【休載中】恋と罪【長編】

綴子

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第3話 4

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 久々に足を踏み入れた校内は、特に変わった様子はない。けれど、まるで知らない場所に来たような空気感が漂っていた。いくら卒業生と言えど、学校を巣立ってしまえば部外者なのだと侵入を拒まれているような、そんな居心地の悪さを感じた拓海は早足に図書館へ向かった。

 図書館に着くと、ガラス張りのドアの向こうにあるミントグリーンのロールカーテンが下まで下ろされていた。カーテンとドアの間には吸盤で張り付けられた「CLOSE」と印字されている掛け看板がさがっている。
 勝手に入っていいものかも分からないし、中の様子も伺えずどうしたものかと考えいると、自分が文明の利器を持っていることを拓海は思い出した。

【こんにちは。今図書館の前に到着しましたが、杉本先生はどちらにいらっしゃいますか?】

 メールを送って一分と経たない内に、ロールカーテンの向こうに人の気配を感じた。中にいた人物――杉本は拓海の姿を確認するとドアを開けて招き入れる。

「おう。わざわざ来てもらって悪いな」
「いえ……失礼します」

 後ろめたい気持ちがあった拓海は杉本の顔がまともに見られなかった。
 しかし、彼の纏っている空気が怒っているようには見えなくて拓海は少し安堵した。

 杉本に促されて司書室にそろそろと足を踏み入れる。そこには高校生時代に委員会の作業で何度か立ち入ったときと変わらない風景があった。

「そこに座って待ってて」
「はい」

 杉本の言葉に従い、事務机の前のパイプ椅子に腰を下ろした。図書委員長であった頃、貸し出し用のバーコードや請求記号を貼り付ける作業などをする際に使っていた場所である。体重をかけるとギ……と小さく軋む音が聞こえた。
 杉本の方を見るとシンクとポットくらいしかない簡易キッチンの前に立っていた。そのうちに、室内はコーヒーの香ばしい匂いで満たされてきた。懐かしさと緊張でかしこまって座っていた拓海の目の前に湯気が立つマグカップが置かれた。

「あ……りがとう、ございます」

 予想外のもてなしに驚きつつ、杉本が椅子に腰を下ろしたことを確認してから目の前に置かれたマグカップにおずおずと手を伸ばす。ひとくち飲んだところで緊張がほぐれる――訳もなかった。何故なら、拓海の一挙手一投足を杉本がじっと見ていたからである。

「あの……」
「身体は辛くないか」

 熱視線に耐えきれず、かおずおずと発した拓海の言葉に被せるように杉本が質問を投げかけてきた。

「え、あ……はい。平気です」

 思いがけない問いに少し動揺したが、反射的に答える。まだ下半身にかなり違和感が残っていたが、無意識のうちに嘘をついていた。自らの意志で杉本に抱かれたのに、本当の事を口にしたら、責任の所在を彼に押し付けるようなことになる気がしたからだ。
 それは拓海の本意では無い。

「昨日の今日で呼び出して、おいて聞くようなことじゃなかったな」
「…………」

 取り繕った言葉は杉本にあっさりと見破られてしまった。見栄を見破られたような恥ずかしさが押し寄せてきてカッと頬が熱くなる。なんと返せばいいか分からなくなって、視線を泳がすことしかできなかった。
 しかし、杉本は勝手に挙動不審になった拓海には気にも止めず、感情のない表情で本題を口にした。

「一昨日から昨日までの出来事を説明してほしい。それから、お前がとった行動の意味も含めて」

 その場に流れていた空気がその一言で一瞬にして変わる。まるで、これから事情聴取でも始まるのではないかという物々しい雰囲気に、指先が冷たくなる。

「……わかりました」

 罪の告白をする咎人の気持ちが分かるような気がした。ドクドクと大きな音を立てる心臓を落ち着かせようと深呼吸をして、拓海は真実を語る為に口を開いた。

「一昨日は、兄と二人で出かけていました。早めの昼食を摂ったあと、一階下のフロアにある店舗で買い物した時までは、いつも通りの兄でした」

 記憶をたぐり寄せながらゆっくりと口を開く。逸らされることのない杉本の視線に緊張して、言葉が詰まりそうになるのを必死に耐えながらも、思い出したことをできるだけ正確に自分の言葉に置き換える。

「その後、衣料品の売り場がある一階まで降る途中で、兄の体調不良に気がついたんです。少し休んでから家に帰ろうかという話になって、レストスペースで休んでいたら発情期ヒートの症状が出ました。そのトリガーとなったのが……」
「俺だった、と……」

 拓海が考えていたことを杉本が先に答える。

「……はい。先生と兄は『運命の番』だったんだと思います」
「ああ。白崎の予想通り、」

 杉本の相槌にギュッと心臓が締め付けられる。ここから逃げ出したくて仕方がなかった。しかし、全てを明かすまでは逃さないと、まっすぐに向けられている杉本の視線がそう言っているように思えた。拓海の身体は精神的に、今座っているパイプ椅子に縛り付けられていた。
 それに、贖罪をするためには彼の求める真実を詳らかにしなければならないと、拓海は再び口を開いた。

「けれど……出会った二人の間に、オレが立ちはだかりました」
「その行動をとった意味は?」

 杉本は冷静を装いながらも、その視線では拓海を責めていた。
 拓海のとった行動のせいで、杉本はアルファとして最上級の幸福を手に入れるチャンスを不意に――出会えることすら奇跡だと言える『運命の番』に出会ったにも関わらず、その人に指一本触れることができなかったのだ。彼の心境など考えずとも理解ができる。腸が煮えくり返っているに違いない。
 改めて、取り返しのつかないことをしたという自覚は拓海に重くのしかかった。

「……っ。兄には結婚を考えている相手がいました」

 その言葉に嘘はなかった。けれど全てが真実というわけでもなかった。拓海は、自分の目の前で杉本が誰かの唯一になるのが受け入れられなかったのだ。その相手が、例え敬愛する兄だったとしても。
 兄には婚約者がいる。そんな理由で己の行動を正当化しただけだった。

「だとしても、『運命の番』と結ばれるのが最上級の幸せだとは考えなかったのか?」
「…………」

 返す言葉もなかった。本当に兄の幸せを願うなら、彼らの間に立ちはだかるべきではなかったのだ。

「完全な八つ当たりだ。すまない。お前の兄は発情期ヒートの熱に浮かされながらも、俺と番うことを望まなかった。彼の意志を尊重するなら、白崎の行動は正しかった」

 杉本の発言に驚いた拓海はそこでようやく彼の顔を見た。苦悶に耐えているような表情。見なければ良かったと後悔するが、そう思ったところでもう遅かった。彼にそんな顔をさせたのは拓海自身なのである。
 己の愚かな欲のせいで、好きな人がこんなにも辛い思いをしている。その罪悪感に拓海はとても耐えられないと思った。

「……白崎、お前の兄は――和泉さんはあの後どうなった?」

 黙りこくって俯く拓海に対して、杉本が追い討ちをかけるように質問した。しかし、自分の口から兄が恋人と番った事を杉本に伝えるのが心苦しくて拓海は息が詰まる思いだった。

「白崎――」

 杉本が拓海の答えを急かす。彼はきっと、和泉がもう自分の手の届く存在ではないことを察しているのだろう。けれど、改めてその真実を口に出すのは難しい。何度も喉で言葉を詰まらせながら拓海は杉本に真実を告げた。

「兄は……恋人と番になりました……」

 拓海の言葉を聞くと杉本は俯き長く息を吐いた。耳が痛いほどの沈黙。二人分の呼吸音が狭い室内に響く。重苦しい雰囲気の中、拓海は空気に溶け込むように押し黙ることしかできなかった。
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