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第三章 狂った八月

第一話 声のない会話

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 恋人もいないのに朝帰りをした気まずさがある部屋でリュックの中を確認する。

「盗られたものなしか……さっぱり分からんな」

目的が分からない。なのに毎日呼び出され困りものだ。
福山は今朝がたまた届いたメールを見て天を仰いだ。
更に困るのはこれで行くことを拒否しても、相手に家の居場所が知られている事だ。
きっとあのアパートに行かなければここに来る気がした。

「行くしかないよなあ」

結局今日も朝顔を育てる謎の人物の元へ行く。
それを念頭に置き、そして辻本の事も、そしてその前に授業と部活—— 一日の計画を逆にたどりながらシャワーを急いで浴び、学校へ向かった。

 職員朝礼で「お盆中の校舎の警備体勢ですが……」と教頭が言うのが聞こえ卓上カレンダーに視線を移す。

(お盆か……更に暑さが厳しくなるな……水分補給をしっかりとって……)

カレンダーの上をすべる目が1点で止まる。

(明日は出張だ)

厳密にいえば明後日だが、前入りを言い渡されている為、出発は明日。
そしてその前には必ず辻本の所へ行かなければならない。

そして今日もいかなければならない……

朝立てたスケジュール通り、今日も1日が始まり、進んでいく。授業をし、部活をし、辻本に弄ばれた後……

——カチ、カチ、カチ

今日は間違えずに左のウインカーを上げた。
座席にもたれる身体は鈍い痛みと、抜けきれぬローターの快楽を纏っている。

(またこの歳で自慰だけは嫌だな)

そこまで歳を取っているわけでもないのに、そう思ってしまうのは
自慰をすれば、自分が如何に玩具で淫乱になってしまったか自覚してしまうからだ。

「はああ……」

ミミズの干からびた死骸が転々としている道をぼんやりと眺めながら運転する。もうナビは必要ない。

鍵を開け、目隠しの布とガムテープを拾い、ベッドへ……

「あれ?」

スマートフォンのライトを下げる。

「これって……布団か?」

今まで折り畳み式ベッドの枠だけだったそこに布団が一式敷かれていた。
手を触れるが、やはりそれはまごうことなき布団だった。

「昨日、目隠しもガムテープも剥がされていた……つまりあいつは俺が居眠りしたことを知っている。だから布団か? でも……」

それはこの人物の不気味さを誇張する。

——コツン、コツン

「?!」

足音がする。
慌ててライトを消し、目隠しをしたが、ガムテープだけは間に合わず、床に転がった。

背中を向け、ベッドに三角座りをしたところで、ドアの開く音がする。
間一髪間に合った。

そしてまたリュックを漁る音がする。

朝顔を育て、布団を用意する不思議な人物。布団を目にした瞬間、不気味に感じていたのに、福山は急にこの人物と話がしたくなった。
ガムテープで塞ぎ忘れたのも相まって、口を開きたくてウズウズしてしまう。

「……な、なあ」

ピンっと空気が張りつめて、福山は危険を察知した。相手の動く気配はしない。

「大丈夫だ。ちょっともたついてガムテープを忘れただけだ」

生徒に話しかけるような柔らかい声で話す。緩急をつけ、この暗闇でも自分の意志が伝わるように最大限の工夫はする。

「布団ありがとう。昨日は悪かった、寝てしまって」

他に何か話すことがないか必死に探る。

「危害はないみたいだから、警察にも通報していない。でも、一つだけいいか? その……のちのち色々面倒だけは勘弁してほしいから聞きたいんだけど、あんた男? 女?」

これで女ならば、なるべく早く手を打ちたい。いくらこっちがこういう状況とはいえ、社会的立場の弱い女性に同情が集まるのは否めない。

「男なら、床を2回叩いてくれ。女なら1回だ」

シーンと静寂が続く。福山が3回目の息を吐きだした時……

——トン、トン

(男か……まあ、そうだろな)

「ありがとう。あと、明日は無理だ。仕事でどうしてもこっちを離れる。明後日も難しい。悪いな」

被害者である福山の方が謝罪をし、また沈黙があったのち、リュックを漁る音が再び響き渡った。
それ以降は何も話さない。

そしてバイブレーションの許可がおり、今日は寝ることなく車に乗り込んだ。
エンジンをかけ、ドアの横の朝顔に目をやる。

「しばらくは来れないのか……」

不思議な事に少し寂しい気がした。

「……何を考えているんだ」

頭を振り、車を発進させた。
途中適当に弁当を買い、帰宅して、ソファーにスマートフォンを放り投げる。
明日の朝、これがメールを受信する事もないと、憂いた眼差しを向ける。

——ブブ

「え?」

メールを受信した。
迷惑メールか、その他か? もしかして……
いつもメールが来るのは朝だ。そしてしばらく来ないと分かっていても期待を込めてメールを確認した。

《明日、何時なら来られる?》

思わず「友達かっ!」と突っ込んでしまった。
手帳を確認し、

《19時にはあの部屋をでたい》

と返信した。
するとすぐに

《18時 いつもの場所》

と来て、胸が温かくなった。
何故そんな気持ちになったのかは分からない。思いのほか優しかったからか? 目に見えない相手と音だけにしろ会話ができたからか?

普通ではありえない感情。
嬉しさ、不安、不思議で、晩御飯の弁当が通る喉は痺れていた。
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