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第一章 マーベリックのベッド

第一話 再び始まる生活

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 飛行機を乗り継ぎ、二人は日本の福岡県に降り立った。そこから電車で数時間揺られるのだが、ジョシュアの我儘で電車から新幹線に変更された。それもグリーン車だ。

「博多から小倉までは新幹線で20分ほどだ。それすら我慢ができないのか」

オリバーの苦言をジョシュアは鼻を鳴らして弾く。
そしてグリーン車の座席に深く座り、辺りを物色しながら返事をした。

「早く到着するに越したことはないだろ」
「約束の時間までまだ数時間はある」
「どこかで時間を潰せばいいさ。それより、本当にオリバーが全部してくれるのか? やっぱりハウスキーパーを頼んだ方が良いんじゃないか?」
「任せろ。お前と違って私は全部一人でしているんだ」
「へえ、てっきり恋人のリリアンにやってもらっているんだと思っていた」
「何度も言うが私とリリアンは恋人ではない」
「相変わらずだな。いい加減認めろよ、シェアハウスとはいえ男女が10年も一つ屋根の下にいて何も起きないわけがない」
「実際に何も起きてはいない。ジョシュアこそいい加減恋人を作ったらどうだ」

そう言った瞬間、隣に座るジョシュアの表情が暗くなり、オリバーはしまったと反省したが遅かった。黒い声で「いらない」と返された後、お決まりの「愛なんて信じていない」と付け足され、この話はここで終わった。

 その後、新幹線は無事に到着し、どこかカフェで時間を潰すでもなく、小倉の街をフラフラと歩きまわるジョシュアにオリバーはついていった。

「なかなか見事な建物だ。クールな設計に、このビル群の中でも一際目立っている」

ジョシュアは両手の人差し指と親指で枠を作り、小倉駅をファインダーに収めるように見る。その枠をずらして、ずっとついて来るオリバーを捕らえる。

「お前はあれか、親父からの回し者か」
「私が? マイケル社長の回し者?」
「もしくは純血のカルロスの回し者か?」
「お前の兄さんの回し者でもない」

指のカメラを下ろしたジョシュア・ヴェネットはアメリカ合衆国に拠点を置く貿易会社の御曹司だ。社長は父親のマイケル・ヴェネット。そして時期社長と噂されているのが兄のカルロスと弟のジョシュアだった。そしてジョシュアは兄を「純血」と呼ぶ。
それは二人の生い立ちにあった。

「親父は俺が次期社長に相応しいかという名目で日本へ追いやった。その間にあの純血野郎のイメージアップを図るんだろうさ。カルロスより仕事のできる俺は邪魔ってわけだ」
「そんな事はないだろ。ジョシュアの貿易実務能力と視野の広さはマイケル社長の自慢だ。ジョシュアが次期社長になる事だって十分にあり得る」

ジョシュアはオリバーを横目で睨み付け舌打ちした。

「俺の生まれを知っていてよく言えるな。まあいい、オリバーが理解してようと慰めようと結果は変わらない。どうせ愛人の子はどれほど能力が高くても排除される」

ジョシュアとカルロスの歳の差は6歳。そしてジョシュアは愛人の子だった。カルロスの母はマイケルの愛人の存在を知っても離婚を迫らなかった。それはそもそも二人の結婚が政略結婚だったからだ。金銭的に不自由していなければ別れる理由もなく、追いやられたのは愛人の方だった。堕胎の話しも出たが、カルロスが病弱という事もあり、会社の跡継ぎのことを考えたマイケルはジョシュアを母親から引き離しヴェネット家に迎え入れた。

「ヴェネット家は地獄だった。愛人の子へ愛情はなし。しかし名前だけは立派だ。会社の名に恥じぬよう寝る間もないほどの英才教育でジョシュア少年の心は死んでいったわけだ」
「私では役に立たなかったか」
「いや。俺にとってオリバーが唯一の話し相手だったよ」

ジョシュアの言葉と笑顔にオリバーは心で頬を緩めた。その笑顔はアメリカでも日本でも変わらない、オリバーの胸を掻き毟る笑顔。そしてジョシュアは絶対にこの表情をオリバー以外には向けない。それだけジョシュアにとって彼は特別だった。勿論逆も然り。だが、オリバーがジョシュアに向ける感情は少し違っていた。

——特別な存在ってのは厄介だ。調子にのっていつの間にか恋心に変わっているのだから

もう20年以上も抱く幼馴染への想いを隠しながら、今日もジョシュアの隣でポーカーフェイスを気取っている。

「そういえば、東亜日本貿易会社ってのはうちとコンテナを共有している関係なんだろ?」
「ああ」
「いいのがいれば引っ張りたいな」
「おい。私たちは研修生として世話になる身だ。ヘッドハンティングに来ているわけではない」
「わかっているよ。お堅い奴だな。でもただ研修生として流されるのは俺の性に合わない」
「……」

オリバーは肩を竦め「やはりこうなるか」とぼやいた。

「やっぱりお前は俺の見張りだな? そろそろ白状しろよ。親父か? カルロスか?」
「自分で願いでた」

ジョシュアはまだ疑いの目を向ける。異端児と言われる自分が会社に損害を出さぬよう、常に仕事中は誰かが見張っていた。大袈裟な見張り方はしないが、始終視線は感じている。
今回、社長に反発して「修行して見聞を広めろ」「白人至上主義の親父に言われたくない」「視野の狭い島国に行ってこい。それなら言い返せまい」と短い親子喧嘩の末、この研修となった。あまり自社の成長が良くないため、離れるのは心配だったが、言われれば仕方がない。いい人材の確保にもつながるかもしれないと日本出発の準備をしていたら「私も行く事になった」と幼馴染から突然告げられたのだ。

「日本語が堪能なのは私しかいない。適任だろ?」
「俺のお陰で日本語が堪能なんだろ? まあいい。とりあえずそろそろ会社へ向かおう。時間だ。五分前行動の五分前行動でもしておけば日本人は関心の目で俺たちを見るだろうさ」

そしてジョシュアの予定通り十分前に東亜日本貿易会社に到着したが、既にもう一人の研修生は来ていた。
もう一人の研修生は年配のイギリス人だった。アルバート・ミラーと名乗った壮年の男との挨拶の間、ジョシュアは無害な笑顔を向けているが、上から下までじっくり観察した。その後、研修担当の赤澤修一も同じように接した結果、「スキルは高いが真面目だ」と勝手に分析をする。

「これはなかなか退屈な研修になるな」

つまらなそうに言うジョシュアと一日目を終え、契約したばかりのアパートへと向かう。

「じゃ、あとは頼んだぞ」

とジョシュアは業者が去った部屋でオリバーに言う。ハウスキーパーを頼むつもりのジョシュアだったが、オリバーが同居する事になり、家事の全てを担ってもらう事となった。

「任せろ。だが、私が出した食事は全て食べろ」
「ピクルス以外なら」
「ピクルスもだ」
「やっぱりハウスキーパーを……」
「却下する」

文句を言うジョシュアを無視して食事の支度を始めるオリバー。いくら言っても聞く気がない家政婦を置いて、ジョシュアは部屋をうろついた。

 二人暮らしなのに間取りは3LDKで、リビングは20畳もある豪華なマンションだ。家具家電は新たに買い、ジョシュアにはアメリカから既存の物を輸送するという選択肢はなかった。
全て新品の物ばかり。新品ではないのはキッチンに立つ幼馴染くらいだった。
真っ黒なカーテンを勢いよく捲り、門司の夜景を見下ろす。

「真っ暗だな」
「……綺麗じゃないか」

オリバーには遠目からでも綺麗な夜景が写っている。対岸の山口県の明かりが海に反射し、もう一つの夜景も楽しませてくれる。だが、野心で出来た高みを目指す男にはゴミくずの光に等しい。
ジョシュアは天を見上げもう一度「真っ暗だな」と呟き、表情に影を落とした。窓ガラスに映るそれを見逃さなかったオリバーは手を拭いて、ジョシュアの背中に近寄る。そして自分より少し小さなか身体を優しく抱き締めた。

「おいおい。いつまでも子ども扱いするなよ」

嘲笑うジョシュアだったが、オリバーの腕を振りほどこうとはしない。それどころか慣れたように回された腕に整った形の鼻を押し付けた。

「オリバーの匂いだ」
「大きくなったな」
「当たり前だろ。最後にしてもらったのはいつだ? 18か? ははは、それでも十分でかな」
「……まだ怖いのか? 夜が」
「……どうだろうな」

急に弱々しくなったジョシュアは「食事はいらない。今日は疲れた。もう寝よう」と告げた。
寄り添いながら二人が向かった寝室にはキングサイズのベッドが一つしかない。

「まさかベッドは一つか?」

とオリバーが問えば、ジョシュアは頷く。
そしてボクサーパンツ以外の衣服を全て脱ぎ去り、冷たいシーツに滑り込んだ。頭まで布団を被り「早く来い」とくぐもった声がオリバーを誘う。オリバーも同じ格好になり、ジョシュアの横に潜り込んだ。
すぐにジョシュアがオリバーの腕の中に納まる。グレーの長い髪を結う髪留めを優しく外したオリバーの大きな手が、ジョシュアの頭を撫でる。
 一回だけ小刻みに震えたジョシュアがしばらくすると寝息を立てた。オリバーは伝わってくる熱に興奮しないように、己を抑えこんだ。

(まだこの癖は直っていないのか……まったく……私とリリアンの関係が男女の関係になるならこれも立派に成立するだろ)

──ジョシュアは安心したい時、オリバーの腕の中で眠るのだ

恋心を抱くオリバーには、生殺しだった。

そして理性を保ちながら眠りについたオリバーは飛行機同様懐かしい夢をみる。


         *


「あの子、愛人の子なのよ」「母親は?」「前の家政婦らしいわ」「まさか新しい住み込み家政婦のダグラスさんって……」「代わりに雇われたのよ」

4歳のオリバーは「愛人」の意味を理解できなかった。しかしヒソヒソと話す、母親と同じ制服を着たメイドが、視線の先にいるジョシュアをよく思っていない事は分かった。声が聞こえていたのか、反抗的な瞳をぎらつかせて振り向いたジョシュアが近くの高級な花瓶を持ち上げた。黄色い悲鳴が上がりメイドが駆け寄ったが、無残にも花瓶は大理石の床の上で派手な音を鳴らして砕けた。

「ジョシュア坊ちゃん!」

ジョシュアはメイドの声を無視し、謝罪も片付けもせずに屋敷の中央階段を登っていく。急いで布や箒、新聞紙を持って集まったメイドの横をオリバーは駆け抜け、後を追う。
グレーの馬の尻尾の様な後ろ髪が、物置部屋へと消えた。中をこっそり覗くと、モップを濡らすように大粒の涙を流すジョシュアがいた。

「う、うう」

静かに歩み寄ったつもりだったが、警戒心の強い少年は獣のようにオリバーを睨み付けた。目じりには相変わらず雫が光っている。

「……くそッ。何だよ。お前も俺を馬鹿にしに来たのかよ!」

愛人の意味が分からなかったオリバーにはジョシュアがどうしてこうまでなるのか分からない。それでも彼が何かに傷つき涙を流している事だけは分かっていた。

「違う」
「じゃあ何しに来た! ほっといてくれ! どうせ俺は一人なんだから!」

子ども用のタキシードは、オリバーの母親の給与では買えない程高いだろう。それに身を包む少年は、その格式高い服に似合わぬ幼稚な牙を向けている。その姿がさらにオリバーの興味を引いた。
遠い存在だと思っていた屋敷の坊ちゃんが、自分と同じ内面を持っていた事に安心したのもある。

「僕がいるよ」

そう言いながらオリバーは近づいた。
ジョアシュアの瞳が瞬き、大粒の雫を落とした。

「僕と友達になろうよジョシュア坊ちゃん」

大した言葉ではない。それでも毎日厳しい英才教育に、同い年の子どもと遊ばせてもらう事のできないジョシュアには天変地異が起こりそうな言葉だった。
涙は止まり、今度はジョシュアがオリバーに近寄っていた。
物置き部屋の埃が舞う。

「俺、嫌われてるぞ?」
「僕は嫌いじゃない」
「今から嫌いになるかもしれないだろ? 俺だって自分が何で嫌われているのか分からないんだ」
「ならないよ。喧嘩したら仲直りすればいい。だから僕と友達になろう。僕も一人だから」

住み込みで働くオリバーの母・ナデルは母子の部屋を一つ、屋敷に確保して貰っていた。
 この大きな屋敷がオリバーにとっては既に迷路でまだ外に出た事がなかった。

「お前も一人なのか?」
「うん。あっ、僕はオリバー・ダグラス。よろしくねジョシュア坊ちゃん」
「と、友達なら坊ちゃんはよせよ!」

強気な姿勢を取り戻したジョシュアは赤い目元の下で口をまだポカンと開けている。
そのジョシュアにもう一度「友達」と無垢な声で言ったオリバーはまだ小さい、守られるべき手を握った。

 その後、二人は「愛人」の意味を知り、ひょんなことからともにベッドで眠る様になる。
だが、その思い出が夢に揺蕩う前に、オリバーは目を覚ましてしまった。
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