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第5話

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 神代が見つけたという小料理屋で個室とまではいかない小さな空間で顔を突き合わせていた。
 お通しで出されたささみと梅の和物に晴人はおずおずと箸をつけてた。

「あ、うまい」

 程よい酸味と隠し味のシソの爽やかな香りが鼻を抜けていく。

「美味しいですよね。この梅って女将さんが漬けてるらしいですよ」

「そうなのか。市販の梅より優しい酸味でかといって甘過ぎなくていいな」

「俺、あんまり酸っぱいの得意じゃ無いんですけど、ついつい箸が進んじゃうんですよね」

 そういう神代のお通しの小鉢はすでに綺麗に完食されていた。

「まだ酒も来てないのに完食するくらいには気に入ってるんだな」

「そういう先輩の小鉢も綺麗になってますよ」

 神代に指摘され、自分の小鉢にもう料理が残っていないことに気がついた晴人は一つ咳払いをして箸を静かに置いた。

「お待たせ致しました。生ビールおふたつと天ぷらの盛り合わせ、揚げ出し豆腐と厚焼き卵です」

 タイミングよく料理を運んできた割烹着姿の女性店員は、手際よくそれらをテーブルに並べると「ごゆっくり」と言って1分たらずでその場を後にした。

 神代が「それじゃあ、いただきましょう」と言って、グラスを差し出す。晴人もおずおずとグラスを前に出すと、神代は小さくグラスを合わせ、喉を鳴らしながら一口でビールをグラスの半分ほど飲んだ。
 つられて春ともビールを半分ほど飲み干すと、神代は晴人をじっと見ていた。

「どうした?」

「いえ、先輩ってあんまりサークルの飲み会に来なかったじゃ無いですか。結城先輩はお酒はあんまり飲めないって聞いてたので驚いただけです」

「バーで会ったんだから、そこまで驚くことでも無いだろう」

「昨日は、その……、久々に先輩に会えて緊張してて……」

 言い淀みながら神代は頬を掻く。

「緊張、ねぇ……」

「先輩としては、ただ同じサークルにいた奴くらいの認識かもしれないですけど、その、俺、大学の時から先輩のこと気になってたんですよ……」

 緊張で声を震わせながら、そう言い切った神代を晴人はじっと見据える。衝立で区切られた空間にふわりとムスクのような香りが沸き立つ。
 晴人に向けられる好意の香りだ。
 その香りを嗅ぎ取った晴人は瞬時に表情を硬くし警戒を露わにするが、神代は緊張しているのか晴人の真意には気が付かないまま「言葉にすると照れますね……」と言って残りのビールを煽った。

 晴人は何も言わず店員の呼び出しベルを神代の方へやり、厚焼き卵に箸をつけた。

「話は変わるんですけど、先輩あのバーに時々行くって言ってましたよね?」

「そうだな」

「余計なお世話かもしれないんですけど、ああいったお店にはあまり気軽に入らない方がいいと思うんです」

「は?」

 神代の言葉に、晴人は自分でも驚くほど冷たい声が出た。

「あのお店って、その、同性同士の出会いの場みたいなところらしくて……」

 晴人と目を合わせずに、神代は言葉を選びながらそう言った。

「もし、先輩がそういったお店だと知らないで来店してるなら、えっと……今後は控えた方がと思って……」

 相手の言いたいことをなんとなく察した晴人は、相手に視線を向けるでもなく小皿に天ぷらと抹茶塩を取り分けながら口を開いた。

「ああ。お前は、昨日あの店にナンパに行ったのか?」

「違います!」

 晴人の言葉に神代が被せるように否定する。

「じゃあ、なんであの店に来たんだ?」

「えっと、その、たまたま先輩を見かけて……」

「そうか。でも、お前に心配される筋合いはないと思うがな」

 目を泳がせ動揺している神代に晴人は普段より幾分か声のトーンを落として言い放つ。

「え……」

 晴人の言葉に神代が表情を固くした。突き放されるような言葉が帰ってくるなどとは考えてもいなかったらしい。
 しかし、晴人にとって神代の行動は余計なお世話でしかなかったことに変わりはない。

「例えば、俺がそういう出会いを求めにあの店に行っていたのだとしたら、お前のあれは余計なお世話ってことにもなるな」

 昨日の鬱憤を晴らすかのように、晴人は神代に追い討ちをかける。

「先輩は、同性が恋愛の対象なんですか?」

 俯いた神代が蚊が鳴くような小さい声で問う。

「ーーいや。ではないな」

 嘘にはならない返しだった。晴人は別に恋愛相手を探しに行ってるわけではない。寂しさを埋め合わせる相手を探しているだけなのだ。

「そうですか……」

 その後ふたりは、特に言葉を交わすことなく淡々と箸をすすめた。

+++

「今日はありがとうございました」

 店を出ると、神代は少し表情をかたくしたまま感謝の言葉を口にした。
 八つ当たりされたにも関わらず素直にお礼が言えるこの性格の良さが神代の魅力なのだろうと晴人は思う。

 申し訳なさそうな態度を取る神代に対して、どこかから沸いてきた良心の呵責に苛まれる。

「美味かった……」

「え……」

 あれだけ突き放しておいて今更素直にお礼を言うのを気恥ずかしく思った晴人は、店の感想だけを率直に神代に伝える。
 晴人の言葉の真意がすぐに理解できずに間の抜けた声を出した神代の表情がたちまち綻んでいく。

「よかったです。その、また一緒に来れたら嬉しいんですが……」

 次の約束を取り付けようとする神代に断りの言葉を告げようとした瞬間、晴人の背後から「柊真君!」と若い男性が声をかけられる。その声に晴人は聞き覚えがあった。
 心をツンと刺すような過去の記憶が、晴人の脳裏をよぎる。

 こんな所にいるわけがない。目の前の後輩と知り合いであるはずがない。きっと人違いだ。
 そう自分に言い聞かせながら、晴人はゆっくり振り返る。

 会いたかったけど、会いたくなかった人がそこに居た。
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