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最終章 騎士と碧眼と月

第一話 二人の主

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 小鳥の囀りが聞こえ、気持ちの良い朝を迎えるはずだった。愛する男の寝顔を初めて目にすることが出来ると思っていたのに……

 そこにルーカスの姿は無かった。

昨夜の行為で見切りをつけられたかという消極的な考えが過ったが、残された麻袋でそれは消え去った。
 しかしどうも胸騒ぎがする。

「失礼します」

断りを入れ、袋の中を覗く。
着替えに、貨幣、いざと言う時の非常食、そしてあの仮面が入っていた。仮面はともかくその他の物を置いて逃げるわけがない。馬も繋がれたままだ。水を汲みに行った可能性もあったが、竹筒はそのまま。
 とりあえず待ってみようとその場に腰を下ろす。

「気配すらしない。どこまで行かれたのだろう」

 結局ルーカスは戻ってこなかった。
罠の確認も含めて辺りを探しに行くと、野ウサギがかかっていた。
 しかしブライアンは野ウサギなどどうでも良かった。

「これは……」

陽が高くなり、木々の隙間から差し込む日光を頼りに目を凝らす。そして地面の凹みを指でなぞった。

「足跡だ」

 獣道で土が剥き出しの個所に複数の足跡があった。
 しかも凹み方が均一でなく、力を入れた様な抉れ方をしている足跡もある。
そしてそれは奥へと続いていた。
 必死に追いかけると足跡はさらに増えた。人間だけではなく馬の蹄の様なものまである。ここで人間の足跡も途切れている。つまり乗馬したという事だ。

「これは、ルーカスの短刀」

 寂し気に、だが存在感を隠し切れずに落ちていたのはあの短刀だった。

「まさか」

 足跡を辿り、行きついた答えに身の毛がよだった。急いで来た道を戻り、麻袋を引っ掴んで馬に跨る。
 森を抜け、鮮明になった視界で三頭の馬の足跡を確認する。
 そしてそれは二人が主と馬番であった場所へと向かっていた。

「今行きます!」

 そう吼えて、馬の脇腹を強く蹴った。
ブライアンは騎乗で何度もルーカスに謝り続けた。彼が横にいてくれて、そして昨日のまぐわいで現を抜かしていた事で忘れていたのだ……彼は領主だという事を。

 目の前を馬が走っている様子はない。一体いつ攫われてしまったのか、そしてそれに気が付けなかった己に嫌気がさす。
 そんな喪失感に苛まれたブライアンを更にどん底に落とす光景が広がる。

「この道は……」

 一本道が二股に分かれている。
右はルーカスとブライアンが住んでいたブレジストン家の屋敷。
そして左は……。
 足跡だらけの左の地面を見つめ、そして真っ直ぐその先に視線を向ける。
この先にあるのは一つ。
そこはブライアンにとって忘れたい過去を置いてきた場所だった。
 できれば二度と行きたくはない。
しかし、迷うことなく再び馬を走らせる。
ルーカスへの愛が、辛い過去をもつブライアンの背中を押した。


◇       ◇       ◇


 闊歩していた馬の足並みが止まる音がした。無駄な抵抗をさせない為に目隠しをされたルーカスにはここが何処かは分からない。

「下ろせ」

 乱暴に馬から引きずり降ろされる。
視界が塞がりバランス感覚が欠如していたが、どうにか地に足を付けた。
 聴覚で辺りを伺うが、全く分からない。
そして腕を縛る縄を強引に引っ張られて何処かへ連れていかれる。
 最初は土の上、それが次第に石畳に代わり、躓きながら階段を登らされる。
急に足音が反響し、滑りやすくなった。
床が大理石でできた建物内かと予想していると、ルーカスを引っ張っている男の足が止まり衝突してしまった。

「旦那様、ルーカス・ブレジストンを連れてまいりました」

 自身を攫うように命じた人間がここにいる。男の発言から身分の高い、そして男性であることが分かる。
 その瞬間、土、石畳、そして今立っている大理石の感触が懐かしくなる。

(俺はここに来た事がある)

「入れ」

 聞き覚えのある声。
反射的にその場で頭を垂れてしまう。そして、ルーカスは自身の最期を覚悟した。
 
「行け」

目隠しと手を縛っていた縄が外される。
 足が竦むルーカスの背中に刃物があてがわれ、中に入るようせっつかれる。目の前には大きな樫の木の扉。そこに掘られた金の刻印はブレイストン家の紋章。
 脅さずともルーカスは入るつもりでいた。この奥にいる人物にルーカスは逆らう事が出来ないのだから。

——コンコン

と、誘拐を企てた男の部屋にノックをするルーカス。おかしな光景だ。
しかし、身体に叩き込まれた習慣に抗う事は出来ない。

「ルーカスが参りました」
「入れ」

 張り裂けそうな心臓を押さえ、ルーカスは扉を開いた。

「失礼いたします」

 部屋の中は高級な絨毯に、動物の剥製、勲章や功労が認められ贈呈された盾等、屋敷の主の功績がこれ見よがしに並んでいた。
 そしてその横に並ぶ甲冑の前に立つ年配の男。
 整えられた真っ黒な顎鬚と、年齢を感じさせない逞しい身体、灰色がかった瞳は真っ直ぐに見つめられるとその威圧感に言葉が出なくなる。
 
「やあ、ルーカス」

 重低音の声が、反射的にルーカスの背筋を伸ばす。直立不動になった背中には冷や汗が伝い始めていた。
 腹に力を込め男の名を絞りだす。しゃがれた声でも出せば、即首が飛ぶ。震える喉を宥め大きく口を開いた。

「ハーデル様」

 満足そうに微笑む男の正体……
ルーカスが仕えていた主にして、カトリーヌの父親ハーデル・ブレジストンその人だった。
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