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第十二章 佐久間仁と文明の利器

第三話 説明書は未読

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 仁は家までの道すがら、片手でスマートフォンを操作しながら歩いている人に出くわし感心してしまう。前の携帯電話ならともかく少し大きめのスマートフォンは両手で持たねば操作ができない。歩きながらなどもっと無理だ。同じものを買ってそれを余計に痛感した。スマートフォンは、ボタンがないため必ず画面を見て操作をする必要がある。そんな視野が狭くなった状態で歩くなんてできないし、そもそも危険だ。しかしこの光景は逆に、スマートフォンがそれだけ世の中に浸透している現れでもあるのかもしれない。要が仁の携帯電話を生きた化石というのも頷けた。

 不慣れなスマートフォンを一度も鞄から出すことなく帰宅する。疲れた身体をソファーに沈め、疲れが柔らかいクッションに吸い込まれてから再び腰を上げる。そして鞄の中からスマートフォンを出す。シンプルなデザインに黒色のカバー。画面は大きめで、角は曲線の綺麗なカーブを描いている。

「ふ…ぅ…」

まだまだぎこちない指使いでアプリを開く。月嶋と柴、そして要からメッセージが来ていた。そして謎のグループへの招待などというよくわからない通知も来ていた。グループ名が「三十路サッカー」だ。

「なんだこれ」

グループへの招待が何なのかは柴のトーク画面を開いたら分かった。

《やっと始めたのか! 高校のサッカー部のグループあるから、入っとけ! 同窓会近々やろうって話出てるから!》

グループのメンバーは懐かしのサッカー部のメンバー達だった。アイコンは自分の顔だったり、家族の写真だったり、風景だったり。

「へぇ……あいつ、子ども産まれたんだ」

アイコン一つで近況が知れるのは凄いかもしれないと少し不慣れなアプリに気持ちが傾いた。

《ありがとう》

と返せば、送った時間と「既読」という文字が表示された。

「何これ……既読?  月嶋君に聞けばよかった。既に読んだ? 柴がもう俺のメッセージを読んだってこと?」

アイコンの素晴らしさで傾いた気持ちが元に戻りだす。まだ何も解決していない仁の手の中でズマートフォンが通知を知らせる。

《どういたしまして!》

とすぐさま返事が来たから、きっと柴が俺のメッセージを読んだということだろう、と自己解決した。

「こんな機能いるのか?」

 不可思議な機能にため息が出そうになる。もう返事することもないから、要のトーク画面を開こうとしたが、また柴からメッセージが来た。

《要とどうなった?》

 文字なのにまるで柴の声が聞こえるかのように頭の中で聞こえる。 一瞬考えた末、何も返さずにトーク画面を閉じた。月嶋からは食事のお礼、要からは《家ついたら連絡して》というメッセージが届いていた。月嶋に返事をして、要に《ついた》とだけ送る。要からもすぐに《電話して》と返事が来たがトーク画面を閉じてスマートフォンをテーブルに置く。遠距離したばかりの時、電話は散々したが、スマートフォンに変えて、しかもテレビ通話が出来てしまうという事実を知ってしまった今、電話が恥ずかしく感じてしまっている。

 何の音沙汰もないスマートフォンを見つめる。 問題は要との電話だけではない。

(柴に何て返そうか……)

 気持ちが伝わりにくいから文字は困る。寄りを戻したという喜ばしい事なのだが、いかんせん柴からすれば全く喜べることではない。どういう文で送れば上手くこの複雑な気持ちが伝わるか悩む。これは携帯電話を変えたところで到底変わらぬ悩みだろう。そんな事を考えていると全く音沙汰無かったスマートフォンが振動する。
 画面にはあのオムライスが映っていた。一気に身体が熱くなり、緊張したかのように心臓が早鐘を打つ。スマートフォンから顔を背け、聞こえないふりをする。しかし電話がなり止むことはない。危険物でも扱のようにゆっくりと伸ばし、電話に出れば、やっとかというため息が聞こえる。

『ふう……仁?』
「うん」
『月嶋は?』
「もう家だからいないよ」
『ふぅん。つか、電話してって送っただろ』
「見てない」
『嘘つけ、既読ついてたぞ』

(本当に何なんだあの機能は……)

「あー、見たような気もする」
『相変わらずだな……元気か?』
「うん。要は?」
『元気……でもねぇな……びしょ濡れだ』

乾いた声で笑うのが聞こえる。その声だけでどんな顔をしているか想像し、また心臓が煩くなる。

「ッ……知ってる」
『そういや、月嶋に怪しまれなかった?』
「すごく怪しまれた」
『もう言ってもいいんじゃねぇの?』
「だめ、同じ職場なんだし」
『別にあいつバラしたりしないだろ。ま、言う言わないはお前に任せるわ……柴は? 柴にはきちんと言ったのか? 連絡きたんだろ?』
「うん。要とどうなった? ってきてた」
『ちゃんと言っとけよ、佐久間仁は松田要のものだってな』
「相変わらずだね」
『うるせぇ』

 一瞬2人の間が空く。

『なぁ……』
「なに?」
『顔見せろ』

(やっぱり言うと思った)

仁は、これが恥ずかしくて嫌で、電話に出たくなかったのだ。

「やだ」
『言うと思った』
「それはこっちのセリフ!」
『ははは……浮気すんなよ』
「しないよ! そっちこそキャバクラいって、その後変なことしたんじゃないの?」
『お前は柴とヤってたかもしんねーけど俺はなにもしてねぇよ』
「……それは」
『あっ、わりぃ……そういう意味じゃなくて……』

気まずい沈黙が流れる。要に悪気がないのは分かっている。しかし、やはりそれを突かれると仁としては痛い。

「柴のことは本当にごめん。俺、大丈夫だから、風俗とか行ってもいいよ?」
『はぁ?! 何言ってんだよお前!』
「だってやっぱりフェアじゃないし。」

申し訳ない気持ちもあるが、要に借りを作ったようで気が収まらなかった。

『お前、こういう時ですらプライド高いよな! どうせ借りを作ったと思ってんだろ?』
「違う!」

(あってるけど)

『遠慮しとく。俺はお前を抱きたいから』
「じゃ、どうすんの?」
『あっ? んー、一人でするわ。お前も男なんだからそれくらい分かるだろ』
「でも、何かそれって俺だけ悪いことしたみたいじゃん!」
『その分、ずっと俺といてくれたらそれでいいんだよ……あっ!』
「なに?」

 要が何かを思いついたように声を上げる。

『仁、今から一人でやれ』
「はぁ?! 何でそうなるの?!」
『俺もやるから』
「そ、それって……俗に言う…」
『テレフォンセックスってやつだな』
「やだよ! 要の変態!!」
『仕方ねぇだろ、男なんだから』
「嫌!」
『仕方なしでいいから俺に付き合ってくれよ。俺は仁がいいんだ。駄目か?』

その言い方にグッと喉を締め付けた。

「し、仕方なしだからね! 俺別に溜まってないし! 要がしたいって言うからするの! あとこれで柴の分はチャラね」
『おう。構わねぇよ』
「……」
『……』
「な、なに?」
『やれよ』 
「えっ……どうやって?」
『やり方知らねぇの?』
「電話でなんてしたことない!」
『普通に一人でやればいいんだよ』

スマートフォンをギュッと握りしめ、空いている手でベルトに手をかけたが緊張して金具の上で遊ぶだけだ。

『ズボン脱げ』
「う、うん」

戸惑いに気が付いたのか、要が電話口で指示をしてくる。

「仕方なしだからね!」
『あーもう分かったから……脱いだか?』

緊張が解けた手でベルトを外し、少しだけズボンを下にずらせば、すでにそこは勃ち始めていて、思わず目を反らしたくなる。

「……うん」
『ボクサーの上から撫でて』
「えっ?」
『まだ全部脱ぐなよ』

アンダーウェアがボクサーパンツだとバレているのが、何だか少し幸せだと感じてしまい仁はますます恥ずかしくなる。

『指でスーッてなぞって』
「っ!」

アンダーウェア越しに、自分のそれを指先でなぞると背筋がゾクッと震える。

『揉んで』

言われた通りに親指と人差し指、中指で軽く挟み揉む。自分の指なのに要の指に挟まれているような錯覚に陥ってしまう。

「んっ」
『もっと激しく』
『ッあ、はぁ……んん』

機械越しにくぐもって聴こえる声に、仁は聴覚でも感じ始める。

『どうなってる?』
「な、何が?」
『お前のあれ』
「……別に……どうもなってない」

 実際は、ボクサーパンツの下で窮屈そうにしている。

『勃ってんだろ? 本当は』
「違う!」
『舐めてぇなぁ、お前の』

その挑発的な言葉に舐められているところを連想してしまう。生温い要の唾液が絡みつき、肉厚な舌が先端をしつこく刺激し、それを咥える唇はキスの時とは違った感触を仁に与える。そんな脳内の要に更にパンパンに張る。

「あぁ! だめぇ!」
『何、想像してんの?』
「してない!」
『してたくせに……ボクサーも脱いで』
「……」

ボクサーパンツから、反り勃ったそれが現れる。身体が、この声のみの行為にどれだけ反応しているのか丸わかりだ。

『見たい』
「えっ?!」
『見して。画面切り替えて』
「無理! やり方知らない!」
『月嶋に教えてもらったんだろ?』
「忘れた」
『だったら、お前の口から説明して』

 ( 嵌められた)

最後の言葉が願望だと瞬時に理解する。

「それもやだ」
『じゃ、目瞑って』
「それくらいなら」

 目を瞑ると、当然ながら視界は真っ暗だ。

『お前の舐めていい?』

真っ暗な視界に舌を出すインドにいるはずの恋人が現れる。

「ッ?!」
『舌で裏スジ舐め上げて、そのまま先っぽだけ咥えて……』
「ちょっ、言わないで!」
『そんで奥まで一気にお前の咥えて、舌と唾液とを絡ませながらグチュグチュ言わせていいか?』

言葉通りの想像をしてしまい、 自然と指で裏筋をツーっとなぞってしまう。

「んあっ! や、やだ、だめぇぇ!」
『抵抗してもダメだ。俺も我慢出来ねぇから。押し倒して、後ろに指突っ込んでかき回してやるよ』

秘部が触れてもいないのに想像だけでヒクヒクと痙攣しだす。

『ヒクヒクしてるぞ、ほしいのか?』
「……ほしぃ」

どこかで見ているのか?そんな疑問がよぎるほど的確な要の言葉に本当にしている気分になる。

『聞こえない』
「っ!……ほし…ぃ」
『……』

何も言わない要に仁の理性が限界を迎える。こうなればもう止められない。

「ほ、ほしい! 要の挿れてぇ!」

満足そうに細く微笑むような声が聞こえた気がした。

『挿れてやるから自分で足広げて』

ソファーの上で足を広げ、小指で秘部を刺激しながら、残り四本の指で自分のそれを扱く。

「はっ……あっ……」

先走りでグチュグチュと音を出し始める。

「くっ」
『もっと声出して』
「やだ」
『声、聞かせろって、なぁ』
「う、うるさい! ……んっ……あっ」
『我慢すんよ。ゆっくり扱いて……下から上に』
「はっ、あっ!」
『今度は激しくして』
「んっ、はうっ……」
『気持ちいいか?』
「別に……気持ちよくなんか……あっ……」
『やらしい声だな』

自分の声を卑下されたのに腰から一気に電気が走るような刺激に襲われる。

「あっ!だめ、出ちゃう、あっ!」
『出しちまえよ、気持ちよくなれって』
「やっ、あんっ……かな……め」
『なに?』
「気持ちい……あっ! もうっ……」
『もう? なに?』
「イっちゃう」
『じゃ、もっと激しくして。イきたいだろ?』
「……イきたい」
『激しく扱け、できるだろ?』
「でき、な、い。んっ、あっ、ああぁぁ!!」
『ほら、イけよ』
「んあっ! あっ、あぁ!」

その声にビクンと身体が跳ね、先端から白濁色の液が飛び散りボクサーパンツや手を汚す。

「はぁ、はぁ……要」
『ん?』
「浮気しないでよ」

電話の向こうで声がピタリと止む。

『こんなやらしい恋人がいてするわけねーだろ。ばーか』

「馬鹿じゃない!」と言いたかったが、そんな気力は残っていなかった。



            *



 ホテルに備え付けられているティッシュ箱からティッシュを取り出し、事後処理をする。下水整備が完璧ではないインドでも、会社側がそこそこいいホテルを宿泊先として用意してくれたため、部屋にトイレがきちんとついているのはありがたい。ではないと、この欲まみれのティッシュを共同トイレまで持っていくか、部屋のゴミ箱に捨てるハメになる。

電話からは、達したばかりの仁が小さく息を吐くのが聴こえる。

「エロかったよ」
『エロくない。要が気持ちよかったんなら、それでいい』
「すげぇよかった」

久しぶりの艶めいた声と想像でかなり序盤にイってしまったのは秘密だ。仁が一人でしているというのを想像するだけで、もうそれはパンパンだった。そして「仕方なく」といえば、頼みを聞き入れてくれることも知っていた。しかしそこは予想通りだったが、あそこまで喘いで一人でしてくれるのは想定外だった。そのため序盤で達してしまったそれは、すぐにまた反り勃ったのだが、二回目を迎える前にお預けをくらった為、今はもう萎えている。

( 電話のあと、さっきの思い出して、もう一回だな)

なんて不埒なことを考えてしまう。

『切っていい?』

仁が力なく言う。

「ダメだ。もう少し」
『……わかった』

噛み付く余裕もないほど気持ちよかったのだろうか、気持ちよさそうにグッタリしてる彼を想像して頬が緩む。

(その横にいれたらどんなに幸せだろうか)

「 そういや、月嶋が言ってたやつなに?」
『月嶋君?』
「これで幸せですね! ってやつだよ」
『知らない』
「嘘つけ」
『……』
「……」
『……月嶋君が教えてくれたの、テレビ通話のこと。これがあれば遠距離でも顔みて電話できるって』
「なるほどな」

それで練習がてらかけてきたわけだが、月嶋は要がインドにいるとは露にも思っていなかっただろう。

「お前が遠距離恋愛してるのは知ってるんだ」
『うん』
「じゃ、月嶋のおかげだな、こうやって電話できてるの」
『そうだね。いい子だよね、可愛いし!』

 少し笑っているのが電話越しでも伝わる。

「お前、柴の次は月嶋とか勘弁しろよ」
『ないよ。それに月嶋君には……いや、何もない』
「何だよ、言えよ! 月嶋には何だよ! ……あっ、恋人か!」
『うん。だから有り得ない』
「結局月嶋の恋人って誰なの?」
『秘密』
「お前も学習しないよな」
『何が?』

回復してきたのか語気を強めていつもの調子を取り戻し始める。

「お前の好きだった人が月嶋ってのを知った時もそうだったけど、質問に対して秘密って答えるってことは、俺に知られたらマズイ奴ってことだろ? つまり俺の知り合いってことだ」
『……』
「どうよ?」
『さぁね。もう切るよ!』
「あっ、こら! 待てって!」
『じゃあね、また明日』

ブチッと通話が途切れる音がする。

(出るのはもたつくくせに、切るのだけは早すぎるだろ)

呆れた顔で切れたスマートフォンを見つめれば、暗くなった画面には、にやつく自分が写っていた。

「また明日……か」

 別れていたほんの数週間の間、仁は階段から落下し、別れを切り出し、その後柴と付き合い、そして要はまた振られた。数週間という短い期間で繰り広げられたとは思えない恋愛劇の間、今までにないほどの悲しみ、辛さ、焦り、そして自分の力のなさを感じた。もちろんそれだけでなく、お互いがどれほど思いあっているかに気づかされた。仁は仁で、己の性格や、30歳という挑戦と安定の区切りで揺れ動き、そして後者を選んでしまった。しかし要への愛の深さに気が付き最後は一歩を踏み込んだ。その過程で色々あったが今のためにはきっと必要なものだったのだ。

──その結果が空港でのプロポーズ。

恋する乙女のように両手で顔を覆いベッドの上を転がり、あの信じられない光景を思い出し、にやける。インドへの飛行機の中で何度もにやけては隣の帰国中のインド人に変な目で見られた。

(最後は仲良くなったけどな……)

「早く帰りてぇな。抱きしめたい」

 吐き出した欲の臭いがする部屋で、ポツリと臭いに似つかわない淡い気持ちを吐き出す。
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