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第三章 マーベリックの帰国

第二話 知らない気持ち

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 ある朝、いつものいい匂いに誘われてキッチンへ向かう廊下で、ジョシュアは足を止めた。
二月の寒い廊下は、ずっといれば身体にいい事は何も無い。しかし足を止めてでもこっそりオリバーの声を聞きたかった。

「……そうか……ああ……なるほど」

 誰かと会話をしている。
ジョシュアは相手が誰かを伺った。ずっと危惧しているマイケルか? カルロスか? それとも仕事関係か?
足先が痛いくらい冷たくなるのも構わずにドアに耳を張りつけた。

「ありがとう。そっちは変わりないか? 今は夕方前くらいか?」

 こちらは朝方。やはり時差的にアメリカの人間と連絡をしているのが分かる。

「君は仕事をすると時間を忘れるから心配だ……大丈夫、こちらも上手くやっているよ。では、そろそろ切る。またそのうちかけるよ──」

 呼吸を止めて耳を澄ませる。

「──リリアン」

 本当にジョシュアの呼吸が止まってしまった。あの黒いモヤが溜まり、それから逃げるように勢いよくドアを開ける。

「おはよう、ジョシュア」

 何事も無かったかのようにホットミルクを作り始めるオリバー。
言うことが決まっていないのに、ジョシュアはそんな彼の背中に詰め寄った。

「……」
「どうした?」

 視線だけがジョシュアを見る。身体ごと向けろと言わんばかりにジョシュアは鋭い視線を返した。

「なんだ?」
「……別に」
「まだ眠いのか?」
「違う……だ……」
「だ?」
「だ……誰かと話していなかったか?」

 オリバーの表情は全く変わらない。そのままで「ああ、リリアンだ」と返したことに、ジョシュアは苛立って仕方がない。

「USA─V貿易会社の数字が良くないと連絡をくれた」

 アメリカで2人が勤務する会社。最近業績が良くないのはジョシュアも知っている。日本にいる間も逐一確認していたからだ。しかしそれを勤務もしていないリリアンがオリバーに話しているのがおかしかった。

「どうしてリリアンがお前に言うんだよ」
「気になったから連絡してくれただけだ」

 欲しい答えではない。何故、関係もないのに連絡をしたのか。腑に落ちる内容ではなく、ジョシュアの苛立ちが募る。

「だから何故!」
「気になったからだと言っているだろ」
「リリアンはいつからうちの社員になったんだ!!」
「……」

 ジョシュアの剣幕にさすがのオリバーも向き合った。

「疲れているのか?」

 今までリリアンの話をして、ジョシュアが怒ったことは一度もなかった。急な変貌にオリバーはジョシュアに首を傾げた。

「はっ? お前が俺に望む回答をくれないからだろ!」

 何を怒っているか分からないが、また寝室を別にされれば困ると、オリバーは必死に考えた。

「……彼女は新聞記者だ。経済や金融関係の」
「リリアンが?」
「そうだ」
「今までそんなこと一度も言ったことないじゃないか」
「聞いてこなかっただろ? ジョシュアはいつでも「いつ結婚するんだ?」としか聞いてこないだろ」
「だって、リリアンの仕事なんて俺には興味がない」
「だったら何故今頃……まさか、好意があるのか?」

 オリバーのブラウンの瞳がジョシュアを探るように見つめる。

「なわけないだろ! 愛とか分からないって何度も言っているだろ」
「では、何故」
「気になったからだよ!」
「お前も私の質問にきちんと答えられていないぞ」
「ぐっ」

 逆転した二人の立ち位置。今度はオリバーがジョシュアに不信感を募らせる。嫉妬の眼差しを向けるオリバーだったが、それが愛ゆえの想いだと気づかないジョシュアは逃げた。

「シャワーを浴びてくる」

 理解できないオリバーの視線から……自身の胸の内にある正体不明のモヤと想いから逃げた。

(何なんだ、これは……自分が自分でなくなるような感覚だ)

 意図せず本能的に、または反射的に湧き出た名前の分からない感情は排水溝に流れていく水のようには消えてくれなかった。

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