。考えすぎ?)
一音下げた言葉がやけに気になって、思わず神父に顔を向けてしまった。
「…………⁉︎」
後悔先に立たず。
アーレストと目が合ってしまった。
筋違える勢いで首を逸らし、跳ねた心音を呼吸でなだめる。
(……なに、あれ)
「私も惚けてはいられません。ご指導、よろしくお願いしますね」
「いえ、そんなっ! こちらこそ……」
「……………………」
どうして……女衆は盛り返せたんだ?
あの神父は一瞬、今にも泣き出しそうな悲しい顔で、微笑んでいたのに。
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