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本編
語り継ぐもの Ⅱ
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「美味しいっ!」
「ありがとうございます」
白い男性……クロスツェルさんが作った野菜たっぷりの炒め物は、しゃきしゃきと歯応えが良く、噛めば噛むほど、野菜特有の甘さや旨味が口の中にじゅわあと広がり、適度に加えられた調味料や香辛料が混ざり合ってそれを引き立て、唾液を誘う調和を奏でている。
鮮やかな色合いもだが、火を通して立ち上った芳ばしい香りが好ましい。
野菜の甘い香りと調味料の塩っぽい香りが交わる、これはまさに黄金比。
もっと食べたいと、普段は大人しい腹の虫をきゅうきゅう騒がせる。
いや、ここはあえて短くまとめよう。
旨い。
しかも、彼が作ったのは野菜の炒め物だけではない。
私が用意した一品分の材料を器用に使いこなし、サラダからスープまで、きっちり三人分を用意してしまった。
いつもなら棄ててしまう根菜類の皮まで食べられる物に仕立てられては、もう、帽子を脱いで額を地面にこすりつけたい気分になってしまう。
帽子なんて、被ってないけど。
「久しぶりの料理だったので心配しましたが、お口に合って良かったです」
「久しぶりでこれですか? 一個人の好みでなんですけど、そこら辺の街の食堂よりずっと美味しいですよ。特にスープの塩加減が絶妙です。干し肉が入ってるわけでもないのに、物足りなさを感じさせない。素晴らしい」
「気に入っていただけるのは嬉しいですが、少し照れてしまいますね」
微笑みながら落ち着いた様子で丁寧に食を進めるクロスツェルさん。
対して、黒いほうのベゼドラさんは黙々とスープを喉に流し込んでいる。
決して不味くはないが、特別美味しい物でもない。
そんな感じ。
この味に慣れてるんだろうか。
うらやましい。
「主食が薫製した厚切り肉を焼いただけの質素な物で大変申し訳ないです。と言っても、お二人が居なければ、これ一枚で済ませるつもりだったので。私的には労せずして巡り会った幸運ですが」
「私達も、旅をしていると路銀の都合や宿泊先の仕入れ事情などがあって、お肉を頂く機会はあまりないのです。貴重な栄養を分けてくださった貴女の善意に深く感謝します。ですが、野菜もきちんと摂らなければ、体の働きが鈍くなってしまいますよ?」
まるで野菜嫌いの子供を諭す母親の口振りだが。
くすくすと笑ってるからか、嫌みには感じない。
「生来の不精なもので。お恥ずかしい限りです」
修行中に肉食の癖が付いたせいかな。
野菜が嫌いというわけではないのだけど。
調理の幅が極端に狭くて、大体サラダか煮物になってしまう。
一人暮らしが長い分、味付けを是正してくれるような相手も居ないから、どうしたって似たり寄ったりになるし。
新しい味付けに挑戦しようと思わなかった辺りが、怠け者の証明だ。
「旅をされている方に、こんなことをお願いするのはどうかと思いますが。差し支えなければ朝食も手伝っていただけますか?」
「朝食も?」
「はい。クロスツェルさんの手際の良さを勉強したいのです」
クロスツェルさんはちょっとだけ目を丸くして、にこっと笑った。
「私でよろしければ、喜んで」
よし。
明日の朝食はいつもの倍以上美味しくなりそうだ。
期待しよう。
夕飯を残さず平らげて洗い物を済ませた後、二人を二階へ案内した。
二階には、自室の他に三つの部屋がある。
一つは散らかった物置状態なので決して入らぬようにと警告しつつ。
他の二部屋へ一人ずつ、それぞれを招き入れた。
元々大家族が建てた物を中古で購入したので、一人暮らしには豪邸だ。
突然の来客にも対応できるのが、最大の利点だな。
自室以外には必要最低限の家具しか置いてないし。
どれも中身は空っぽだから、物盗りも心配しなくて良い。
多少ホコリっぽいかも知れないが、そこは愛嬌と流してもらおう。
「入浴がご入り用でしたら一声下さい。浴室へご案内します」
「何から何まで、お世話になります」
「いいえ。ごゆっくりどうぞ」
律儀に頭を下げるクロスツェルさんを、そこそこ広い個人部屋に残し。
私は一人で一階へ降りる。
調理場の奥にある浴室で浴槽を洗い、半分より上程度に湯を張った。
容量いっぱいに注ぐと、入った時に流れ出てしまうから勿体ないのだ。
いついかなる時も、質素倹約を忘れてはならない。
その代わり。
体を洗浄する為の湯は、専用の大きめな甕になみなみと用意しておく。
濡れた手足をタオルで拭き取り、浴室を出て二階へ戻る。
明日からの予定を話しているのか。
別々に通した筈の二人の声が、クロスツェルさんの部屋から聞こえた。
ちょっと聞き耳を立ててみたい気もするが、それは礼儀に欠ける行いだ。
恥ずべき衝動を抑えて、隣にある自室へ向かう。
外からも内からも鍵を掛けられる便利な扉を開いて入り、後ろ手で閉め。
問題ないとは思うが一応……と、扉に向き直って鍵を掛けた途端。
背後に気配を感じた。
「⁉︎」
勢いよく振り返った先に。
つまり、自室の中に。
腰まで届く長い髪の女性がうつむいて立っている。
入った時は誰も居なかったのに。
「……誰?」
背丈や肩幅からすると、二十代前半くらいだろうか。
輪郭を隠すゆったりしたローブを着ているわりに、華奢な印象を受ける。
隙だらけな棒立ちの姿勢といい、住民を見ても逃げないことといい。
不法侵入者にしてはやけに堂々としている。
両手も空いているし、どこかに武器を隠しているようにも見えないが。
背後を取るまで私に気配を感じさせなかった、なんて、普通じゃない。
「我が家に何の用が…………」
驚きで爆発しそうな心臓を押さえながら身構えると。
女性は白金色の髪を揺らして、見る者の庇護欲をそそる儚げな顔を上げ。
今にも泣き出しそうな薄い水色の目で、部屋の東側奥にある机を見た。
……………………水色?
「……宝石の、関係者?」
川で拾ってきたあの宝石と同じ、澄んだ水色の目。
それだけで判断するのは早計なのだろうが、勘がそう告げてる。
これは自慢だが、私の勘は滅多に外れない。
武芸の師範が、その道を選んだ誰もが一目置くほど優秀な方だったから。
気配を読む力と人を見る目は、師範が育ててくれた数少ない長所だ。
女性は真っ白なローブの裾をふわりとなびかせ、素足でペタペタと……
待て。
足音はしてない。
よく見ると、体も透けてないか?
まさか、幽霊とかじゃないだろうな。
女性は私に背中を見せて、机の前で立ち止まり。
伸ばした左手の人差し指で、引き出しをすぅ……と静かに指し示して。
そのまま、持ち上げた指先を北側の壁に向けた。
…………違うな。
多分、壁の向こう側だ。
隣の部屋に居る男性二人を指し示してる。
「宝石を、あの二人に渡せ、と?」
指先を壁に向けたまま、肩越しに私を見つめる女性。
唇は動いているが、声も何も聴こえてこない。
唇の形と動きを注意深く観察して、音を目で読み取ってみる。
「『あい、あ……お、あ……う……え……え』?」
あいあ、お、あうええ?
違う。
『あうええ』は、『た』『す』『け』『て』じゃないか?
『お』は『を』?
『あいあ』、『を』、『助けて』?
「あ」
目蓋を伏せた女性が、輪郭から粒子となって霧のように消えてしまった。
ヤバいな、これ。本格的に幽霊の類いじゃないか。
殴れないものは苦手なんだけど……何故だろう。
今の女性に、恐怖は感じなかった。
悲しげな顔をしてたからか?
「フィレスさん」
「! っと……、はい。なんでしょうか、クロスツェルさん」
背後の扉を二度軽く叩かれ、慌てて鍵を外す。
掛けたり外したり、忙しい。
「浴室へご案内しましょうか?」
扉のすぐ側で立っているクロスツェルさんに室内を見られぬよう。
素早く部屋を出て、後ろ手で閉める。
「あ、いえ……、はい。お願いします」
?
何か言いたそうにして、やめた?
「分かりました。こちらへどうぞ」
右手で階段を示しながら一階へ誘導する。
大人しく付いてくる辺り、特に用事があったわけではなさそうだが。
「では、私はこれで眠らせていただきます。ベゼドラさんは貴方が案内してあげてください」
「ありがとうございます。おやすみなさい」
「おやすみなさい」
クロスツェルさんを浴室に置いて、二階へ上がると。
ベゼドラさんが廊下で、何をするでもなく私の自室をじっと見ていた。
棒立ちしたまま、褐色の肌に黒い眉でシワを寄せ、紅い目で睨んでる。
次から次へと……いったい、なんなんだ?
「私の部屋に、何か?」
「白金色の髪と薄い緑色の目を持つ女に、心当たりはあるか?」
白金色の髪?
さっきの女性か?
いや。
「薄い緑色の目を持つ女性には、会ってませんね」
「本当に?」
「旅人に嘘を吐いても楽しくはないです」
でも多分、関係者だな。
金髪だったら、国中どこにでもごろごろ転がってるが。
白金色の髪なんて、そうそういるもんじゃない。
「……そうか」
不満を隠さず部屋へ戻るベゼドラさんを見届け。
自室に入って鍵を掛ける。
今度は誰も現れない。
が、落ち着いて寝られる状況でもない。
「はあ……。これ以上の怪奇現象は勘弁してください」
ため息混じりに呟けば、沈黙が返事をしてくれた。
朝食を楽しみにベッドへ潜り込んで、無理矢理意識を沈める。
こういう時の対処法も教えて欲しかったです、師範。
誰かの泣き声で意識が浮上した。
目が覚めたのとは違う。
夢だ。
ずいぶんと感覚がはっきりしてる夢だな。
周りは真っ暗で、何も見えない。
ただ、女性の泣き声だけが聞こえる。
「ごめん、なさい……。ごめんなさい……」
聴く者の胸を締めつける、切ない声色。
か細い謝罪の言葉は、誰に向けたものなのか。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
「ま……り……に、……ひか……、てらせ」
くり返し呟く女性の声に、小さな音の連なりが重なる。
音はどんどん大きくなって、聞き覚えがある旋律になった。
そして中盤、最後の言葉と泣き声が重なり。
ぴん! と張り詰めた音がして、時が止まる。
「「私の、アリア」」
パッと目を開く。
これは現実だ。
白い天井がベランダからの光を跳ね返して、室内を微かに明るくしてる。
そういえば、寝る前にカーテンを閉めてなかった。
もう朝か。
急いで旅人達の朝食を準備しなくては。
「おはようございます、フィレスさん」
「おはようございます、お二方。遅くなってすみません」
応接室で待っていた二人へ頭を下げる私に。
「いいえ」とクロスツェルさんが微笑んでくれた。
気にするな、ということだろう。
しかし、家人が客人より後に起きるなど、恥でしかない。
もう一度頭を下げてから、調理場へ向かう。
「この香辛料はこちらの調味料と相性が良いので、併せて使うと……」
「なるほど。では、こっちの葉は」
「あ、それは合わないと思いますよ。苦くなってしまいますから」
クロスツェルさんの丁寧な料理指導を受けつつ。
出来上がった物から順に、テーブルの上へと並べていく。
全部が出揃い、全員が席に着いてから、三人で美味しく頂いた。
期待以上の味わいは、涙が出そうになるほど嬉しいのだけど。
昼以降はもう食べられないのだと思うと、非常に切ない。
これが胃袋を掴まれるという感覚か。
恐るべし、クロスツェルさん。
ベゼドラさんが卵焼き入りのサンドイッチを一人占めにした気持ちも。
一欠片も残さずぺろりと食べ尽くした気持ちも、すごく、よく解る。
今後機会があれば、教えてもらったことを参考にして自分でも作ろう。
「……フィレスさん。突然こんなことを尋かれても困るとは思いますが」
洗い物を片付けてもらっている最中。
クロスツェルさんが、なにやら言い出しにくそうに話しかけてきた。
「この辺りで、不思議な現象を見たり聞いたりしませんでしたか?」
見ました、聞きました。
昨日の夜だけで二度も。
この家の中で。
あいあを助けて。
あれはきっと、『アリアを助けて』って言ってたんだな。
夢の中の泣き声が、幽霊っぽい女性と同一人物なら、だけど。
最後の皿を棚に戻し、クロスツェルさんと向き合う。
「すぐに発たれますか? それとも、少し休んでから?」
「特に何もなければ、すぐに発つつもりですが」
「では、玄関先で少々お待ちください。お渡しする物があります」
クロスツェルさんは首を傾げ、ベゼドラさんを伴って素直に従った。
私も自室へ戻って、机の引き出しから例の袋を取り出し。
旅支度を済ませて扉の外で待っていた二人に駆け寄る。
「多分、お二方への伝言です。『アリアを助けて』、だそうですよ」
二人の顔色が変わった。
そうか。
二人の旅の目的は、『アリア』に関わることなのか。
「誰にそれを⁉︎」
私に噛みつきそうなベゼドラさんを制し。
クロスツェルさんが身を乗り出してくる。
必死だな。
「私も詳しくは……この袋に入っている宝石と同じ色の目を持った女性が、貴方達にこれを渡せと言うので。ああ、なんとなく関係してるっぽいので、この歌も覚えておくと良いですよ」
昨日も聴いたあの歌を、二人に歌って聴かせる。
人前で歌うのって、結構恥ずかしい。
得意じゃないんだけど。
「こんな感じ……って、 え?」
手に持ってる袋から、薄い水色の光が溢れてる。
慌てて宝石を取り出すと。
光は虹のような曲線を描いて空へと昇り、東の方角に伸びていった。
「えー、と……」
光はやがて細く小さくなり、宝石に吸い込まれて消える。
また、怪奇現象ですか。
そうですか。
「……あっちへ行けって意味じゃないでしょうか? 多分……」
宝石を袋に戻してリボンを縛り、クロスツェルさんへ手渡すと。
クロスツェルさんとベゼドラさんは顔を見合わせて、昨日のはこれかとかなんとか言いながら、互いに確認し始める。
この二人には、今見た怪奇現象の意味が分かっているのだろうか。
いや、分かってないのか?
どちらにせよ。
「私が任されたのはここまでです。これ以上は、本当に何も知りません」
宝石入りの袋をじっと見ていたクロスツェルさんが。
私に向き直って「ありがとうございました」と頭を下げ、目を細めた。
冷静なフリをしてるけど、内心では相当混乱しているな。
「お気を付けて。良い旅を」
まだ何か言いたそうにしているベゼドラさんの腕を無理矢理引っ張って、東の方向へと足を運ぶクロスツェルさんの背中を見送り。
私は、やれやれと家の中に引き返す。
これで、あの幽霊っぽい女性の未練はなくなっただろう。
私も、変化しない日常に戻れて嬉しいです。
お願いします。
二度と現れないでください、怪奇現象。
「さて。今日もお仕事に行きましょうかね」
自室へ戻り。
クローゼットから銀製の鎧一式を取り出して。
厚手の普段着から、無骨なそれに着替え直す。
この真っ赤なマント、もう少し落ち着いた色調にならないだろうか。
王都や街でならともかく、村でこの色彩は派手すぎる。
支給品だから仕方ないとはいえ。
法規にはもっと柔軟さを求めたいものだ。
クローゼットの横に立て掛けておいた細長い剣を腰帯に吊るし。
耳障りな金属音を引き連れて、完全武装で外へ出る。
ああ。
今日も、雲一つ無い青空と真っ白な大地が目に痛い。
「ありがとうございます」
白い男性……クロスツェルさんが作った野菜たっぷりの炒め物は、しゃきしゃきと歯応えが良く、噛めば噛むほど、野菜特有の甘さや旨味が口の中にじゅわあと広がり、適度に加えられた調味料や香辛料が混ざり合ってそれを引き立て、唾液を誘う調和を奏でている。
鮮やかな色合いもだが、火を通して立ち上った芳ばしい香りが好ましい。
野菜の甘い香りと調味料の塩っぽい香りが交わる、これはまさに黄金比。
もっと食べたいと、普段は大人しい腹の虫をきゅうきゅう騒がせる。
いや、ここはあえて短くまとめよう。
旨い。
しかも、彼が作ったのは野菜の炒め物だけではない。
私が用意した一品分の材料を器用に使いこなし、サラダからスープまで、きっちり三人分を用意してしまった。
いつもなら棄ててしまう根菜類の皮まで食べられる物に仕立てられては、もう、帽子を脱いで額を地面にこすりつけたい気分になってしまう。
帽子なんて、被ってないけど。
「久しぶりの料理だったので心配しましたが、お口に合って良かったです」
「久しぶりでこれですか? 一個人の好みでなんですけど、そこら辺の街の食堂よりずっと美味しいですよ。特にスープの塩加減が絶妙です。干し肉が入ってるわけでもないのに、物足りなさを感じさせない。素晴らしい」
「気に入っていただけるのは嬉しいですが、少し照れてしまいますね」
微笑みながら落ち着いた様子で丁寧に食を進めるクロスツェルさん。
対して、黒いほうのベゼドラさんは黙々とスープを喉に流し込んでいる。
決して不味くはないが、特別美味しい物でもない。
そんな感じ。
この味に慣れてるんだろうか。
うらやましい。
「主食が薫製した厚切り肉を焼いただけの質素な物で大変申し訳ないです。と言っても、お二人が居なければ、これ一枚で済ませるつもりだったので。私的には労せずして巡り会った幸運ですが」
「私達も、旅をしていると路銀の都合や宿泊先の仕入れ事情などがあって、お肉を頂く機会はあまりないのです。貴重な栄養を分けてくださった貴女の善意に深く感謝します。ですが、野菜もきちんと摂らなければ、体の働きが鈍くなってしまいますよ?」
まるで野菜嫌いの子供を諭す母親の口振りだが。
くすくすと笑ってるからか、嫌みには感じない。
「生来の不精なもので。お恥ずかしい限りです」
修行中に肉食の癖が付いたせいかな。
野菜が嫌いというわけではないのだけど。
調理の幅が極端に狭くて、大体サラダか煮物になってしまう。
一人暮らしが長い分、味付けを是正してくれるような相手も居ないから、どうしたって似たり寄ったりになるし。
新しい味付けに挑戦しようと思わなかった辺りが、怠け者の証明だ。
「旅をされている方に、こんなことをお願いするのはどうかと思いますが。差し支えなければ朝食も手伝っていただけますか?」
「朝食も?」
「はい。クロスツェルさんの手際の良さを勉強したいのです」
クロスツェルさんはちょっとだけ目を丸くして、にこっと笑った。
「私でよろしければ、喜んで」
よし。
明日の朝食はいつもの倍以上美味しくなりそうだ。
期待しよう。
夕飯を残さず平らげて洗い物を済ませた後、二人を二階へ案内した。
二階には、自室の他に三つの部屋がある。
一つは散らかった物置状態なので決して入らぬようにと警告しつつ。
他の二部屋へ一人ずつ、それぞれを招き入れた。
元々大家族が建てた物を中古で購入したので、一人暮らしには豪邸だ。
突然の来客にも対応できるのが、最大の利点だな。
自室以外には必要最低限の家具しか置いてないし。
どれも中身は空っぽだから、物盗りも心配しなくて良い。
多少ホコリっぽいかも知れないが、そこは愛嬌と流してもらおう。
「入浴がご入り用でしたら一声下さい。浴室へご案内します」
「何から何まで、お世話になります」
「いいえ。ごゆっくりどうぞ」
律儀に頭を下げるクロスツェルさんを、そこそこ広い個人部屋に残し。
私は一人で一階へ降りる。
調理場の奥にある浴室で浴槽を洗い、半分より上程度に湯を張った。
容量いっぱいに注ぐと、入った時に流れ出てしまうから勿体ないのだ。
いついかなる時も、質素倹約を忘れてはならない。
その代わり。
体を洗浄する為の湯は、専用の大きめな甕になみなみと用意しておく。
濡れた手足をタオルで拭き取り、浴室を出て二階へ戻る。
明日からの予定を話しているのか。
別々に通した筈の二人の声が、クロスツェルさんの部屋から聞こえた。
ちょっと聞き耳を立ててみたい気もするが、それは礼儀に欠ける行いだ。
恥ずべき衝動を抑えて、隣にある自室へ向かう。
外からも内からも鍵を掛けられる便利な扉を開いて入り、後ろ手で閉め。
問題ないとは思うが一応……と、扉に向き直って鍵を掛けた途端。
背後に気配を感じた。
「⁉︎」
勢いよく振り返った先に。
つまり、自室の中に。
腰まで届く長い髪の女性がうつむいて立っている。
入った時は誰も居なかったのに。
「……誰?」
背丈や肩幅からすると、二十代前半くらいだろうか。
輪郭を隠すゆったりしたローブを着ているわりに、華奢な印象を受ける。
隙だらけな棒立ちの姿勢といい、住民を見ても逃げないことといい。
不法侵入者にしてはやけに堂々としている。
両手も空いているし、どこかに武器を隠しているようにも見えないが。
背後を取るまで私に気配を感じさせなかった、なんて、普通じゃない。
「我が家に何の用が…………」
驚きで爆発しそうな心臓を押さえながら身構えると。
女性は白金色の髪を揺らして、見る者の庇護欲をそそる儚げな顔を上げ。
今にも泣き出しそうな薄い水色の目で、部屋の東側奥にある机を見た。
……………………水色?
「……宝石の、関係者?」
川で拾ってきたあの宝石と同じ、澄んだ水色の目。
それだけで判断するのは早計なのだろうが、勘がそう告げてる。
これは自慢だが、私の勘は滅多に外れない。
武芸の師範が、その道を選んだ誰もが一目置くほど優秀な方だったから。
気配を読む力と人を見る目は、師範が育ててくれた数少ない長所だ。
女性は真っ白なローブの裾をふわりとなびかせ、素足でペタペタと……
待て。
足音はしてない。
よく見ると、体も透けてないか?
まさか、幽霊とかじゃないだろうな。
女性は私に背中を見せて、机の前で立ち止まり。
伸ばした左手の人差し指で、引き出しをすぅ……と静かに指し示して。
そのまま、持ち上げた指先を北側の壁に向けた。
…………違うな。
多分、壁の向こう側だ。
隣の部屋に居る男性二人を指し示してる。
「宝石を、あの二人に渡せ、と?」
指先を壁に向けたまま、肩越しに私を見つめる女性。
唇は動いているが、声も何も聴こえてこない。
唇の形と動きを注意深く観察して、音を目で読み取ってみる。
「『あい、あ……お、あ……う……え……え』?」
あいあ、お、あうええ?
違う。
『あうええ』は、『た』『す』『け』『て』じゃないか?
『お』は『を』?
『あいあ』、『を』、『助けて』?
「あ」
目蓋を伏せた女性が、輪郭から粒子となって霧のように消えてしまった。
ヤバいな、これ。本格的に幽霊の類いじゃないか。
殴れないものは苦手なんだけど……何故だろう。
今の女性に、恐怖は感じなかった。
悲しげな顔をしてたからか?
「フィレスさん」
「! っと……、はい。なんでしょうか、クロスツェルさん」
背後の扉を二度軽く叩かれ、慌てて鍵を外す。
掛けたり外したり、忙しい。
「浴室へご案内しましょうか?」
扉のすぐ側で立っているクロスツェルさんに室内を見られぬよう。
素早く部屋を出て、後ろ手で閉める。
「あ、いえ……、はい。お願いします」
?
何か言いたそうにして、やめた?
「分かりました。こちらへどうぞ」
右手で階段を示しながら一階へ誘導する。
大人しく付いてくる辺り、特に用事があったわけではなさそうだが。
「では、私はこれで眠らせていただきます。ベゼドラさんは貴方が案内してあげてください」
「ありがとうございます。おやすみなさい」
「おやすみなさい」
クロスツェルさんを浴室に置いて、二階へ上がると。
ベゼドラさんが廊下で、何をするでもなく私の自室をじっと見ていた。
棒立ちしたまま、褐色の肌に黒い眉でシワを寄せ、紅い目で睨んでる。
次から次へと……いったい、なんなんだ?
「私の部屋に、何か?」
「白金色の髪と薄い緑色の目を持つ女に、心当たりはあるか?」
白金色の髪?
さっきの女性か?
いや。
「薄い緑色の目を持つ女性には、会ってませんね」
「本当に?」
「旅人に嘘を吐いても楽しくはないです」
でも多分、関係者だな。
金髪だったら、国中どこにでもごろごろ転がってるが。
白金色の髪なんて、そうそういるもんじゃない。
「……そうか」
不満を隠さず部屋へ戻るベゼドラさんを見届け。
自室に入って鍵を掛ける。
今度は誰も現れない。
が、落ち着いて寝られる状況でもない。
「はあ……。これ以上の怪奇現象は勘弁してください」
ため息混じりに呟けば、沈黙が返事をしてくれた。
朝食を楽しみにベッドへ潜り込んで、無理矢理意識を沈める。
こういう時の対処法も教えて欲しかったです、師範。
誰かの泣き声で意識が浮上した。
目が覚めたのとは違う。
夢だ。
ずいぶんと感覚がはっきりしてる夢だな。
周りは真っ暗で、何も見えない。
ただ、女性の泣き声だけが聞こえる。
「ごめん、なさい……。ごめんなさい……」
聴く者の胸を締めつける、切ない声色。
か細い謝罪の言葉は、誰に向けたものなのか。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
「ま……り……に、……ひか……、てらせ」
くり返し呟く女性の声に、小さな音の連なりが重なる。
音はどんどん大きくなって、聞き覚えがある旋律になった。
そして中盤、最後の言葉と泣き声が重なり。
ぴん! と張り詰めた音がして、時が止まる。
「「私の、アリア」」
パッと目を開く。
これは現実だ。
白い天井がベランダからの光を跳ね返して、室内を微かに明るくしてる。
そういえば、寝る前にカーテンを閉めてなかった。
もう朝か。
急いで旅人達の朝食を準備しなくては。
「おはようございます、フィレスさん」
「おはようございます、お二方。遅くなってすみません」
応接室で待っていた二人へ頭を下げる私に。
「いいえ」とクロスツェルさんが微笑んでくれた。
気にするな、ということだろう。
しかし、家人が客人より後に起きるなど、恥でしかない。
もう一度頭を下げてから、調理場へ向かう。
「この香辛料はこちらの調味料と相性が良いので、併せて使うと……」
「なるほど。では、こっちの葉は」
「あ、それは合わないと思いますよ。苦くなってしまいますから」
クロスツェルさんの丁寧な料理指導を受けつつ。
出来上がった物から順に、テーブルの上へと並べていく。
全部が出揃い、全員が席に着いてから、三人で美味しく頂いた。
期待以上の味わいは、涙が出そうになるほど嬉しいのだけど。
昼以降はもう食べられないのだと思うと、非常に切ない。
これが胃袋を掴まれるという感覚か。
恐るべし、クロスツェルさん。
ベゼドラさんが卵焼き入りのサンドイッチを一人占めにした気持ちも。
一欠片も残さずぺろりと食べ尽くした気持ちも、すごく、よく解る。
今後機会があれば、教えてもらったことを参考にして自分でも作ろう。
「……フィレスさん。突然こんなことを尋かれても困るとは思いますが」
洗い物を片付けてもらっている最中。
クロスツェルさんが、なにやら言い出しにくそうに話しかけてきた。
「この辺りで、不思議な現象を見たり聞いたりしませんでしたか?」
見ました、聞きました。
昨日の夜だけで二度も。
この家の中で。
あいあを助けて。
あれはきっと、『アリアを助けて』って言ってたんだな。
夢の中の泣き声が、幽霊っぽい女性と同一人物なら、だけど。
最後の皿を棚に戻し、クロスツェルさんと向き合う。
「すぐに発たれますか? それとも、少し休んでから?」
「特に何もなければ、すぐに発つつもりですが」
「では、玄関先で少々お待ちください。お渡しする物があります」
クロスツェルさんは首を傾げ、ベゼドラさんを伴って素直に従った。
私も自室へ戻って、机の引き出しから例の袋を取り出し。
旅支度を済ませて扉の外で待っていた二人に駆け寄る。
「多分、お二方への伝言です。『アリアを助けて』、だそうですよ」
二人の顔色が変わった。
そうか。
二人の旅の目的は、『アリア』に関わることなのか。
「誰にそれを⁉︎」
私に噛みつきそうなベゼドラさんを制し。
クロスツェルさんが身を乗り出してくる。
必死だな。
「私も詳しくは……この袋に入っている宝石と同じ色の目を持った女性が、貴方達にこれを渡せと言うので。ああ、なんとなく関係してるっぽいので、この歌も覚えておくと良いですよ」
昨日も聴いたあの歌を、二人に歌って聴かせる。
人前で歌うのって、結構恥ずかしい。
得意じゃないんだけど。
「こんな感じ……って、 え?」
手に持ってる袋から、薄い水色の光が溢れてる。
慌てて宝石を取り出すと。
光は虹のような曲線を描いて空へと昇り、東の方角に伸びていった。
「えー、と……」
光はやがて細く小さくなり、宝石に吸い込まれて消える。
また、怪奇現象ですか。
そうですか。
「……あっちへ行けって意味じゃないでしょうか? 多分……」
宝石を袋に戻してリボンを縛り、クロスツェルさんへ手渡すと。
クロスツェルさんとベゼドラさんは顔を見合わせて、昨日のはこれかとかなんとか言いながら、互いに確認し始める。
この二人には、今見た怪奇現象の意味が分かっているのだろうか。
いや、分かってないのか?
どちらにせよ。
「私が任されたのはここまでです。これ以上は、本当に何も知りません」
宝石入りの袋をじっと見ていたクロスツェルさんが。
私に向き直って「ありがとうございました」と頭を下げ、目を細めた。
冷静なフリをしてるけど、内心では相当混乱しているな。
「お気を付けて。良い旅を」
まだ何か言いたそうにしているベゼドラさんの腕を無理矢理引っ張って、東の方向へと足を運ぶクロスツェルさんの背中を見送り。
私は、やれやれと家の中に引き返す。
これで、あの幽霊っぽい女性の未練はなくなっただろう。
私も、変化しない日常に戻れて嬉しいです。
お願いします。
二度と現れないでください、怪奇現象。
「さて。今日もお仕事に行きましょうかね」
自室へ戻り。
クローゼットから銀製の鎧一式を取り出して。
厚手の普段着から、無骨なそれに着替え直す。
この真っ赤なマント、もう少し落ち着いた色調にならないだろうか。
王都や街でならともかく、村でこの色彩は派手すぎる。
支給品だから仕方ないとはいえ。
法規にはもっと柔軟さを求めたいものだ。
クローゼットの横に立て掛けておいた細長い剣を腰帯に吊るし。
耳障りな金属音を引き連れて、完全武装で外へ出る。
ああ。
今日も、雲一つ無い青空と真っ白な大地が目に痛い。
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