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第二十四話

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 翌日、刑事課長に「うちでつくってんだ、持ってけ」と野菜を渡される。
「俺、あまり料理は……」
「佐藤が作ってくれる相手が桐生にできたから分けてやって欲しいって言ってたぞ」
「あいつ、いらねーことを」
 断る訳にも行かず、桐生は、連続で石原の家を訪れた。
「あんた、暇なのか? よく俺の家に来るよな」
 石原から飛び出た言葉に桐生は耳を疑った。恋人が家に遊びに来るのは当然のこと。だが、石原の顔はそれとは違う表情を浮かべていた。桐生は初めて石原と自分の関係を疑った。しかし、桐生の性格上「恋人なんだから当然だ」とか「俺たち、恋人だろ?」なんて言葉は天地がひっくり返ってもでない。
 石原は鋭い視線を落としてくる桐生にあっけらかんと聞いた。
「したいのか? 昨日、散々したのに」
「これを持ってきただけだ」
「わざわざセフレにか」
「はああああああ?!」
「ちょ、なんだよ! おい、ボタンがとれたじゃないか!」
「うるせえ! てめえ、なんつった?!」
 勢い余って掴みかかり、石原のワイシャツのボタンを引きちぎってしまった桐生。
「セフレ」
「二度とその単語口にするんじゃねえ」
「悪かったよ、40過ぎて横文字なんて気軽につかって」
「そうじゃねーだろ!」
 石原は桐生の真意に気付かず、真面目な刑事が「セフレ」という不純な関係を嫌っているものだと思っていた。
「だったら、俺と桐生さんはなんなんだ」
「他にちゃんとあるだろ」
「?」
「……」
「……」
「……「こ」から始まる四文字だよ」
「コサインか!」
 声高々に答えた数学教師に、桐生のこめかみに青筋が浮かぶ。
「それは、あんたの好きなものだろ!」
「俺じゃない? じゃ、桐生さんが好きな「こ」から始まる四文字」
「いや、そうじゃなくて……って、聞いてねえな」
「……コカイン?」
「俺は麻薬取締官じゃない」
「さっぱり分からん」
「刑務所にぶちこんでやりてえ」
 桐生はよろよろと目眩を起こした。
「やらないのか?」
「やる気あったとしても、なくなるだろ。マイナス値までな」
 「恋人」という言葉より、数学用語が先に出てきた石原に皮肉たっぷりの捨て台詞を吐き、桐生は出て行った。
 石原ははじけ飛んだボタンを拾った。
「……恋人じゃないもんな。だってそんな言葉交わしてないし、俺が桐生さんに好かれる要素なんて何もない」
 過去何度も、桐生は石原の魅力をこれでもかと本人に伝えていた。教師としての情熱、正義感、そして真面目がゆえに脆い部分、すべてが気に入っていると。しかし、謙虚な男はそのどれも本気に受け取っていなかった。
「そもそも、俺は桐生さんの下の名前や歳だって碌に知らないのに」
 最初の連絡会で交換した名刺は、当時桐生を嫌っていた石原がぐしゃぐしゃにして捨ててしまっていた。彼の名前を知るすべはない。
「聞いてもいいだろうか」
 今のままでは喧嘩別れをしてしまう気がして石原は焦っていた。仲直りの意味も含め、桐生に電話をかけた。すぐに不機嫌な声が出る。
『なんだよ』
「セフレなんて下品な言葉使って悪かったよ」
『下品な言葉だから怒っているわけじゃない』
「……」
『やっぱりあんた分かってないだろ。もう切るぞ』
「ま、待ってくれ!」
『……』
 桐生は電話を切らずに待ってくれている。今更名前を聞くなんて恥ずかしい石原は、弱々しい声を出す。
「桐生さん」
『ん?』
 その声に、ようやく「恋人」という答えが貰えると期待した桐生は、いつもより声が柔らかくなった。
 しかし、石原は再び桐生の期待を裏切った。
「名前、教えてくれないか?」
『な・ま・え・だあああああ?』
「だからなんで切れるんだ!」
『切れるだろ! 今更なんで名前なんだ?!』
「桐生さんだって俺の名前知らないだろ?!」
『知ってるに決まってんだろ!』
「え?」
 事件の時に知ったのかと思ったが、桐生は最初から石原の名刺をとっていた。それどころか、酒の勢いでやってしまったときに戸籍も取り寄せているため、生年月日も知っていた。
『石原克樹、5月30日生まれの41歳だろ? で、俺の名前が知りたいのか? 名刺渡したはずなんだけどなあ?』
 腹の底から怒っている声。それに悪びれるでもなく、石原も苛立っていた。
「腹立つ」
『なんで先生が腹立ってんだよ!』
「あんただけ名前を知ってるのが!」
『どこで意地張ってんだよ! もっかい俺の名前聞けよ!』
「聞くか!」
『聞け!』
「聞かん! 切るぞ! もう家に来るな!」
『おい先生! まっ』
 石原は電話を切った。しかし、すぐさま後悔する。
 今まで、石原の家に桐生が来てくれていた。恋人と思っている桐生には当然の行為。だが、恋人と思っていない石原は桐生の家を訪れるなんて発想は今まで一度も浮かばなかった。
 桐生が来てくれなければ、唯一二人を繋いでいた身体の関係が結べない。
「謝るのは……何だか癪だしな」
 プライドがどこまでも邪魔をしてくる。

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