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序章 輪廻(メグル)と土竜(モグラ)
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「雑な納め方だねぇ」
屋上からとなりのビルに飛び移り、非常階段からその場を去ろうとしたメグルの背中に、突然、声がかかった。
目を凝らすと暗闇のなかにひとりの男が立っている。
細身の長身に黒のスーツと蝶ネクタイ。
黒いステッキを持ち、黒い革靴を履いていた。
黒いシルクハットからは、ぼさぼさの髪と丸いサングラスをのぞかせ、弓なりにぴんっと天に向かった口髭を伸ばしている。
紳士ぶった気取った格好をしているが、どれもが薄汚れてぼろぼろ、スーツの膝には継ぎが当てられ、体中から生ゴミのような匂いを放っていた。
「昔の管理人はもっとスマートに事を納めていたぜ。センスがあったね」
全身黒ずくめの男の口から『管理人』という言葉が出たとたん、メグルは素早くカバンから分厚いレンズの黒ぶち眼鏡、『星見鏡』を取り出して掛けた。
男の頭上には、人間ならあるはずの水晶玉がひとつも見えない。
「だいたい、関係ない少女を自殺志願者に仕立てるなんてよう? めちゃくちゃだぜ」
そんな男の言葉などまったく意に介さず、メグルは淡々とこたえた。
「あの少女は自暴自棄になっていて、放っておいたら命も落としかねない様子でした。沢山の人から励まされた現実は、たとえそれが偽りの体験だったとしても、あの少女には生きる糧となるでしょう……。それにしても、ここらは越界者だらけだな。前任者は何をしていたんだ、まったく」
文句を言いながらも胸ポケットからすばやく名刺を一枚ぬき取り、男に差し出す。
「先日配属されました、人間界管理局日本支部担当 六道 輪廻です。どうぞよろしく」
練習通りにすらりと一息で言い切ると、にやりと笑ってこう続けた。
「人間界をたった一度で卒業した、二五〇〇年ぶりの超エリートです!」
そしておもむろにカバンの中から、越界者を閉じ込める小瓶『魔捕瓶』を取り出した。
「ちょちょ、待った待った! おいらはお前さんの協力者なんだぜ?」
「協力者?」
メグルは眼鏡のフレームを人差し指でついとずり上げ、男を睨みつけた。
「前任者は越界者なんかと協力していたのか……。堕落だ」
「お前さんはそんなこと言うけどね。越界者を探し出すってえのは、けっこう骨なんだぜ」
しかしメグルは胸を張った。
「先月、人間界に降りてきたばかりだけど、さっき捕まえたやつで、もう三人目です」
「ほう、やるねぇ新人。しかし一ヶ月で三匹捕まえた程度で胸張られてもな……。近頃やつらは、毎月千匹単位で、この人間界へ侵入しているって噂だぜ」
男はサングラスを外してシルクハットのつばの上に掛け直すと、だらしなく垂れた目を露にしながら、懐から取り出した黒革の手帳をのぞき込んだ。
「とりわけ日本では、ええと……。いま現在、魔界側の世界から侵入した越界者が、約六百匹ほど潜んでいるね。お前さんの捕まえた数なんて、まあ、微々たるもんよ」
垂れ目がちの笑顔を向ける男に、メグルも同じ表情を真似ながら言った。
「ふうん、六百人もねぇ……。で、その数にあなたは含まれているの?」
「そらぁ、お前……。おいらは別だよ……」
男はばつが悪そうに口髭をなでた。
「いいかね、新人くん。自慢じゃないが、おいらは人間界に不法に入界して彼此三〇〇年。言わば越界者のベテランよ! この実績を買われて、いままで何人の管理人がおいらを頼って来たものか……。いいかげんその小瓶しまえったら!」
いまいち納得はできなかったが、男が危険なやつにも見えなかったので、メグルは『魔捕瓶』をカバンにしまった。
「三〇〇年も、人間界で何をやっていたんです?」
「なあんも。静かにひっそり暮らしつつ人間界を観察するのが、おいらの趣味なのさ」
「趣味? 人間界の観察が?」
「そ。人間界は【十層界】で唯一、『善』と『悪』が混沌とした世界。見てて飽きないね!」
屋上からとなりのビルに飛び移り、非常階段からその場を去ろうとしたメグルの背中に、突然、声がかかった。
目を凝らすと暗闇のなかにひとりの男が立っている。
細身の長身に黒のスーツと蝶ネクタイ。
黒いステッキを持ち、黒い革靴を履いていた。
黒いシルクハットからは、ぼさぼさの髪と丸いサングラスをのぞかせ、弓なりにぴんっと天に向かった口髭を伸ばしている。
紳士ぶった気取った格好をしているが、どれもが薄汚れてぼろぼろ、スーツの膝には継ぎが当てられ、体中から生ゴミのような匂いを放っていた。
「昔の管理人はもっとスマートに事を納めていたぜ。センスがあったね」
全身黒ずくめの男の口から『管理人』という言葉が出たとたん、メグルは素早くカバンから分厚いレンズの黒ぶち眼鏡、『星見鏡』を取り出して掛けた。
男の頭上には、人間ならあるはずの水晶玉がひとつも見えない。
「だいたい、関係ない少女を自殺志願者に仕立てるなんてよう? めちゃくちゃだぜ」
そんな男の言葉などまったく意に介さず、メグルは淡々とこたえた。
「あの少女は自暴自棄になっていて、放っておいたら命も落としかねない様子でした。沢山の人から励まされた現実は、たとえそれが偽りの体験だったとしても、あの少女には生きる糧となるでしょう……。それにしても、ここらは越界者だらけだな。前任者は何をしていたんだ、まったく」
文句を言いながらも胸ポケットからすばやく名刺を一枚ぬき取り、男に差し出す。
「先日配属されました、人間界管理局日本支部担当 六道 輪廻です。どうぞよろしく」
練習通りにすらりと一息で言い切ると、にやりと笑ってこう続けた。
「人間界をたった一度で卒業した、二五〇〇年ぶりの超エリートです!」
そしておもむろにカバンの中から、越界者を閉じ込める小瓶『魔捕瓶』を取り出した。
「ちょちょ、待った待った! おいらはお前さんの協力者なんだぜ?」
「協力者?」
メグルは眼鏡のフレームを人差し指でついとずり上げ、男を睨みつけた。
「前任者は越界者なんかと協力していたのか……。堕落だ」
「お前さんはそんなこと言うけどね。越界者を探し出すってえのは、けっこう骨なんだぜ」
しかしメグルは胸を張った。
「先月、人間界に降りてきたばかりだけど、さっき捕まえたやつで、もう三人目です」
「ほう、やるねぇ新人。しかし一ヶ月で三匹捕まえた程度で胸張られてもな……。近頃やつらは、毎月千匹単位で、この人間界へ侵入しているって噂だぜ」
男はサングラスを外してシルクハットのつばの上に掛け直すと、だらしなく垂れた目を露にしながら、懐から取り出した黒革の手帳をのぞき込んだ。
「とりわけ日本では、ええと……。いま現在、魔界側の世界から侵入した越界者が、約六百匹ほど潜んでいるね。お前さんの捕まえた数なんて、まあ、微々たるもんよ」
垂れ目がちの笑顔を向ける男に、メグルも同じ表情を真似ながら言った。
「ふうん、六百人もねぇ……。で、その数にあなたは含まれているの?」
「そらぁ、お前……。おいらは別だよ……」
男はばつが悪そうに口髭をなでた。
「いいかね、新人くん。自慢じゃないが、おいらは人間界に不法に入界して彼此三〇〇年。言わば越界者のベテランよ! この実績を買われて、いままで何人の管理人がおいらを頼って来たものか……。いいかげんその小瓶しまえったら!」
いまいち納得はできなかったが、男が危険なやつにも見えなかったので、メグルは『魔捕瓶』をカバンにしまった。
「三〇〇年も、人間界で何をやっていたんです?」
「なあんも。静かにひっそり暮らしつつ人間界を観察するのが、おいらの趣味なのさ」
「趣味? 人間界の観察が?」
「そ。人間界は【十層界】で唯一、『善』と『悪』が混沌とした世界。見てて飽きないね!」
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