NATE

九時木

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5. 卵

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 ウィリアム・ロバートソンことウィルは、40歳の作家だ。
 初めて小説を書いたのは18歳。彼は処女作『分身』でデビューした。

 『分身』は、友人を失った主人公が、長旅に出て悲痛を乗り越える話だ。
 率直な語りに加え、感情の揺れを巧みに表現したとして、評価された。

 ウィルはそれ以降も、『黒桑』、『煙』などを執筆し、作家として活動し続けた。
 そして現在は、新しい小説の構想を練っている。


 「今回は長編になりそうなんだが」ウィルはコーンスープをすすりながら、原稿用紙をめくる。

 「書いては消し、書いては消しの繰り返しだ。まるで続きが思いつかない。
 『鞭を打たれても走らない馬』。書評家の言ったことは、あながち間違いではないかもしれないな」

 ウィルは原稿用紙を丸め、床に投げ捨てる。
 私は残った原稿用紙を抱え、机の上にどっさりと乗せた。

 「そんなことはありませんよ」私は肩を押さえながら、彼に言う。
 
 「私はあなたの作品に興味があります。上手く言えないけれど、リアリティがある。

 『分身』がその代表的な例だと思います。あの本を読んだ時、私は主人公の喪失感を追体験しました。
 
 小説で泣くことは滅多にありませんが、あの作品は別です」

 「校正者の君に言われると、何だか嬉しくなるね」ウィルはリクライニングチェアにもたれたまま、小さく笑う。

 「だけど、昔のような勢いを失ってしまったのは事実だ。最近はどうも上手くいかない。いわゆる低迷期というやつだよ」

 ウィルが足を組み、虚空を見つめる。私は机の上の原稿用紙にそっと目を移す。

 「『卵』。半日考えて思い浮かんだ言葉は、それだけだ」
 
 ウィルが原稿用紙をつまみ、机に次々と広げる。
 私は何重もの線で消された文章を目で追った。


 『見つめるは閉ざされた世界。その抱擁は氷のように冷たくて。

 出会いを忘れ、みなが独房暮らし。落ちた先は失われた境界線。どこ行くあてもなく地を這うばかり』


 「なかなか上手くいかないものだね」私の視線に気づいたウィルが、顔を歪ませ、苦笑してみせた。

 「どこか寂寥感せきりょうかんを感じる文ですね」私は線で隠れた文字に目を凝らした。

 「わかるかい」

 「あなたの作品は全て読んでいます」

 私の言葉に、ウィルは頭を搔く。指と指の隙間から、うねる短髪が顔を覗かせる。

 「君には参ったね」

 少し皺の刻まれた目元。明るいブラウンの目。
 私はウィルの顔をじっと見ながら、微かに笑う。

 「テレビでもつけますか?」

 「いや、結構だよ」ウィルは背もたれに深くもたれかかり、重たげな目を閉じた。

 「少し眠りたい。君は自由にしていてくれ」
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