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第6択
須藤 杏子④
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山田の死には、それなりのショックを受けているつもりだ。手塩にかけて育てた部下でもあり、弟のように世話を焼きたくなる男性だった。甘くて優しい性格を叩き直そうと、冷たく厳しくしたこともあったけれど、結局は直すことはできなかった。
もし、油断も隙も与えない刑事に育て上げていたら、彼が死ぬことはなかったのだろうか。
彼の遺体は静岡県近くの小路にあった。八柳の証言と一致しており、彼が頭痛で倒れた同じ場所で山田は死に絶えたようだ。現場検証の結果、事故による頭部強打の可能性は極端に低いとされる。つまり、これは殺人であると言える。
八柳を木野浜医療センターのバス停に送りながらも、山田の死体隠しをしなかった理由は?
(もう、何がしたいのかさっぱり分かんない!)
兎にも角にも八柳と小野塚には、発症前に意識を失うほどの事故に遭っているという共通点がある。もっと深掘りして調べれば、新たな共通点があるかもしれない。
八柳が最初に入院した病院は、木野浜医療センターである。先の件で、彼が木野浜医療センターのバス停に運び込まれたのは偶然なんかではないだろう。
「担当医は山口 一馬。脳神経外科で年齢は39歳。長野セントラル大学病院で勤続5年を経て木野浜医療センターへ……」
と、自身でまとめた資料を読み漁っていると、首筋に冷たいものが突然ピタッとくっついたので跳ね上がる。
「班長! それ、セクハラですよ!」
「お、マジか。世知辛い世の中だなぁ。で、コソコソと1人で何を嗅ぎ回っているんだ」
「小野塚と八柳の共通点を洗い出しています」
「まあ、なんだ。自由に捜査させている俺が言うのもなんだが、少しは俺たちにも情報共有しろよな。上にバレたら面倒なんだからさ」
「分かっています」
班員は水森 詩奈の遺体捜索を続行しており、白馬ペンションの完全解決を目指している。
一方で山田が殺害された事件においては、静岡県警の管轄ということもあり、直接、彼の弔い合戦ができずにヤキモキとしている班員も少なくはない。
自由に行動させてもらえる裏には、それなりに積み重ねてきた実績と信頼からなるものも大きいが、やはり班長の放任主義が1番影響している。
他の班や部署からは白い目で見られることもあるが、班長が上手く取り纏めてくれているようだ。
50代半ばの班長は、何年間も毎日着ているようなヨレヨレの背広を動かしながら、私がまとめた資料を片っ端から目を通す。
「共通点は事故、意識不明、入院。脳の障害とは考えられないのか?」
「はい。両者とも検査で異常はありませんでした。別の病院でも診てもらっていますが、同じ結果です」
ジョリジョリの顎髭を擦りながら、班長は資料のある部分を指差した。
「彼の父親の診療所が火事によって失くなっている。確か父親も首を吊って亡くなったんではなかったかな?」
確かに資料には山口整形外科の焼失が記録として残っている。
「私が此処に来る転属前だから詳細は分からないが、久住さんなら何か知っているかもしれない」
私の刑事の嗅覚が「ビンゴ」と言っている。長野に住んでいた山口という医師と、長野で強盗殺人に泣いた私、そして操られた小野塚。
長野県がことの始まりである気もしたが、そうするとメキシコ人のハレモドロ・サニャだけは合点がいかない。
「久住さんから話を聞きます」
「気を付けろよ。どうにもキナ臭い連中が動いている気がする」
「気がするではなく、間違いなく動いていますよ。だからこそ、解決しなくちゃ」
▽
久住さんは長野市から遠く離れた場所で隠居生活を送っていた。辺り見渡す限り大自然に包まれており、交通の便が少なく若者の姿も見当たらない。
久住さんは携帯電話を手にしたがらない男だった。機械音痴だからなのか、昔人間の頑固さがあるからか。
やれやれ。せめて、顔を合わせに来るのが億劫にならないような場所に住んでほしいと願う。
「久住さーん、須藤ですー」
木造の一軒家。呼び鈴は昔ながらのブザー音が鳴るものの、絶妙に聞こえるか聞こえないかの音量である。
「久住さーん! 留守ですかぁー!」
わざわざ足を運んで留守にかち合うのは最悪な気分である。しばらくは粘る覚悟が必要か。
「杏子ちゃん」
まさか家の中からではなく背後から声を掛けられたので肝を冷やす。
「てっきり留守かと思いました」
「すまんね。少しばかり散歩で出ていたんだよ」
と言うと、久住さんは引き戸式の玄関扉を音を軋ませながら開ける。
「此処に来たということは、小野塚の件だね。さ、中へどうぞ」
家の中は畳と線香の匂いで昔懐かしい、亡くなった祖父母の家を思い出した。
「粗茶しか出せないが」
「構いません。奥様、亡くなられたんですね」
仏壇に焚かれた線香の横に、何度か顔を合わせたことのある奥さんの写真。昔はさぞかしモテたのだろうと、素敵な笑顔を見て思った。
「半年前にポックリとね。子供を作れなかっただけに、今は孤独を感じているよ」
「御愁傷さまです。そのようなことがあったとは露知らず」
「いやいや、私が知らせないようにしていたのさ。恥ずかしがり屋だからね、妻もこぢんまりとしたものを求めていたと思うし」
だからか。愛していた奥さんに先立たれ、かつての鋭気な刑事の姿は影を潜め、今や力の抜けた爺やになっている。
辛気臭い話を切り捨てて、私は要件に入る。
「この男をご存知ですか?」
山口 一馬の写真見せる。久住さんは首にぶら下げた老眼鏡を身に着けて、写真にピントが合うように顔を動かす。
「さあ、どうかな」
「18年前に彼の父親、山口 健次郎が営む整形外科が焼失。その後、健次郎が首を吊って亡くなっており、管轄は長野中央警察署で処理されています」
「ふむ、私が引退した後に起きたことか。それで、小野塚の件と繋がりが?」
私は八柳の存在と≪悪魔の脳≫の共通点、始まりが長野県に集中していることから見えてくる考察を打ち明けた。
「やはり、小野塚に殺意はなかったのか」
「それはまだ≪悪魔の脳≫を証明しなければ何とも」
私は立て続けに山口整形外科に関する焼失記事の切り抜きを差し出す。それを凝望する久住さんは、ふと何かを思い出して手を叩く。
「あー、〇×通りにある病院か」
「ご存知で?」
「知っているとも。ある時期に噂になっていてね」
「噂?」
「ここのご主人が人体実験をしているのではって。というのも、当時まだ小学低学年の息子が学校の友達にそう言って触れているのを、他の親御さんが耳にしてまったのが始まりなんだが」
「息子というのは一馬さんってことですね」
「警察にも調査をしてくれという連絡は何度もあったが、実害を受けた被害者からの連絡でない限り警察としても動くことができなくってね。まあ、それが噂の一人歩きを助長させた形にはなったんだが、基本ベースは奥さん……つまり、息子君の母親が実験されていたなんて話が広がったのさ」
その噂は忽ち広がりを見せ、サイト内のレビューにも心無いコメントが多数書き込まれたことで山口整形外科の診療所は閉鎖に追いやられることになったようだ。
「ただ、警察も事実確認をしないといけないわけで、部下が山口家に訪問調査をしに行ったよ」
何の変哲もない3人家族。奥さんも健康そうで特に助けを求めるような雰囲気はなく、寧ろよく笑う印象を受けたと、部下の報告書があがる。
「とどのつまり、事件性は皆無と処理されたものの、噂を流した起因がそもそも息子にあって、誰かに損害賠償を求めることはできない。多額の借金を背負った医院長は首を吊って自殺したと聞き及んでいる」
私は一馬と母親のその後のこと、あるいは一馬が何故そんな嘘を流そうと思ったのか知りたかった。だが、脳裏に一番納得できる答えは用意されている。
(母親は本当に実験体となっていたのではないだろうか? 例えばそう――≪悪魔の脳≫に支配されてしまうような、そんな実験を)
もし、油断も隙も与えない刑事に育て上げていたら、彼が死ぬことはなかったのだろうか。
彼の遺体は静岡県近くの小路にあった。八柳の証言と一致しており、彼が頭痛で倒れた同じ場所で山田は死に絶えたようだ。現場検証の結果、事故による頭部強打の可能性は極端に低いとされる。つまり、これは殺人であると言える。
八柳を木野浜医療センターのバス停に送りながらも、山田の死体隠しをしなかった理由は?
(もう、何がしたいのかさっぱり分かんない!)
兎にも角にも八柳と小野塚には、発症前に意識を失うほどの事故に遭っているという共通点がある。もっと深掘りして調べれば、新たな共通点があるかもしれない。
八柳が最初に入院した病院は、木野浜医療センターである。先の件で、彼が木野浜医療センターのバス停に運び込まれたのは偶然なんかではないだろう。
「担当医は山口 一馬。脳神経外科で年齢は39歳。長野セントラル大学病院で勤続5年を経て木野浜医療センターへ……」
と、自身でまとめた資料を読み漁っていると、首筋に冷たいものが突然ピタッとくっついたので跳ね上がる。
「班長! それ、セクハラですよ!」
「お、マジか。世知辛い世の中だなぁ。で、コソコソと1人で何を嗅ぎ回っているんだ」
「小野塚と八柳の共通点を洗い出しています」
「まあ、なんだ。自由に捜査させている俺が言うのもなんだが、少しは俺たちにも情報共有しろよな。上にバレたら面倒なんだからさ」
「分かっています」
班員は水森 詩奈の遺体捜索を続行しており、白馬ペンションの完全解決を目指している。
一方で山田が殺害された事件においては、静岡県警の管轄ということもあり、直接、彼の弔い合戦ができずにヤキモキとしている班員も少なくはない。
自由に行動させてもらえる裏には、それなりに積み重ねてきた実績と信頼からなるものも大きいが、やはり班長の放任主義が1番影響している。
他の班や部署からは白い目で見られることもあるが、班長が上手く取り纏めてくれているようだ。
50代半ばの班長は、何年間も毎日着ているようなヨレヨレの背広を動かしながら、私がまとめた資料を片っ端から目を通す。
「共通点は事故、意識不明、入院。脳の障害とは考えられないのか?」
「はい。両者とも検査で異常はありませんでした。別の病院でも診てもらっていますが、同じ結果です」
ジョリジョリの顎髭を擦りながら、班長は資料のある部分を指差した。
「彼の父親の診療所が火事によって失くなっている。確か父親も首を吊って亡くなったんではなかったかな?」
確かに資料には山口整形外科の焼失が記録として残っている。
「私が此処に来る転属前だから詳細は分からないが、久住さんなら何か知っているかもしれない」
私の刑事の嗅覚が「ビンゴ」と言っている。長野に住んでいた山口という医師と、長野で強盗殺人に泣いた私、そして操られた小野塚。
長野県がことの始まりである気もしたが、そうするとメキシコ人のハレモドロ・サニャだけは合点がいかない。
「久住さんから話を聞きます」
「気を付けろよ。どうにもキナ臭い連中が動いている気がする」
「気がするではなく、間違いなく動いていますよ。だからこそ、解決しなくちゃ」
▽
久住さんは長野市から遠く離れた場所で隠居生活を送っていた。辺り見渡す限り大自然に包まれており、交通の便が少なく若者の姿も見当たらない。
久住さんは携帯電話を手にしたがらない男だった。機械音痴だからなのか、昔人間の頑固さがあるからか。
やれやれ。せめて、顔を合わせに来るのが億劫にならないような場所に住んでほしいと願う。
「久住さーん、須藤ですー」
木造の一軒家。呼び鈴は昔ながらのブザー音が鳴るものの、絶妙に聞こえるか聞こえないかの音量である。
「久住さーん! 留守ですかぁー!」
わざわざ足を運んで留守にかち合うのは最悪な気分である。しばらくは粘る覚悟が必要か。
「杏子ちゃん」
まさか家の中からではなく背後から声を掛けられたので肝を冷やす。
「てっきり留守かと思いました」
「すまんね。少しばかり散歩で出ていたんだよ」
と言うと、久住さんは引き戸式の玄関扉を音を軋ませながら開ける。
「此処に来たということは、小野塚の件だね。さ、中へどうぞ」
家の中は畳と線香の匂いで昔懐かしい、亡くなった祖父母の家を思い出した。
「粗茶しか出せないが」
「構いません。奥様、亡くなられたんですね」
仏壇に焚かれた線香の横に、何度か顔を合わせたことのある奥さんの写真。昔はさぞかしモテたのだろうと、素敵な笑顔を見て思った。
「半年前にポックリとね。子供を作れなかっただけに、今は孤独を感じているよ」
「御愁傷さまです。そのようなことがあったとは露知らず」
「いやいや、私が知らせないようにしていたのさ。恥ずかしがり屋だからね、妻もこぢんまりとしたものを求めていたと思うし」
だからか。愛していた奥さんに先立たれ、かつての鋭気な刑事の姿は影を潜め、今や力の抜けた爺やになっている。
辛気臭い話を切り捨てて、私は要件に入る。
「この男をご存知ですか?」
山口 一馬の写真見せる。久住さんは首にぶら下げた老眼鏡を身に着けて、写真にピントが合うように顔を動かす。
「さあ、どうかな」
「18年前に彼の父親、山口 健次郎が営む整形外科が焼失。その後、健次郎が首を吊って亡くなっており、管轄は長野中央警察署で処理されています」
「ふむ、私が引退した後に起きたことか。それで、小野塚の件と繋がりが?」
私は八柳の存在と≪悪魔の脳≫の共通点、始まりが長野県に集中していることから見えてくる考察を打ち明けた。
「やはり、小野塚に殺意はなかったのか」
「それはまだ≪悪魔の脳≫を証明しなければ何とも」
私は立て続けに山口整形外科に関する焼失記事の切り抜きを差し出す。それを凝望する久住さんは、ふと何かを思い出して手を叩く。
「あー、〇×通りにある病院か」
「ご存知で?」
「知っているとも。ある時期に噂になっていてね」
「噂?」
「ここのご主人が人体実験をしているのではって。というのも、当時まだ小学低学年の息子が学校の友達にそう言って触れているのを、他の親御さんが耳にしてまったのが始まりなんだが」
「息子というのは一馬さんってことですね」
「警察にも調査をしてくれという連絡は何度もあったが、実害を受けた被害者からの連絡でない限り警察としても動くことができなくってね。まあ、それが噂の一人歩きを助長させた形にはなったんだが、基本ベースは奥さん……つまり、息子君の母親が実験されていたなんて話が広がったのさ」
その噂は忽ち広がりを見せ、サイト内のレビューにも心無いコメントが多数書き込まれたことで山口整形外科の診療所は閉鎖に追いやられることになったようだ。
「ただ、警察も事実確認をしないといけないわけで、部下が山口家に訪問調査をしに行ったよ」
何の変哲もない3人家族。奥さんも健康そうで特に助けを求めるような雰囲気はなく、寧ろよく笑う印象を受けたと、部下の報告書があがる。
「とどのつまり、事件性は皆無と処理されたものの、噂を流した起因がそもそも息子にあって、誰かに損害賠償を求めることはできない。多額の借金を背負った医院長は首を吊って自殺したと聞き及んでいる」
私は一馬と母親のその後のこと、あるいは一馬が何故そんな嘘を流そうと思ったのか知りたかった。だが、脳裏に一番納得できる答えは用意されている。
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