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第十四章 佐久間仁と新生活

第一話 同棲しませんか?

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 女性物の衣服と未開封の避妊具、そしてテッシュが散乱する部屋で物音がして、仁は目を開けた。

「どこか行くの?」

時刻は朝の八時。既に支度をした要がキスをしようと仁に覆い被さっていた。それを避け、「人の話聞いてる?」と寝起きの苛立ち声でもう一度尋ねる。まだあきらめていない要が唇を寄せながらこれからの予定を教えてくれる。

「今から不動産行くんだよ」
「今日三日だよ?」
「開いてるらしい」

新年から働き者の不動産会社に行くという要の目が泳ぐ。

「お前も準備しとけよ」
「俺もいくの?」

 一緒に行くという割に、先に支度を済ませているあたり、要一人で行くと思っていた仁が眉間に皺を寄せる。

「違う」
「?」
「引っ越しに決まってんだろ」
「……手伝うってこと?」

と言えば、要の目が更に泳ぎだす。そして諦めたかのように頭を掻き、ため息をつく。

「馬鹿……一緒に住むんだよ」
「はあ?!」

馬鹿と言われたことに反応せず、仁は盛大に声をあげてしまった。

「何で?!」
「結婚してんだから当たり前だろ!」

と、当然のように言う要に困り果てる。

「あのね……何回も言うけどあれは……比喩的なもので」
「いい加減認めろって」
「……」

仁はあれを無かったことにしたかった。それは要とずっと一緒に居るのが嫌というわけではなく、自分史上とんでもなく恥ずかしい出来事だったからだ。事あるごとにそれを引き合いに出す要にどうしたものかと困り果てていた。

「さすがに一緒に不動産行くのは嫌がるだろうから、俺一人で行くわ」
「ちょっ! 要!」

既に彼の中では決定事項のようで、立ち上がる。まだ裸の仁は追いかけることが出来ずに腕を掴もうとしたが間に合わず取り逃がしてしまった。慌てて電話をするも反応はない。かといって不動産会社まで追いかけるわけにも行かず連絡が返ってくるのを待ったがいっこうにスマートフォンは鳴らない。

「勝手なんだから……少しは相談してくれてもいいのに……」

ため息をつき、コーヒーメーカーが部屋に芳醇な香りを充満させている間に、パソコンを立ち上げた。



             *


 仁を置いて不動産屋に来ていた要は、まるで家出したこのようにカウンターに座っていた。

「一人暮らしですか?」
「……はい」

愛想よく相槌を打ち、従業員がパソコンに情報を入力していく。もうすこしムードを作って同棲話を持ち出せばよかったのだろうかと後悔してしまう。仁の寝起きにする話ではなかった。

(やっぱり嫌なのか……)

身を乗り出して驚いていた仁を思い出す。

「駅は近い方が良いですか? オール電化は? 間取りの希望はありますか?」
 「えっと……」

  一人で引っ越すための話はどんどん進んでいく。別に本当に結婚しているわけでもないし、一緒に住む必要性もない。しかし、甘い生活でも夢見ているのか、何気ない日常をもっと仁と共有したい、要はそう思っていた。
 ちらりとスマートフォンを覗くと仁から怒ったメッセージが届いている。しばらく無視していたが、時間をおいてからまた受信したメッセージを見て気分が落ち込んでしまった。

《何時の新幹線で帰るの?》

「また、離れんのか……」
「どうかなさいましたか?」
「い、いえ。すみません」

数字をサッと返して、提示された物件情報に目を通す。寮や前のアパートと同じような間取りで特に悩む必要はなさそうだった。
しかしまだ望みを捨てていない要の表情を、物件に悩んでいるように見えたのか、従業員はニコリと微笑んだ。

「今日中に決めていただかなくても結構ですので、またお電話いただければ郵送でのご契約もできますよ」

たしかにもう少し吟味したい気持ちもある為、そうさせてもらうのが無難だろうと思い、要は席を立つ。
 そのまま不動産会社を後にし実家に戻れば、「外泊するなら連絡しなさい」と小言を貰う。適当に返事をし、自室で帰り支度をする。荷物はほとんどなく、財布やスマートフォンなど貴重品のみで帰省していた。どうせ三月に帰ってくるのだからと、家族との別れ際は淡泊だった。しかし、それでは済まされない人物はもうすでに改札にいた。昨日は女の格好をして現れた小倉駅に、今日はいつもの格好、そして東亜日本貿易会社の印字がしてある茶封筒を持っている。

「会社行くのか?」
「何で?」

仁が持つ茶封筒を指さす。

「あーこれ。別に」

ヒラヒラと振られた茶封筒は、既に使用済みのものを再利用しているのかヨレヨレだ。

 まだ空っぽの新幹線のホームで「小倉」という看板を見上げた要が「次会うのは三月だな」と嬉しそうに言う。

「そうだね」
「これが最後の別れだな」

ヘヘヘ、と単語には似合わない笑顔を浮かべる要。少し俯き加減に仁も笑っている。

──チュッ

サッと仁のおでこにキスをしたら書類でバシバシ殴られる。帰省ラッシュが始まっているホームでは誰もこちらを見向きもしない。

「おまっ! 仕事のだろ!」
「要が悪い!」

とおでこを撫でつけながら言う仁の眉間に皺が寄る。ホームで駅員の声がしたからだ。

『まもなく──』

ホームに新幹線が滑り込んでる。通り過ぎて欲しいと願っても、徐々に速度を落として、車体は停車した。

最後に乗り込んだ要は扉の前から動こうとしない。しかし無残にも時間は進み、扉が閉まるアラームがなる。

険しい顔をした要に、仁は

「これ。」

とサッと茶封筒を投げた。

「あっぶね!」

間一髪扉に挟まることなく要の手に渡る。

 「おい!」

意味が分からず戸惑いながら仁を見ると既に扉は閉まっていて、小さく手を振っていた。それにぎりぎり振り返し、ホームから新幹線が完全に出るまでその場に立ちつくした。
そして座席で一息ついてから茶封筒の中身を確認する。

(これ……)

出てきたのは物件の間取り図だった。
しかし眉を顰めてしまう。職場からは少し離れていて、しかも広すぎる。その分家賃も高めだ。隅々まで見渡している目が見開かれる。
これを検索したであろう検索項目には……

「二人暮らし……」

思わずチェックされていた項目を口に出してしまう。

(あいつっ!)

急いでスマートフォンを取り出せば既に同棲に乗り気な男からメッセージが来ていた。

《2LDK・会社からは少し離れている・寝室は別々だからね》

最後の項目は彼らしさを感じ、反論したかったが、春からの甘い生活に胸が弾み始めていた。
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