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第三章 狂った八月

第四話 バイク窃盗事件

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 ビジネスホテルで朝を迎え、久しぶりにバランスのとれた食事を摂取する。
その後、会議場まで徒歩で向かう。

「○○高校辻本先生の代理の福山と申します」

まだ長机が雑に置かれている受付にいる教師に話しかければ「設営の人ね」と既に話は通っていた。

「ご苦労様。遠くから参加してくれているのに朝からありがとう。
「はい」

これで辻本に頼まれたミッションは終わった。彼の満足いく形となっただろう。

そして設営の手伝いをし、開始時間前になると、各都道府県の生徒指導主事が集まり始めた。代理で来ている者はほぼおらず、福山はやたら若く見える。

自身の高校のネームプレートが立っている席に着くと、途端に周りから視線を浴びた。

(そんなに珍しいのだろうか)

あまり周りは見ず、手元の資料に集中する。
すると上から声が降ってきた。

「福山?」

知っている声に、福山は顔を上げ、綻ばせた。

「藤沢先生! ご無沙汰しています!」

思わず立って握手してしまう。
藤沢と呼ばれた妙齢の教師は「やっぱりだ。あれ? 辻本は?」と辺りを見回す。

「代理なんです」

藤沢が息を飲む。

「どうかされたんですか?」
「……いや……そうか……大丈夫か?」
「え? 何がでしょう」
「あいつに……辻本に何かされたりしていないか?」

福山の心臓が跳ねる。

——されている。

しかし、どうしてそれを藤沢が——福山が教師1年目だった時の生徒指導主事が知っているのかが分からない。

「それって……どういう……」
「ただいまより——」
「すまない。時間だ。また後で」

そう言って藤沢は2つ前の席に座った。周囲は県内の高校の教師ばかりだが、一度も転勤したことがない福山には知り合いがいない。
 逆に藤沢はあちこちの高校で生徒指導主事を経験していて有名人だ。面倒見もいい。きっと会話したい教師は山ほどいただろうに、休憩時間にそれを掻い潜り福山の元へと戻ってきた。

「さっきの続き、いいか?」
「はい」

どんな話が飛び出るか分からずに、戦々恐々としながら藤沢の背中をついていく。
誰もいない廊下の隅で、藤沢は福山を上から下まで見渡した。

「立派になったな」
「まだまだです」
「今も担任か?」
「はい。今は一年生の担任です」

溌剌とした声は藤沢の性格を物語る。
「福山、福山」と在勤中は大層可愛がられた記憶がある。そして経験値が桁違いの教師は辻本の上司でもあった。

「辻本、やっと生徒指導主事になれたって?」
「やっと?」
「やっぱり何も知らないか」

藤沢はポケットに手を突っ込み、少し迷いはしたものの、口を開いた。

「凄かったんだよあいつも。正直、俺はあいつを早く生徒指導主事にしてやりたかった。指導も的確、熱意もある。けど、たった一度の失敗で狂った」
「失敗ですか?」
「お前だよ、福山。覚えていないのか? 俺はよく覚えている。お前のクラスの宇野正親が——」

何かが繋がり始める音がした。

「それなら覚えています」
「そうか。……あれはもう何年前だ」
「10年です」

——10年前

「宇野が停学になる」

教師1年目の初々しい福山の元に飛び込んできたのは、信じたくない知らせだった。

「ど、どうして! 何でですか?!」

それを伝えに来た、当時の生徒指導主事・藤沢につっかかった。

「バイクの窃盗だ。最寄りのコンビニで辻本が捕まえたそうだ。今、指導室にいる」

三年生の大切な時期に何をしているのだ。
福山は怒りと悲しみを入り混じらせた表情で指導室の木製の扉を勢いよく開いた。

そしてその時目にした光景で全てを悟った。

「宇野はやってません!」

思うと同時に声に出ていた。
力なく「先生……」という宇野の前には、ふんぞり返って腕を組む辻本の姿。

「何を根拠に」

それを一瞥して、福山は宇野の隣のパイプ椅子を引いた。

「何があったんだ」
「……」
「きちんと話してくれ。俺はお前を信じている」

苦しそうに視線を泳がせていた宇野が、ようやく福山と焦点を合わせる。

「原付を運んだんです。コンビニに」
「それだけ?」
「はい」

辻本が嘲笑う。

「それだけか? 盗難届が出ていた原付……を付け忘れているだろ?」
「そうなのか?」

宇野が「盗難車とは知りませんでした」とはっきり答えた。
福山は情報をもっと集めるべく、辻本と向き合った。

「辻本先生はいつから見ていたんですか?」
「宇野がコンビニに来る前から。俺があそこで張っていたら、盗難車を引いてきた宇野がいたんだよ」

前者に関しては異論はない。
宇野が捕まったコンビニの隣のマンションでは最近、本校の生徒がたむろしていると通報があったばかりだ。
辻本はその監視で、あそこに張っていた。
何もおかしなことは無い。

「別の指導対象者が捕まったってわけだ」

先程からやけに嬉しそうだ。
福山の後ろに藤沢も現れ、辻本は退席した。
 そこからは担任・福山と生徒指導主事・藤沢による事情聴取。保護者も呼ばれ、規則通りの処分がくだるはずだったが、宇野は「俺は盗んでいない」の一点張り。福山も「証拠が不十分です」と食いついた。

「根拠は?」

福山の食いつきを真っ向から受け取った藤沢が尋ねる。

「……宇野を信じているからです。彼はそんなことはしません。それはここに入室した瞬間にも分かりました」

それだけだった。
まだ、七月。
三年生から宇野と知り合った福山には、三か月ぽっちの付き合い。
それでもクラスの生徒の事は誰よりも知っているつもりでいた。

「してないだろ? な? 宇野」

力強い問いかけに、宇野は「はい」と返事をした。福山の粘りもあり、宇野の事情聴取は二時間に及んだ。
そしてその間に辻本が思いもよらぬ行動に出ていた。 
 再び指導室に現れた辻本の口からとんでもない言葉が飛び出た。

「申し送りは済ませました」

それは校長に宇野の停学が伝わって、許可が出た事を意味していた。
本人は当然と言った顔をしていたが、まだ宇野が犯人と断定されたわけではない指導室は静まり返った。

 この時藤沢は急いで辻本を連れて指導室を出た。


          *


「──あの時、俺はあいつをしこたま怒鳴りつけた。極秘だったが、俺はあいつを次の生徒指導主事にしたくて、こっそり仕事内容を教えていたんだ。辻本は38だったかな? 若くしてなれるかもしれない、その焦りから確証のない判断を下し、俺が教えた内容通り申し送りまで済ませた」

藤沢が頭を抱える。

「でも、俺が怒鳴りつけている間に、福山、お前が真犯人を見つけてしまった」
「はい。俺はあの時、盗んだのなら鍵があると思って、宇野の荷物検査をしたんです。その時に鞄の中から、隣のクラスの男子の試験の解答用紙が出てきました」

一学期の期末試験の返却時期だった。
そしてどうして宇野が他人の解答用紙を持っているのか……

「あれを見つけた時の宇野の動揺で何となく分かりました。誰かをかばってるんだろうなと」

案の定、その解答用紙の持ち主が犯人だった。宇野の友達で、宇野もその原付が盗難車とは知らなかった。
原付で通学許可を出されている友人に頼まれて持っていったのが、まさか……

「辻本先生が目の前に現れた時、籠の中の友人の荷物を宇野は咄嗟に隠したんです。何か嫌な予感がしたんでしょうね。そしてそれは別の形で当たってしまった」

あとで盗難車と分かり、宇野は友人を庇った。

「それがあの事件だった」
「でも、それと辻本先生の件は何が?」

話の根底に戻り、藤沢の表情が険しくなる。

「あの一件で、俺は辻本を生徒指導主事にするには早すぎると思った。だから取りやめた。その話をして以降、あいつはおかしくなった。頑張ってもう一度這い上がればいいのに、それをできる年齢じゃなかった。対して福山は若い。しかも一年目で三年生の担任を任されていて、あいつの嫉妬の対象としては完璧だった」
「結構ギリギリの状態で生徒達を卒業させましたけどね。ところで辻本先生がおかしくなったって、具体的には?」
「指導が雑になった。熱意を感じられない。形式ばって、それでいて自分本位の指導になった。そして年下に対する扱いも日に日に酷くなった。もとは面倒見の良いやつだったんだけどな」

福山の知らない辻本の姿。
しかし今を知りすぎている為、想像する事は難しい。

「あの一回の失敗を取り戻すのに、辻本は10年かかった。今年めでたく主事になったとしても嬉しくも何ともないだろうよ。だから、今日も来なかったんだろ。うちの地区じゃ、有名な話だからな」

若くして主事になるはずだった教師の転落。何故、この仕事を任されたのか分かった気がした。周りの視線の意味も。
そして辻本が福山にする執着と恐ろしい乱暴な性行為の理由も。

(どうしてあそこまで執着するのか分からなかった。でも……これが原因か)

栄華を失った男はいまだに狂い続けているのだ。

「話はそれだけだ。だから何もされていないか心配だった」
「……大丈夫です」
「そうか。まっ、お前も頑張れよ。道を踏み外すな」

そう言って肩を叩いて、藤沢は会場へ戻った。その触れられた箇所に手を乗せる。

「……狂っているのは俺もなんですよ」

——身体が疼く
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