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それは甘い毒

Chapter6-5

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 顔にびちゃっと水をかけられて早苗は覚醒する。
 起き上がろうとして、後ろ手に拘束されていることに気がついた。しばらくの間、踏み固められた硬い地面の上に転がされていたせいか下側になっている左側の腕が痺れている。その上、気を失う寸前に殴られた後頭部には鈍痛が残っている。
 最悪の目覚めだ。

 唯一自由に動かせる視線を上に向ける。すると中身が半分ほど減ったペットボトルを持って、見下すような笑みを浮かべる伊織がいた。

「まだアンタのくだらない話に付き合えって言うんですか?」
「話が終わってないのに、逢沢くんが途中退席するからゆっくりお話ができるように場を整えただけだよ」

 どう考えても歓談するような場所とは思えなかった。
 多分、どこかの建設会社の資材置き場だろう。きっちりと長さが揃った角材が積まれていた。

「そんなに重要なお話でしたか? オレには時間の無駄としか思えなかったんですけど」

 相手を小馬鹿にするように発言すると、早苗の腹部に伊織のつま先がめり込む。
 伊織のモーションが大きく蹴られる事がわかった早苗は、咄嗟に腹筋に力を入れた。そのおかげで、ヒリヒリと表面上の痛みはあるが、内蔵には損害はないだろう。
 しかし、衝撃で肺から押し出された空気は呻き声になって口から飛び出した。

「ははっ、いい格好してるね。まるで芋虫みたいだよ」

 身を捩る早苗を伊織が嘲笑う。

「そりゃどうも」
「無駄な抵抗するから痛い目に合うんだよ。挙句、人のモノに手を出すなんてさ」

 口角を下げた伊織の顔は、憎悪の色を浮かべていた。

「人のモノ? 心当たりないですね」
「ふうん、いつまでとぼけるつもり? このカラー、贈り主は俊哉なんでしょ」

 伊織は早苗の眼前に、ベルト部分が切断されたネックガードを差し出した。それは、俊哉から贈られたエンゲージカラーだった。

「……そんなことで、わざわざ工具まで用意して外したんですか?」

 ネックガードのベルト部分にはオメガの項を守るために薄い金属板が挟まれている。それを切るためには、それなりの工具が必要だ。

「そんなこと? 人の気持ちを随分軽々しく扱うんだね、逢沢くんは。本来このカラーを貰うべきオメガはぼくなのに。本当に図々しい」

 目の前の男の粘ついた執着心に晒されて早苗は身震いした。紛うことなき狂人だ。それなのに伊織という男を早苗は侮りすぎた。
 彼に対する意趣返しで俊哉と番になったことは間違いだったと、自分の軽率さを後悔する。

「この痕、忌々しいな……」

 早苗の項にある歯型をなぞりながら伊織は、見せつけるように銀色の筒を取りだした。

「それは……!」

 早苗の頭に浮かんだ答えは『中和剤』。しかも無認可のものだろう。確実に番解消ができるが、使用者のオメガには重篤な副作用が出る可能性が高いと言われる。

「察しがいいね」

 伊織が再び笑みを浮かべたので、早苗は身構える。自分も俊哉の元恋人と同じ目に合わされるだろうということは、火を見るより明らかだった。

「そうやって人を陥れて、本当に幸せになれると思ってます?」
「幸せ? 別にぼくは幸せになりたくてこんなことをしてる訳じゃないよ」

 早苗の問に伊織は淡々と答えた。

「じゃあ、どうしてこんなことを?」
「取られたものを取り返すために、いちいち理由なんていらないでしょ」

 わざわざ聞くまでもない、とでも言いたげだ。ケースから取り出した注射器に薬を入れながら伊織が答える。

「相手をモノ扱いなんて、傲慢ですね」

 早苗が吐き捨てるように言うと、伊織はまるで虫ケラでも見るような目で見下ろしてきた。

「逢沢くん、そろそろうるさいよ。今君がすべきことは、素直にぼくに謝ることなんじゃないかな」
「どうして」
「そんなことも分からないくらい頭が悪いから、ぼくのものに手を出しちゃったんだね」

 一度立ち上がった伊織は、ついでと言わんばかりに早苗の腹部を蹴る。

「うっ……」

 身を縮こまらせた早苗の項に手早く注射針が刺される。チクリとした痛みの後に、じわじわと熱が生まれる。

「中和剤を打った後はヒートを起こしやすいんだって。ちゃんと相手も用意してあげたんだよ。ベータだから物足りなかったらごめんね」

 立ち上がった伊織が、早苗の後方に合図を送る。
 カツカツと足音を立てて誰かが近づいてきた。

「待ちくたびれちゃいましたよ、伊織さん」
「お待たせ。薬打ったばかりだけど、直ぐに発情し始めると思うから後は好きに楽しんで」
「もう薬打っちゃたんですか? 番のいるオメガの拒絶反応に興味があったのに」

 軽率な雰囲気の男は心底残念そうに言う。
 なんて残虐な嗜好の持ち主だ。拒絶反応は最悪の場合、オメガを死に至らしめるケースもあると言うのに。
 早苗は体をよじりながら二人から距離を取ろうとするが、それは叶わなかった。どちらかの足が背中に置かれたからだ。

「中和剤を打って直ぐに番が解消されるわけじゃないから、暫くは反応あると思うよ。それにしても、なかなかいい趣味してるね」
「それほどでも」
「じゃあ、ぼくは行くからあとはよろしくね」
「ッス」

 会話が終わると、背中の重みが無くなるのと同時にひとり分の足音が離れていった。

「お顔が真っ赤っかになってて可愛い」

 顔を覗き込んできた見知らぬ男が、下品に舌なめずりをする。早苗は恐怖で息を呑んだ。
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