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九時木

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死者

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 放尿、交接、嘔吐、そして排泄。
 卑猥な行為の数々が、豪雨の如く僕の深層心理に降り注ぎ、不能の心に注射針を刺した。
 毒を注がれた僕は無邪気になり、本の前で笑いを堪えきれなくなった。
 僕はたがが外れ、吐き気を催すまで笑い続けた。
 そして洗面所へ向かい、不可解な笑いによって胃を痙攣させながら、嘔吐した。


 バタイユの『死者』は、僕の超自我を越えた本だった。
 物質的回帰を越え、死をエロティシズムにまで昇華したその本は、手に負えなくなるほどの暴走力をもって僕の内部をかき乱し、良心の部屋を乱雑にした。
 『死者』は超自我の鎖を解かんと鋏を開閉し、早速その禍々しい刃を僕の腕にあてがった。
 それは表皮から血管へ到達するための前戯だった。『悪霊』と異なるのは、それが形而上学的な意味を全く有していないことだった。
 死を盾にして信念を証明する余地はなく、『死者』はむしろ、死と舞踏するための指南書であることを僕に告げた。
 僕は震える手を抑えながら、刃で手首に触れた。刃は脈を感知し、舞踏のリズムを掴もうとしていた。


 『死者』は死を神聖視しない。
 『死者』の死は『悪霊』のそれよりも更に生々しい。
 その本は異臭を放ち、表裏一体の生死をありありと描写する。
 マリーはその生ける死体の象徴だった。彼女は恋人の死後、真っ裸で旅籠屋に向かい、愚行の限りを尽くした。
 彼女は泥酔しながら人前で放尿し、交接し、嘔吐し、排泄した。
 亡き人を厳格な儀式によって弔わず、ただ奔放な行為を繰り返し、そして最後には薬瓶アンプルを呷って死んだ。


 「彼女は悲痛のあまり狂ってしまったのだ」と言うのならば、それはあまりにもマゾヒスティックで皮相的な解釈だ。
 「あたしはあんたが怖いのよ。あんたはあたしの前で、境界石みたいだわ」。
 マリーは伯爵に向かってこのようなことを言った。恐らく境界石とは、生死の境目の標を示唆しているのだろう。
 彼女は生死の境目をさ迷っている。生者として、恋人を亡き者にした死を恐れているが、死者として亡き者のもとへ飛び込んでしまいたいという気もなくはない。
 そのような両価的な感情が、彼女に恐れを抱かせ、また死に対する挑戦的な姿勢を促した。
 故にマリーは生者のみが成し得る卑猥な行為を公にし、また死の到来を待たずして自らを自らの手で裁いてしまった。


 『死者』の宿った手首が韻を踏んでいる。
 刃は体液を期待し、愛撫するように肌を伝っている。
 腕の深奥にはエロティシズムが構えていた。しかし、その入口は瘡蓋かさぶたによってかたく閉ざされていた。
 僕は瘡蓋を剥がし取り、脇に捨てた。すると、傷口から僅かな体液が滲み、一雫の緋色が浮かび上がった。
 僕は官能的な喜びに満たされ、恍惚に耽った。床を見ると、小さな僕の死者が横たわり、誘惑的な笑みを浮かべていた。
 僕は瘡蓋を剥がし、無数の死者を積み上げた。時間は忘却され、夢見心地の空間が広がった。
 「何だか幸せ者だな」と、唇が空気をみながらうごめいていた。

 
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