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恋の行方は
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翌朝、作次郎の家を調べることになった。予想通り、誰もいない。特に変わったところも見当たらない。
作次郎は行方不明だ。村のどこにもいない。念のため、周辺を探してみたが見つからない。鬼の件もあるし、あまり遠出はできないということで、捜索は早々に打ち切られた。
与一は、緊急集会の中で夕夏と小春から詳細が報告された時に初めて、昨夜の出来事を知った。
「大丈夫か二人とも」
帰り際、与一が心配して声を掛ける。
「正直、危なかったねえ、昨日は」
と夕夏が答えた。
「すまねえ、あの石のせいでこんなことに」
「まだ『鬼の涙』が原因だと決まったわけではない」
今度は小春が口を開いた。
「そうでなきゃ、小春さんを狙うわけがなかろう」
「私が石を持っていることは知っていたのか?」
「いや、教えてはいないけど、誰かから聞いたんじゃないか」
「知っている人間はそんなにいないだろう」
「確かにそうだけど」
与一は少し考え込んだ後で話を続けた。
「あの石に操られているから、居場所もわかるんじゃないのか」
「あの人間離れした力も石のせい?」
夕夏が尋ねると、与一は自信なさげに
「たぶんな」
と答える。
「そう言えば、あのときの殺気、明らかに鬼と同じだった。『鬼の涙』は、人間を鬼に変える力があるのかもな」
小春の意見を聞いて、与一が大きくうなずきながら言った。
「鬼が出現したのは『鬼の涙』が原因ということか」
夕夏は心配そうな顔で
「小春ちゃん、その石、手放しちゃった方がいいんじゃないの?」
と口を開くが、小春は笑いながら
「与一さんも私も、鬼に変わったりはしないじゃないか。心配ないよ」
と一蹴した。
「家の戸は修理してもらったのか?」
与一が話題を変え、夕夏がそれに答えた。
「朝一番でね。戸は接いでもらったよ。壁の穴も塞いでもらった」
「そうか」
会話が途切れ、しばらく無言で歩いていたが、やがて与一が何気ない口調で話し始めた。
「小春さんは、これからも夕夏の家に泊まるのかい?」
「そのつもりだ」
小春が答える。
「女二人では怖くないかい?」
「なんでそんなこと聞くのさ?」
今度は夕夏が尋ねた。
「もしよければ、二人とも俺の家で寝泊まりしないかい?」
「はあ? 何でだい?」
その言葉に、夕夏は驚いて理由を聞いた。
「いや、もしもの時に人数が多い方がいいだろうが」
「理由は本当にそれだけかい?」
「どういう意味だよ」
「あんたのことが信用できないってことだよ」
「ちゃかすのは止めてくれよ。真面目な話だぞ」
「真面目な話、小春ちゃんはあんたより強いんだろ。あんたがいてもどうにもならないでしょうが」
「助けることはできる。現に青鬼と闘った時は援護できたし」
夕夏は文句を言っているものの、与一がいた方が心強いとは感じていた。ただ、与一と小春がこれ以上親密になることがどうにも面白くない。
「じゃあ、小春ちゃんがいいって言うんならそうするけど」
夕夏は、不満そうな顔でそう言って、小春の方に視線を移した。
「私は構わないが」
小春の回答に与一が、してやったりと言わんばかりの顔で言った。
「決まりだな」
それからしばらくの間、共同生活が始まった。
昼の間は二人とも夕夏の家で過ごし、夜になると与一の家に行って寝泊まりする。
とは言っても、小春は、ほぼ毎日が昼の見張り番で不在になるので、その日の気分で夕夏が昼間も与一の家にそのまま滞在することがあり、自然と食事は朝昼晩すべて与一の家でとるようになった。
夕夏にとって問題は、自分が寝ずの番に立たなければならない時だった。夜、与一と小春は二人きりになる。
そこで、夕夏は一計を案じた。自分が小春と同じ日に寝ずの番になるように、他の者に順番を入れ替えてもらったのだ。
この根回しによって、夕夏だけが不在となることはほとんどなくなった。
しかし、交代が叶わずに夕夏だけが不在となる日が一日だけできた。与一にとっては、またとない機会だ。
一人で早めの夕食を済ませて
「与一、変なことを考えるんじゃないよ」
と釘を刺す夕夏に
「変なことって何だよ」
と与一は言い返した。
「小春ちゃんに何かしたら、只じゃ置かないってことだよ」
「するわけがないだろ。そんなことしたら俺の方が殺される」
与一の顔を鋭く睨みながら戸を閉める夕夏に
「まったく、どうしてこんなに干渉されなきゃならないんだ」
と与一は頭を抱えた。
夕夏が出ていった後すぐに、昼の見張り番を終えた小春が与一の家に戻ってきた。
「おかえり。どうだった?」
与一の問いかけに小春は
「異常はない。平和なもんだ」
と答えた。
あの襲撃事件以来、作次郎は行方がわからないままだ。盗賊も現れる気配はない。
「このまま何事もなく終わってほしいものだけどな。じゃあ、晩飯の準備をするかな」
「今日は私に夕飯を作らせてもらえないか?」
「見張りの仕事で疲れてるんだろ? いいよ、俺が用意する」
「いつも食べるだけだからな。たまには自分で料理したいんだよ」
そう言えば、今まで一度も小春の料理を食べたことはない。与一は少し興味を持ち、夕食の準備を任せることにした。
「そうか。じゃあ、お言葉に甘えてお願いしようかな」
小春は一人で料理を作ったことはないが、その手伝いは何度もしているので、食材や調理器具の場所はだいたい把握している。慣れた手付きで調理を始めた。
与一は、手際よく動くその後ろ姿を見て、小春は料理が得意なのだと感じた。
毎日こうやって食事を作ってくれたらどんなに幸せか。そんな事を考えつつ、与一は鼻の下を伸ばしながら、小春が料理を作る姿を眺めていた。
しばらくして運ばれた膳には、おいしそうな料理がきれいに盛り付けされていた。
「へえ、これはすごいなあ」
与一が思わず口にした。
「口に合うかはわからないが、食べてみてくれ」
小春の言葉に従い、一口食べてみる。予想通りのおいしさだ。
「うまいよ。小春さんは料理も得意なんだなあ」
与一の褒め言葉に、小春が少し微笑んだ。
「そう言ってくれるとうれしいよ」
向かい合わせで食事をする間、他愛のない会話が断続的にあった。たいていは与一が話し掛け、それに小春が応えるといった感じだ。
食事が終わり、二人で白湯を飲んでいるとき、与一が突然、改まった口調で話し始めた。
「小春さん、聞きたいことがあるんだが」
「なんだ?」
「小春さんには今、特別な人はいるのかい?」
「特別な人?」
怪訝そうな顔をして小春が聞き返した。
「ああ、お付き合いしているというか、親密にしている男性とか、そういう人はいるのかい?」
「いや、いないな」
「そうか」
沈黙が続き、与一にとっては長い時間に感じた。やがて再び話し始めた。
「なあ小春さん、もしよければなんだが」
一呼吸おいて
「これからもずっと、俺のために料理を作ってくれないか?」
と言うと、真剣な顔をして小春をじっと見つめた。明らかにプロポーズの言葉だった。
与一はこのために二人を自宅へ呼んだのだ。夕夏のいない今を逃さない手などない。
与一は勝負に出た。心臓が大きく速く脈打つのを感じる。緊張で筋肉が硬直し、身動き一つできない。
一時の間の後、小春は静かに言った。
「いいよ」
心臓がひときわ大きく脈打った。
小春を伴侶にしたいという願いは成就された。与一はそう思い、心の中で歓喜した。
しかし表情を崩すことはなかった。小春はまだ、次の言葉を口にしようとしていたからだ。
「お安い御用だ。ここに滞在している間は、いくらでも食事を作ってあげるよ」
それを聞いて、与一は一気に力が抜けた。
小春は、与一の言葉の意図を理解していなかった。もっと直接的に言わないと伝わらないようだ。
「ああ、ありがとう」
与一は、引きつった顔に無理やり笑顔を浮かべながらそう言うと、膳を片付け始めた。
深夜、すやすやと眠っている小春の顔を眺めながら、与一は眠れず悶々とした時間を過ごしていた。
(何が悪かったのだろうか)
自分に問いかけてみる。
(いきなり伴侶になってくれと言ってもだめなのだろうか)
女性と恋仲になったことなど今までない与一は、口説き方がわからず悩んだ。
今、少し近寄れば手に触れることができる場所に小春がいる。しかし、彼女の心を掴むことができない。
こうなったら実力行使と考えてみても、相手は鬼をも殺す巴御前の如き女傑、たちまち返り討ちにされるだろう。
それ以前に、与一は力で強引に事を進めることは望んでいなかった。相手を傷つけてしまうようなことだけはしたくなかった。
むくりと起き上がり前方を見る。大きなため息をついて今度は小春の方を見る。
小春は無防備な姿で熟睡しているように見える。
頭を激しく横に振って、再び体を横たえた。
(こういう時は女性に相談するべきだろう)
夕夏に聞いてみようかと与一は考えた。
早朝、あたりが明るくなり始めた頃に、夕夏が見張り番を終えて戻ってきた。
戸を叩いてすぐに、小春の
「開いてるよ」
という声がした。
家の中に入ると、小春が朝食の準備をしている。
与一はまだ眠っていた。
「小春ちゃんが朝食を作ってるのかい?」
「ああ、夕夏さん、おかえりなさい。与一さんから頼まれたんだよ」
「頼まれた?」
昨夜の与一の言葉を小春が夕夏に伝えると、夕夏はその意味を理解して思わず吹き出しそうになった。
「そういうことかい。いや、あとは私が引き受けるよ。そろそろ見張り番に出なきゃならないだろ?」
「うん、ありがとう」
夕夏と炊事を交代した後、小春は刀を背負い、出掛けていった。
「しょうがない奴だねえ」
夕夏は、与一の寝顔を見つめながら一人つぶやいた。
与一が目を覚ました頃には、すでに小春の姿はなく、夕夏が朝食の膳を運んでいるところだった。
「ようやく目が覚めたかい」
「なんだ、戻ってきてたのか」
「顔を洗ってきな。朝食を準備するから」
大きく伸びをした後、水瓶の水を汲んで顔を洗う。あまり寝られなかったこともあり、まだ眠気が残っていた。
居間に戻ると、夕夏はすでに食事を始めていた。自分のために用意された膳の前に座って、黙って食べ始める。
時間が静かに過ぎていった。与一は先に食べ終え、膳を台所へ運んで食器を洗い始めた。
そのとき、夕夏が沈黙を破った。
「あんた、小春ちゃんにずっと料理を作ってほしいって言ったのかい?」
食器がひっくり返ったのか、カシャカシャと音が鳴った。
「本気なのかい?」
夕夏の問いかけに与一が
「本気だ」
と答えた。
「そうかい」
「どうすればいいかな」
夕夏はしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「私だったら、ご飯を食べてる時にいきなり言われても嬉しくないねえ。もっと雰囲気のある場所で口説かれたいかな」
「雰囲気のある場所か」
「それと、自分のために料理を作ってくれなんて言葉はよくないねえ。何だか召使いにでもなってくれと言われてるみたい」
「そうか」
「いっしょになってくれとか、一生愛しますとか、率直な言葉の方が嬉しいかな」
「そうなのか」
「でも、知り合って間もないのに、いきなり伴侶になってくれって言われても相手は困るだろうよ。最初は付き合ってくれってくらいでいいんじゃないか」
「そうだな」
間の抜けた相槌に
「なんだい、真面目に言ってるのに」
と夕夏が怒るのを見て与一は
「いや、すまん。でも、いろいろと参考になったよ。ありがとう」
と取り繕った。
食事を終えて膳を運んできた夕夏は
「じゃあ、代わりに食器を洗っておいてくれ」
と言って与一にそれを渡した。
「何で俺が・・・」
「相談に乗ってあげたんだから、そのお駄賃だよ」
夕夏は居間に戻り、寝転がって与一に背を向けた。
与一には見えなかったが、夕夏の表情はどこか哀しげだった。目をつむったとき、涙がひとしずく流れた。
昼の見張り番として、村の中を颯爽と歩く小春の姿は存在感があった。
大刀を背負い、琥珀色の目で絶えず目配りする様子は、頼もしいと同時に一種の恐れも感じさせているようだ。小春に会うと、たいていの者は目を背け、一部の男性は遠目に眺めていた。
しかし、小春は子ども達には人気があった。
あの大きな刀を背負う様子がかっこよく見えるのだろう。男の子は皆、腰紐に背中から棒を挿して真似をした。
また、たくさんの女の子に混じって小春が遊んでいる様子が何度も目撃された。
普段は無表情な小春が、その時は溢れんばかりの笑顔になる。その様子を見て虜になる男性が増えているようだ。
桃香ともよく遊んでいた。いっしょに寝泊まりしたいと駄々をこねる時もあったが、今はいつ襲撃に遭うかわからない状況だ。両親はもちろん、小春もそれは許さなかった。
「今は大事な用事があるから、それが片付いたらおいで」
と諭すと
「いつ終わるの?」
と聞かれ
「もうすぐ終わるから」
と答える。
そんな問答が何回か繰り返され、いつしか一ヶ月が過ぎた。
盗賊はもう来ないのではないかと油断し始めた頃、突如として彼らは現れた。
作次郎は行方不明だ。村のどこにもいない。念のため、周辺を探してみたが見つからない。鬼の件もあるし、あまり遠出はできないということで、捜索は早々に打ち切られた。
与一は、緊急集会の中で夕夏と小春から詳細が報告された時に初めて、昨夜の出来事を知った。
「大丈夫か二人とも」
帰り際、与一が心配して声を掛ける。
「正直、危なかったねえ、昨日は」
と夕夏が答えた。
「すまねえ、あの石のせいでこんなことに」
「まだ『鬼の涙』が原因だと決まったわけではない」
今度は小春が口を開いた。
「そうでなきゃ、小春さんを狙うわけがなかろう」
「私が石を持っていることは知っていたのか?」
「いや、教えてはいないけど、誰かから聞いたんじゃないか」
「知っている人間はそんなにいないだろう」
「確かにそうだけど」
与一は少し考え込んだ後で話を続けた。
「あの石に操られているから、居場所もわかるんじゃないのか」
「あの人間離れした力も石のせい?」
夕夏が尋ねると、与一は自信なさげに
「たぶんな」
と答える。
「そう言えば、あのときの殺気、明らかに鬼と同じだった。『鬼の涙』は、人間を鬼に変える力があるのかもな」
小春の意見を聞いて、与一が大きくうなずきながら言った。
「鬼が出現したのは『鬼の涙』が原因ということか」
夕夏は心配そうな顔で
「小春ちゃん、その石、手放しちゃった方がいいんじゃないの?」
と口を開くが、小春は笑いながら
「与一さんも私も、鬼に変わったりはしないじゃないか。心配ないよ」
と一蹴した。
「家の戸は修理してもらったのか?」
与一が話題を変え、夕夏がそれに答えた。
「朝一番でね。戸は接いでもらったよ。壁の穴も塞いでもらった」
「そうか」
会話が途切れ、しばらく無言で歩いていたが、やがて与一が何気ない口調で話し始めた。
「小春さんは、これからも夕夏の家に泊まるのかい?」
「そのつもりだ」
小春が答える。
「女二人では怖くないかい?」
「なんでそんなこと聞くのさ?」
今度は夕夏が尋ねた。
「もしよければ、二人とも俺の家で寝泊まりしないかい?」
「はあ? 何でだい?」
その言葉に、夕夏は驚いて理由を聞いた。
「いや、もしもの時に人数が多い方がいいだろうが」
「理由は本当にそれだけかい?」
「どういう意味だよ」
「あんたのことが信用できないってことだよ」
「ちゃかすのは止めてくれよ。真面目な話だぞ」
「真面目な話、小春ちゃんはあんたより強いんだろ。あんたがいてもどうにもならないでしょうが」
「助けることはできる。現に青鬼と闘った時は援護できたし」
夕夏は文句を言っているものの、与一がいた方が心強いとは感じていた。ただ、与一と小春がこれ以上親密になることがどうにも面白くない。
「じゃあ、小春ちゃんがいいって言うんならそうするけど」
夕夏は、不満そうな顔でそう言って、小春の方に視線を移した。
「私は構わないが」
小春の回答に与一が、してやったりと言わんばかりの顔で言った。
「決まりだな」
それからしばらくの間、共同生活が始まった。
昼の間は二人とも夕夏の家で過ごし、夜になると与一の家に行って寝泊まりする。
とは言っても、小春は、ほぼ毎日が昼の見張り番で不在になるので、その日の気分で夕夏が昼間も与一の家にそのまま滞在することがあり、自然と食事は朝昼晩すべて与一の家でとるようになった。
夕夏にとって問題は、自分が寝ずの番に立たなければならない時だった。夜、与一と小春は二人きりになる。
そこで、夕夏は一計を案じた。自分が小春と同じ日に寝ずの番になるように、他の者に順番を入れ替えてもらったのだ。
この根回しによって、夕夏だけが不在となることはほとんどなくなった。
しかし、交代が叶わずに夕夏だけが不在となる日が一日だけできた。与一にとっては、またとない機会だ。
一人で早めの夕食を済ませて
「与一、変なことを考えるんじゃないよ」
と釘を刺す夕夏に
「変なことって何だよ」
と与一は言い返した。
「小春ちゃんに何かしたら、只じゃ置かないってことだよ」
「するわけがないだろ。そんなことしたら俺の方が殺される」
与一の顔を鋭く睨みながら戸を閉める夕夏に
「まったく、どうしてこんなに干渉されなきゃならないんだ」
と与一は頭を抱えた。
夕夏が出ていった後すぐに、昼の見張り番を終えた小春が与一の家に戻ってきた。
「おかえり。どうだった?」
与一の問いかけに小春は
「異常はない。平和なもんだ」
と答えた。
あの襲撃事件以来、作次郎は行方がわからないままだ。盗賊も現れる気配はない。
「このまま何事もなく終わってほしいものだけどな。じゃあ、晩飯の準備をするかな」
「今日は私に夕飯を作らせてもらえないか?」
「見張りの仕事で疲れてるんだろ? いいよ、俺が用意する」
「いつも食べるだけだからな。たまには自分で料理したいんだよ」
そう言えば、今まで一度も小春の料理を食べたことはない。与一は少し興味を持ち、夕食の準備を任せることにした。
「そうか。じゃあ、お言葉に甘えてお願いしようかな」
小春は一人で料理を作ったことはないが、その手伝いは何度もしているので、食材や調理器具の場所はだいたい把握している。慣れた手付きで調理を始めた。
与一は、手際よく動くその後ろ姿を見て、小春は料理が得意なのだと感じた。
毎日こうやって食事を作ってくれたらどんなに幸せか。そんな事を考えつつ、与一は鼻の下を伸ばしながら、小春が料理を作る姿を眺めていた。
しばらくして運ばれた膳には、おいしそうな料理がきれいに盛り付けされていた。
「へえ、これはすごいなあ」
与一が思わず口にした。
「口に合うかはわからないが、食べてみてくれ」
小春の言葉に従い、一口食べてみる。予想通りのおいしさだ。
「うまいよ。小春さんは料理も得意なんだなあ」
与一の褒め言葉に、小春が少し微笑んだ。
「そう言ってくれるとうれしいよ」
向かい合わせで食事をする間、他愛のない会話が断続的にあった。たいていは与一が話し掛け、それに小春が応えるといった感じだ。
食事が終わり、二人で白湯を飲んでいるとき、与一が突然、改まった口調で話し始めた。
「小春さん、聞きたいことがあるんだが」
「なんだ?」
「小春さんには今、特別な人はいるのかい?」
「特別な人?」
怪訝そうな顔をして小春が聞き返した。
「ああ、お付き合いしているというか、親密にしている男性とか、そういう人はいるのかい?」
「いや、いないな」
「そうか」
沈黙が続き、与一にとっては長い時間に感じた。やがて再び話し始めた。
「なあ小春さん、もしよければなんだが」
一呼吸おいて
「これからもずっと、俺のために料理を作ってくれないか?」
と言うと、真剣な顔をして小春をじっと見つめた。明らかにプロポーズの言葉だった。
与一はこのために二人を自宅へ呼んだのだ。夕夏のいない今を逃さない手などない。
与一は勝負に出た。心臓が大きく速く脈打つのを感じる。緊張で筋肉が硬直し、身動き一つできない。
一時の間の後、小春は静かに言った。
「いいよ」
心臓がひときわ大きく脈打った。
小春を伴侶にしたいという願いは成就された。与一はそう思い、心の中で歓喜した。
しかし表情を崩すことはなかった。小春はまだ、次の言葉を口にしようとしていたからだ。
「お安い御用だ。ここに滞在している間は、いくらでも食事を作ってあげるよ」
それを聞いて、与一は一気に力が抜けた。
小春は、与一の言葉の意図を理解していなかった。もっと直接的に言わないと伝わらないようだ。
「ああ、ありがとう」
与一は、引きつった顔に無理やり笑顔を浮かべながらそう言うと、膳を片付け始めた。
深夜、すやすやと眠っている小春の顔を眺めながら、与一は眠れず悶々とした時間を過ごしていた。
(何が悪かったのだろうか)
自分に問いかけてみる。
(いきなり伴侶になってくれと言ってもだめなのだろうか)
女性と恋仲になったことなど今までない与一は、口説き方がわからず悩んだ。
今、少し近寄れば手に触れることができる場所に小春がいる。しかし、彼女の心を掴むことができない。
こうなったら実力行使と考えてみても、相手は鬼をも殺す巴御前の如き女傑、たちまち返り討ちにされるだろう。
それ以前に、与一は力で強引に事を進めることは望んでいなかった。相手を傷つけてしまうようなことだけはしたくなかった。
むくりと起き上がり前方を見る。大きなため息をついて今度は小春の方を見る。
小春は無防備な姿で熟睡しているように見える。
頭を激しく横に振って、再び体を横たえた。
(こういう時は女性に相談するべきだろう)
夕夏に聞いてみようかと与一は考えた。
早朝、あたりが明るくなり始めた頃に、夕夏が見張り番を終えて戻ってきた。
戸を叩いてすぐに、小春の
「開いてるよ」
という声がした。
家の中に入ると、小春が朝食の準備をしている。
与一はまだ眠っていた。
「小春ちゃんが朝食を作ってるのかい?」
「ああ、夕夏さん、おかえりなさい。与一さんから頼まれたんだよ」
「頼まれた?」
昨夜の与一の言葉を小春が夕夏に伝えると、夕夏はその意味を理解して思わず吹き出しそうになった。
「そういうことかい。いや、あとは私が引き受けるよ。そろそろ見張り番に出なきゃならないだろ?」
「うん、ありがとう」
夕夏と炊事を交代した後、小春は刀を背負い、出掛けていった。
「しょうがない奴だねえ」
夕夏は、与一の寝顔を見つめながら一人つぶやいた。
与一が目を覚ました頃には、すでに小春の姿はなく、夕夏が朝食の膳を運んでいるところだった。
「ようやく目が覚めたかい」
「なんだ、戻ってきてたのか」
「顔を洗ってきな。朝食を準備するから」
大きく伸びをした後、水瓶の水を汲んで顔を洗う。あまり寝られなかったこともあり、まだ眠気が残っていた。
居間に戻ると、夕夏はすでに食事を始めていた。自分のために用意された膳の前に座って、黙って食べ始める。
時間が静かに過ぎていった。与一は先に食べ終え、膳を台所へ運んで食器を洗い始めた。
そのとき、夕夏が沈黙を破った。
「あんた、小春ちゃんにずっと料理を作ってほしいって言ったのかい?」
食器がひっくり返ったのか、カシャカシャと音が鳴った。
「本気なのかい?」
夕夏の問いかけに与一が
「本気だ」
と答えた。
「そうかい」
「どうすればいいかな」
夕夏はしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「私だったら、ご飯を食べてる時にいきなり言われても嬉しくないねえ。もっと雰囲気のある場所で口説かれたいかな」
「雰囲気のある場所か」
「それと、自分のために料理を作ってくれなんて言葉はよくないねえ。何だか召使いにでもなってくれと言われてるみたい」
「そうか」
「いっしょになってくれとか、一生愛しますとか、率直な言葉の方が嬉しいかな」
「そうなのか」
「でも、知り合って間もないのに、いきなり伴侶になってくれって言われても相手は困るだろうよ。最初は付き合ってくれってくらいでいいんじゃないか」
「そうだな」
間の抜けた相槌に
「なんだい、真面目に言ってるのに」
と夕夏が怒るのを見て与一は
「いや、すまん。でも、いろいろと参考になったよ。ありがとう」
と取り繕った。
食事を終えて膳を運んできた夕夏は
「じゃあ、代わりに食器を洗っておいてくれ」
と言って与一にそれを渡した。
「何で俺が・・・」
「相談に乗ってあげたんだから、そのお駄賃だよ」
夕夏は居間に戻り、寝転がって与一に背を向けた。
与一には見えなかったが、夕夏の表情はどこか哀しげだった。目をつむったとき、涙がひとしずく流れた。
昼の見張り番として、村の中を颯爽と歩く小春の姿は存在感があった。
大刀を背負い、琥珀色の目で絶えず目配りする様子は、頼もしいと同時に一種の恐れも感じさせているようだ。小春に会うと、たいていの者は目を背け、一部の男性は遠目に眺めていた。
しかし、小春は子ども達には人気があった。
あの大きな刀を背負う様子がかっこよく見えるのだろう。男の子は皆、腰紐に背中から棒を挿して真似をした。
また、たくさんの女の子に混じって小春が遊んでいる様子が何度も目撃された。
普段は無表情な小春が、その時は溢れんばかりの笑顔になる。その様子を見て虜になる男性が増えているようだ。
桃香ともよく遊んでいた。いっしょに寝泊まりしたいと駄々をこねる時もあったが、今はいつ襲撃に遭うかわからない状況だ。両親はもちろん、小春もそれは許さなかった。
「今は大事な用事があるから、それが片付いたらおいで」
と諭すと
「いつ終わるの?」
と聞かれ
「もうすぐ終わるから」
と答える。
そんな問答が何回か繰り返され、いつしか一ヶ月が過ぎた。
盗賊はもう来ないのではないかと油断し始めた頃、突如として彼らは現れた。
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