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第八章 佐久間仁ともう一人の仁

第四話 柴隆之介

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どうせ帰っても仕方が無いし、と仁は柴についていき、居酒屋に来てしまった。

「あっ、生二つで!」

柴は指を二本立てる。

「すいません、一つウーロン茶に変えてください」
「えっ? 飲まねーの? じゃ、俺もウーロン茶で! あっ、はい、ウーロン茶二つで!」

生ビールからウーロン茶にオーダーを変え、適当に食べるものを注文する。

「佐久間って飲めないの?」
「飲めるけど?」
「じゃ……」

もう一度店員を呼ぼうとする柴を制する。

「今日は飲まないの。柴こそ飲めばいいじゃん!」
「お前飲まないのに飲んでもなぁ」
「そもそも飲めるの?」
「お付き合い程度には!」

高校を卒業してから一度も会っておらず、未成年で止まっている柴の記憶。

「ねぇ」
「んー?」
「さっきの本物なの?」

仁が手を出す。

「警察手帳?」
「うん」

ポンっと掌に警察手帳を渡してくる。縦開きのバッジホルダーを開けば、柴の顔写真と名前と階級が乗っていた。
勤務地は橋を渡った隣の県で、どうやら柴もずっと地元を離れているのが分かる。

「柴の夢だったもんね」
「まぁな!」
「制服着てないから偽物だと思ったよ」
「俺、刑事課だからな! 基本スーツなんだよ! お前は何してんの?」
「会社員」
「こっちで?」
「うん」

視線を感じ、眺めていた警察手帳から視線を柴に移すと、こちらを凝視していた。

「……」
「な、なに?」
「お前、なんか元気なくね?」
「べ、別に!」
「あっ! ほらムキになった! なんか落ち込んでんな?」

ほら、と指をさしてくる。意図も簡単に見破ってくるその指をへし折ろうと握る。

「柴!」
「いてててて! やめろって!」
「だいたい、こんな所でなにしてるの?」
「ちょっとこっちの方に駆り出されちゃって! ま、仕事内容は守秘義務ってことで!」

シーッと人差し指を口の前に持っていく。

「ちょっと観光がてらレトロ地区に寄ったら知ってる顔が、陰湿な顔してるから、つい声かけちゃったよ!」
「陰湿ってなにさ」

握った指を離し、心外だとばかりに腕を組む。

「で、何かあったのか? 仕事? それとも恋愛? てかお前結婚してんの?」
「してないし、何もないよ」
「ふーん。あっ、これ」

あまりにも話さない仁にこれ以上は無理だと判断したのか、腑に落ちない顔はしたものの柴は諦めた。そして灰皿を渡してきたが、仁はそれを受け取らず押し返した。

「吸わねぇの? 橋の上で煙草吸おうとしてただろ?」
「ライターがない」
「ちょいまち! はい」

ジッポをポケットから出す。

「吸うの?」
「俺は吸わない! 先輩のつけるとき用に持ち歩いてるんだわ!」
「大変だね」
「佐久間は意外だな……吸わないと思ってた!」
「何で?」
「スポーツマンは吸ったらダメだろ」
「はいはい」

高校時代クラスが同じになったことは一度もない。進路先が全く違ったからだ。なのにこの二人に接点があるのは部活が同じだったから。柴のスポーツマンという言葉を無視してジッポを受け取る。そもそももうサッカーなどしばらくしていない。

 久しぶりなのに慣れた手つきで煙草に火を点ける。そして肺にいっぱいため込むと、懐かしい苦い味が広がり、そして胸が苦しくなり何故か涙が出そうになった。煙を吐き出したいのに、涙が出る気がしてうまく吐き出すことができない。そして煙のようにモヤモヤと浮かぶあの顔。

「失礼します。ウーロン茶です」

と、店員が来たことでようやく煙を吐き出した。

「じゃ乾杯! 久しぶりに再会した、えーと……」
「同級生に」

何かを言いかけた柴に無理矢理割って入り、グラス同士をぶつける。

「高校卒業して、もう10年も経つんだよな。」
「柴、だいぶ変わったね。俺より小さくなかった?」
「小さかった! でも俺、卒業したあと伸びたんだよ!」
「何センチ?」
「175cm! いいだろぉ! 佐久間お前変わんねぇな!」

(要より少し小さいのか)

同級生と話しているのに、思い出すのは元恋人。それを何とか振り払い、無駄にキッと睨んでみる。

「普通、高校生くらいまででしょ?」
「高校生の時にこの身長だったらなぁ! もっと活躍できたのにな!」
「身長低くても柴は頼れるキーパーだったよ」
「今はたよってくれねーの?」

レンズの奥から仁を見透かす瞳。そこから茶色の湖面に視線を急いで移し「だから何もないって」と仁は言った。吐息で震える湖面がそれが嘘であると伝えてしまいそうで、仁はグラスを傾けた。
 その間も、柴は勝手に昔話に興じる。

「お前がディフェンダーで、俺がゴールキーパー、懐かしいなぁ!」

柴はゴールキーパーとしての瞬発力は素晴らしかったが、背が高くなかったため、身体の上をボールがすり抜けることもしばしばあった。

「背だけじゃなくて、なんかヒゲも生えてるし」
「年季入ってる感じでいいだろ!なめられたら終わりだからな!」
「眼鏡は? 視力悪いの?」
「いや、これ、伊達!」

なめられたら終わりという名目でお洒落したさに髭を生やし、眼鏡をかけているのではないだろうかと思ってしまった。

「昔は小さくて可愛い感じだったのに」
「昔って、10年も前じゃん! そりゃ変わるだろ! むしろ佐久間はさ……」

 柴の目つきが変わる。

「ん?」
「綺麗になったよな」
「はっ?」
「はい、ダメダメ! そんな綺麗な顔の眉間にシワなんて寄せるな!」

とりあえず机の下で足を踏んでおいた。

「いてぇって!!」

 その後も誰々が結婚しただの、どこに就職しただの、懐かしい友人の話に花を咲かせた。
そして帰りは柴が車で送ってくれるという。

「近いから大丈夫」
「いいから乗れって!」

レトロ地区の近くのコインパーキングに停めているという柴の車。

「それに車なら結局飲めなかったんじゃん!」
「いや、最悪お前の家泊まろうかなって!」

ちゃっかりしている柴にため息が出る。家からそう離れていなかった為、走らせた車はすぐに家の前に着く。

「言っとくけど泊めないからね」
「頑なだな。心配すんな襲ったりしねえから!」
「何言ってんの!」

一瞬オスの顔になった運転席の柴に、ゾクリとしてしまう。そんな彼に礼を言って早々に車から降りようとする。

「久しぶりに同級生と飲めて楽しかったよ。ありがとう」

シートベルトを外して、ドアノブに手をかける。しかしノブにかけた手をガシッと掴まれた。

「佐久間」
「……なに?」

柴の方を見ずに答える。声は、あのおちゃらけた声から低く腰に響く声に変わっていて、振り向くことができなかった。

「……わざとだろ?」
「何が? 離してくれない?」

振り払おうとしたが柴は離さない。それどころかグッと引き寄せようとしている。掴まれた腕に意識を取られ、その他が疎かになっていた仁は、柴のもう片方の手の餌食になった。意図も簡単に引き寄せられ、そして気がつくと、柴の胸の中だった。

「し……ば……」

ギュッと抱きしめてくる。その胸の中は要よりも固く逞しかった。また要と比べてしまっている仁に柴が「同級生じゃないだろ、俺たち」と耳元で囁く。

 柴 隆之介。高校時代の同級生。サッカー部。今は刑事。そして……

「俺はお前の元恋人だろ?」

 青い記憶が揺さぶられる。
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