漂流物

九時木

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不在: 居酒屋〜海

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 彼と私は堤防に座りながら、海を眺めていた。
 海は街灯の薄明かりによって、ほんのわずかに輪郭が見えていた。
 波は寄せては返し、私たちの目の前で、紺色の海水をひたすらかき混ぜていた。


 「家を出たのは昼頃だったんだ」

 波の動きを目で追っていると、彼が隣で静かに話を始めた。

 「家の中は今朝、母さんが寝込んでいる間に片付けた。
 それから街中まで出かけて、しばらく歩いていたんだけれど、ふと海を見たくなってさ」

 私は波から彼に視線を移した。
 彼は膝に腕を置き、淀んだ目で海を眺めていた。
 彼は疲れ果てているようだった。髪は風でやや乱れ、目は半分ほど瞼で覆われていた。
 「一日中歩いていたのか」と私が尋ねると、彼はこちらに振り向き、ぎこちない笑みを浮かべてみせた。
 その後、彼は口を閉ざし、再び海に目を移した。
 眼前では、波が絶え間なく打ち寄せ、白っぽい泡を吐き出していた。
 私は目をつむり、波音に耳を澄ませた。
 波音は奥から手前へと移動し、迫り来るようなざわめきを立てた直後、静かに横へと広がった。


 「以前、君が『海へ行こう』と誘ってくれた時さ」

 しばらくすると、暗闇に波音が響く中、彼の声がそっと聞こえた。

 「正直、本当に行こうか迷っていたんだ。昔の出来事を思い出してしまいそうだったから」

 私は彼の呟きに意識を集中させ、ゆっくりと目を開けた。
 隣を振り向くと、彼が海に視線を向けながら、話を続けていた。

 「だけど、君と貝拾いをしているうちに、段々と楽しくなってさ。あれほど夢中になれたのは久々だったよ。
 海はやっぱり、僕にとって思い出深い場所なんだ。君はそのことを思い出させてくれた。僕と貝を一緒に探して、新しい思い出も作ってくれた。
 僕が今ここにいるのは、君のおかげなんだ。だから、再度礼を言わせてほしい。あの時、海に誘ってくれてありがとう」

 その言葉を言い終えると、彼は私の方を振り向き、柔らかな笑みを浮かべた。
 私は彼と目を合わせながら、彼の首に手を掛けた。
 私たちは静かに抱き合った。長い間、互いの思いを確かめるようにして身体を寄せ合い、じっとしていた。

 「また貝拾いをしようか」

 私は彼の腕の中で温められながら、彼に話しかけた。

 「真っ暗だからね。果たして見つかるかな」

 彼は少し悪戯っぽく笑い、私の頭をそっと撫でた。
 私は彼を見上げ、「それでは、海に足を浸からせるのはどうか」と別の遊びを提案をした。
 彼は「足が凍ってしまうだろうね」と笑ったが、直後にこう付け加えた。

 「試してみる価値はあるかもしれないな」


 私たちは靴を脱ぎ、二人で夜の海を歩いた。
 裸足になった片足を、恐る恐る海水に浸すと、冷たい温度が全身に伝った。
 私たちは軽い悲鳴を上げ、そして笑った。
 辺りには誰もおらず、私たちの声と波音だけが暗闇の中で響き渡っていた。
 私たちは砂浜に座り込み、固まった片足に砂をまぶした。
 砂の滑らかな感触が肌を流れ、地面へと落ちた時、私たちは顔を見合わせ、互いの顔に満足げな表情を読み取った。

 遊び疲れた私たちは、砂浜に寝転がり、夜空を眺めた。
 空は漆黒に塗りつぶされ、星々が爛々と光って見えた。
 夜風が通過した時、私は彼の方を向いた。
 彼は私の視線に気がつき、頭を私の方に向けた。
 彼の目は鮮やかな色に戻りつつあった。私はその瞳の奥を覗きながら、彼の言葉を待った。
 彼はそっと口を開き、その言葉を彼特有の朗らかな声に乗せた。

 「幸せだな」
 
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