漂流物

九時木

文字の大きさ
上 下
47 / 49
漂流物

47

しおりを挟む
 「親愛なる君へ

 君にこの手紙を送ったことを、どうか許してほしい。
 僕が自分について誰かに打ち明けようかと考えた時、頭に浮かんだのは君だった。
 最後まで読み終えた後、この手紙を好きにしてもらって構わない。
 手紙の行方については、君の手に任せたい。


 その『瞬間』がやって来る前に、僕はこの手紙を書き残しておきたかった。
 僕は今、それぞれ別の世界を跨いでいる。一つ目は絶え間なく流れる世界。二つ目は永久に変わることの無い世界。

 僕はもう少しで、二つ目の世界へ踏み出してしまうかもしれない。
 だけど、それは誰かに促されたものでもなければ、誰かを誘うものでもない。
 僕は自分自身と向き合わなければならない日が来た。ただそれだけなんだ。だから、ただ静かに見守っていてほしい。
 君はその静けさが、いかに僕にとって大事なものであるかを知っている。
 僕はそのことに気がついた。だから手紙は、やっぱり君に託したいと思ったんだ。


 君といる時間は本当に楽しかった。
 講義や美術館への誘いに付き合ってくれた時は、まさか本当に来てくれるとは思わなくて驚いたよ。
 だけど嬉しかった。講義について話したことも、美術館で一緒に作品を鑑賞したことも、良い思い出になった。

 君とはできる限り一緒にいたいと思った。だけど僕は臆病者だから、君から遠ざかってしまった。
 大事に思えば思うほど、離れたくなってしまうんだ。そのくせに、離れれば離れるほど苦しくなってくる。
 僕は君をそんなことで巻き込んでばかりだった。だけど、そんな僕にも君は優しくしてくれた。
 僕が絶望に打ちひしがれた時も、君は静かに寄り添ってくれた。
 僕は君に何度も救われたよ。本当にありがとう。


 僕は母さんにどう接すればいいのか、何もわからずにいた。
 僕は母さんのためになることを、できる限り尽くしたいと思った。
 だけど、僕は母さんにあまりにも多くを求めすぎたのかもしれない。
 母さんは父さんがいなくなってから別人のようになってしまったと、僕は以前君に言ったけれど、もしかすれば、本当に変わったのは僕の方かもしれないんだ。

 母さんは昔から嘘をつかない人だった。嬉しい時は喜び、悲しい時は悲しむ人だった。
 だけど僕は、自分の感情を上手く言い表すことができなかった。嬉しい時も悲しい時も、とにかく笑っていなければと思う自分がいた。
 僕はその表情に慣れすぎてしまった。そのせいで、本当の喜びや悲しみというものが何であるかを思い出せなくなってしまっていた。

 
 母さんから思い出話を聞いている時、僕はいつも笑っていた。
 母さんは嘘をつかない。だから、母さんが楽しそうに話す時は、それは本当に楽しいことだと思っていたんだ。

 だけど時が経つにつれ、僕は楽しげに話す母さんから段々と遠ざかるようになった。
 母さんは幸せそうな顔をしていたけれど、酒の量は日に日に増えて、身体はどんどん蝕まれていった。
 何故だかどうしようもなく胸が締め付けられるような思いがしてきて、僕はついにその姿に耐えられなくなってしまった。
 僕が母さんを何度も病院に連れて行こうとしたことも、母さんが必死に抵抗したことも、既に君に伝えたと思う。
 僕にはもう正解がわからなくなってしまっていた。母さんから遠ざかるべきか、付き添うべきか、何もかもわからなくなってしまったんだ。


 何もわからなくなって、母さんと同じように酒に入り浸って、破滅の道を辿ろうとした時だった。
 僕は君と出会い、君のまっすぐな目を見た。
 僕は『この人の前では、格好をつけなくては』なんて思ったりして、ちょっと構えた話をしてみた。
 だけど、君はそんな僕の話にじっと耳を傾けてくれた。

 君は僕のどんな話も、真剣に聞いてくれたね。
 自分自身のした話を思い出すと、僕はほんの少し恥ずかしくなってしまうのだけれど、君はそんな僕でも懸命に理解しようとしてくれた。
 君といる間、僕はありのままの自分でいられた。喜びとは何であるか、悲しみとは何であったかを思い出し、君に思いのままに語ることができた。
 君と過ごしている時、僕はいつの間にか嘘のつき方を忘れて、心のままに笑っている自分がいることにも気がついたんだ。
 君は僕に幸せをもたらしてくれた。そのことについては、再度礼を言わせて欲しい。


 僕は直にあらゆるものから遠ざかってしまうかもしれない。
 きっと、自分の意思で遠ざかるだろう。だけど、どうか思い詰めないでくれ。
 僕は君と共有したものを手紙に添えておいた。だから、もし寂しくなった時は、その存在を思い出してほしい。
 その存在は、朽ちることもなければ消えることもない。君が残したいと思う限り、いつまでも君のそばに残ってくれるだろう。
 僕たちが分かちあった思い出を、ここで君に託そう。

 別れの時間が来た。僕は人生で最後の一歩を踏み出した。
 今までありがとう、そしてさようなら。またいつの日か。
 何処かで君に会えることを願っているよ」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

診察券二十二号

九時木
現代文学
拒否の原理、独断による行動。 正当性、客観性、公平性を除去し、意思疎通を遮断すること。 周囲からの要求を拒絶し、個人的見解のみを支持すること。 ある患者は診察券を携帯し、訳もなく診療所へ向かう。

ノイズノウティスの鐘の音に

有箱
現代文学
鐘の鳴る午前10時、これは処刑の時間だ。 数年前、某国に支配された自国において、原住民達は捕獲対象とされていた。捕らえられれば重労働を強いられ、使えなくなった人間は処刑される。 逃げなければ、待つのは死――。 これは、生きるため逃げ続ける、少年たちの逃亡劇である。 2016.10完結作品です。

DEEP BLUE OCEAN

鼓太朗
青春
青い海、青い空。 小さな田舎町のダイビングショップには今日も個性的なお客様がご来店。 海に魅せられた兄弟たちの日常。

【緊急公開!】『「稀世&三朗」のデートを尾行せよ!謎の追跡者の極秘ミッション』~「偽りのチャンピオン」アナザーストーリー~

M‐赤井翼
現代文学
赤井です。 「偽りのチャンピオン 元女子プロレスラー新人記者「安稀世」のスクープ日誌VOL.3」をお読みいただきありがとうございました。 今回は「偽りのチャンピオン」の後日談で「稀世ちゃん&サブちゃん」の1泊2日の初デートのアナザーストーリーです。 もちろん、すんなりとはいきませんよ~! 赤井はそんなに甘くない(笑)! 「持ってる女」、「引き込む女」の「稀世ちゃん」ですから、せっかくのデートもいろんなトラブルに巻き込まれてしまいます。 伏見稲荷、京都競馬場、くずはモール、ひらかたパーク、そして大阪中之島の超高級ホテルのスイートへとデートの現場は移っていきます。 行く先々にサングラスの追手が…。 「シカゴアウトフィット」のマフィアなのか。はたまた新たな敵なのか? 敵か味方かわからないまま、稀世ちゃんとサブちゃんはスイートで一緒に「お風呂」!Σ(゚∀゚ノ)ノキャー そこでいったい何がこるのか? 「恋愛小説」を騙った「アクション活劇」(笑)! 「23歳の乙女処女」と「28歳の草食系童貞」カップルで中学生のように「純」な二人ですので「極端なエロ」や「ねっとりしたラブシーン」は期待しないでくださいね(笑)! RBFCの皆さんへの感謝の気持ちを込めての特別執筆作です! 思い切り読者さんに「忖度」しています(笑)。 11月1日からの緊急入院中に企画が立ち上がって、なんやかんやで病院で11月4日から8日の5日間で150ページ一気に頑張って書きあげました! ゆる~く、読んでいただけると嬉しいです! 今作の「エール」も地元の「こども食堂」に寄付しますので、ご虚力いただけるとありがたいです! それでは「よ~ろ~ひ~こ~!」 (⋈◍>◡<◍)。✧♡ 追伸 校正が進み次第公開させていただきます!

婚約者の浮気相手が子を授かったので

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ファンヌはリヴァス王国王太子クラウスの婚約者である。 ある日、クラウスが想いを寄せている女性――アデラが子を授かったと言う。 アデラと一緒になりたいクラウスは、ファンヌに婚約解消を迫る。 ファンヌはそれを受け入れ、さっさと手続きを済ませてしまった。 自由になった彼女は学校へと戻り、大好きな薬草や茶葉の『研究』に没頭する予定だった。 しかし、師であるエルランドが学校を辞めて自国へ戻ると言い出す。 彼は自然豊かな国ベロテニア王国の出身であった。 ベロテニア王国は、薬草や茶葉の生育に力を入れているし、何よりも獣人の血を引く者も数多くいるという魅力的な国である。 まだまだエルランドと共に茶葉や薬草の『研究』を続けたいファンヌは、エルランドと共にベロテニア王国へと向かうのだが――。 ※表紙イラストはタイトルから「お絵描きばりぐっどくん」に作成してもらいました。 ※完結しました

死を招く愛~ghostly love~

一布
現代文学
村田洋平と笹森美咲は、幼馴染みで恋人同士だった。 互いが、互いに、純粋に相手を想い合っていた。 しかし、洋平は殺された。美咲を狙っている、五味秀一によって。 洋平を殺した犯人が五味だと知ったとき、美咲は何を思い、どんな行動に出るのか。

青のループ

石田空
青春
「本当はみんなと一緒に卒業したかった!」 高校時代。突然地元の学校の廃校が決まり、進路がバラバラになってしまった大輝、海斗、亜美、菜々子の仲良しグループ。 それぞれがそれぞれの道を選び、十年後。 仕事の都合でどんどん干涸らびていく地元の病院で働く亜美の元に、かつて好きだった大輝が自殺したという連絡が届く。 彼の葬儀に出て、今まで頑張ってきた人生ってなんだったんだろうとやさぐれている中、目が覚めたとき、まだ彼が死んでいない中学時代にタイムリープしていることに気が付く。 今度こそ大輝が死なない未来をつくるんだと、なんとか彼と進路を合わせようと頑張る亜美だったが、なかなか上手くいかなくて。 何度も何度も繰り返す中、本当に大切なものはなんですか? ほろ苦いやり直しストーリー。

くすぐり奴隷への道 FroM/ForMore

レゲーパンチ
現代文学
 この作品は、とある18禁Web小説を参考にして作られたものです。本作品においては性的描写を極力控えた全年齢仕様にしているつもりですが、もしも不愉快に思われる描写があったのであれば、遠慮無く申し付け下さい。  そして本作品は『くすぐりプレイ』を疑似的に体験し『くすぐりプレイとはいったいどのようなものなのか』というコンセプトの元で作られております。  インターネット黎明期の時代から、今に至るまで。  この道を歩き続けた、全ての方々に敬意を込めて。  それでは、束の間の短い間ですが。  よろしくお願いいたします、あなた様。  追伸:身勝手ながらも「第7回ライト文芸大賞」というものに登録させていただきました。

処理中です...