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二人の王子と温室とお祭りの準備
第14話
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翌日、私とミュゲは理学研究棟の裏手にある大きなガラスの温室へ足を運びました。
「二人とも、本当に来てくれたんだね。ありがとう」
入口の前に立つ我々に気付くと、ジェイ王子はそれこそ人懐こい犬のように駆け寄ってきて、温室の中へ迎え入れてくれます。
「ここで育てている植物は、理学部や農学部の資料にもなっているんだ。園芸委員会の活動に必要な道具も一通り置いてある」
我々が訪れる直前まで作業をしていたのか、ジェイ王子は軍手を嵌め、シャツの袖を肘の上までまくり上げていました。足元には堆肥の袋が積み上がっています。
「これから土を作るのでしたら、お手伝いしますよ」
「えっ、いいの。……でも、やっぱり悪いよ」
「かえってお邪魔になるようでしたら、見学に徹しますが」
「そんな、邪魔だなんて。今日はちょっと大きい花壇だから、手伝ってもらえたらすごく助かるよ」
我々は三人で手分けして農具や堆肥を持ち、中庭へ向かいます。
目的の花壇は既に小石や雑草が取り除かれ、石灰も撒かれていました。早速、ミュゲとジェイ王子が堆肥を広げ、私がそれらを土に鋤きこみます。手分けして作業にあたったおかげか、予想よりも迅速に作業は進みました。
「シモンくんとミュゲちゃんは、もともとお花を育てるのは好きだったの?」
「一応、心得はあります。ヴィエルジュ国では野菜に限らず、観賞用の植物も盛んに出荷されていましたから。花卉栽培を生業にしている農家も多いですよ」
いくら暑い盛りを過ぎて久しいとはいえ、降り注ぐ西日をまともに受けながら鍬を振るっていれば、面白いほど汗が噴き出してきます。
作業を終える頃には、肌着までしっとりと湿り気を帯びていました。
「二人とも、お疲れさま。おかげで予定よりもずっと早く終わっちゃった」
「いえ、お力になれて何より……。もしかして、我々が来なければ、お一人で作業なさるつもりだったのですか?」
「う、うん。今の園芸委員会では、僕が一番後輩で……。先輩たちは課題に忙しいから、今日はたまたま一緒に作業できる人がいなかったんだ」
このとき、私は勘繰りすぎとは思いつつも、つい彼が故意に作業を押し付けられた可能性について考えてしまいました。
今や大国として揺るぎない地位を確立したタウロ王国の王族たる彼に、羨望のまなざしを送る生徒や畏敬の念を抱く生徒は決して少なくありません。
しかし、同時に妬みや嫉みなど、決して綺麗事では片付けられない感情を向けられていることも、残念ながら事実なのです。
土作りがひと段落した後、我々は一旦道具を片付けるために温室へ引き返します。
「たくさん汗かいちゃったでしょ。よかったら、これ飲んで」
ジェイ王子は温室の中に設えたテーブルセットに私とミュゲを座らせると、ガラス製のティーカップによく冷えたお茶を注ぎます。
「僕らが育てた月桃とレモングラスで作ったんだ。さっぱりするよ」
摘みたてのハーブで淹れたお茶を口に含むと、豊かな香りが鼻へ抜けます。体の中にわだかまる熱まで、爽やかな香りと共に体の外へ運び去られていくように感ぜられました。
「おいしいです。手作りのハーブティーなんて、久しぶりに飲みました」
「お口に合ってよかった。おやつもあるよ。こっちも僕の手作りなんだけど」
ジェイ王子から差し出された箱の中には、白くて丸いお菓子が行儀よく並んでいました。一粒手に取ってみるとそれはホワイトチョコレートで、小さなすみれやばらの砂糖漬けが飾られています。
「ショコラボンボンだよ。中にすみれとばらのジャムを入れてみたんだ」
食べてしまうのが躊躇われるほど可憐なそれをしげしげと眺める私の傍ら、ミュゲは躊躇せず一口で平らげます。舌の上で転がすとまろやかなクリームがあっという間に溶け、直後に春の庭園のような甘美な香りが口の中いっぱいに満ち溢れました。
「こんなにきれいでおいしいお菓子は初めて食べました。本当にご自分で拵えたのですか?」
「うん。お料理は昔から好きで……。嬉しいけど、そんなに褒められると照れちゃうな」
「我々の故郷では、お菓子といえばどっしりとした素朴な焼き菓子が多くて、こんな風に繊細なお菓子は滅多に食べられないんです。ねえ、ミュゲ」
ミュゲに同意を求めると、彼女は今まさに手に取った一粒を恭しく口に運んでいる最中でした。普段は眠たげに伏せられた瞳も、このときばかりはきらきらと輝いています。
「ふふ、おいしい? ミュゲちゃんも、たくさん食べてね」
興奮したように勢いよく頷くミュゲの頭を、ジェイ王子は愛しげに撫でていました。そのとき、穏やかなティータイムを打ち破るかのように、温室の扉が激しく開け放たれます。
「おっ……前ら……こんな、とこで……腑抜けた面突き合わせて、土いじりたぁ……お似合いだぜ……!」
息を切らせながら飛び込んできたのは、シャリマー王子です。
「シャリマーくんも遊びに来てくれたの? 嬉しいなぁ。こんなに賑やかなお茶の時間は久しぶりだよ」
「うっせ! 別に茶飲みに来たわけじゃないっつーの!」
「では、何をしにいらしたのですか?」
問いただした途端、それまで威勢よく喰ってかかっていたシャリマー王子が急に口ごもり始めます。実際、彼が温室を訪れた理由に心当たりはなかったものの、その反応を見た瞬間に私ははっと息を呑みました。
「まさか、あなた……私とミュゲを探して……? 怖い……」
「そんなんじゃねーし! お前らがこそこそ集まってるから、何企んでるのか偵察しに来ただけだし!」
どうやら図星だったようで、逆上した彼は温室いっぱいに響き渡る怒声を張り上げながらテーブルに拳を思いきり叩きつけます。飛び上がったティーセットを私とジェイ王子が、お菓子をミュゲが受け止めたおかげで惨事は免れました。
「まあまあ、そう怒らずとも。まずはお菓子でも食べて落ち着きましょうよ」
「施しなんか受けっ……!」
なおも噛みつこうとするシャリマー王子の口に、ミュゲがすかさずショコラボンボンを詰め込みます。すると、険しかった彼の表情がみるみるうちに解け、最終的には無心で味わっていました。
「二人とも、本当に来てくれたんだね。ありがとう」
入口の前に立つ我々に気付くと、ジェイ王子はそれこそ人懐こい犬のように駆け寄ってきて、温室の中へ迎え入れてくれます。
「ここで育てている植物は、理学部や農学部の資料にもなっているんだ。園芸委員会の活動に必要な道具も一通り置いてある」
我々が訪れる直前まで作業をしていたのか、ジェイ王子は軍手を嵌め、シャツの袖を肘の上までまくり上げていました。足元には堆肥の袋が積み上がっています。
「これから土を作るのでしたら、お手伝いしますよ」
「えっ、いいの。……でも、やっぱり悪いよ」
「かえってお邪魔になるようでしたら、見学に徹しますが」
「そんな、邪魔だなんて。今日はちょっと大きい花壇だから、手伝ってもらえたらすごく助かるよ」
我々は三人で手分けして農具や堆肥を持ち、中庭へ向かいます。
目的の花壇は既に小石や雑草が取り除かれ、石灰も撒かれていました。早速、ミュゲとジェイ王子が堆肥を広げ、私がそれらを土に鋤きこみます。手分けして作業にあたったおかげか、予想よりも迅速に作業は進みました。
「シモンくんとミュゲちゃんは、もともとお花を育てるのは好きだったの?」
「一応、心得はあります。ヴィエルジュ国では野菜に限らず、観賞用の植物も盛んに出荷されていましたから。花卉栽培を生業にしている農家も多いですよ」
いくら暑い盛りを過ぎて久しいとはいえ、降り注ぐ西日をまともに受けながら鍬を振るっていれば、面白いほど汗が噴き出してきます。
作業を終える頃には、肌着までしっとりと湿り気を帯びていました。
「二人とも、お疲れさま。おかげで予定よりもずっと早く終わっちゃった」
「いえ、お力になれて何より……。もしかして、我々が来なければ、お一人で作業なさるつもりだったのですか?」
「う、うん。今の園芸委員会では、僕が一番後輩で……。先輩たちは課題に忙しいから、今日はたまたま一緒に作業できる人がいなかったんだ」
このとき、私は勘繰りすぎとは思いつつも、つい彼が故意に作業を押し付けられた可能性について考えてしまいました。
今や大国として揺るぎない地位を確立したタウロ王国の王族たる彼に、羨望のまなざしを送る生徒や畏敬の念を抱く生徒は決して少なくありません。
しかし、同時に妬みや嫉みなど、決して綺麗事では片付けられない感情を向けられていることも、残念ながら事実なのです。
土作りがひと段落した後、我々は一旦道具を片付けるために温室へ引き返します。
「たくさん汗かいちゃったでしょ。よかったら、これ飲んで」
ジェイ王子は温室の中に設えたテーブルセットに私とミュゲを座らせると、ガラス製のティーカップによく冷えたお茶を注ぎます。
「僕らが育てた月桃とレモングラスで作ったんだ。さっぱりするよ」
摘みたてのハーブで淹れたお茶を口に含むと、豊かな香りが鼻へ抜けます。体の中にわだかまる熱まで、爽やかな香りと共に体の外へ運び去られていくように感ぜられました。
「おいしいです。手作りのハーブティーなんて、久しぶりに飲みました」
「お口に合ってよかった。おやつもあるよ。こっちも僕の手作りなんだけど」
ジェイ王子から差し出された箱の中には、白くて丸いお菓子が行儀よく並んでいました。一粒手に取ってみるとそれはホワイトチョコレートで、小さなすみれやばらの砂糖漬けが飾られています。
「ショコラボンボンだよ。中にすみれとばらのジャムを入れてみたんだ」
食べてしまうのが躊躇われるほど可憐なそれをしげしげと眺める私の傍ら、ミュゲは躊躇せず一口で平らげます。舌の上で転がすとまろやかなクリームがあっという間に溶け、直後に春の庭園のような甘美な香りが口の中いっぱいに満ち溢れました。
「こんなにきれいでおいしいお菓子は初めて食べました。本当にご自分で拵えたのですか?」
「うん。お料理は昔から好きで……。嬉しいけど、そんなに褒められると照れちゃうな」
「我々の故郷では、お菓子といえばどっしりとした素朴な焼き菓子が多くて、こんな風に繊細なお菓子は滅多に食べられないんです。ねえ、ミュゲ」
ミュゲに同意を求めると、彼女は今まさに手に取った一粒を恭しく口に運んでいる最中でした。普段は眠たげに伏せられた瞳も、このときばかりはきらきらと輝いています。
「ふふ、おいしい? ミュゲちゃんも、たくさん食べてね」
興奮したように勢いよく頷くミュゲの頭を、ジェイ王子は愛しげに撫でていました。そのとき、穏やかなティータイムを打ち破るかのように、温室の扉が激しく開け放たれます。
「おっ……前ら……こんな、とこで……腑抜けた面突き合わせて、土いじりたぁ……お似合いだぜ……!」
息を切らせながら飛び込んできたのは、シャリマー王子です。
「シャリマーくんも遊びに来てくれたの? 嬉しいなぁ。こんなに賑やかなお茶の時間は久しぶりだよ」
「うっせ! 別に茶飲みに来たわけじゃないっつーの!」
「では、何をしにいらしたのですか?」
問いただした途端、それまで威勢よく喰ってかかっていたシャリマー王子が急に口ごもり始めます。実際、彼が温室を訪れた理由に心当たりはなかったものの、その反応を見た瞬間に私ははっと息を呑みました。
「まさか、あなた……私とミュゲを探して……? 怖い……」
「そんなんじゃねーし! お前らがこそこそ集まってるから、何企んでるのか偵察しに来ただけだし!」
どうやら図星だったようで、逆上した彼は温室いっぱいに響き渡る怒声を張り上げながらテーブルに拳を思いきり叩きつけます。飛び上がったティーセットを私とジェイ王子が、お菓子をミュゲが受け止めたおかげで惨事は免れました。
「まあまあ、そう怒らずとも。まずはお菓子でも食べて落ち着きましょうよ」
「施しなんか受けっ……!」
なおも噛みつこうとするシャリマー王子の口に、ミュゲがすかさずショコラボンボンを詰め込みます。すると、険しかった彼の表情がみるみるうちに解け、最終的には無心で味わっていました。
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