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第3話 1
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「……い! ……きろッ!」
激しく肩を揺すられて拓海の意識が浮上する。あれからいつの間にか意識を飛ばしていたらしい。瞼を押し上げて声のする方を見やると、眉間に皺を寄せた杉本に見下ろされていた。
「……先生?」
鉛のように重い身体に鞭を打ち起き上がる。肩からシーツが落ち、拓海が衣服を身につけていないことに気がついた杉本がひゅっと喉を鳴らした。
張り詰めた空気で完全に目が覚まし現状を理解した拓海は、慌ててシーツで身体を隠しおずおずと視線を杉本の方へ向けた。彼は拓海を起こす前に慌てて服を着たのだろう。シャツのボタンが一つ掛け違えていた。
「お前……白崎か? どうして、ここに……」
そう言った杉本の声は震えていた。自分が勤めている高校の卒業生が、裸の状態――事後だと分かる姿でいつの間にか隣で寝息を立てていたら、動揺するのも無理もない。
「えっと……」
この状況をうまく説明するような言葉はすぐには浮かんでこなかった。ただただ重い沈黙がその場に流れる。
あまりに長い沈黙に痺れを切らしたのか、杉本の膝が小刻みに揺れていた。その上、彼は無意識のうちに威圧のフェロモンを放っていたので、拓海は余計に息が詰まってしまい説明するどころではなかった。
「どうしてお前がここにいるんだ?」
冷静を取り繕った杉本が質問を重ねる。拓海は全て彼に打ち明けようとした。しかし、それも緊張で口の中が渇きうまく言葉を発することが出来なかった。シーツを握りしめていた指先が冷えていく。
「一体どういうことなんだ……」
はくはくと魚のように口を動かすだけの拓海に答えを求めるのは無駄だ、と結論付けた杉本は頭を抱えた。
杉本が黙り込んでしまって、部屋には痛いほどの静寂が訪れた。その時間がどれ程のものだったかは分からないが、拓海には永遠と思えるほど長く感じた。おかげで、言葉はまとまった。一呼吸置いて、拓海は声を発する。
「昨日の……昨日の出来事は何処まで覚えてますか?」
杉本がぴくりと反応する。気が立っているようで、ピリピリとした空気があたりに充満していた。
「昨日? そんなこと聞いて何になる」
なんとか切り出した質問は答えられることなくあっさりと切り捨てられる。あからさまな冷淡な態度に拓海は思わず怯みそうになるがなんとか耐えた。彼は事実を知る権利がある、そう思ったからだ。
「――杉本先生は、『運命の番』に出会いました」
「そうだったな。それで、なんでお前がここにいるんだ?」
単刀直入な問いに拓海はまた言葉を詰まらせた。『運命の番』に拒絶されたなんて気軽に伝えられるわけがない。しかし、伝えないわけにもいかないので拓海は腹を括る。
「その人は、先生と番になることを……望みませんでした。先生は『運命の番』のフェロモンでラットを誘発されていたのと、ショックで混乱していてオレをその人と間違えたんです」
「アルファのお前を?」
訝しげな視線を向けられる。普通に考えれて、アルファとオメガを間違えるなんて事はありえなし、ましてやそれが『運命の番』ともなれば尚更のことである。杉本が拓海の言葉を信用していないのがまざまざと伝わってきた。
少しでも信用の要素を杉本に見せなければと、拓海は彼が勘違いするきっかけとなった、和泉のフェロモンが移ったカーディガンを探す。それは、少し離れたところに落ちていて手を伸ばしても中々届かず、拓海はベッドから滑り落ちてしまった。
「いっ……!」
床に鈍い音を立てて身体を打ち付けた拓海を杉本は心配する訳でもなく、無言で不審なものを見るような視線を投げてくる。チクチク刺さる視線に耐えながら、拓海は和泉のフェロモンが移ったカーディガンを杉本に差し出した。
そこから発される『運命の番』のフェロモンに気がついた杉本は目を丸くした。
「どうして、お前がこの香りを……! お前が俺の運命を隠したのか!」
拓海の肩を鷲掴み、杉本は拓海に詰め寄った。迫力は然ることながら、握力も強い。容赦なく掴まれた方に爪が刺さり痛みに顔を歪める。
「……ッ。これは、兄を介抱した時に着いただけです」
「兄……だ、と……?」
拓海の答えは彼の予想から外れたところにあったようで、ふっと指先の力が抜ける。
「先生の『運命の番』は……オレの兄、白崎和泉です」
「い、ずみ……白崎、和泉。それが俺の運命の名前なのか……」
ようやく知ることができた杉本は噛み締めるように何度も兄の名前を呟く。目の前に自分がいるのに、杉本の脳内は『運命の番』である兄で占められていたのだと感じた。改めて失恋を突きつけられた拓海の心はちくりと痛んだ。
このいたたまれない空間から逃げ出したくて仕方がなかった。けれど、説明する義務を投げ出すわけにはいかない。拓海はトクトクと脈拍を落ち着かせるために、ひとつ深呼吸した。
「兄は先生のフェロモンに誘発されて発情期を引き起こしました」
「そうだ。和泉、さんはどうしたんだ。まさかその場に置いてきてたわけじゃないよな?」
「勿論です」
再び詰め寄ろうとする杉本を両の手のひらを向けて制止する。一呼吸置いて、拓海はその時の状況を説明する。
「兄はオメガの専門病院に搬送されました。いくら兄弟といえど、アルファが発情期を起こしたオメガと一緒に救急車に乗ることはできないので。付き添いは兄の恋人に連絡して代わってもらいました」
「…………」
「先生には申し訳ないですが、兄の意見を尊重しました」
理性を揺るがすほど惹かれ合う『運命の番』という存在は、誰もが一度は耳にしたことのある言葉であるが、そんな存在と出会えるのはまさに奇跡。
「和泉さんは、俺とは番えないと? 運命を拒絶した?」
杉本の言葉に拓海はゆっくりと頷き肯定する。乾いた笑いが室内に響いた。
彼の絶望ははかりしれない。今にも瞳から溢れそうなほど涙を溜めながら力無く笑う彼を見ていられず、拓海はそっと目を逸らした。
「悪いが一人にしてくれ……」
拓海がその場にいても杉本にできることはない。酷い鈍痛が蝕む身体に鞭を打ち、拓海は服を着る。身体中の筋肉が引き攣り動きはぎこちないものだった。
来た時は二人で寄り添うように歩いた廊下をひとりで歩く。エントランスまでくると、拓海はホテル代が頭をよぎった。
こういった場所を利用したことのない拓海が、システムを理解しているわけもない。ひとりで右往左往していても埒が明かないので、黒いカーテンで目隠しされた受付に声をかける。
フリータイム分の料金の支払いホテルを出る。来た時には高い位置にあった太陽は殆ど沈みかけていた。携帯の時計を確認しようと電源を入れると、母からの着信が数件と大河からのメッセージが届いていた。
母には今日はこのままアパートに帰ると連絡し、大河からのメッセージには目を通してすぐ返信する必要もなさそうだったのでそのまま携帯の電源を切り、駅の方へトボトボと歩みを進めた。
激しく肩を揺すられて拓海の意識が浮上する。あれからいつの間にか意識を飛ばしていたらしい。瞼を押し上げて声のする方を見やると、眉間に皺を寄せた杉本に見下ろされていた。
「……先生?」
鉛のように重い身体に鞭を打ち起き上がる。肩からシーツが落ち、拓海が衣服を身につけていないことに気がついた杉本がひゅっと喉を鳴らした。
張り詰めた空気で完全に目が覚まし現状を理解した拓海は、慌ててシーツで身体を隠しおずおずと視線を杉本の方へ向けた。彼は拓海を起こす前に慌てて服を着たのだろう。シャツのボタンが一つ掛け違えていた。
「お前……白崎か? どうして、ここに……」
そう言った杉本の声は震えていた。自分が勤めている高校の卒業生が、裸の状態――事後だと分かる姿でいつの間にか隣で寝息を立てていたら、動揺するのも無理もない。
「えっと……」
この状況をうまく説明するような言葉はすぐには浮かんでこなかった。ただただ重い沈黙がその場に流れる。
あまりに長い沈黙に痺れを切らしたのか、杉本の膝が小刻みに揺れていた。その上、彼は無意識のうちに威圧のフェロモンを放っていたので、拓海は余計に息が詰まってしまい説明するどころではなかった。
「どうしてお前がここにいるんだ?」
冷静を取り繕った杉本が質問を重ねる。拓海は全て彼に打ち明けようとした。しかし、それも緊張で口の中が渇きうまく言葉を発することが出来なかった。シーツを握りしめていた指先が冷えていく。
「一体どういうことなんだ……」
はくはくと魚のように口を動かすだけの拓海に答えを求めるのは無駄だ、と結論付けた杉本は頭を抱えた。
杉本が黙り込んでしまって、部屋には痛いほどの静寂が訪れた。その時間がどれ程のものだったかは分からないが、拓海には永遠と思えるほど長く感じた。おかげで、言葉はまとまった。一呼吸置いて、拓海は声を発する。
「昨日の……昨日の出来事は何処まで覚えてますか?」
杉本がぴくりと反応する。気が立っているようで、ピリピリとした空気があたりに充満していた。
「昨日? そんなこと聞いて何になる」
なんとか切り出した質問は答えられることなくあっさりと切り捨てられる。あからさまな冷淡な態度に拓海は思わず怯みそうになるがなんとか耐えた。彼は事実を知る権利がある、そう思ったからだ。
「――杉本先生は、『運命の番』に出会いました」
「そうだったな。それで、なんでお前がここにいるんだ?」
単刀直入な問いに拓海はまた言葉を詰まらせた。『運命の番』に拒絶されたなんて気軽に伝えられるわけがない。しかし、伝えないわけにもいかないので拓海は腹を括る。
「その人は、先生と番になることを……望みませんでした。先生は『運命の番』のフェロモンでラットを誘発されていたのと、ショックで混乱していてオレをその人と間違えたんです」
「アルファのお前を?」
訝しげな視線を向けられる。普通に考えれて、アルファとオメガを間違えるなんて事はありえなし、ましてやそれが『運命の番』ともなれば尚更のことである。杉本が拓海の言葉を信用していないのがまざまざと伝わってきた。
少しでも信用の要素を杉本に見せなければと、拓海は彼が勘違いするきっかけとなった、和泉のフェロモンが移ったカーディガンを探す。それは、少し離れたところに落ちていて手を伸ばしても中々届かず、拓海はベッドから滑り落ちてしまった。
「いっ……!」
床に鈍い音を立てて身体を打ち付けた拓海を杉本は心配する訳でもなく、無言で不審なものを見るような視線を投げてくる。チクチク刺さる視線に耐えながら、拓海は和泉のフェロモンが移ったカーディガンを杉本に差し出した。
そこから発される『運命の番』のフェロモンに気がついた杉本は目を丸くした。
「どうして、お前がこの香りを……! お前が俺の運命を隠したのか!」
拓海の肩を鷲掴み、杉本は拓海に詰め寄った。迫力は然ることながら、握力も強い。容赦なく掴まれた方に爪が刺さり痛みに顔を歪める。
「……ッ。これは、兄を介抱した時に着いただけです」
「兄……だ、と……?」
拓海の答えは彼の予想から外れたところにあったようで、ふっと指先の力が抜ける。
「先生の『運命の番』は……オレの兄、白崎和泉です」
「い、ずみ……白崎、和泉。それが俺の運命の名前なのか……」
ようやく知ることができた杉本は噛み締めるように何度も兄の名前を呟く。目の前に自分がいるのに、杉本の脳内は『運命の番』である兄で占められていたのだと感じた。改めて失恋を突きつけられた拓海の心はちくりと痛んだ。
このいたたまれない空間から逃げ出したくて仕方がなかった。けれど、説明する義務を投げ出すわけにはいかない。拓海はトクトクと脈拍を落ち着かせるために、ひとつ深呼吸した。
「兄は先生のフェロモンに誘発されて発情期を引き起こしました」
「そうだ。和泉、さんはどうしたんだ。まさかその場に置いてきてたわけじゃないよな?」
「勿論です」
再び詰め寄ろうとする杉本を両の手のひらを向けて制止する。一呼吸置いて、拓海はその時の状況を説明する。
「兄はオメガの専門病院に搬送されました。いくら兄弟といえど、アルファが発情期を起こしたオメガと一緒に救急車に乗ることはできないので。付き添いは兄の恋人に連絡して代わってもらいました」
「…………」
「先生には申し訳ないですが、兄の意見を尊重しました」
理性を揺るがすほど惹かれ合う『運命の番』という存在は、誰もが一度は耳にしたことのある言葉であるが、そんな存在と出会えるのはまさに奇跡。
「和泉さんは、俺とは番えないと? 運命を拒絶した?」
杉本の言葉に拓海はゆっくりと頷き肯定する。乾いた笑いが室内に響いた。
彼の絶望ははかりしれない。今にも瞳から溢れそうなほど涙を溜めながら力無く笑う彼を見ていられず、拓海はそっと目を逸らした。
「悪いが一人にしてくれ……」
拓海がその場にいても杉本にできることはない。酷い鈍痛が蝕む身体に鞭を打ち、拓海は服を着る。身体中の筋肉が引き攣り動きはぎこちないものだった。
来た時は二人で寄り添うように歩いた廊下をひとりで歩く。エントランスまでくると、拓海はホテル代が頭をよぎった。
こういった場所を利用したことのない拓海が、システムを理解しているわけもない。ひとりで右往左往していても埒が明かないので、黒いカーテンで目隠しされた受付に声をかける。
フリータイム分の料金の支払いホテルを出る。来た時には高い位置にあった太陽は殆ど沈みかけていた。携帯の時計を確認しようと電源を入れると、母からの着信が数件と大河からのメッセージが届いていた。
母には今日はこのままアパートに帰ると連絡し、大河からのメッセージには目を通してすぐ返信する必要もなさそうだったのでそのまま携帯の電源を切り、駅の方へトボトボと歩みを進めた。
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