漂流物

九時木

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瞬間的記憶: 服屋〜海

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 「綺麗だね」
 
 彼は海風をたっぷりと吸い込みながら、朗らかな調子でそう言った。
 彼のダウンコートは緩やかになびき、風を後ろへと流していた。
 目の前には、煌めく海が広がっていた。私は彼に倣い、息を大きく吸った。


  服を購入した週の休日に、私たちは海へ行った。
 その日は晴天だった。空は雲一つなく澄み切っており、淡い空色が何処までも続いていた。
 水面は穏やかな風が吹く度にゆらゆらと揺れ、眩い日光を反射し、こちらに何度も瞬きさせた。
 海風を吸い込むと、塩辛いにおいが体の奥底まで流れ込んだ。
 肺をいっぱいに膨らませ、深く息を吐いた後、暖かな血液が全身を巡った。

 「とても気分がいいよ」

 隣で彼が伸びをしながら、満足そうにそう言った。
 私は「そうだね」と言い、また大きく深く息を吸った。


 「海に来るのは久しぶりだな」

 私が海の香りをかいでいる間、彼はゆっくりと口角を上げ、柔らかな表情を浮かべながら、そう言った。
 私が「以前にも来たことがあるのか」と尋ねると、彼は渚にそっと目を映しながら、返した。

 「小さい頃、家族とよく海に出かけたんだ」

 彼は少し黙ってから、「君は初めて来たんだっけ」と、私に尋ねた。
 私は頷き、それから海を紹介した本について語った。
 それを聞いた彼は、「やっぱり、泳ぐにはあまりにも寒すぎる季節だと思うな」と、控えめに笑った。


 私たちは堤防の階段を降り、しばらく砂浜を散歩した。
 端から端までゆっくりと、その時間を味わうようにして歩き続けていた。
 砂浜にはほんの数人の人影が見えたが、辺りは静まり返っており、穏やかな波音がよく聞こえた。
 波は薄いベールで砂を覆うようにして打ち寄せ、小さな泡を地上に残した。
 水の控えめに混ざる音が、時々耳をくすぐった。
 私たちはその音に耳を澄ませながら、柔らかい砂を踏み、水っぽい足跡を作った。


 「ところで、家族とは海で何をしたのか」

 堤防での会話を思い出した私は、砂浜の端までたどり着いた時、彼にそう尋ねてみた。
 彼が少し考えてから、私の方をじっと見たので、私は彼を見返した。
 私たちは砂浜の真ん中で立ち止まり、しばらく見つめ合っていた。

 「泳ぐのはもちろん、砂遊びをしたり、貝を拾ったり、かな」

 私が待っていると、彼は渚に目を移しながら、そう呟いた。
 足元の波は、海藻や貝殻を連れ去っては吐き出すのを繰り返していた。
 彼はその様子をじっと観察しながら、私に言った。

 「家族とは、よく海で遊んだんだ。父さんと泳いだり、母さんと貝を拾ったりなんかして」

 彼はぎこちない笑みを浮かべた。
 何だかきまり悪いような、それでいて話さずにはいられないような、複雑な笑みが私に向けられていた。
 私はその表情を確かめてから、「それで?」と、話を促した。
 すると、彼はそっと息をつき、話を始めた。
 彼は時々目を輝かせたり、また虚ろな目を見せたりしながら、彼自身の思い出を思い思いに語った。
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