竜の紅石*缶詰

鳴澤うた

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竜、押しかける

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「辺りを見てくる」
  シルディスは、ブーツの踵まで隠れる防寒着を羽織り、慣れない様子で手袋をはめながら使用人に言った。
 「帽子も被った方が宜しいでしょう」
  使用人の中年の男そう言い、耳当ての付いている起毛の帽子を持ってきてシルディスに手渡す。
 「ありがとう」
 「今は天気が良くてもこの地方は天候が変わりやすいので、雲行きが怪しくなったらすぐにお戻り下さい」
 「分かった」
  シルディスは軽く微笑むと、外に出ていった。

  使用人は椅子の上に置かれた片方の手袋を手に取ると、小物入れの中にしまった。

 ****
  この北の果ての土地に来て、初めて日の光を見た。
  万年雪は固く、踏み歩いてもそう沈まないが、最近の積もった雪の上を歩くと膝まで沈む。
  歩きづらいし、シルディスには初めての経験だ。
  それでも、ずっと邸の中にいるよりは気分が良かった。
  春になればこの一帯で鉱山の採掘が再開され、自分もその業務に携わる──罪人として。
  邸をあてがわれ使用人が付くと言うのは自分は、罪人ながら指揮官としての任に就くからだ。
  極北のこの地方に流されてくる竜達は、荒々しい者達が多いと聞いた。
  それ故にまともな指揮官が定着せず、今までもモラル性の高い罪人が就いていたのだ。
  それに帝都で何が起こったか、新しい指揮官は何者なのか──とうに広まっているだろう。
  これから苦労の連続であろうと覚悟は決めていたし、受け入れもしている。
  自分がしたことを思えば、他の罪人と一緒に採掘の仕事に携わるのは当然だったし、本来なら死罪でもおかしくはないのだ。

  シルディスは亀裂のように走る崖の前に来た。この崖の途中に資源が眠っている。
  竜の姿に戻ると、崖を飛ぶ。
  所々洞窟ができていて、そこが採掘場だと分かった。
  崖の側と崖の下に、休憩所のような建物があった。
  質素だと思った。
  寒冷地帯で植物が育たなくて、家畜も飼えない。物資は他から頼っている。木材さえ事足りていないから、火を起こすのにも大変だと知った。
  もう少し天候が安定してから、物資の要求をしよう。
  前任の指揮官と副指揮官とも現状の話を聞きたい。
 「──つっ……」
  鈍痛が起こり、左腕の根元を押さえた。
  天気が崩れるな。シルディスは竜の姿のまま邸に戻ることにした。
  切り落とされた左腕は戻ることはなかった。生命力の強い竜だから、出血が多くてもそう簡単には死ねない。
  それが良かったのかどうか──答えは見つからない。
  片腕が無くても、一人で着替えられるようになった。
  片腕が無くても食事の支度や片付けも出来るし、介添えがなくても食べれるようになった。
  今まで人任せだった一般の生活を、片腕が無くても自分の力でこなせるようになった。
  使用人は一人だ。なるべく自分のことは自分でやらなくてはならないから。
  片腕が無くなって、家族がいなくなって、取り巻く暮らしが無くなって──一人、辺境の閉ざされた土地に来て寂しくない訳じゃないし、悲しくない訳じゃない。
  しかし自分が今出来ることは、現状を受け入れて生きていくことしかないのだ。

 《……?》
  吹雪が起きる前兆の風が鳴る。その風に乗ってきた気配が、どこか懐かしい。
  まさかと雪の反射ではない、きらびやかな光に目を凝らすと、邸の前にいる砂糖菓子の姫に驚愕した。
 「ファルデルナ……」
  人の姿に戻り、たたずむ彼女に声をかけた。
 「なぜここに……」
  罪人となり、ファルデルナとは婚約破棄となった。そしてエヴィラスと、正式に婚約を結び直すとも聞いていた。
  僅かに口を開けて呆然とするシルディスとは対称的に、ファルデルナはむすりと口を下げて彼を見つめていった。
 「お一人では寂しいと思って訪ねに来たのです。片腕では、なにかと不自由かと思いましたし。それにわたくし、何度か戦場にたち巨人達とやりあっていますから、荒くれ達の制止方も貴方様より慣れております。わたくしを見習えばよろしいかと思って、ご教授にもやって参りました。使用人に今いないと聞かされてここで待っておりましたの」
  一気に話をするファルデルナの気合いに押された。
 『異議有り』と、途中で口を挟まれないように捲し立てる言い方だった。
 「貴女は今、エヴィラスの許嫁でしょう? こんな辺鄙な場所にやって来て……」
 「婚約はお断りしました。それはエヴィラス様も納得の上です」
 「──えっ? し、しかし……! 父君の伯は許していないでしょう?」
 「ええ、ご立腹されていて、心変わりするまで邸に閉じ込められていましたのを、逃げて参りましたの」
  今度は大きく口を開けて唖然とするシルディスに、今までずっと仏頂面だったファルデルナが笑顔を向ける。
 「今頃、父は雷を落としておいででしょう。それから『意に沿わないことをしでかす娘は勘当だ』と言っていることでしょうね」
 「謝って許してもらいなさい! 自ら親子の縁を切るなどと……してはなりません!」
 『僕のためにそこまで』の台詞は濁した。驕りに思えて、口に出すのは憚れたからだ。
 「わたくしは親子の縁を切っておりません。勿論、母も。父だけですから平気です」
 「いや……伯がご立腹なのはよく分かります。僕が原因なのですから、ここにいては連れ戻されるのが関の山ですよ。お帰りください」
 「連れ戻されても……また来ます。何度でも。手足を縛られて監禁されたって会いに来ます。シルディス様に……」
 「どうして……そこまで……」
  あんなに冷たい態度を取ってしまったのに。今まで普通の許嫁同士の態度を一変したから、殊更辛かったはず。
 「僕は……多分一生この地から出れないでしょう。ファルデルナ、貴女を巻き込む訳にはいかない。それは貴女の為でもあります」
 「嫌です。我が儘を言わせてもらいます。わたくし、シルディス様に遠慮して我儘らしい我儘を言わなかった。それが夫となる方に当然の態度だと教えられていたから。──でも、自分の心を偽ってまで我慢するのは、おかしいと思いました。わたくし、皇妃の地位などいりません。隣に立つのがシルディス様でなければ屑同然です。わたくし……わたくしは……シルディス様のお側にいられれば……どんな辛い生活だって耐えて見せます……」
  押さえていた想いを告げながら、はらはらとファルデルナの金色の瞳から、滴が落ちていく。
 「何故……こんな僕を好きでいてくれる……?」
 「沢山あります。沢山ありすぎて……どれがどれと言えない……!」
  わぁっ! と泣き出したファルデルナを引き寄せて抱き締めたい。
  こんな自分を慕って、こんな地まで追い掛けてきてくれた。
  彼女の情熱に応えたい。

  だけど──それはあまりにも虫がよすぎる。

  どうして良いか分からず、その場で立ち尽くすシルディスに、
 「旦那様」
と、邸の使用人が外に出て声をかけてきた。
 「とにかく、お嬢様も邸の中に入ってもらった方がよろしいかと……」
  使用人が周囲に視線を彷徨わせながら告げた。
  確かに──雲は厚くなり灰色の景色をより濃く染め、チラチラと舞っていた雪は風に横ぶりに身体に当たり攻める。
 「この分だとまた吹雪になりましょう。この辺りの吹雪は酷いものですよ、お嬢様をこのままお返しすれば、途中で遭難は免れますまい」
  ここへ来てから遭遇した吹雪は確かに酷い。それはシルディスも経験して知っている。寒さに強い竜だが、身体に積もる雪には辟易はするわ視界は見えないわで、先導がいなければシルディスもここへ来る前に遭難していただろう。
  一人でここまでやって来たファルデルナを帰せば、吹雪に巻き込まれるのは確実だ。
 「……仕方がない。吹雪が収まるまで邸に……」
  あっという間に辺りが暗くなり、身を切るような強い風と雪が身体をなぶる。
 「荷物は運んでおきます、早く中へお入り下さい」
  使用人に促され、ファルデルナはシルディスの後をついて邸の中へ入っていった。

  使用人は大きなカバンを両手に抱え、玄関に向かう。
  そうして、あっという間に嵐のようになった吹雪を眺めながら
「春の前の最後の抵抗だな……。長くなるぞ」
と、忌々しく呟いた。

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