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瞬間的記憶: 服屋〜海
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老人と話をしてから数日後、私は再び居酒屋に足を運んだ。
彼は大学で受講を終え、居酒屋で働いているところだった。
私と顔を合わせると、彼は満杯のビールを運びながら、親しみの込もった笑みを私に向けた。
大学や美術館を訪れて以降、彼と私はよく会い、話をするようになっていた。
彼はしばしば講義の内容を話題にした。その日に受けた講義について、どのような人物や思想が挙げられたか、どのようなことを学んだかを私に話した。
彼は社会学を専攻としていたが、他の科目も受講していた。特に哲学については、人物名や書物を頻繁に挙げ、強い関心を示した。
その理由を尋ねると、彼ははじめ、「ありとあらゆる学問の基礎を成しているから」と、紋切り型の回答を述べた。
直後、「もっと個人的な理由かもしれないけれど」と言いかけたが、彼はただ微笑みながら、厨房で客用のビールを汲むことに徹するのであった。
しばらくの間、沈黙が続いていた。
彼はジョッキを確かめながら、静かにビールを注いでいた。
彼が仕事に取り組む間、私は老人と交わした内容について思い出していた。
記憶を辿っているうちに、「お前は黙りがちだ」という、老人の言葉がふと蘇った。
私はもう少し彼と話し込む必要があるのかもしれなかった。しかし、どのようにして話せば良いのか、見当がつかなかった。
老人の言う通り、私は彼の話を黙って聞き続けており、こちらから話を持ちかけることはほとんどなかった。
老人の言葉を思い出しているうちに、私はただ話を聞くだけでなく、彼に対して提案をする必要があるのかもしれないという考えに至った。
「今度、海に行かないか」
ビールを飲み終えた時、私は彼にそう言った。
その言葉は彼を驚かせた。彼は厨房から顔を上げ、まるで予期していなかったという表情をこちらに向けた。
「海?」と、彼はその言葉を確かめるようにして、私に問いかけた。
私は海についてよく知らなかった。行ったこともなければ、海で何をするのかも思いつかなかったが、そう提案することにした。
私の提案を後押しするのは、ただ本だけだった。それは、二人の男女が日光をたっぷりと浴びながら、海を泳ぐといった内容だった。
その本を読んで以来、私はいつか海に行ってみたいと、その場所に焦がれるようになっていた。
「だけど、今は冬だから寒いよ」
本について伝えた後、彼はやや躊躇いがちに私にそう言った。
「それでも、海はきっと綺麗だ」と、私は力を込めて言った。それは、やはり「お前は黙りがちだ」というあの言葉が気にかかっていたせいかもしれなかった。
彼はしばらく考え込んでいたが、やがて私に告げた。
「いいよ。行ってみようか」
彼は「ただし」と言いながら、そっと微笑んだ。
「かなり着込んで行った方がいいかもね。何せ、冬の海は本当に寒いだろうから」
彼はビールを汲み終え、客に運ぼうとしているところだった。私はそっと頷き、彼がビールを持ち運ぶのを見送った。
彼の目は明るみが増しており、煌めいているようにさえ見えた。
しかし同時に、彼の眉は少し下がり、何処か悲しげな表情にも映った。
不思議な表情だった。私は確かめるようにして、彼をじっと見つめた。
彼は私の視線に気がつき、そっと微笑み返した。しかし、その表情にはやはり陰りが見えた。
私は一人首を傾げながら、残りのビールを静かにすすった。
彼は大学で受講を終え、居酒屋で働いているところだった。
私と顔を合わせると、彼は満杯のビールを運びながら、親しみの込もった笑みを私に向けた。
大学や美術館を訪れて以降、彼と私はよく会い、話をするようになっていた。
彼はしばしば講義の内容を話題にした。その日に受けた講義について、どのような人物や思想が挙げられたか、どのようなことを学んだかを私に話した。
彼は社会学を専攻としていたが、他の科目も受講していた。特に哲学については、人物名や書物を頻繁に挙げ、強い関心を示した。
その理由を尋ねると、彼ははじめ、「ありとあらゆる学問の基礎を成しているから」と、紋切り型の回答を述べた。
直後、「もっと個人的な理由かもしれないけれど」と言いかけたが、彼はただ微笑みながら、厨房で客用のビールを汲むことに徹するのであった。
しばらくの間、沈黙が続いていた。
彼はジョッキを確かめながら、静かにビールを注いでいた。
彼が仕事に取り組む間、私は老人と交わした内容について思い出していた。
記憶を辿っているうちに、「お前は黙りがちだ」という、老人の言葉がふと蘇った。
私はもう少し彼と話し込む必要があるのかもしれなかった。しかし、どのようにして話せば良いのか、見当がつかなかった。
老人の言う通り、私は彼の話を黙って聞き続けており、こちらから話を持ちかけることはほとんどなかった。
老人の言葉を思い出しているうちに、私はただ話を聞くだけでなく、彼に対して提案をする必要があるのかもしれないという考えに至った。
「今度、海に行かないか」
ビールを飲み終えた時、私は彼にそう言った。
その言葉は彼を驚かせた。彼は厨房から顔を上げ、まるで予期していなかったという表情をこちらに向けた。
「海?」と、彼はその言葉を確かめるようにして、私に問いかけた。
私は海についてよく知らなかった。行ったこともなければ、海で何をするのかも思いつかなかったが、そう提案することにした。
私の提案を後押しするのは、ただ本だけだった。それは、二人の男女が日光をたっぷりと浴びながら、海を泳ぐといった内容だった。
その本を読んで以来、私はいつか海に行ってみたいと、その場所に焦がれるようになっていた。
「だけど、今は冬だから寒いよ」
本について伝えた後、彼はやや躊躇いがちに私にそう言った。
「それでも、海はきっと綺麗だ」と、私は力を込めて言った。それは、やはり「お前は黙りがちだ」というあの言葉が気にかかっていたせいかもしれなかった。
彼はしばらく考え込んでいたが、やがて私に告げた。
「いいよ。行ってみようか」
彼は「ただし」と言いながら、そっと微笑んだ。
「かなり着込んで行った方がいいかもね。何せ、冬の海は本当に寒いだろうから」
彼はビールを汲み終え、客に運ぼうとしているところだった。私はそっと頷き、彼がビールを持ち運ぶのを見送った。
彼の目は明るみが増しており、煌めいているようにさえ見えた。
しかし同時に、彼の眉は少し下がり、何処か悲しげな表情にも映った。
不思議な表情だった。私は確かめるようにして、彼をじっと見つめた。
彼は私の視線に気がつき、そっと微笑み返した。しかし、その表情にはやはり陰りが見えた。
私は一人首を傾げながら、残りのビールを静かにすすった。
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